3-1
「ざぷちょー、なんだか困り顔。くちゅくちゅぱぁなの?」
俺はドキッとして背筋を伸ばす。
「いやいやいやいや、何も困ってないからッ!」と、バネ仕掛けのオモチャみたいなおかしな挙動で、声までひっくり返る。
やめてもう、JKの前で恥をかかさなでおくれ。俺はもうオッサンだからそういうの笑い飛ばせなくなってきてんの、二十五歳になって若さが錆び始めてきてんの。
年下少女にジェラシ~ンヌ。
斜め上を見ながら「変な人。あたし、ちょっと手を洗ってくるからミーシャの事みてて」とフレアが席を立つ。
「はいはい……それにしてもうまいわこれ。ミーシャちゃん、おかわり貰える?」
「どうぞ、ざむちょーさんなら大丈夫、えらい人だから」
「いやぁすんませんねぇげへへ」
我ながらキモ。俺はなんていう残念なキャラなんだ。ああもう。一気に飲み干す。
「ミーシャ幸せ。今、すごくぬくぬくぱぁ」
満面の笑顔の彼女の向こうで、窓が少し明るくなった。
風も雨もやみ、月明かりが差し込んでいるのだった。
「天気を操るスキル......自分ではコントロールできるといいつつ、気分そのものと連動してるのか。便利なんだか厄介なんだか......わからんな」
「なあに?」
「いや、なにもないよ」大人の話ヨ。
そこへ鉄の扉が開き、「すっかり打ち解けたみたいね。外も良い月明かりになった」とハンカチで手を拭き拭き、フレアが戻ってきた。
なんかいいね、こういう家庭があったら。元の世界では家庭はおろか、恋人さえ......ああ、ちょっと待って嫌な事思い出してきちゃったあ!
せっかくこっちの世界の旨みを掴み始めたところなのに、あんな灰色の灰汁まみれの日々にまた戻ってたまるか!
俺は手元のそれを一気飲みして憂さを晴らそうとした。
「おー! ざぷちょーさんさすが! 蟹みたいないい飲みっぷり!」
「ちょ、ちょっと......そんなに一気に飲んだら……」
「ぶっはー!! なんぼのもんじゃいこのポ......ポポポ......」
――あれ?
なんかグラグラする。
手も震えるし、手汗もやばい。
身体から力が抜けて、その場にぶっ倒れた。
* * *
「またここの世話になって。しっかりしてくださいよ、雑務長さん。あなた管理職なんだから、誰よりも丈夫さが求められるんですよ?」
「すんません、ほんと申し訳ないです。面目ない......この海より深く謝罪と感謝申し上げます」
鼻で笑われた。
けど、嫌な感じはしなかった。
「ふっ……はいよ。じゃあ、気を付けてね。海の上じゃ、重篤な状態になったら私じゃ対処できないんだから。無理は禁物さ」
ヒルマン船医に重ねてお礼を申し上げ、これもカイルが愛用していたという革の上着を羽織って医務室を出ると、フレアとミーシャが扉の横で並んで立って俺を待っていた。
「あっ......えと」
言葉に詰まる俺に、ミーシャがいきなり抱き着いた。
「……え……え」
度肝を抜かれて煮干しのようにカチカチに硬直していると、涙ぐみながら俺を見上げて「ミーシャのせいでざぷちょー、死んじゃったかと思った。蟹みたいに泡吹いてぶっ倒れてたから」とすごい涙声で、全力で訴えかけてきた。
「ご、ごめん、驚かせちゃって......ほんとごめんね」
フレアを見ると、咄嗟に俺から目を逸らしてから、また俺を見た――その眼が少し、動揺しているように感じられた。
女性が困ったり、感極まったりした時特有の、なんとも言えない、細かい皺が眉間にくっきりと浮き出ている。
それはある意味、ショックだった。
「アタシも驚いたんだから。けど別に、心配なんかしてないからね。ミーシャが落ち込むから、ちゃんとアフターケアしてあげなさいよ。仕事に穴をあける事にもなるんだし」
とツン味の効いた塩、ならぬお酢対応がホールインワン。
いちおう「わかってるよ」とウェッティな返事を返しつつ、ここはもう真面目に、ヒルマン先生の手前もあり二人に丁寧に謝罪した。
そういう所は、しっかりしておきたいのが俺の考えだ。
「違う世界から来た俺には、まだこの世界の食べ物に慣れていないところがあって、それでちょっと身体が付いていかなかったみたい。でも熱が出たりとか、吐いたりとかの拒絶
反応は出てなかったから、少しずつ慣れていけば大丈夫だろうってさ。ヒルマン先生にそう言われたよ」
「そうなのね。ま、大事にしてよ」
「うん。ごめんね、ありがとう」
楽しい時間を邪魔してしまったせいかフレアの機嫌はしばらく戻らなかったが、ミーシャは精神的に満たされたのか〝凪ぎ〟と表現するような穏やかな感じで、天気だって〝ぬくぬくぱぁ〟だった。