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怠け者たちによる恋愛小説の凌ぎ方  作者: ピークデュー
4/9

第4話 添付ファイル:焼肉のやつ 4/x

 

 それからアラカワは課外活動で参加している国際なんちゃらプログラムのミーティングがあるといって校舎に戻った。

 

 少年は帰宅する気でいたが、「三十分もしないうちに戻るのでそれまで待っていてください」とアラカワに釘を刺されたので少し暇になった。

 

 仕方ないので、少年は目を瞑り、今しがた起きたことを逡巡した。

 

「好きでもないし、嫌いでもないが惚れてくれ」というのは悪戯や罰ゲームにしては妙にマイルドだ。

 もしそうならわざわざ好きでもないことや付き合う気がないことを名言しなくてもよい。かといって本心から少年の手助けを申し出ているというのもアラカワの性格上考えにくい。

 が、他に思い付く動機はない。

 

 考えても腑に落ちる答えが見つからなかったので、翻って少年は自分のことについて考えた。


 そもそも少年は恋に破れて元々と思っていた。つまり、結果ではなく、その過程。一般的に皆が楽しんでいる恋がどういうものなのかが知りたかったのだ。

 

 そういう意味ではアラカワの提案は少年の需要を完全に満たしている。

 しかし、はっきりと「惚れさせる」と言われて惚れるのが、癪なことには違いない。

 少年は手のひらを前に出され、「さあこの上で踊れ」と言われて踊れるほどプライドがないわけではない。

 

 少年は落ち着かず、結局、建物内をぶらつくことにした。

 部室を出て、廊下に放置された備品を覗いたり、いつから張られているか分からない部活勧誘のポスターを眺めていたりしているとどこからか木のようなものを打ち付ける音と共に唸り声が聞こえて少年は思い出した。


―夕方、部室棟の廊下を歩いていると、どこからともなく音がする。一聴すると動物の鳴き声のようなのだが、よくよく聴くとどうやらそれは男の声らしい。そしてさらに耳を澄まして聴くとそれは何か怨み言のようなものを言っている―

 

 こんな体験が最近部室棟を出入りする生徒から度々聞こえるようになった。 

身も蓋もなくいえば、「変な音がする」というだけなのだが、脈絡のなさが逆に気味悪がられて様々な噂がささやかれた。


 不正な取引を告発しようとして埋められた施工業者職員の怨念であるとか、失恋を苦にして自殺を図った生徒の最後の断末魔であるといったものから、山を奪われた禽獣たちの怒りだという動物の鳴き声路線までカバーした様々な原因が提唱されたが、そのどれもが一切ソースのない眉唾なゴシップだった。

 

 噂が広まってくると、当然水を差す者も出てきた。

「過去の何かしらが原因なら、最近になって、急に思い付いたように存在感を主張するのは変だ」と。確かにそれもそうで、これが本当に怖い話なら、以前にはなかったことが最近になってポッと沸くのは理屈が通ってない。

 

 ただ一連の顛末を聞いた先生の言葉が少年の心に残っている。

「急にではなくずっと声を出しているのかもしれない。人の出入りが少なくなり、気配が減った最近、さらに人が少ない夕方で、一人耳を澄ましてようやく聞こえる程小さい声で。それを始めたときから今まで、そしてもしかしたらこれからも」

 

 これを聞いた少年は鋭い目付きで虚空を睨み、潰れた喉で声にならない音を出し続ける男が頭に浮かんだ。そのイメージは恐ろしいけれども同時に可哀想だと思った。


 少年は階段を下って少し歩くと大きな扉の前に立った。

 廊下には大きな扉がいくつかあってそれらは舞台と客席のある発表用のホールに繋がっているが、施錠されていて本来生徒が勝手に開けることはできない。

 

 しかし一部の生徒は舞台袖と直通した扉だけ鍵がバカになっていて、ハンドルを力任せに何回か捻れば簡単に開くことを知っていた。


 というのも、扉の鍵をバカにさせたのがその一部の生徒たちだったからだ。

 

