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 比奈さんが眉間にしわを寄せている。

 最近は僕の前で天使や小悪魔の顔を見せてくれる比奈さんだが、会社にいるときにこういう顔をすること自体は珍しい。そんな顔でも可愛いと思えてしまうのは、僕が比奈さん推しだからだろうか。


「比奈さん、具合悪いんですか?」

「ううん、目に何か入っちゃったみたいなの」

「まつ毛とか入りやすそうですもんね」


 大きな目に、くりっとカールした長いまつ毛。目が細い僕と比べれば、十倍は入りやすいに違いない。


「ちょっと、見てもらえる? 右目なんだけど」


 比奈さんに言われて、その目を確認する。黒目がはっきりとして大きく、少し潤んでいるせいか、キラキラして見える。なんて綺麗なのだろう。同じ人間とは思えない。


「どう?」

 

 見とれてしまっていた僕は、比奈さんの声で我に返った。


「ち、ちょっと待ってくださいね」


 僕もそれほど視力がいい方ではないので、細かいところまではよく見えない。近づいて確認すると、目の下側の端っこに、それらしきものが見えた。


「やっぱり、下の方にまつ毛が入ってますね」


 と言ってから、どきりとした。比奈さんの顔が、眼前数センチのところにある。こんな間近で見たことなど、当然ない。

 僕が慌てて離れると、クスリと比奈さんが笑った。


「ありがとう。取ってくるね」


 席を離れる比奈さんの背中を見ながら、深呼吸をする。今、比奈さんが少しだけ小悪魔の表情を見せたような気がしたのは、気のせいだろうか。


「結城君さあ、比奈さんとどういう関係?」

 給湯室でコーヒーを入れていると、市原が声をかけてきた。

「何、急に」

「最近、妙に仲良さげになってるって噂だよ」

 頭の中が真っ白になる。いつの間にそんな噂が。

「同僚だから、話ぐらいするよ」

「さっきの、いちゃついてるように見えたけど」

 比奈さんの目を確認していたところを見られたらしい。

「あれは、目に何か入ってないか見て欲しいって、お願いされただけだよ」

「ふーん?」

 市原は完全に疑ってかかっている。比奈さんの為にも、妙な噂はかき消さなければならない。


「僕は比奈さん推しなので。そういう噂は困るんだよ」

 一瞬の沈黙が訪れる。市原は眉をひそめてこちらを見た。

「……それって、好きってことよね?」

「スキ?」

 僕は比奈さん推しだ。アイドルみたいなもので、応援したいと思える存在。もちろん、近くにいたいと思うのは本当だが、異性としてどうとか、恐れ多くて考えられない。

「比奈さんはそういうんじゃないって」


「くしっ」


 最も聞きたくないタイミングで、くしゃみの音がした。恐る恐る隣を見ると、比奈さんがこちらを見上げていた。


「比奈さん、いつからそこに」

「呼ばれたかなと」


 比奈さんが人に忍び寄るのはいつものことだが、よりにもよってこんな話をしている時に。

 比奈さんはどこまで聞いていただろうか。いや、それよりも変な誤解を受けないためにはどう説明すればいいのか。

 いよいよ頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。


「結城君が、比奈さん推しだって言うんですよ」

「推し?」


 僕の様子を見かねた市原がフォローを入れてくれた。


「比奈さんに尽くすってことじゃないですか。こき使ってやってください。……ね、結城君?」

「え? まあ、はい」


 急に振られて、空返事をしてしまう。

 比奈さんは綺麗な瞳で真っ直ぐ見つめてくる。その表情からは、どんな感情なのかは読み取れない。


「……何か、やれることあります?」

「じゃあ、お願いがあるんだけど」


 比奈さんに連れてこられたのは、備品庫だった。


「そこの棚の上に箱があると思うんだけど、高すぎて取れないの」


 比奈さんが指差す棚を見上げる。確かに比奈さんの背丈では届かなさそうなところにダンボール箱が置いてある。


「了解です。任せて下さい」


 とは言ったものの、思ったより高い。背は高い僕でも、踏み台が必要そうだ。隅から小さい脚立を持ってきて、棚の近くに置きながら、ちらりと比奈さんの顔をうかがう。

 天使でも悪魔でもない、虚無の表情。普段通りといえばそうなのだが。


「あの、比奈さん。さっきの話、聞いてました?」

「聞いてないよ」


 比奈さんは即答した。僕は少しほっとして、棚の上に手をかける。


「結城君、わたし推しなの?」

「聞いてたんじゃないですか」


 危うくダンボール箱を落としかけた。地獄耳の比奈さんが聞き逃す訳はないのだ。僕は観念した。


「正直に言います。僕は比奈さんを推させて頂いております。比奈さんはとても可愛らしいので、その……」


 猫みたいだ、と付け加えようとする前に、比奈さんが側に寄ってきた。


「他にはいる?」

「他と言いますと」

「推し」


 比奈さんは変わらず虚無の表情だが、目が心なしか泳いでいる。


「……僕は比奈さん一筋です」

「そっか」


 ほんの一瞬だけ、天使が現れたような気がしたが、すぐにいなくなってしまった。


「……ありがとう」


 比奈さんは僕が抱えるダンボールからバインダーをいくつか取り出すと、そのまま出て行ってしまった。


 ひとり取り残されて冷静になると、今の会話が脳裏に蘇る。僕はとんでもない宣言をしてしまったのでは。どさくさに紛れて可愛いとか言ってしまったし。


 ふと、比奈さんが言った〝ありがとう〟がどういう意味かちょっと引っかかったが、多分考え過ぎだろう。

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