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俺は銃がなるべく濡れないように庇いながら手元を探り、先ほどと同じように薬剤カプセルを装填して返却した。
少しコツをつかんだと見えるマードックによってすぐさま発砲が再開され、三分も経たない早撃ちのペースで全弾を使い切った。
「弱まってきたぞ!! ええぞ続けなされ!!」
デール技師が渦の中心を睨み、叫ぶ。
それでもまだ稲光のような、緑色の光はときたま、鋭く、狂暴に光を放っていた。
「フレア、君的にどうなの、今の状況」
俺はフレアを振り返る。座り込んでいて、目だけギラギラと俺を見上げながら「まだよ、もっと外側の雲を剥がさないと」と応えた。
「あ、あとどれだけ撃つんです!?」
マードックはすっかり合羽もはだけ、ずぶ濡れになりながらまた銃を手渡してくる。「装填をお願いします!」
「まだだ。もう少し頑張ってくれ、辛抱だ」
俺は更にカプセルを装填し、銃を押し返す。
「おいミーシャ、気分は悪くないかい?」「うん。だいじょぶ」
彼女はなんとか大人しく耐えてくれているが、一方でグモアのエンジンがおかしな音と共に、不規則な振動を伴ってきた。
デール技師の短い叫び声に、場が凍る。
「……ああ、こりゃいかんな。冷却が追い付かん。おい、まだかかりそうか? これ以上は機関が燃えちまいますわ」
乗っている誰もがゾッとした。この極限状態の中で、いちばん聞きたくない言葉だ。
この悪天候の中で浮かぶ一枚の枯葉のようなこの漁船から投げ出されれば、何十メートルも下の冷たい海面に叩きつけられ、蟹たちに骨まで突かれることになる。
俺はグモアの舷を掴んで、顔だけ乗り出して下を覗き込んでみた。思ったより遙かに硬度は上がっており、灰色にうねる無限にも思える空間に向かって雨粒たちが突き刺さっていく。
「そんな、今が大事なとこなのに!」「こりゃ、お前さんは射撃に集中せんか!」
俺は屈んで、フレアの肩を掴んだ。
「なあ、さっきから何してるの? 君はなんのために乗ってきたの?」
キッと睨み返され、ドキリとする。
「うるさいわね。もうちょっとだけ待ってて」
何が待ってなのかわからない。
何かするつもりなのか。
いよいよグモアのプロペラから嫌な音がし始めた。
ねじが緩んだみたいに、回転軸がブレはじめ、バタバタと耳障りな異音を立て始めた。
それに伴い、不快な振動が機体を襲う。舷の手すりを握っていると、その激しい振動で手が痺れた。チェーンソーか何かに似た、ものすごい振動。
雨に濡れ、手も冷えているせいで何度も滑って危うく転びそうになった。
「もう弾も無い、燃料もエンジンも限界だ、引き返すならいまですよ!?」
船員の一人が俺に怒鳴る。
くそ、〝提案〟ではなく、〝督促〟の口調なのが、状況を物語ってる。
どうする、どうする、俺……
「フレア!」
俺は救いを求めて、思わず彼女の名を叫ぶ。
無意識だった。夢中だった。
暴風雨の中でサッと立ち上がった彼女は、雨合羽のフードを外すと、最後の薬剤カプセルを装填した銃をマードックから半ば強引に受け取ると「良い具合に剥がれてるじゃない」と呟いて、舷の端にいくと、片足を舷に掛け、
マードックと同じような態勢で銃を構えると、目を細めてそのまま様子を伺っている。
先ほどよりは暴風雨が和らいでいるとはいえ、まだまだ凄まじい唸りを上げる黒い雲が渦巻いている。
だけどそれが時々、フッと途切れる時があった。まるで息継ぎをしているように。
フレアはどうやら、その瞬間を狙っているらしかった。
「風が......風がぶつかってる......えぐい……」
マードックがうわ言のようにつぶやく。
寒さのせいか、それとも恐怖のせいか、声が震えていた。
俺も気付いた。
渦の向きと反対に吹く風が、いつの間にか、どこからともなく発生していたんだ。
そしてそれがぶつかるたびに雲が途切れ、黒い雲の中心が垣間見える。
「あった、アレが嵐の芯だ!」とデール技師が指差す先には、拳のような一塊の白い雲がポッコリと浮かんでいた。