 少年が扉を開けると先程の唸り声は大きくなり、「痛い」「辛い」「殺せ」と物騒なことを言っているのがはっきりと聞き取れる。

 

 少年が階段を登って反対側の舞台袖に近づくと、声は一層鮮明に聞こえるようになり、それは一つではなく熱を持って飛び交っているのが分かる。


「げぇ、なんだ、その手は。痛い、痛い」

「やったぜ!」

「どこかに落ちてねえかなぁ……愛」

「そんなもんいらんからしっぽりしてぇよ、俺は」

「もう詰みだよ、詰み。早く殺してくれ。」

「うーん、手が見えない」

「人生と同じだ!」「辛いなぁ」「縁起でもないからやめろ」

「こんな話ばっかりだ」「今日も人生の無駄使いだ」「駄目だ。どうしても詰みが見えない」

「もういい、投了だ。投了。」「うへぇ」


 少年が舞台袖の奥にある扉を開けると狭い部屋に四人が小さくなって座っていた。

 

 将棋を指しているのがカチドキとサンチャ、スマホを見つめているのがタキモト、本を読んでいるのがナリマスと仮に呼ぶことにする。

 

 声の主は彼らだった。

 怪談の真相は放課後、ホールに忍び込んで、舞台袖奥の放送室を無断利用する彼らの将来への不安や日々の鬱憤を発散するための叫びがホールの防音設備を貫通して廊下に漏れているというだけのことだった。

 

 友人は「どうしてそんなことを?」というかもしれない。少年も頻繫に思う。

 元々は趣味程度にやっていた将棋を暇つぶしに指して時間を潰すための会合であったが、いつだかあまりにも音がなくて寂しいということで、プログレッシブロックをBGMにしたところいつの間にかこうなっていた。

 

 彼らと少年は噂が耳に入ると、面白がってむしろ声を荒げたが、ことが大きくなるにつれて「扉の破損と放送室を使ってるのバレたらどうしよう」と皆ビビりちらかして、最近では集まるのを控えているはずだった。


「遅かったな。今日はもう来ないかと思った」

 少年が回想していると一瞥もせず、駒を並べながらカチドキが意外なことをいう。


「ん?」

「メッセージ見てない?」

「すまん、見逃していた」

「それじゃあ、なんで来たんだ?」

 少年の返事を受けてサンチャが横槍を入れてきた。


「声が聞こえたから。また外に漏れてたぞ」

「そうか、ほとぼりが冷めて気が緩んでいた。注意しなくちゃな!」

 サンチャの声は今日一で大きかった。サンチャはそういうとこがあった。


「そもそもなんでホールに?」

「今日おまえのところ部活あったっけ?」

 タキモトとナリマスも会話に入って来て少年は雲行きが悪くなるのを感じた。


「いや、今日は先週なくしたイヤホンを部室に落としていないか探していた」

 少年は一切よどみなく流れるように答えたがそれを受けてタキモト、ナリマスはなめるように少年を見ながら「ふーん、そうか」「なるほど」と何かいいたげに曖昧な相槌を繰り返す。

 

 少年は無意識に後退りすると温もりと力を感じた。カチドキが腕を掴んでいた。

「まあ、ゆっくりしていこうぜ」

 

 少年は半ば無理矢理に椅子に座らせられるとあっという間に囲まれ、椅子取りゲームの

輪の中心に閉じ込めたような形になった。


 「女か?女だな?ならその女を貸せ。やらせろ」

 ナリマスが賊みたいなこというので少年は少し引いた。


「お前の性欲はもう少し慎みがあってもいいんじゃないか」

「うるせえ。対外的にはもうほぼ二十年慎んでいるんだ。自主謹慎中なんだ。このまま俺のエロスは一生表舞台に上がれないかもしれないんだ。ここでくらい許してくれ……」

 ナリマスは逆ギレしたかと思うと徐々にトーンダウンし最後は自虐的な笑みを浮かべて持っていた本に顔を沈めた。


 ナリマスは黙っていれば深遠な真理に思考を巡らせていると思わせる雰囲気と意味深な目つきから理知的な好青年に見える。

 それでいて会話の随所からは教養が滲み出ているからかつては本当に理知的な好青年だったはずだというのが大方の見解だ。


 しかし現在は「好青年」の「好」の部分はすっかり影を潜めている。

 

