(8)
比奈さんの耳は顔の横についている。
当たり前である。いくら猫っぽいとはいえ、彼女は人間なのだから。その彼女に、先輩が面白がって猫耳カチューシャをつけた。
これがとんでもない破壊力だった。似合い過ぎるというか、元々そういう生き物なのではと思えてしまう可愛さだ。
本人は特に気にする様子もなく、その姿のまま仕事をこなす。周りに癒しを振りまき、ちょっと仕事の手を止めているが、本人は気づいているのだろうか。
「くしっ」
いつものくしゃみの後、いつもの大きめの弁当を食べる。歯を磨いて戻ってくると、そのまますとんと寝てしまう。
猫だ。比奈猫がいる。可愛すぎて写真に収めたい衝動が溢れ出てくる。こうなったら、市原に言って写真を撮ってもらおうか。
いやいや、まずは本人の許可を取るのが先だ。などとぐるぐる考えていると、カシャリと音がした。
僕の頭越しにスマホで写真を撮ったのは、四つ上の川島先輩。猫耳をつけた張本人だ。
「寝姿も可愛いよね」
彼女は小声で僕に囁いてくる。
「はい。同じ生き物だとは思えませんね」
「お、話がわかるね」
「でも、勝手に撮っていいんですか?」
「わたしは許可貰ってるからね。見る?」
彼女は自分のスマホの画面を僕に見せてきた。撮ったばかりの比奈猫の写真。欲しい。
「他にもあるんだよ」
そう言って、先輩は画面をスワイプした。
「こっ、これは」
新人の頃と思われる、髪が少し長い比奈さん。スーツ姿が初々しい。
「これなんかオススメだよ。新人歓迎会の時の写真」
飲み会が行われている店内で、出し物を披露中の比奈さん。比奈さんが空中に浮いているような気がするが、イリュージョン的なやつだろうか。
それ以外にも、比奈さんの写真が沢山ある。正直うらやましい。だがしかし。
「川島さんって比奈さんのストーカーですか」
「失礼だな。比奈ちゃんが新人の時にトレーナーをやってたんだよ。今はまあ、サポーターみたいなもんかな?」
そう言えば、川島先輩はいつも率先して比奈さんを愛でていた。最もうらやましいポジションの人だ。
「君もサポーターやるかい、結城君」
「やりたいのはヤマヤマ……いやいや、何言ってるんですか」
「これはあくまで社内活動だから。写真は門外不出。SNSとかに上げたりもなし」
「当たり前でしょう。変な事したら、僕が通報しますからね」
「あれ、結城君って比奈ちゃんの何?」
川島先輩がニヤけた顔で僕を見てくる。少々うかつな発言だったか。
「べっ、別に。ただのしがない後輩ですよ」
「ふーん、なるほどね」
僕は咳払いをして誤魔化した。あまり感情を表に出さない比奈さんが、本音では嫌がっていないかが気になるだけなのだ。
「だけど、どれも仏頂面なのがね」
確かに、どの写真の比奈さんも、いつもの虚無の表情だ。
「これでも可愛いんだけどさ、一度ぐらい笑ったところも見てみたいよね」
「見たことないんですか?」
「みんなそうじゃない? 結城君もだよね?」
「……ええ、まあ」
僕は大天使比奈さんを何度も目撃している。あれは僕の前にしか現れないのだろうか。まさか、そんな事はないと思うが。
僕は、隣ですやすやと寝ている比奈さんの横顔をそっとうかがった。