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怠け者たちによる恋愛小説の凌ぎ方  作者: ピークデュー
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第1話 添付ファイル:焼肉のやつ 1/x



 少年は締め切りが迫っていた。

 一刻も早く恋愛をしなければならなかったが、まるで当てがなく今から何かしようという気も起きない。

 そしてそれが徒に焦燥感を募らせた。


 せめて過去に一度でも経験があれば良かったものの、記憶の隅から隅まで探ってもどこにもそんなものは見つからない。


 試しに明け方の街や夢の中、新聞の隅といった具合に捜査範囲を拡大してみたが当然ろくな成果は得られなかった。

   

 ことの発端は一通のメールだった。


 送り主は少年の一個上の先輩。

 顔がなんとなく矢部っぽいという理由から矢部と呼ばれている男だ。


 この矢部というのは特定の個人ではない。


 先輩は何故だか矢部という姓が妙にしっくりくるという何とも言葉にするのが難しいことを誰かが言い出したせいであだ名が矢部になった。


 本人は納得していない様子だったが、あまりにもしっくりくるので、しまいには教師がそう呼ぶくらいには定着した。


 内輪向けのあだ名だから大学に進学した今ではきっと別な呼ばれ方をしているに違いないが、ここでは矢部と呼ぶことにする。


 少年は矢部と部活動で親睦を深めた。

 部員への不満を原動力に先輩後輩の垣根を超えて友情を育み、矢部が高校を卒業する際には二人きりで温泉旅行に行くレベルまで関係値を深めた。

 が、仲良くなりすぎたのか互に遠慮がなくなり若干後味の悪いままその旅行は終わった。

 そして以来特に連絡をとっていなかった。


 だから少年は久しぶりの連絡がメールだったことに若干困惑し、内容を見てさらに困惑した。


 メールの内容は以下のようなものだった。


 懸賞に応募するために、恋愛小説を書かなければいけない。

 しかし、今までそういったことに縁がなく、縁がない故に妄想世界で男女をこねくり回して、離したり、くっつけたりすることが上手くできない。恋愛の繊細微妙な駆け引きも心の機微も俺には手が負えない。だから君の経験談を小説にさせてくれないか。


 少年は

「懸賞に応募するための恋愛小説を書かなければいけないって何?」

「大学に入って何をやっているのか?」

「そもそも高校生にこんなことを頼んで恥ずかしくはないのか?」

 といった言葉を飲み込んで、少しやり取りをした後にこれを引き受けた。


 理由は二つあった。


 一つは結果に関わらず、高級焼肉を無料で食べさせて貰えるという条件に旺盛な食欲が抗えなかったから。

 二つはこれが自分にとって都合の良い建前になると思われたからである。

 

 少年は前々から「恋愛がしてえな、ひいては、えっちなことがしてえなぁ」と思っていたが、ただぼんやりと思っていただけなのでそれに向けて何かしたことはなかった。

 

 だから、友人のためという口実があれば、自分の中でなにかこう風向きが変わって、流石に行動を起こせるのではないかと考えた。


 まあ、結局は思い違いだった訳だが。

 

 しかし一度引き受けた頼みを「やっぱりできません」と断ることほど情けないことはない。


 少年はいかにして、矢部の頼みを成就させるか夜を徹して考えた。


 そして、思い付いた。

 一つの冴えたソリューションを。


 それは「人にきちんと事情を話して、経験談を譲ってもらうこと」だった。


 適材適所。

 できないことは結局人に頼るに限る。


 そうして少年は矢部に倣って男からの頼みを外注することに決めた。


 白羽の矢が立ったのは少年の部活の後輩でここでは仮にアラカワと呼ぶ。


 彼女はアメリカからの帰国子女でなんでも現地では高級ホテルの最上階を住まいとしていたようなブルジョア家庭の一人娘である。


 何もしていなくても男が放っておかないような容姿なのだが、海外仕込みのボディランゲージと思わせぶりな言動で、むしろ彼女の方から積極的に数多の男を手玉に取っているようで方々からは悪評が絶えない。


 聞こえは少し悪いがつまるところ評判になるほど恋愛経験が豊富な人材なのだ。


 少年は部活終わりアラカワに声を掛けた。

「相談したいことがあるんだけど放課後空いている?」


 するとアラカワは上目遣いで柔らかくこういった。

「間に合っています」

 