 何が原因かと問われれば一つは生まれてくる時代が悪かった。

 インターネットを通じて世界を跳梁跋扈する無数のアダルトコンテンツは急激な身体と精神の変化に戸惑う青年を魅了し一匹の性欲の化け物に変えた。

 

 結果、彼が持っている大容量の知的好奇心のストレージの大半をアダルトなコンテンツが占めるようになり、その膨大な欲望の処理がしきれず日々苛立っている。

 

 他方、彼らの中でも最年長であり「俺は学内きっての不良債権だ」と豪語する割には一定の尊敬を集めている。


「こいつはきっと私たちが理解できるような偉大な功績を残すことはないかもしれないけど、我々の知り得ない分野において後世に語り継がれていくような何かを遺せるかもしれない。でなければ何者にもなっていないだろう」というのが彼の専らの評価だった。


「怠慢を棚に上げて甘えてはいけない。これから努力したらいい」

 そういうとカチドキはナリマスの肩をそっと叩いた。声のトーンや表情からいって一切の他意なくナリマスを慰めているらしかった。カチドキはそういうとこがあった。


「正論をいったらおしまいだろうが。表出ろ、カチドキ」

「やめろ、カチドキ。ナリマスを煽るな、面倒だから」

「そうだ。恋人がいる奴に俺らの何が分かるんだ!」

「そうだ。そうだ」

 サンチャが便乗してカチドキを紛糾するとさらにそれに便乗してタキモトが吠えた。


「うるせえ。ちくしょう。お前らと一緒くたにするな。みんな懺悔して死んでしまえ」

 ナリマスは叫んだ。

「はっはー妬め。嫉め。俺は今幸せだ。悔しかったらお前らも幸せになるんだな」

 カチドキが煽るとナリマスが立ち上がった。


「舐めんなよ。世の中の全てを遍く犯してやるからな」

 ナリマスの声量が今日一を更新すると、勢いそのままに部屋から出て行ってしまった。


「言い過ぎてしまったか」とカチドキは肩を落とした。

「いや、あいつ財布持って出ていったから多分購買に行っただけだぞ!」

「えー、じゃあなんか買ってきて欲しかったな」

「通話して頼むか」

「駄目だ、あいつスマホ持って行ってねえ」

「不用心な……」

「使えない奴だ!しかし腹が減った!」

 

 サンチャとタキモトはナリマスの後を追って購買に向かった。それから残された少年とカチドキは突如訪れた静寂に若干困惑しつつも将棋を指すことにした。

 

 数手指してぼんやり戦型が決まってくるとカチドキが尋ねた。

「本当は今日何してたんだ?」


 少年は悩んだ。購買に出掛けた三人に話しても騒ぎ立てるだけで少年に一切の利はないが、カチドキは世話好きで経験者でもあるから打ち明ければためになる助言をもらえる可能性があった。

 少年は少し考えてぼかしながら答えることにした。


「部活の後輩に相談」

「恋愛か」

「間違ってないが、カチドキが考えているようなことでは絶対ないぞ」

「なるほどね~」

 

 カチドキはからかうように笑うと「アラカワはやめとけよ」と一転して真剣な顔でいった。

 少年は一瞬全てを見透かされているような気がして驚いたが、よくよく考えれば同じ部活の後輩で恋愛絡みとなればアラカワの名前が真っ先に出てくることは自然なことだった。


「なんかあったの?」

「いや、俺はない」

「人の評判を適当にいうのは感心しないな」

「例えばさ、事故物件があるとするだろ。別に霊的なものを信じてなくてもそこに入居した人が次々不幸に見舞われるって聞いたら友人として別の物件を勧めるだろ?もし仮にその物件に何も問題がなかったとしても」

