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美少女名探偵☆雪獅子炎華 (3)アキレスと亀

作者: 夢穂六沙

   ☆1☆


 燃えるような真紅の紅葉に覆われた山々を背にして、日除けのパラソルを差しながら一人山道を歩く漆黒のゴスロリ少女というのは、それだけで絵画を思わせるほど絵になる。

 だが、残暑は厳しく、全身を毛に覆われた猫の我輩は、秋とはいえ夏同然の獄暑である。

 炎華が我輩を心配そうに見下ろす。

「大丈夫かしら? ユキニャン、今日の暑さは一段と厳しいからキツイんじゃなくて?」

 炎華の思いやりの深さに涙が出そうになる我輩だが、猫なので涙は出ない。

 代わりに、

「ウニャアア~ン」

 と気だるげに鳴く。

 我輩と炎華は東京駅から最新鋭の鉄道であるリニア・モーターカーに乗って、わずか一時間足らずで奥深い山並みが広がる、新設されたばかりの秋麗巣駅へ到着した。

 ちょっとした小旅行である。

 が、炎華にとっては軽い散歩でしかない。

 炎華が川音を聞きつけ、

「川のほうに降りてみようかしら、少なくとも、ここよりは涼しいかもしれないわ」

 と微笑む。

 炎華が雑木林の小道に入って川を目指す。

 やがて、サラサラと水の流れる、せせらぎの音とともに、広々とした川原へ出た。

「思ったより広い川原ね、ゴムボートで遊んでる大学生がたくさんいるわ。川の中ほどまで桟橋もあるわよ。お魚さんが見れるかも知れないわね」

「ウニャン」

 我輩は同意の声を上げる。

 川を吹き抜ける風は涼しく、蒸し風呂のような山道と比べると天国である。

「あら可愛いいネコちゃんね、あなたのネコちゃんなの?」

 いきなり我輩は持ち上げられ、ブラブラと全身を揺すられた。

「ニャフン!」

 とてつもない屈辱である。

「ユキニャンよ。私は雪獅子炎華。あなたはどなた?」

「怪しい者じゃないわよ~。そこのキャンプに遊びに来ているただの女子大生、亀森雪奈よ。あなたも私も名前に雪が入っているわね。これもきっと何かの縁ね。良かったら、あたしたちのキャンプに来ない? 炎華ちゃん? ゴスロリ美少女ならみんな大歓迎よ。それに可愛いネコちゃんもね」

「どうするユキニャン?」

「ニャニャウナ・ニャンニャ・ニャニャウンニャ」

『ブラブラした屈辱は倍返し』

 と我輩は答えた。

 我輩は飼い猫である。

 名前は、

 ユキニャン。

 探偵であるゴスロリ少女、雪獅子炎華の相棒を務め、探偵の真似事をしている猫探偵である。


     ☆2☆


 《キャンプ秋麗巣》と巨大な垂れ幕が掛けられた巨大なテントの下では、数十人の大学生が目まぐるしく立ち働いて、夕餉の支度をしていた。

 この香りからするとキャンプの定番、カレーである。

 突然、すさまじい金切り声が響いた。

「んっキャーッ! 何々? 何でこんなところに可愛いゴスロリ少女が、こんな田舎のキャンプにいるわけ? いい娘だからアタクシの嫁になりなさいっ!」

 炎華につかみ掛かろうとする女の前に我輩は立ちふさがる。

「フッシャアアアアッ!」

 女に猫パンチをかます。

 ビシビシッ!

「イタいイタい~! 冗談よ、冗談っ! おっかない猫ね! 誰の猫よ!」

 女が炎華から離れる。

 我輩を抱き上げた炎華が、

「私のパートナー、ユキニャンよ。私は雪獅子炎華、お姉さんは?」

「よくぞ聞きました! このアタクシこそ、秋麗巣ゼネラル・コンクリート社長にして、秋麗巣市長の秋麗巣秋尾の一人娘、秋麗巣大学主席の才色兼備な女子大生! 秋麗巣秋穂とはアタクシのことよ! お父様が次の知事選挙で当選して県知事にでもなれば、さらに日本の夜明けが近づくわ! そして、このアタクシのカブもウナギ昇りの昇龍パンチよっ! んキャーッ! キャッキャッ!」

