(4)
比奈さんが、愛でられている。
いつもの窓際で日向ぼっこ中の比奈さんが、女子社員たちに囲まれている。代わる代わる比奈さんの頭を撫でているが、僕もそっと加わりたい。
「比奈ちゃんなら、電車とか子供料金で乗れそうだよね」
「小学生で通用しそうだもん」
みんなで好き勝手言っているが、比奈さんは気分を害していないのか。黙って日向ぼっこしている姿は、猫っぽい小学生にしか見えないのは事実だ。しかし、子供扱いを受けたら、普通はあまり喜ばない。
休憩タイムが終わって、比奈さんが席に戻ってくる。
「比奈さん、撫で回されてましたけど、いいんですか?」
「別に、慣れてるから。どうして?」
「子供扱いされてて、嫌じゃないのかなって」
「みんなが喜ぶんなら、わたしは構わないけど」
身体は小さいのに、なんと器が大きいのだろう。
「……じゃあ、僕も撫でていいですか」
「別に、いいよ」
冗談のつもりだったが、比奈さんは顔色ひとつ変えずに、こちらに頭を向けてきた。
「いやいやいや、無理です、すみません」
もちろん撫でたかった。撫でたかったが、今ここでそれをやったら、一線を超える気がする。
「お、比奈ちゃん。今日も可愛いなぁ」
と、そこへ通りかかった営業の山本先輩が、比奈さんの頭をさらりと撫でた。
「ちょっ、先輩っ」
「ん、なんだい、結城」
先輩はなんでもない事のようにけろっとしている。この人はこういう人だ。
「……ずるいっす」
今日ばかりは、彼の軽さがうらやましく思った。
比奈さんは、笑わない。
いつもぽうっとしている比奈さん。別に機嫌が悪いということはないのだが、どちらかというと、表情に乏しい。
仕事中はもちろん、みんなに愛でられている時も、顔色ひとつ変えないのだ。
僕は衝動的に、比奈さんを笑わせたくなってしまった。普段でも可愛いのだから、笑顔は大天使に違いない。
「くしっ」
比奈さんが、くしゃみをした。今日の仕事は終了だ。
「比奈さん、映画とか興味あります?」
「よく見るよ」
これはチャンスだ。今話題になっている、人気監督のコメディ映画。あれなら比奈さんも笑ってくれるのでは。顧客先でもらった優待券が何枚かあるのだ。
「よかったら、一緒に行きませんか?」
「いいけど」
比奈さんは、少し不思議そうな表情で答えた。
「あれ、何か予定あります?」
「そうじゃなくて、これってどういうお誘いなのかなって思っただけ」
言われて初めて気づいた。何気にさらっと映画に誘ってしまった。途端に顔が熱くなってくる。
「ゆっ、優待券が余ってたので」
これは余計に言い訳がましいだろうか。比奈さんの顔をうかがうと、彼女はクスリと笑った。
「いいよ、行こう」
「はっ、はい。ありがとうございます」
目の前に大天使が現れた。もう目的は達成したが、こんなに幸せでいいのだろうか。
比奈さんと映画に来ている。
もしかして、僕は間もなく死ぬのでしょうか。
嬉しいやら緊張するやらで、映画の内容が全く頭に入ってこない。
他の観客が笑うタイミングで、比奈さんも笑っているようだ。笑顔を見るのが目的だったが、暗い映画館では比奈さんの顔はまともに見えないではないか。結果オーライではあるが、我ながら考えが甘すぎる。
ただ、顔は見えないものの、笑う声がとにかく可愛い。僕は、映画よりもこちらをずっと聞いていたいと思った。
「面白かったね」
「はい、すごく可愛かったです」
「可愛い?」
「あの、主役の男のヒゲが」
「うーん、可愛いかなあ。独特の感性だね」
つい口が滑った。適当な事を言って誤魔化したが、ずっと比奈さんの声を聞いていたなど、バレてはならない。
「ご飯食べていくでしょ? ちょっと行きたい店があるんだけど、いい?」
「はっ、はい、喜んで」
これはもう、デートなのでは。僕はいよいよ死を覚悟した。