第9話 添付ファイル:焼肉のやつ 9/x
話しているとアラカワがやたらと「すけちん」という単語を使ってくるが、全くもって意味が分からない。
尋ねてみると「すけちんも知らないんですか?」と言われたので、少年は腹が立った。
あたかも「すけちん」が一般常識であるかのような口ぶりでアラカワは少年を馬鹿にするがそんな言葉は聞いたことがない。
「具体的にその言葉が存在する証拠をだせ」と少年が反論するとおもむろに電子辞書を取り出して「ほら」といって「すけちん」を見せつけてくる。
見るとそこにははっきりと「小さいちんちん」と記されている。
確かに存在はするらしい。
しかしそうなると「すけちん」の「すけ」は何の「すけ」なのか、が分からない。
スケスケやスケベといった言葉がすぐに思いつくが、どうにも的を射ていない。
「いや、それよりも何の話をしていたっけ?」といって、辞書から顔を上げたところで、少年は目を覚ました。
身体の節々は微弱ながら絶え間なく痛み、喉がからからに乾いている。
嫌な予感がして、スマホを手に取って時間を見ると十一時を過ぎていた。
勢いよく体を起こすと、卓に置かれたメモ用紙が目に付いた。
「すいません。頑張って起こそうとしたのですが、うんともすんとも。戸締り頼みます」
置手紙の隣にはプラスチックのカードが一枚置かれている。恐らく鍵なのだろう。
少年は体を倒し、欠伸をしながら「やらかした」と力なくうめいた。
それから再びスマホを手にとって「すけちん」を調べた。
すると当該単語には「小さいちんちん」という意味はなく、不動産用語でコンクリートむき出しの賃貸物件をスケルトン賃貸と呼び、それの略称として「すけちん」が使われていることが判明した。
少年は「まあ夢か」とぼやくとスマホを置いて寝返りをうった。
昼休みになった頃合いを見計らってクラスには入ると、それに気付いたサンチャが少年の方に走ってくるなり「ふん」といって、頭から突っ込んできた。
少年は驚き、サンチャは痛そうに頭を抱えた。
「出会い頭にダッシュ攻撃をかますな」
少年がチョップで反撃しようとすると、サンチャはそれを素早く回避し、こういった。
「寂しかったぞ!有休じゃなかったんだな」
「シンプルに寝坊した」
少年がそう返すと、サンチャはいかにも怪しいと言いたげに少年の腹を指で突く。
「昼まで?本当かぁ?」
「寝てしまったんだからそんなことを言われても困る。それよりお前はクラスに帰れ」
「ひどい!」
少年がこれ以上詮索される前にサンチャを追い返そうとすると教卓の方から野次が飛んできた。
「サンチャをいじめるな!」「本当に帰ったらどうする?」「人の心がないのか」
やいやい煩い連中を横目にサンチャを見るとしょんぼりしていたので少年は慌てた。
「すまん。噓噓」
少年が雑に謝るとサンチャは「ふん」と不服そうに鼻を鳴らした。
「まあいいや、お前も来い!」
そういってサンチャは手招きをして教卓の方へ向かった。そこにはいつも通り数人が集まっている。少年はそれをちらりと見て手を振ると、自分の席に荷物を掛け、その足で購買に弁当を買いに行った。
サンチャは別のクラスだが、少年のクラスに居着いている。
なんでもクラスメイトとそりが合わないらしく、いつからか知り合いが多いこのクラスにしょっちゅう顔を出すようになった。
二年の頃は「来年もクラスは変わらないのにそんな調子で大丈夫か」と皆心配したが、今では本人が楽しそうなので誰も気にしていない。
むしろ少年以上にクラスに馴染んでいて、イベントの際には平気で集合写真に堂々と映り込んでくるし、何故かクラスのグループチャットにも入っていた時期もあり、クラスのダウンロードコンテンツキャラクターと呼ばれ歓迎されている。
購買から戻った少年が教卓に近づくと、サンチャがまた愚痴をこぼしている。
サンチャのクラスは他のクラスと比べて抜きんでてイケイケな生徒が多く、サンチャ曰く「皆、人生で負けたことがない面をしている」という。そういったイケイケなクラスメイトが織りなすキラキラ、時にギラギラとした雰囲気がサンチャの心をささくれさせるようで、昼休みはもっぱら少年のクラスで毒抜きをしている。
「あいつら怖えよぉ。最近、皆でダイエットやろうつってその日のごはんと体重を毎日アルバムに追加するんだよぉ。それだけでも怖いのに、やってる奴らはそろいもそろって見るからに細えんだよ。体重の写真見たら案の定五十キロ前半だしよぉ。ごはんは無駄にしゃれてるしよぉ。なんなんだよあいつら……」
珍しく普段の語気の強さが見られないからサンチャは相当参っているらしい。
「これはやっぱりマウント取りに来てますか?」
「これはマウントですね」
「天然の可能性は?」
「いやぁ、ないでしょ」
「うーん、恐ろしい」
サンチャの愚痴を聞いて盛り上がっているのは、クラスで少年と親しい間柄の連中だ。連中と少年は日常ではあまり関わりがない所謂「陽キャ」の話を聞いて、その無防備で自尊心に満ちた言動の揚げ足をとったり、学内のゴシップを基に様々な推測をしたりして、暇をつぶしている。
「やっぱりそうだよなぁ……」
サンチャはそういうとその場でジタバタした。
「毎度毎度、サンチャも飽きないな」
少年が肩を叩くとサンチャはドンキーコングさながらの勢いで触れた肩をぶん回した。
「うるせえ!お前も先週は手叩いて笑ってたじゃねえか!」
「そりゃあ、昼休みに旧校舎前でスイカ割りやってたって聞いたら笑うだろ、どうなってんだお前のクラスは」
「こっちが聞きてえよ!」
そういってサンチャは頭を搔きむしると、何かハッとしたような顔をした。
「忘れてた!放課後ハイジマ先生が美術準備室に来いってさ」
「要件は?」
「知らん!とりあえず伝えたからな」
そういうとサンチャは座っている椅子をくるくると回転させ、回転しすぎて若干目を回していた。いつまでたっても中身も見た目もわんぱく少年と遜色なく、女らしさのかけらもないサンチャを見て、少年は少しサンチャの将来が不安になった。
結局、それからサンチャはいつも通り、休み時間ギリギリまで居座っていた。