 耳にキンキン響く金切り声で哄笑する秋穂。

 炎華が、

「秋麗巣ゼネコン。噂に聞いたことがあるわ。国の公共工事を一手に引受けるだけ受けて、そのくせ仕事は全部、子会社、孫会社、曾孫会社、さらにその下の、さらにさらに、その下の下請け会社に任せて上前だけをハネまくる、自分では何もしない、まさしく漁夫の利のみで巨万の富を築き上げた、資本主義社会のウジ虫会社よね」

 秋穂が顔面蒼白になり、

「さっ、さささ……さっ!」

『最低っ!』

 とでも言うのかと思いきや、

「最高だわっ! こんな凄まじいショックをアタクシに与えたツンデレ・ゴスロリ美少女は生まれて初めてよ! 感動したわ炎華ちゃんっ! パパにだってアタクシ、そんな酷い事を言われた記憶はないわ! あなたはやっぱり、アタクシの嫁に相応しいゴスロリ・ツンデレ・クールビューティー少女ねっ!」

 予想と真逆の反応に我輩が驚愕していると、その隙をついて秋穂が炎華に抱きつく。

 炎華のスベスベとした柔らかいホッペに頬ずりする。

 炎華が珍しく面食らった表情で、

「デレてないし……」

 と的を得た正論を述べる。

 我輩に続いて炎華まで屈辱を受けるとはっ! 

 今夜の《キャンプ秋麗巣》、間違いなく波乱の予感がする。


     ☆3☆


「随分と機嫌が良いんだね、秋麗巣さん。何か良い事でもあったの?」

 スラリとした好青年が、野菜いっぱいの買い物袋を両手に下げて秋穂に近づく。

 秋穂が急に態度を改め、

「くっ! 久堂君っ、さすが久堂君だわ、早かったわね。足りない食材は間に合って?」

「ああ、野菜をどっさり買ってきたよ。数十人分の野菜となると結構な量だね」

「そうね、久堂君、お、お疲れ様、あ、ありがとう……」

 久堂という男が現れた途端、先程とは打って変わって山の手のお嬢様のように、しとやかで、物腰柔らかな、男の言う事を何でも従順に聞き入れてくれる、清楚で優しい理想の美人のお姉さん。

 という美女に驚愕の変貌を遂げる秋麗巣秋穂。

 見事な七変化である。

「その女の子は誰だい? キャンプにはちょっと向かない格好をした、可愛らしいお嬢ちゃんだね。それに、その黒猫も」

「あらっ! この子はアタクシの嫁……もとい、妹にしたい娘ナンバーワンの雪獅子炎華ちゃんと、その飼猫のユキニャンよ、久堂君も仲良くしてあげてね、ウフフ」

 咲き誇る大輪の薔薇のような、優雅で艶やかな笑みを浮かべる秋穂。

 そんな完璧な美女モードの秋穂に対し炎華が、

「久堂の前だと秋穂は借りてきた猫みたいにおとなしくなるのね」

 と秋穂の真実を暴こうと試みる。

 そんな炎華の策略に対し秋穂が、

「炎華ちゃんの歯に衣着せない態度ってお姉さん大好きよ、でもね、違うの。今のアタクシこそが本当の! 真実のアタクシの姿よ! 高飛車でバカ笑いをしているアタクシは世を忍ぶ仮の姿なのよ! 炎華ちゃんも恋をすれば今に分かる時が来るわ! 恋って素晴らしいものなのよ! ねっ! 久堂君っ! 恋って素晴らしいわよねっ! 久堂君も恋をしているのかしら? 誰に恋しているのか教えて欲しいわっ! 誰かしら誰かしら!」

 さあ秋穂に答えなさい! 

 と言いかねない凄まじい勢いである。

「えっ? そ、そうだね、恋って素晴らしいと思うよ、その、その小さな女の子には、まだ分からないだろうけどね」

 秋穂が先ほどの問いを繰り返し、

「久堂君はどなたに恋をしているのかしら? 秋穂、とっても興味があってよ、教えてくださらないっ!? 秋穂に教えてくださるわよねっ! 工堂君!」

 もはや脅迫である。

 それとも恋の魔法だろうか? 

