第2話 添付ファイル:焼肉のやつ 2/x
その後、少年はアラカワにメッセージを送った。
しかしいつまでたっても返信はなくアラカワが少年にどのようなジャッジを下しているのかがさっぱり分からない状況で祝日になった。
少年の心はまるで休まらず、ふとした瞬間に凄惨な未来が脳裏に浮かび、その度に悶えた。
後輩に気味の悪い提案をした上に飯を奢らせた変態として女子からは常に軽蔑、警戒、嘲笑され、男子からも事あるごとに馬鹿にされる。しかもこれは高校では終わらず、ふとしたきっかけで大学でも再炎する可能性が極めて高い。こんなことなら大学付属の高校になんて進学しなければよかったと少年は自分の進路選択を本気で後悔した。
そうして生きた心地がしないまま少年は月曜日を迎えた。
相変わらずアラカワからは返信がなく少年の心はしぼんでいた。
校内で人とすれ違う度に見られているような気になり、耳に入る笑い声は全て自分に向けられたもののように思えた。そしてアラカワのアクション次第でそれらは気のせいで片付かないという事実も少年を困らせた。
その日の昼、少年が日課のソシャゲのログインボーナスのアイテムの回収をこなしていると、一件のメッセージが画面上にポップアップされた。
『昨日はすいません。放課後、部室に来れますか?』
アラカワからの返信だった。
少年は興奮し、「セーフ」と雄叫びをあげながらガッツポーズをしたかったが、周囲の目を気にしてこらえた。仕方ないので隣にいたクラスメイトの肩を軽くしばいて興奮を冷まし、ガッツいてると思われないよう昼休みを終えてから「少し遅れていく」と返信した。
部室は校舎の脇にある山道を二分ほど登った先に見える旧校舎、そこに隣接された部室棟の中にある。
かつては賑わっていたらしいが校舎が移転して以降多くの部活が立地の悪さを理由に退去していったので、現在では、人の出入りはあまり多くない。
廊下には去っていった部活が置いていった備品や段ボールが放置され埃を被っており人気のなさと相まって廃墟のような味わいがある。
少年は部室の前に着くと、扉をたたきかけて、それをすんでのところで止めた。
少年は返信した後、アラカワの返信の文面について考えていた。
少年のメッセージには触れず、要件も言わず、会って話したいという。もしも少年が逆の立場でこの言葉を選ぶなら、打診する相手にとって都合が悪いか、なにかしら事前に伝えないほうがいい事情がある。
そしてこのタイミングで呼び出される理由は十中八九先日の一件についてだろう。
そうなると考えられるのは教師か部員かアラカワの友人を交えた説教と注意だ。
もし仮にそうだとしたら甘んじて受け入れるべきだが、それはアラカワの中で少年が第三者を交えないと対話できない人物となってしまったことを意味する。
曲がりなりにも一年以上面倒を見てきた後輩に軽蔑されるのは悲しい。
土壇場でそれがはっきりするのが怖くなった。
しかし、今さら気にしても何も変わらない。
少年は覚悟を決め、改めて扉を叩いた。
「どうぞー」
気の抜けたアラカワの返事が聞こえて、少年は少し困惑しながら扉を開けた。
開けた先でアラカワはソファーに寝そべってスマホを眺めていた。
長い足を延ばして手をだらしなく垂らしているだけで恰好がついている。
アラカワが寝返りをうって少年の方を向くと無防備にスカートが揺れた。
こういった何気ない仕草に皆やられていったのだなと少年はしみじみと思ったが見るのもみっともないないのであまり意識を向けないように努めた。
「アラカワだけか」
「まあ、そりゃあ今日活動日じゃないですから」
アラカワの雰囲気は柔らかくいつもと変わらない様子だった。
「それで先輩」
アラカワは座り直すと、少年の目を捉えた。
「今日は私からお願いがあります」
そういうとアラカワはソファーの傍に置いてあるカバンから小さな薄い箱を取り出した。
そしてそれをソファー前の卓に置いて真ん中をパカリと割った。すると中からとても小さいカラーコーンのようなものがパラパラと散らばった。
「うわ、懐かしいな」
それはダイヤモンドゲームというボードゲームだった。
「これに付き合ってください」
アラカワは箱をさらに広げて一枚の盤にすると、その上に駒を並べながら言葉を続けた。
「クラスで突然流行り出したのですがこれがもう全然勝てない。別にこのゲームが弱いことに何も思うところはありませんが負けっぱなしは嫌なので秘密の特訓です」
「……お願いってこれ?」
「何か?」
「いや何も」
少年はこれをアラカワの気遣いと解した。
―これからもよろしくやっていきましょう。それはそれとして先日の出来事自体は気持ち悪いのでなかったことにしましょう。それでいいですね―
恐らくそういった意図があったに違いない。少年は安堵した。
ただ建前とはいえゲームで負けて悔しがっているというのは本当のようで盤面を睨むアラカワの眼光は若かりし羽生善治に引けを取らない鋭さを秘めていた。
