3-4
「ハルキさん、俺も同じくですぜ」
肩を掴んできたレックス職長の目に、俺の求めているものが無いのはゼロコンマ一秒でわかった。
「くっそー。なんなんだ、雑務長とかって適当な役職で踊り上げておいて、要は何でも屋みたいなモノじゃねーかー!」
ここにきて社会の厳しさを思い出した事を認めなきゃ天国にはいけませんか(涙)?
「僕からしたら正直羨ましいくらいですよ。こっちにはオッサンしかいなくて、やることも整備とか修理とかの油臭い事なんですから」とはギョロ目ちゃんの言い分。
「同じく。もっとも、こっちは女性は数人だけいるけども、調理室のおばちゃんくらいだ」とレックス職長の青息吐息。
確かに、それぞれ抱えているものは同じだし、あんまり愚図っても二人を幻滅させ、信頼を失墜しかねない。
せっかく成長している所を見せてきたのに、ここでいい流れを狂わせるわけにはいかないんだ。
それは、俺にだってわかる。俺だけの問題じゃないんだ。
「それに、毎年数人の雑務工の女の子が行方不明になっているから、そういうのを防ぐためにもしっかりとこういう通常業務外のところで信頼関係を築くのも管理職としての大事なミッションだと思う」
レックス職長の言葉に、俺は妙に冷静さを取り戻した。
「なんだって? 行方不明?」
胸がざわつく。「それ、詳しく教えて」
「ああ……毎期ある事なんだ。俺が着任した八年前から毎年、必ず数人の雑務工が操業中にいなくなる。忽然とだ。消えた子と親しくしていた子に訊いても何も手がかりがない。神隠しってやつ
さ。陸から離れて四カ月も海の上だから事故が多いのは誰でも想像つくと思うけど、さすがにこれは不可解すぎる」
「僕も入社した時に訊きました。だけどこの事は一切」
「「部外秘」」
二人が同時に口を揃える。それは意図的なものを一切感じさせなかった。
ゾッと鳥肌がそそけ立つ。
「そ、それ......今期ももしかしたら......?」
俺の問いに、二人はまたも同時に頷いた。
――俺には、まだ解かなきゃいけない謎がいくつもある。一個一個、順番に対処していかないとメンタルが持ちそうにない。
「大丈夫か、ハルキさん。顔色悪くなってきたぞ」と背中を叩かれる。
「いやいや、大丈夫。また時間ある時、詳細を聞かせてくれ」
俺は深呼吸をする。
酸素が全く入ってこない、苦しい深呼吸だった。
* * *
「空缶の箱は隅に移動させて! 刃物類は全部、水分を拭き取ってから用具入れに仕舞う事! 錆びた刃物じゃ商品を造れないからな!」
俺は工場の真空巻締機の台座の上から、七十人近い雑務工の子らに大声で指示を出し、工場の中を簡易的な教室のように模様替えした。
普段は蟹肉の生臭い、磯臭い匂いがしている船内も、今日は機械が動いてないので女子特有の胸がスーッとする、柔らかく甘い匂いが充満している。
どこの世界でも女子ってイイ匂いがするんだな。
--いけね、顔に出ないようにしないと。
「はい、えっと……じゃあまずは熟語の勉強から」
もう手探りだ。俺が知っている事全てを、このいたいけな女子たちに授けよう。
完全自己裁量という事はつまり、俺がマニュアルであり、俺が教科書だ。
人として、社会人として、二十五歳まで生きてきた俺の全てを授ける。
「アタシもそうだけど、ここに居る子たちはみんな貧困層の出身で、小さいころから家の畑仕事や内職を手伝ってきた子なの。少しでもお金に余裕のある家なら今頃は学校に通って、しっかりした教育を受けて、彼氏をつくったり友達と遊びに行ったりしている年頃よ」
午前の授業がなんとか終わり、昼食を食べながら、フレアがぽつぽつと語ってくれた、ここで働く女子たちの背景。
「あなたの元いた世界も、そういう子供は多かった?」と聞く表情は、先日のあの、ツンとしていた時からは想像がつかないくらい弱々しく、哀し気だ。
俺は心が激しく痛んで、食事の手が手が止まる。
「……俺の居た世界でも、そういう話は別の国に目を向ければものすごくたくさんあった。きっと、俺が知らないだけで想像以上にあったと思う。だけど俺の居た国はその世界の中で
は上位に入る発展した国で、普通の教育を十五歳まで受ける義務を親に課してる制度があった。法律っていう、ルールで決まってたからね」
「法律。こっちでいう戒令のことかしら」
「どんな形でも、ルールや秩序を定めたものだったら、それにあたる」
「ああ、じゃあそうだわ」
「名前は違えどどこにでもあるんだね、決まりごとは」
「当たり前でしょ。無秩序じゃあ人はまともに生きられないでしょ。ところで、貴方も私たちみたいな年齢の頃は教育を普通に受けられていたってこと?」
「うん。向こうでは高等学校っていう学校があって、フレアくらいの年齢ではそこに通ってた。つまらない、地味でもっさりした学生だったけど、今思えばあれが青春だった
んだと思う。ここで君らを見ていて、余計にそう思えたんだ。いかにあの時の数年間が、人生の中で大きな価値を持っていて、輝いているかって事にね」
フレアは咀嚼しながら少し俯いて、持っていた食器をテーブルに置いた。
グラスの中の、濁った水を一気に飲み干す。
「--青春。言葉だけで、なんかすごいキラキラした何かが伝わってくるわ」
「ま、まあ向こうの世界でも、本当の意味で青春できる奴なんてほんの一握りだけどね。それがエンターテインメントの大罪というか、大きなコンテンツとして君臨してるくらい
でさ。かくいう俺も……そんなキラキラした時代はなかったよ。ただただ、平凡で平和で、退屈でもっさりしてた」「それよ」
フレアの澄んだ尖った声が、俺の会話を途中でぶった切る。
いつの間にか、周囲の雑務工らも聞き入っていたようで、がやがやしていたテーブル回りがしんとしていた。
食器のぶつかり合うカチャカチャという音も、控えめだ。
「その、退屈で平凡な日々が羨ましい。アタシらにはそれすらもなかった、ただただ若さを搾取されて、こんな海の上の鉄の檻の中で毎日毎日、蟹臭くなって......」
そこでフレアの声がかすれ、俯いた事で髪で表情が読み取れなくなった。だけど、表情なんて見なくても、俺にはすべてがわかる。感じるんだ。
「無理するな。俺が、これから青春をつくってやるよ」
フレアだけでなく、周囲にいた雑務工らが、みんなサッとこちらを見た。
「……あくまで俺が向こうで身に着けたものや見てきたものしか教えてあげられないけども、でも、それでもみんなの刺激になればって思うし。人間、いろんな意味で内面を磨いてこそだって俺もようやく、この歳になって思えてきたんだ。俺にとっても学びになりそうだし、お互いに、青春しようよ」
正直、自分でもよく言ったと思った。
いや、俺にこんな一面があったなんてもう本当にびっくり仰天。
今まで誰かから与えられるだけだった俺が、遂に誰かに何かを――見れたもんじゃないかもしれないほど、不格好なカタチだけど――何かを、与えられる。
「言ったわね。約束してよ」
フレアが、初めて歳相応の無邪気な笑みと、はにかみを見せた。
俺は自分の顔が赤くなっているのを感じて、あわてて食事を掻き込んだ。
そして壮大に噎せた。
それを見ながら「でもなんか頼りないのよねー。大丈夫かしら、この人。ねえみんな。どう思う?」というフレアの明るい声に、大勢の女子の笑い声が重なった。