 一人称まで変化している。

「そ、それは……」

「それは? 誰かしら? よく聞こえなくてよ、久堂君っ!」

 そこへ亀森雪奈が割り込んでくる。

「どうしたの? 何の話? わたしにも聞かせてよ」

 久堂がホッとしたように、

「ああ、なんでもないよ、雪奈。そうだ、俺、野菜を置いてこなきゃ、秋麗巣さん、その話は、またあとにしよう」

 久堂が逃げるようにその場を去る。

 残された秋穂が落ち込む。

 が、すぐに亀森雪奈を天敵のようにニラミつけると、

「雪奈! あんた何で、いつも、いつも、いつも、いつも、(永遠と続くので割愛)アタクシの邪魔をするの?」

「ええ~? わたし邪魔なんてしてないし~、だって、久堂君が好きなのは多分、秋穂じゃないし~」

「ざっけんじゃねぇよドブスっ! 久堂はこのアタクシ様と結婚すんだよ! 親同士でナシがついてんだよ! いまさら婚約解消なんて出来ないんだよ!」

 これは後日、聞き知った話だが、久堂の両親は秋麗巣ゼネコンの子会社の下、孫会社のさらに下、曾孫会社のさらにその下の下請け会社を経営している零細企業で、いつも赤字に苦しんでいた。

 が、秋穂が工堂に目を付けた頃から仕事が次々に舞い込み、一気に経営難から優良企業へと変貌したそうだ。

 娘の旦那が倒産寸前の零細企業の息子では社会的体裁が悪いと秋穂の父、秋麗巣秋尾が裏工作をしたという話だ。

 婚約話もその一環である。

 大方の事情を察した炎華が、

「久堂を金で買った(飼った?)というわけね」

「なにっ!」

 秋穂の目尻が夜叉のように釣り上がる。

 炎華は悪びれもせずに、

「それで、秋穂は久堂といつ結婚するの?」

 秋穂の目尻が仏様のように下がりまくる。

 ホホを真っ赤に染めて、

「えっ! け、結婚っ? そ、それは、その、ち、近いうちよ、炎華ちゃんっ! そう、間もなくよ! 間もなく、アタクシは純白のウェディング・ドレスに身を包んで、ヴァージン・ロードを久堂君と共に歩くのよ、そ、そして、ち、誓いのキッスを……」

 瞳がウルウル輝きだし、完全に自分の妄想世界に羽ばたいて行く秋穂。

 しばらく帰ってこれない様子なので炎華が、

「行きましょう雪奈、私もキャンプのカレーが食べたいわ、年に一度ぐらいは食べても良い珍味よね」

 雪奈がジト目で、

「炎華ちゃんも秋穂並みに世間からズレてるかもしれないわね」

 炎華が悪びれもせず、

「ズレてるのは、私じゃなくて、この世界のほうよ」

「ウニャンッ!」

 我輩は即座に同意した。


     ☆4☆


 宴もたけなわ、涼やかな夜風が心地よく流れていく中、中秋の名月を背に、無粋に年をとった二人の老人が、若者たちのキャンプ場に異物のように入り込んで来る。

 秋穂が瞳を見開き、

「お父様! どうされたの? こんな、怒・田舎に来るなんて? 何かあったの?」

 秋穂の父、秋麗巣秋尾である。

 もはや祖父といってもよい年齢である。

「フ~ウッ、ハア~ッ」

 初老の脂ぎった男が、デップリとした太鼓腹を抱えるようにズボンをたくし上げ、荒い息をつきながら秋穂に応える、

「ゼハゼハ、キャンプ場など、数十年ぶりに来たわいっ、年寄りには応えるのう、な~に、たまたま、このあたりの泥遊び、もとい《再開発計画の会合》があったもんでな、ついでに可愛い愛娘の顔を見に来ただけじゃよ。そうじゃ秋穂、キャンプ代には困っとらんか、なんなら会合の費用の一部を水増ししてキャンプ代にしてもいいんじゃよ」

「あら、お父様、そんな事をなさったら公金横領罪で騒がれている東京都知事の二の舞いですわ。この程度のキャンプ代、アタクシのポケット・マネーで充分払えますわ」

「グハッ、ハッハッ、こりゃ一本取られたわい、秋穂の言う通りじゃ、次の県知事選が近いというのに、どんなに小さな失態も許されんわなっ、この秋麗巣秋尾、肝に銘じるわい、グハッ、ハッハッ」

