(16)
通話を終え、僕はもう一度比奈さんの寝室に入った。彼女のあどけない寝顔を眺める。
彼女がもし、見た目の事で悩んでいたとしたら。僕は、これまでに軽率な言葉を彼女にかけなかっただろうか。彼女の本当の気持ちを知りたい。
ひとりで考えても答えが出ないのはわかっていたが、思考がループして止まらなくなる。そのうち、夢と現実の境目が曖昧になっていった。
「くしっ」
僕は、くしゃみの音を聞いて気がついた。一瞬、ゴロウが起こしに来たのかと思ってしまったが、そんなはずはない。
「おはよう、結城にゃん」
「……にゃん?」
目を開けると、ベッドの上から大天使が僕を見ていた。
比奈さんが僕の頭を撫でてくる。これは夢だろうか。
「そんなところで寝ちゃって大丈夫? ベッドに入ってよかったのに」
比奈さんの言葉で一気に目が覚める。僕は着ぐるみのまま、ベッド脇で寝入ってしまったらしい。
「いやいや、駄目でしょう」
「でも、わたしの寝顔、見てたんでしょ」
「いやいやいや、違う……違わないですが、ちょっとだけです。そういうアレではなく」
比奈さんがクスクス笑っている。見たのは事実なので言い訳のしようがない。
「やっぱり優しいね、結城君」
そう言うと、比奈さんは、もう一度僕の頭を撫でてきた。サイドテーブルの方に目をやると、例の薬の空箱が消えている。比奈さんが片付けたのだろう。いずれわかることだ。ここは、きちんと話しておかなければ。
「……実は昨日、おばあさんと少し話したんです。比奈さんの病気の事も聞きました」
比奈さんは起き上がって、ベッド横に腰掛けた。
「色々と失礼な事をしてしまったんじゃないかって、夜通し考えていて」
比奈さんが真剣な顔になって、僕をじっと見つめてくる。
「事情も知らずに推しとか、勝手な事を言ってしまって、すみません」
「どうして謝るの。勝手な事って何?」
「……比奈さんの身体の事を何も知らずに可愛いとか」
「知ってたら、言わなかったの?」
「いや、それは……」
比奈さんと出会って三年ちょっと。僕は近くで彼女の行動を見つめてきた。僕が比奈さんを可愛いと思ったきっかけは、彼女が醸し出す雰囲気だ。もちろん、それには小さい見た目の可愛さも含まれる。しかし、見た目だけの話だったら、子供を可愛がるのと変わらない。
今、病気の事を知って、改めて彼女を見つめ直す。
結局は理屈じゃない。彼女を守りたいと思えるかどうかだ。
「可愛いです。可愛いものは可愛いです」
勢いに任せて、三回も言ってしまった。我ながら、語彙力の無さにがっかりだ。
僕の前にだけ現れる、大天使の笑顔が弾け、比奈さんは僕に身体を預けてくる。僕は、彼女を壊れないようにそっと包み込んだ。
「約束、守ってくれるよね」
「……約束?」
「わたしの側にいてくれるんでしょ?」
確かに、側にいて欲しいと請われ、僕は承諾した。しかし、その話をしたのは比奈さんではない。
比奈さんは小悪魔の表情で、自分のスマホの画面を見せてきた。
画面にはおばあさんからのメッセージが表示されている。昨日のやり取りは、既に事細かく説明済みだったらしい。
「……ずるいっす」
「おばあちゃん、何でも話しちゃうの」
僕の腕の中で、小悪魔がクスクス笑っている。
なんとなく小悪魔一族に捕らえられた子羊の気持ちになってしまった。
一緒に住むようになって一ヶ月。
くしゃみの原理は未だにわからないが、普段の彼女がとにかく寂しがりだということはわかった。ひとときも僕の側を離れようとしないのだ。
夜桜犯科帳を一緒に見るとき、彼女は膝の上に乗ってくる。可愛いのだが、いくら身体が小さくても、一時間ずっと乗られると重たい。冬に膝上からテコでも動かなくなっていたゴロウを思い出す。単に寒がりなだけである可能性も捨てきれない。
もうひとつわかったのは、彼女の背が小さいのは、遺伝の影響が九割以上だということ。話を聞くと、代々小柄な家系だったらしく、おばあさんも小さい。
「本当なら、あと三センチは背が伸びたはずなの」
彼女はそう言い張るが、僕からしたら誤差の範囲だ。
「くしっ」
楓さんは猫みたいなくしゃみをする。
「音也君」
約三分後、彼女は僕の名前を呼んで、大きな瞳でじっと見つめてくる。
僕は可愛くて仕方がなくなって、彼女にそっとキスをする。
彼女が僕をどう思っているのか、直接言葉では聞いていない。恥ずかしがりの彼女にどうやってそれを答えさせようか。
僕はのんびり考えながら、彼女を守ろうと思う。それが推しを名乗る僕の使命だ。




