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 比奈さんが仲間を呼んでいる。


 帰り際、駐車場の端っこでしゃがんでいる比奈さんを見つけた。少し離れたところに白猫がいて、比奈さんと見つめ合っている。

 比奈さんが手を出すと、白猫はゆっくり歩み寄って、頭を差し出した。なんだ、あの癒やしの空間は。


 距離をとって見ていると、比奈さんがこちらに気づいて手招きした。僕が近づいて猫が逃げてしまわないか心配したが、比奈さんに撫でられるのに夢中のようだ。猫は僕に構わず、ゴロンと腹を見せた。


「比奈さん、猫が好きなんですか」

「うん。猫推し。結城君は?」

「もちろん、ひ……猫推しです」


 危うく、比奈猫推しだと答えそうになる。これはもしや誘導尋問だったか。


「僕もちょっと前までキジトラの猫を飼ってたんですよ」

「そうなんだ。もう飼わないの?」

「ゴロウが亡くなってから、他の猫を飼う気になれなくて」

「大切な猫だったんだね、ゴロウちゃん」


 ゴロウめ、比奈さんにちゃん付けされるとは。ちょっとだけ、あの世のゴロウに嫉妬してしまう。


「そう言えば、比奈さんのマンションには猫いなかったですよね」

「うちはペット禁止だし……」

 と言いかけたところで、比奈さんの動きが止まった。

「比奈さん?」

 もしや電池が切れたかと思うほどに、完全にフリーズしている。


「くしっ」


 少しして比奈さんがくしゃみをした。時間を確認すると、午後五時四十三分。


「くしっ、くしっ」


 くしゃみ二連発。新しいパターンに驚いていると、比奈さんは涙目になりながらマスクをかけた。


「わたし、猫アレルギーなの」

「それはなんというか……ご愁傷さまです」

「くしっ」


 僕がもし、比奈猫アレルギーだったら、きっと神様を恨んでいたに違いない。もしや、いつもの比奈さんのくしゃみもアレルギーが原因だろうか。少なくとも、比奈猫アレルギーではないだろうが。



 比奈さんがくしゃみをしない。

 お昼だというのに。十二時を回ったというのに。僕にとっては大事件だ。ちょっと長めに彼女を見つめてしまう。

 いつもなら、すぐに弁当を食べる比奈さんだが、ずっと座ったままぼうっとしている。


「比奈さん、お昼、食べないんですか」

「……うん、ちょっと食欲がなくて」


 そう言うと、比奈さんはやっとバッグから弁当箱を取り出した。


「結城君、食べて」


 比奈さんが弁当箱を僕に差し出す。前にも同じ事があったが、それよりも比奈さんが心配だ。


「大丈夫ですか? 具合が悪いんですか?」

「そんなことないけど」

「じゃあ、ダイエット……なわけないですね」

 そんな話をしていると、比奈さんは急にぽやぽやした顔になって、そのまますとんと電池が切れた。

「比奈さん?」


 結局、比奈さんは昼休みが終わる直前まで眠っていた。そして、目を覚ましても、いつも以上に虚無の表情になっている。

「本当に大丈夫ですか、比奈さん」

「……ちょっと寝不足なだけ」

「パンだけでも食べます?」

「……うん、ありがとう」


 比奈さんにあんパンを渡すと、両手で持ってそのまま口を開けた。

「比奈さん、食べるなら、袋は開けた方が」

 彼女は寝ぼけているのか、包装袋ごと食べそうになった。僕は袋を開けてもう一度渡す。なんだか子供に食べさせている気持ちになる。


 普段テキパキと仕事をこなす比奈さんだが、午後は明らかに様子がおかしかった。目を覚ましてからも、手は動いているのだが、同時に頭もふらふら動いていた。


 午後五時二十七分になっても、やはり、比奈さんがくしゃみをしない。

 僕としては心配で仕方ない。比奈さんがいつもと違うのは明らかだ。定時就業のチャイムが鳴ると、比奈さんはまたしても、すとんと机に伏せて寝てしまった。


「比奈さん、寝るなら帰ってからの方が」


 すやすや眠る比奈さんに、僕の声は届かない。放っておくわけにもいかず、僕はとりあえず見守るしかなかった。


「結城君、どうかした?」

 席の後ろを通りかかった川島先輩が、僕らの様子に気づいて声をかけてきた。

「比奈さんが寝ちゃったんです。声を掛けても起きないし、どこか具合が悪いんでしょうか」

「たまにこうなるのよ、この子」

 と、パシャリと一枚写真を撮りつつ、比奈さんの顔を覗き込む。

「昨日、なんか飲んじゃったかな」

「飲んじゃった?」

「この子、カフェインとか駄目なのよ。飲むと一睡も出来なくなるんだって」

 言われてみると、比奈さんはいつもココアや麦茶を飲んでいるイメージだ。フレンチ試食会の時もお茶やコーヒーは出なかった。僕としたことがそんな事にも気づかないとは。推しとして先輩に負けた気がして悔しい。

「結城君、悪いんだけど、連れて帰ってあげてくれない?」

「はい?」

 唐突に言われて声が裏返る。

「帰り道、あちこちにぶつかりそうで危ないから」

「それだったら、川島さんが」

「わたし、帰り道真逆だし、まだ仕事残ってるのよ。結城君なら大丈夫でしょ?」

「大丈夫って何がですか」

「比奈ちゃんの家、知ってるよね? よろしくね」

 川島先輩は言うだけ言うと、立ち去ってしまった。連れ帰れと言われてもどうすればいいのか。僕は比奈さんの横顔を見つめて途方に暮れてしまった。

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