 秋穂が瞳をキラリと光らせ、

「その折には、アタクシもその仲間も、先の市長選のように全力でお父様を応援しますわ」

 秋尾が頼もし気に娘を見つめ、

「こりゃ頼もしいわい。是非頼むとしようかの、あ~、無論、彼女もまた手伝ってくれるだろうね、秋穂の友達の……」

「雪奈のこと? さあ? 今回は雪奈がいなくてもいいんじゃない、久堂君がいれば充分だと思うわ」

「そ、そうかのう、わしとしては少しでも応援してくれる者が多いほうがいいんじゃがのう」

 と言いながら、チラチラと雪奈の全身を舐め回すように眺める秋尾、雪奈は鳥肌を立てながら、そそくさと逃げ出す。

 入れ替わりに工藤が空気の抜けたゴムボートを持ってきて、

「どうも、穴が開いてるみたいなんだ。簡単に修理するつもりなんだけど、ガムテープか何かないかな? 秋麗巣さん?」

「あら工藤君、ゴムボートぐらい秋穂のポケットマネーでいくらでも買ってあげてよ、そんな穴の開いたゴムボート捨ててしまいなさい。それより、あなたもアタクシのお父様の選挙に~。協力してくだいね~。ウフ」

 最後は秋穂が甘えるようにねだる。

 工藤が素直にうなずき、

「ああ、うん。分かった。応援するよ」

 秋穂が炎華に目を転じ、

「それと~、新しいお友達も~、協力してくれるんじゃないかしら? ねえ~、炎華ちゃん」

「あいにく選挙権はまだ無いの、でも、いつか、義務は果たすつもりよ。馬鹿な政治家をこれ以上増やすつもりは無いからよ」

「こりゃまた可愛い小さなお友達じゃな! 秋穂のセンスの良さは、こんな小さな友達作りにも生かされておるわい、これで選挙権があったら申し分ないんじゃがのうっ、グハッ、ハッハッ」

 炎華が秋麗巣秋尾に投票する事はまずないだろう。

 炎華が秋尾のダミ声にウンザリしたように、

「今日はお暇するわ。行きましょうユキニャン」

 日除けのパラソルを手に取って立ち上がる炎華。

「ウニャン!」

 我輩も同意した。

 秋穂が慌てて、

「あっ! 待って炎華ちゃん! 一緒にキャンプに泊まらないの?」

 炎華が華麗に、

「駅前のホテルを予約してあるの。私にブート・キャンプは無理だもの」

 秋穂が寂しそうに、

「仕方ないわね、それじゃあパパの車に乗りなさい! いいでしょパパ! 駅のホテルまで権三郎に送らせてあげてよ」

 秋尾が頷き、

「ウムウム良いじゃろう、タッパは足りんが美少女は大歓迎じゃ! 権三郎っ! 炎華お嬢ちゃんを車に案内せいっ!」

 権三郎と呼ばれた秋麗巣秋尾より年かさの男が、

「はっ! それでは炎華お嬢様、お荷物と、その猫様をお持ちしましょう」

「ユキニャンはいいわ、パラソルだけお願い」

 炎華がパラソルを折り畳んで渡し、我輩を抱きかかえる。

 そこへ、亀森雪奈がフラフラしながら近づき、

「あのっ、あたし、も、気分が悪いから、今日は、ホテルに泊まるわ。炎華ちゃんと一緒に、行っていい?」

 秋穂が鋭く、

「はあ? 何言ってんの? ……と、言いたいところだけど、なんか、顔色が良くないわね。いいわ、権三郎、雪奈も乗せてあげて」

 権三郎が背筋を三十度曲げ、

「かしこまりました、秋穂お嬢様」

 雪奈も加えた四人が山道に戻り、田舎に不似合いなベンツへと向かう。

 すかさず権三郎が助手席に回り、収納スペースのグラブボックスへ炎華のパラソルをしまう。

 次に雪奈の荷物を後部のトランクへしまう。

 シートに座った雪奈は本当に真っ青に青冷め、今にも失神しそうだ。

 さっきまで元気だったのに、一体どうしたのか? 

 秋尾が権三郎に向かいダミ声を響かせる。

「権三郎、今日はお前もそのままホテルで休んでおれ、東京からここまで三時間も運転して来たんじゃ、お前も疲れとるじゃろう。わしは歩いて泥遊び、もとい《再開発計画の会合》に出席する。ここからはそう遠くない場所じゃからな!」

「はっ! お言葉に甘えて、お二人をホテルまでお送り次第、休ませてもらいます! それでは旦那様、失礼いたします!」

 権三郎の運転する車に我輩と炎華、それに雪奈が乗り込み、車は音もなく走り出す。

 最新式の電気自動車とは、かくも静かなものかと、我輩は大いに感心した。

 すると、権三郎が、

「一週間前に、この最新式の電気自動車に旦那様がお車をお変えになったのです。が、いつまで経っても、電気自動車というものには慣れないものですな。今日は特に違和感を感じます」

