(14)
比奈さんは僕の手を引いて、奥の部屋に連れてきた。中央に大きめのベッドが置いてある。寝室なのは間違いなさそうだが、いやいや、まだ心の準備が。
僕がひとり慌てふためいていると、彼女はタンスから茶トラ柄の猫の着ぐるみを取り出して僕にあてがった。
「ごめんね、大人用の、それしかないの」
「これを着るんですか」
「似合うと思うよ。着てみて。見たい」
小悪魔比奈さんが期待の眼差しを向けてくる。
「ちょっと向こうで着替えてきます」
「別にいいのに」
「僕がよくありません」
そう言えば、前に比奈さんに脱がされた事があったが、あれはノーカウントだ。
それにしても、着ぐるみというやつは、着るのが大変だ。身体がでかいので、足が入っても腕を入れるのに苦労する。なんとか着てみたものの、結構動きづらい。
「やっぱり似合う。可愛い」
比奈さんに見せると、彼女は僕に抱きついてきた。
「あのっ、そういうマスコットキャラ的なやつじゃないんですが」
見た目はでかい猫だが、素材は普通の布だ。嫌でも彼女の体温を感じて動揺してしまう。
「……比奈さん?」
彼女はお腹に抱きついたまま、じっと動かなくなった。もしや、これは電池切れでは。
そっと彼女を支えて顔を覗き込むと、案の定すやすや寝息を立てていた。
ひとまず彼女を抱えてベッドに寝かせる。完全に自分の娘の寝かしつけだ。可愛い寝顔を見つめながら、どうしたらいいものか考える。流石に隣に寝るのはないとして。
そもそも、比奈さんはどうしたかったんだろうか。まさか、本当に一緒に寝るつもりだったのでは。本人が寝てしまった以上、ここはそっと退散してソファに寝るのが正解だろう。
サイドテーブルのランプを消そうとしたとき、小さな箱が置いてあるのが目に留まった。〝注射用〟と赤い文字が印刷してある。中は空だが、薬が入っていたらしい。
胸がざわつく。比奈さんは身体に何かの不調を抱えているのか。僕は血の気が引いていく感覚を覚えていた。
比奈さんの寝顔を見ながら、薬の事を考える。
随分寝る時間が早いとは思ったが、比奈さんは昨日から寝不足気味だ。しかし、ただの寝不足にしては、ずっとフラフラな状態だった。
思い返すと、これまでの彼女の行動には色々と不思議な点があった。もしかすると身体が小さいことも、何か理由があるのでは。
僕は居ても立っても居られず、リビングのタブレットの前に座った。幸いロックはかかっていない。通話用のアプリは会社で使っているものと同じなので、おばあさんと繋ぐことは出来そうだ。現在の時刻は午後九時前。ロンドンは丁度お昼時のはずだが、会話は可能だろうか。
「ハロー、楓。ワッツハプン?」
おばあさんはすぐに応答した。彼女は僕に気づくと、少し驚いたようだった。
「すみません、結城です。今、よろしいですか?」
「あら、大きな猫だと思ったら、結城さん?」
着ぐるみを着ていたことをすっかり忘れていた。しかし、今はそれどころではない。
「比奈さん……楓さんの事で、少しお伺いしたいことがありまして」
「……もしかして、楓の身体の事かしら」
おばあさんは僕の言いたい事を察したようで、じっとカメラを見つめた。
「実は、薬の箱を見つけてしまったんです。何か悪い病気なんでしょうか」
僕が聞くと、彼女は少しだけ考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「……子供の頃、あの子は身体の成長に問題を抱えていたんです。その影響で、今でも体調が優れなかったりするの。疲れやすかったり、気力が無くなったり」
「じゃあ、身体が小さいのも」
比奈さんの今の姿は、病気のせいだった。僕はただ、可愛らしいと思うだけで、そんな事に気づきもしなかった。
頭を強く殴られたような衝撃。耳鳴りがしてきて、まともに前が見えなくなる。
「……さん。結城さん?」
ずっとおばあさんに呼びかけられていたようだが、何度目かの呼びかけで、僕はやっと正気に戻った。
「……すみません、ぼうっとして」
おばあさんは少しこちらの様子を観察していたが、ゆっくりとうなずいた。
「よかった。楓の言った通りね。誠実で、とても優しい人」
「いえ、そんな……」
急に褒められて、言葉に詰まる。
「楓の身体の事はね、わたしたちの間ではもう解決済みなんですよ」
そう言って、おばあさんは優しく微笑んだ。




