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5-仲積船が運んできた違和感


「入るよ」


 ドアを開けると、丁度薬を飲んだところらしく、空になったコップをテーブルに置き、コホン、と小さな咳払いをした。


「それ、ヒルマン先生からもらった薬?」


「うん」


「そうか。どうだろう、調子の方は……」


 俺は近くの椅子を引いてベッドの脇にそっと腰かけた。

 とても気を遣う。


「ぼちぼちよ。ちょっと消耗しただけ。けっこう濡れたし、体温が下がっちゃった」


 少し休養したからか、彼女の態度も、表情も、けっこう朗らかに感じられた。

 まさに海に例えるとすれば〝なぎ〟の状態だな。


「よかった。風邪ひいたら仕事ストップしちゃうからね。ましてや製缶部の職長さんなんだから」


 彼女は俺の目をじっと見てきた。


「あんた本当に単純そうだと思ってたけど、想像以上なのね」


「え!? ええ!? どういうところで、そう思ったの?」


 フレアさん、小悪魔的にフフ、と笑って「そういうところ」というと、ベッドの上にうつ伏せになり「製缶部はグモアなんか普段は乗らないから、身体が強張っちゃってさ。マッサージしてくれない?」と衝撃的な依頼をしてきた。


「ま、まっ……ええ?」


 薄手のノースリーブ的な下着のようなものに、めっちゃ丈の短いハーフパンツ姿のスレンダーな彼女の身体が、目の前に豪華にもベッドの上に載せて提供されてるこの状況! 


 まさにまな板の上の食材、好きに料理してOK!?


 または、もうすでに出来上がった最高に贅沢なご馳走!?


 頂きますと言って、味わう事を許可されているのだ。信じられない!!


「早く。揉んでよ。リフレッシュしなきゃ十時間労働なんてやってられないんだから」


「お、おうぅおう」


 いち。

 に。

 さん。


 ……ふー……。


 うん、よし、間違いない。

 彼女は確実に、現実に、揉む事を要求していると確認しました。


「い、いいの? 揉むよ、揉むからね? 痛かったら、ちゃんと言ってよ? いい?」


「いいから早く揉みなさい。この姿勢だって楽じゃないんだから」


 しかしうつ伏せという事は、つまり、つまり、つまり、アレですかな? 

 尻を揉んでくれという……まさか強引に仰向けにして、そしてそのまま胸を……!?


 --そうかなるほど、君はそういうやり方なんだね。


 そんなところまでツン味を利かせてくるなんてこの世界の恋愛強者め、だったら、応じてやるまで!!


 俺はこれでも二十五年の人生で、ずっと貞操を守り続けてきたが、今ここでなら、それを解き放っても後悔はない!!


 うら若き乙女のために、己のハジメテを捧げましょうではありませんか!!


「フレ」「仲積船が来ましたァ!」


 突然ドアが勢いよく開き、やかましい声が訪問する。


「え? ええええ? 二人、こんな所でいったい何を?」


「「マードックッッッッ!!!!!!」」



 まったくほんとうもうコイツってやつは……!



     *     *     *



「今回は六千とんで四十二函。絶好調じゃないの。どうしたの? ウェーゲルヴェルトン。過去最高記録更新じゃん」


 陸地から派遣されてきた補給船である仲積船エットン号には、本社社員が乗り込んできており、船の中を視察したり、報告や記録用に写真を撮ったり、業績や修理箇所などを調査したりした。

 仲積船とは、船で作った缶詰を引き取る代わりに空の缶や燃料、日用品、食料などを補給するための船だ。


「去年と乗ってる人の数は変わらないのに、どうしてこんなに差が出るんだい?」


 マルコム・ラブロウというこの強いくせ毛の小柄な中年男は、たぶんマネージャー的な立場らしく、俺からついて離れずに返答に困る質問をどんどん投げかけては、手帳になにやらコチョコチョと書き込んでいてすごく鬱陶しい。


「ええまあ、今期は蟹の数も潮流も都合がいいみたいですね。これだけ採れて私も嬉しくって、なんかもう、船酔いしてしまいそうですよ」


 適当に話を合わせるのは得意だ。前世にもよくやっていたからね。

 だがこのラブロウという男、全く愛想が無いんだから参った。

 こちらも同じくしかめっ面になってしまいそうなくらいの、なんとも陰気な顔だ。


「そりゃあそうだ。出来高に応じて君に支給する九一金くいちきんも吊り上がるのだから。うちは競合他社よりも利率が高いからね。楽しみにしておくといいよ」


 たぶん九一金ってのはボーナスの事だろう。歩合制なのかな。


「ありがとうございます。あの、すいませんが」


 俺はラブロウを逃がすまいとした。


「うん? どうした?」


 眉をぴょこんと上げるのが、ちょっと胡散臭くて鼻に突くなあ。


「ろ、労働時間についてなんですけど、現場作業員の一日の労働時間を八時間に引き下げてはもらえませんか」


 おそるおそる提案してみた。

 ラブロウは、なんか、あのアノニマス面みたいな邪悪な顔を一転させ、困り顔になる。

 水分を失ってしなびた茄子に似ている。


「……え。なんでまた。成果も減っちゃうじゃん。どうしてそんな」


 そこまでありえないかな、と逆に俺が疑問を感じるくらいに落胆して見せてくれるじゃないの。

 いつだって、どこの世界だって上の人間って嫌味ったらしいのね。

 説明しなきゃわかんない? そんなワケないでしょう。


「やはり十代の若い労働者に長時間労働は心身の発育にも健康にも悪影響です。それに、勉学の時間をもっと取ってやらないといけないと感じます。私、あの子らに色々な事を教えてあげた時に、仕事中には見せた事がないくらいの嬉しそうな顔をしてたのが印象的だったんです。だから、そういう機会をもっと増やしてあげられたらなあって……」


 ラブロウは今度は、車に踏まれた玉ねぎみたいな顔をした。


「君、何、言ってんの。いったい何を教えてるの」


「色んな言葉や考え方、文字や計算の仕方とか雑学とか……自分が知ってる範疇ですのでほんと、粗削りなもんですがそれでも喜んで聞いてくれています」


 鼻の頭を掻いてから「なんか知らないけど、勤務時間はちゃんと仕事に尽力してくれないと困るね。君はここの監督職なんだからね」とあくびをかました。

 彼の口臭が鼻を衝く。


「い、いえ、でも……船長からの指示ですが」


「いやいや。船長よりも、会社本部の私の方が権力は上だ。いいかい、君はどうやら違う世界から来たとかそういう触れ込みで人望を得ようとしているようだけど、そんなの、はっきり言ってピエロだ。芸人は北洋の飛工船にはいらないんだよ」


「…………」俺は言葉が出ず、息をするのも、唾を飲むこともできなかった。


「毎年、漁の最中に数人の若い雑務工員が行方不明になる。ここはそういう危険な場所なんだ。気を引き締めていてもらわないと、お遊び気分じゃ困るんだよ。いいね?」


「え……えっと、すいません、何をおっしゃっているのか私にはとても」


「自分の職務を尽くすんだ。いいかい、ハルキ。私に同じ事を言わせるな。活動写真でも観て正気を取り戻せ」と肩を叩いて、棒立ちの俺を残して便所へ行ってしまった。



 俺は何も、間違っちゃいないはずだ。


 そうに決まっている。




 デッキに出るが、今は機関は止まり、仲積船も本船に寄り添って静かにそこに浮かんでいるだけだ。



 この日は風が無いのが、逆に苦痛だった。



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