 そのつぶやきに炎華が、

「それは年のせいではなくって?」

 と遠慮会釈無く言うので我輩は、

「フニャアアアッ!」

 と大声で鳴いた。

 炎華の無遠慮な物言いを誤魔化したのである。

 年配のお年寄りに対する気配りは、猫的にも必要であると思うのである。


     ☆5☆


 ホテルへ向かう途中、炎華が雪奈に語りかける。

「あなたの症状は突然の吐き気と倦怠感。それは、一般にツワリ、と呼ばれている症状ではなくて? 父親は恐らく、久堂よね。あなたの、久堂に対する揺るぎない信頼は、彼の子供を身ごもっているためでしょう? そうじゃなくて?」

 苦しげに雪奈が微笑む、

「鋭いね、、炎華ちゃん、小っちゃな名探偵さん、でも……そうね、それなら最高なんだけど」

 雪奈の曖昧な物言いに炎華が、

「久堂の子供でないなら誰の子かしら?」

「炎華ちゃんはおマセちゃんだよね~、大人の事情ってやつなのよ、炎華ちゃんも大きくなったら、いつか分かる日が来るよ」

 炎華が嘆息し、

「何が分かるのかしら?」

 雪奈が遠い目をし、

「人生ってままならないってことをよ」

 炎華が苛立たしげに我輩のホッペを引っ張る。

 かなりの毛が抜けた。

 八つ当たりである。

 痛いのである。

 炎華の不満もわかるが、

「人生は自分自身で切り開くものよ。自主独立、自力救済、べストを尽くして天運を待つ。そうじゃなくて?」

 雪奈との意見の相違である。

 ところで、我輩の自主性はどうなるのであろうか? 