 可愛いらしい声と仕草の奥には誘った男の心を折るニュアンスがぎゅっと詰まっているように感じられ、眼中にない男を羽虫のように払いのけてきた場数の多さが伺えた。


「そういうのではなくて」

 少年が困った様子を見せるとアラカワは少年に近づき、背伸びをすると耳元で囁いた。


「本当に悩み相談ですか?」

 少年は黙って頷いた。


「それはそれで少し残念ですね」

 アラカワはひらりと離れるとからかうような目付きでニヤリと笑った。

 この距離感がアラカワにとってニュートラルな距離感だから恐ろしい。


「で、どう?」

「いいでしょう。その代わり、会計はよろしくお願いします」


 こうして少年はアラカワを誘いだすことに一応成功した。

 場所は最寄り駅すぐのビル一階に最近出来た喫茶店。


 テラスから見える内装がずいぶんとしゃれていて一度入店したいと思って目をつけていたのだが、男一人ではなんとなく入るのがためらわれたので丁度いい機会だった。


 入店すると、優しい顔をしたウェイトレスが丁寧な所作で席に案内してくれた。

 他に客はいなかったが、決して居心地は悪くなく、いかにも隠れ家的な気配が漂っていた。

 

 少年がいい店を見つけたと気分を良くしたが、それも束の間、席に着くと急転直下で恐怖に襲われた。


 値段がべらぼうに高い。

「喫茶店でこんなことある?」と仰天した後、すぐ我に返って、メニューに目を戻すと、書かれている品目がどうにも喫茶店らしくない。後々調べて分かったことだが、そこは都内にある有名な高級洋食屋の姉妹店だった。


 少年は逡巡した。

 自分から店を選んでおいて、料金が想定外だったから退店しようというのはハチャメチャにダサい。しかも奢ることが確定しているならなおのこと。

 

 これが仮にデートならば澄ました顔でいるのもやぶさかでないが、後輩に頼みごとをするくらいでそんな見栄を張っていられるほど財布は潤っていないし、そもそも、コーラ一杯千円、オムライス一皿四千円は高すぎる。

 

 メニューを開いてから僅かコンマ数秒で少年は退店を決断、それを提案するべくメニューから顔を上げると、既に店員がアラカワからオーダーをとっている最中だった。

 

 その場にいた三人の視線が交差し、何か言わなければいけない間が生まれた。


 少年は「すまん。俺の財布だと厳しいそうだ。やっぱり出ないか」というつもりだったが気づいたら、おすすめのメニューをウェイトレスに訊ね、結局、そのままそれを注文してしまった。

 

 それから次々と皿がやってきた。よりにもよってコース料理を選んだらしい。

 

 少年は、次々にやってくる料理を食べながら、今更どうすることもできないが、もし手持ちが足りなかったらどうすればいいのかとしきりに考えた。


 「それで相談というのは」とアラカワが切り出した。

 

 少年は動揺した。

 会計に気を取られすぎて、事前に用意してきた言葉がすっかり飛んでしまっていた。


 少年は急いで言葉を練り直す。

 しかし、どんな順序や言葉で組み立ててもなんだか不気味な気がしてならない。


「冷静に考えればこれは気持ちの悪いお願いではないか」ということに少年はこの時気付いた。


「いや。あの、まあ、なんというか、恋愛についてなんだが」

「ほう。ほう。誰ですか。気になっているのは」

「いや、そうじゃなくて」

「じゃあ、告白されたんですか」

「そうでもなくて」


 アラカワは相談内容が恋愛絡みだと分かると積極的に話を引き出そうとした。

一方、少年は前述の気付きのせいではっきりとした言葉がでない。


 こうした取り留めのないやりとりをするうちにアラカワはヒートアップし、考える暇を与えない速度で少年を詰めだした。

 

 やがて余裕がなくなった少年は遂に本題に入った。

「アラカワの恋愛経験を小説にして懸賞に応募させて欲しい」

 

 結果、盛大に伝え方を間違えた。

 少年はとっさに出た言葉の気味の悪さに気を取られて、それから自分が何を喋っていたのか全く記憶していない。ただ、どんどん下がっていく体感温度とその場の気まずさだけは昨日のことのようにはっきりと身体にこびりついている。

 

 五感が研ぎ澄まされ、店内BGMの後ろで薄っすらと聞こえる空調の「サー」という音がいやに耳についた。


 少年はなんとか取り繕おうと言葉を足していくのだがそれは全く役に立たない。

 そうやって少年はずぶずぶと気まずさに沈んでいき、やがて耐えられなくなるとトイレに逃げ込んだ。


 それから便器に腰を落としてしばし天を仰いた。深呼吸し気持ちを落ち着かせると、一応財布の中もみておこうと思ったが、鞄の中に入れていたのでそれはできなかった。


 気を取り直して席に戻ると少年は驚いた。

 アラカワの姿がない。

 皿と少年の荷物だけが取り残された席の周りで慌てふためいているとウェイトレスがゆるりと近づいて「体調が悪くなったので先に帰るとのことです」といった。


 少年は一層慌てて、アラカワを追いかけようと出口に向かう。

 途中で少年は会計を終えていないことに気づき、慌てて踵を返し店主に「あの会計を」というと、ウェイトレスは「もう済んでおります」とニコリと笑った。


 「接客とはいえ、何も笑う場面じゃないじゃないか」とすっかり力の抜けてしまった少年は近くの椅子に座りこんでうなだれた。

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