だから少年は全勝してしまうのは大人げないと思い、程よく手加減して、最終的にはアラカワが勝ち越すようにと考えたが、少年は自己評価より断然弱く普通に全敗していた。
「アラカワ、本当に全然勝てないのか」
少年は思わず呟いた。
「先輩が弱すぎます」
そういうと同時にアラカワに三つ目の白星がついた。
「先輩、手を抜かれちゃ特訓になりません」
アラカワは頬をぷくりと膨らませる。
「そうだといいたいところだが、恥ずかしながらちゃんとやって負けてる」
「本当ですか~」
「俺は生まれこの方噓をついたことは一度もない」
「そうやって適当なことばかりいう」
「それじゃあ」
アラカワがニヤリと笑う。
「次の勝負で負けた方が勝った人のいうことを一つなんでも聞くってのはどうです?」
アラカワは少年を試しているらしかったが、少年はただ弱かったので、順当に負けた。
「先輩……」
「言ったろ、俺は噓をつかない」
「それじゃあ、先輩、購買まで行ってミルクティーを買ってきてください」
「あいよ」
そういうと少年は足元のビニール袋からミルクティーを出し卓に置いた。
「あの、先輩これは」
「一応、買ってきていたのだが、出すタイミングがなくて」
「まあ、いいでしょう」
アラカワは受け取るとさっそく蓋を開けて少し飲み、卓に置いて少年に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いやいや、全然」
先日に比べればなんでもないはずなので、アラカワの真っ直ぐな感謝に少年は心が痛くなった。
「んー。それでは何をお願いしますか」
アラカワは顎に手を置いて露骨に悩んでいるポーズをする。
「え」
「いや、だってこれはお願い関係なく元々買ってきてくれたものですよね」
「そうだけど」
「そうだ、先輩」
そういうと、アラカワはスマホをマイクにように突きつけこういった。
「先日のお願いをもう一回いってもらえますか」
ここで少年はハッとした。このアラカワという少女は只者ではないのだ。
自分に都合のいいように考えすぎていた。
始めからこれが狙いだったのだ。
このスマホが通話中になっていて、口にした瞬間、部屋の外で知らぬ間に待機していた部員なり何なりが突入してきてもおかしくない。結局はアウトだったのだ。
しかし、自分が想定していた最悪のケースよりは幾分もいい。
腫れ物扱いされるより、笑いものになる方がマシだ。
「いや、あの、だから、アラカワの恋愛経験を小説にさせて欲しいんだ」
めちゃくちゃどもった後、少年は俯いた。
―後は煮るなり焼くなり好きにしてくれー少年はそんな気持ちだった。
「いいですよ」
少年は「いいですよ」と聞こえた。
驚いて顔を上げるとアラカワは少年の目をじっと捉え「先輩に協力します」といった。
少年は事態が全く掴めない。なにか大きな勘違いをしたのかと困惑した。
「先日はあんな気味悪そうにしていて、それで一人で帰ったじゃないか」
「一人で帰ったのは本当に体調不良です。最近はマシになっていたのですがあの日は偏頭痛がひどかったので、迷惑をかける前にかえりました。」
「まあ、気味悪かったのは確かにそうですが」とアラカワは付け加えた。
「ただあの後よく考えて、思い直しました。これはロマンチックなことかもしれません」
アラカワはさらに続ける。
「ただし手伝うにあたって条件があります」
そういってアラカワは人差し指を立てた手を少年に突き出した。
「私は先輩に実地で恋愛を経験させるのでそれを先輩の言葉で書いてください」
「……どういうこと?」
「そもそもですね」
そういうとアラカワは卓に散らかっている色違いの駒を三つ引き寄せ、それらを使って説明を始めた。
「まず先輩の友達は自分に恋愛経験がないから自分が書く物語に説得力がないと思っている。だから実話ベースで小説を書きたい」
「そうだ」
「それで先輩はそんな友人に頼まれて小説の基になる話の提供をお願いされた」
「そうだ」
「で、結局用意できそうにないから私を頼ったんですよね」
「そうなるな……」
改めて人に説明されるとなんて訳の分からないことに時間を費やしているのだろうと少年は自分が情けなく思えた。
「つまり先輩が私に惚れてそのことを書けば一件落着ということになりますよね」
「……まあ、そうなるな」
駒を使った人形劇は可愛いだけで理解を深めるのには役立たなかったが少年は何となくアラカワの言いたいことが分かったような気がした。
しかしそれには一つ問題があった。
「俺はアラカワにそういう感情を抱いたことがないぞ」
ある意味でそれができるなら始めから何事も起きていないのだ。
「任せてください。私がその気になって落とせなかったことは一度もありません」
アラカワは拳で胸を叩くと少し間を置いてこういった。
「それで……どうでしょうか?」
そういってニコリと笑うアラカワの白い肌が少年には少し赤くなっているように見えた。