そしてその瞬間、いきなり、何の前触れも無くフレアが銃の引き金を引いた。
炸裂音と共に青白い薬剤カプセルが円弧を描いて飛んでいき、白い雲の芯に到達すると同時に炸裂して、その周辺の雲がボワッと、煙を手でかき混ぜたような感じで散った。
「やった......」
全員が固唾を飲んで見守る。
そのとき、無音になった気がした。
ただただ額から頬へ伝わる雨水の感触だけが妙に鮮明に、視線を逸らすなと警鐘を鳴らしているような気がして。
やがて、フッと機体が楽になった、気がした。本当に、そう表現するしかないのだ。俺如きの語彙力ではうまく説明できないが……エンジンへの負荷が無くなった事が、まるで自分の身体に起きた事のように感じた。
それでも、全員が硬い緊張状態を維持したまま、そのまま三分間ほど、様子を伺っていた。誰も何も喋らない。
「やった。うまくいったっぽい。ミーシャ、あそこを綺麗にして!」
フレアはびしょ濡れの顔でこちらを振り返る。
鬼気迫る荒天を背にしたその強く美しい表情に、俺のこk……身も硬くなる。
フレアの呼びかけに、いよいよミーシャが操舵室の陰から飛び出してきた。
「おっけー、ミーシャのお仕事!」
この子は、ついさっきまでの波乱をものともせず、暴風雨に向かって立つフレアの隣、舷の端に立つと、空に向かって「ぬくぬくぱぁ!!」と精一杯の声量で叫んだ。
少しずつだが、風が弱まり、稲光が小さく、間隔が広くなってゆく。
フレアが続けざまに発砲する。
雲がかき乱されるにしたがって風も乱れ、機体が水に浮かんでいるかのように揺れる。酔いかけてきて、深呼吸をしてなんとか耐えた。
その場にいる誰もが、固唾を飲んでただただ、二人と空を見守っていた。
グモアの機関は今ではどこか咳き込むような音を立てて息も絶え絶えといった感じで、高度も遙かに下がっており、海面まで十メートルも無いように見えた。
カチャ、という乾いた音が響く。「だめ、弾が切れた」とフレアの呟き。
するとミーシャは船首に向かい、そこにあるロープを結ぶキノコ型の柱の上に立つと、息を大きく吸い込み、両手を思いっきり広げて、「ぬくぬくぱぁ!!」と叫んだ。
--少しの間、無音になった。
雲は大きな塊がそれぞれちぎれて細かい幾つかの小さな細長い形になったあと、それぞれが遠くに引きはがされるようにしてスーッと霧散していってしまった。
「「「…………」」」
誰もが何も言えずに、ポカンと口を開けて空を見上げて固まっていた。
グモアの機関が止まり、海面に着水した。海面はいつの間にか凪になっていた。
嵐は嘘のように消滅し、黒い雲も切れ切れになって海面近くを漂いながらそのほとんどは消滅していった。
激しい戦いで消耗した俺ら乗組員は暫くの間、呆然として海面と空を交互に見ていた。
一戦を終えた安堵が、誰もわざわざ口にしないけど、何かとてつもなく大きな仕事を成し遂げたという達成感が、みんなを包んでいた。
「……なあフレア、聞いていい?」
「断る」
――フレアさんは、本当に強くてきれいだ。
だけど、とても、繊細な人なんだろうな――
「……どうして、撃つまでの間、ずっとしゃがみこんでたの。まさか、酔うタイプだったり?」
素朴な疑問だった。
だけど、ちょっと聞いておきたかった。
「はあ? ばっかじゃないの、船で働いてるのに酔う訳ないじゃないの。ほんと馬鹿」
容赦ない彼女に、固有船員の一人が思わずといった感じに吹き出した。
「ご、ごめん......やっぱいいや......」
五秒ほど感覚を開けてから「わかった? あたしのスキル」と、俺への回答を棚に上げてきかれた。
「へ?」というのは回答じゃないよねうん。
深い溜息と共に、なぜか軽く、ホントに軽く肘撃ちされて、「飛工船にとって命なのは何だと思うの?」とめっちゃ真顔で尋ねられた。
「え? ええっと、空気……? あ、スピード?」
「......もういい。馬鹿過ぎて呆れる」
そう言って、合羽のフードを被って黙り込んでしまった。
あとから聞いたが、答えは、風を操る能力なのだそうだ。