「気になる言い方をするな」

「……人に言うなよ」

 

 するとカチドキはスマホを取り出して何か調べると少年に画面を見せてきた。

 見ると匿名のアカウントが呟いている。

 それらは短文や連投、長文といった形式にバラエティはあるもののどれも目を覆いたくなるほどセンチメンタルな気持ちが剝き出しの内容ばかりだった。


「なにこれ?」

「実名は控えるが全てアラカワに思いを寄せる男の呟きだ」

「わーお」

「深夜、眠れずにわだかまる胸のつかえをネットに吐き出して心を整理しているんだな」

「それでどうしてカチドキがそんなの知っているんだ?」

「まあ、色々あるのよ」


 カチドキはスマホを仕舞うと盤上の角で敵陣に切り込んでいった。

「アラカワに惚れた奴は皆人が変わっちまってなぁ。恋愛てのは多少そういうもんかも知れない。しかしちょっとこれは数が異常だ」

「なるほどな」

 そういって少年はアラカワの馬を銀将で打ち取って角を駒台に載せた。

「でもこれアラカワが悪いんか?」

「断言はできないけど影響はあるだろ。とにかく俺は毎晩読むとげんなりするようなポエムを量産するお前を見たくない」

「そうか……」


 それから局面も煮詰まってきて段々会話もなくなってきた。終局が近くなり、自陣が詰むか詰まざるや、詰まないなら手抜いて何指すかと考えているとカチドキが思い付いたようにいった。

「というか本当にアラカワなの?」

それは突然思い付いたというよりは、会話の流れで言いそびれた質問を思い付いたふりをして聞いているように思えた。


「それがさ」

 

 少年はもう打ち明けて楽になろうかと口を利きかけたが、アラカワに他言無用を強要されていることを思い出し急に怖くなった。

「って、それがし、とほぼ同じ音だけど全然そんな感じしないよね」

「急に何の話?」


「帰ってきたぞー」「帰還!」


 少年が無理やり誤魔化すと都合よくタキモトとサンチャが戻ってきて、その後ろから無言で右手を斜め前に突き出したナリマスが続いた。その手にはぱんぱんに膨らんだ白いビニール袋がぶら下がっている。


「おお、どうしたそれ」

「ハイジマ先生がくれた」

「なんで?」

「そりゃあ俺の人徳よ」

 ナリマスは袋を床に置くとサムズアップした。

「ナリマスの顔見た先生が『しけた面してるからこれ食って元気だせ』つってくれたぞ!」

 サンチャはそういうとナリマスに断りもせず袋をあさりだした。

「ハイジマ先生は相変わらずひどいことをいうな」

 タキモトもそれに続いた。

「サンチャ、タキモト、お前らにはやらん」

 

 そういってサンチャとタキモトをかき分けて、袋を覗きこむと、ナリマスはそのまま固まった。よく見ればタキモトとサンチャも動かない。気になった少年は袋に近づきしゃがんだ3人の上から袋を覗きこんだ。

 見ると透明なビニールにパックされた大樹の枝をカットしたようなものが新聞紙に包まれていた。

「これは……」

「麩菓子だな!」

「どうしてこんなに」

「こんだけの量を一人で食べたら口の中どころか体中の水分持ってかれてミイラになってしまう」

「やっぱりみんなで食べようか」

 

 一つのパックにはちょうど五本の麩菓子が入っていた。

 少年らはそれを開封し、まずは一口食べた。

 外はサクサクで中はふわふわ、「これぞ菓子!」といった食感と同時に黒糖の渋い甘みが口いっぱいに広がる。


「これは美味い」と少年らは喜んだがそれと同時に一本で十分だと全員が思った。

 ただ目前には未開封の麩菓子が袋いっぱい残っている。だからといって放送室に置きっぱなしにする訳にもいかない。結局厳正なジャンケンの末に少年が持ち帰ることになった。


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