 いまだに炎華は我輩の毛を引っ張っているのである。

 ブチブチ毛が抜けて、痛いのである。

 ハタ迷惑な話である。

「炎華ちゃんは天才なんだよね~。天才に凡人の気持ちは分からないよ~、たぶん、永遠にね~」

 今度は我輩のヒゲを引っ張る炎華。

 かなりのヒゲが抜けた。

 いい加減勘弁してもらいたいのである。

 炎華が鋭い語調で、

「もう一度聞くわ、あなたのお腹の子供は誰の子なのかしら?」

「久堂君かもしれないし、そうじゃないかもしれない、今は、それ以上言えない、わ、ウッ……」

 また苦しげに顔を歪める雪奈、丁度、車はホテルに到着したところだ。

 炎華が車から飛び出し、

「フロントに病人がいる事を伝えてくるわ、権三郎は雪奈に肩を貸してあげて、歩けるなら一緒に歩いて行きなさい」

「はっ、了解です! 雪奈お嬢様、お立ちになれますか?」

 雪奈が頷く。

 炎華は素早くフロントに駆け込み事情を説明した。

 フロント係が雪奈と彼女の荷物をホテルへ運んだ。。

 炎華は雪奈の部屋まで付きそう。

 雪奈は酷いツワリで、治るまで雪奈のそばを離れなかった。

 といっても、午後八時頃までであるが。


     ☆6☆


 翌朝、《キャンプ秋麗巣》から少し下流へ降った浅瀬で、亀森雪奈の溺死体が発見された。

 警察が立ち入りを制限する中、雪奈のキャンプ仲間が遠巻きに様子を窺っている。

 鬼頭警部が若者を掻き分けながら遺体に近づく。

 炎華と我輩がそのあとに続く。

 鬼頭警部の銅鑼声が周囲に響く。

「殺しとみ見て間違いないのだ。身体をロープでグルグル巻きにされ、口はガムテープを貼られて声も出せないのだ。その状態で川に投げ込まれ殺害されたのだ」

 炎華が哀しげに、

「たぶん、その推理で、ほぼ間違いないと思うわ。ただし、彼女のお腹に赤ちゃんがいた事は知らなかったでしょう」

「何っ? それは本当かね炎華くん! なぜ君がそんな重要なことを知っているのだ?」

 炎華が肩を落とし、

「亀森雪奈は昨日の夜、つわりの症状で苦しんでいたのよ。さあ、お腹の赤ちゃんのDNAを解析して父親を特定しなさい。犯人の手がかりになるはずよ」

「いやはや、いつもながら君の頭脳は明晰過ぎるぐらい、明晰なのだ。わかった、大至急、調べてみるのだ」

 警察は仕事を与えられれば優秀な猟犬として即座に獲物を捕らえる。

 無論、獲物を料理するのは炎華の仕事だが。


     ☆7☆


 DNA鑑定の結果、子供の父親は秋麗巣秋尾であることが判明した。

 逮捕状は無いものの、鬼頭警部が秋麗巣秋尾に任意同行を求めると、秋麗巣秋尾は素直に応じた。

 秋麗巣署で鬼頭警部の尋問が始まる。

 それが終わるのを静かに待つ炎華。

 が、半時もしないうちに鬼頭警部が頭を抱えて部屋を出てきた。

 炎華が尋ねる。

「だいぶ手こずっているようね。完璧なアリバイでもあるのかしら?」

 鬼頭警部が頭をグシャグシャと掻きむしりながら、

「どうにもならんのだよ、炎華くん。秋麗巣秋尾には君の言う通り完璧なアリバイがあるのだ」

 炎華の華奢で繊細な手のひらが我輩の背を撫でる。

「ニャウン?」

 我輩が話しを即すよう鳴く。

 それに反応して鬼頭警部が詳しく話しだす。

「亀森雪奈が溺死した死亡推定時刻は午前零時頃。ところが、その時間に秋麗巣秋尾は東京にいたのだ。午後九時過ぎに車に乗って、三時間かけて東京に戻ったというのだ。つまり、犯行は不可能なのだ」

「高速道路の監視カメラに秋麗巣秋尾の車が映っているのかしら?」

「いや、奴の言い分では、それ以外に近道があるとかで、一般道を走ったということだ。となると、カメラは当てにならんのだ」

 夢見るような瞳で炎華が呟く。

「秋麗巣秋尾のアリバイを詳しく教えなさい」

「そ、それなのだが……」

 鬼頭警部の説明はシドロモドロで要領を得ないため、我輩が完結に説明する。

 昨夜、午後八時に秋麗巣秋尾は《再開発計画の会合》で使う資料が数点足りない事に気付き、大慌てでホテルへ戻ったあと、午後九時前に、車に乗り込み、資料の置いてある東京の事務所へ向かった。

 運転手の権三郎を無理に起こすのは可哀想だから、秋麗巣秋尾は一人で行く事にした、と証言している。

 亀森雪奈が死亡した午前零時頃、秋麗巣秋尾は丁度、東京に着いたと証言している。

 三時間かけて東京に戻ったわけである。

 東京へ戻った秋麗巣秋尾は運転の疲れを癒すためにビールを一杯飲んだという。

 しかし、そのせいで秋麗巣秋尾は飲酒運転で警察に捕まった。

 その記録は警視庁にしっかりと保管されている。

 丁度、午前零時である。

 つまり、秋麗巣秋尾は犯行が不可能という事になる。

 炎華が口を開いた。

「《アキレスの亀》……というわけね。亀は目的地の半分を進む。さらにその半分を進む、さらにその半分……これを繰り返すと、亀は永久に目的地に着かない。言ってみれば屁理屈みたいなものだけど」

「それは、この事件と何か関係があるのかね、炎華くん?」

「大ありよ、この屁理屈を解く鍵は……《時間》よ。秋麗巣秋尾のアリバイを崩すわよ、ユキニャン」

「ニャ~~~ン!」

 我輩は大いに同意する。


     ☆8☆


 炎華がキャンプ場に戻る。

 真っ先に川の中ほどまで突き出ている桟橋へと向かう。

 桟橋の杭を調べて歩くと、

「フニャ~ン」

 我輩は足元の杭に巻き付いている釣り糸を炎華に示す。

「お手柄ね、ユキニャン。それが、見つけたかったの。それはアキレス腱になるわよ。じゃあ、鬼頭警部、その釣り糸を引っ張ってくれるかしら」

 鬼頭警部が目を白黒させながらも、

「う、うむ。わけが、分からんが、事件解決に必要とあらば引っ張るのだ。うんしょ、どっこいしょ、よいしょっと、む! こ、これは!」

 炎華が目を細め、

「これがトリックの秘密よ」

 と、ほくそ笑んだ。


     ☆9☆


 秋麗巣署の薄暗い取調室で雪獅子炎華が秋麗巣秋尾と対峙する。

 秋麗巣秋尾が不快げに、

「これは何かの冗談かの? 任意同行に応じはしたが、こんな子供が相手とはフザけるにもほどがある、最近の警察は一般常識すら知らんとみえるな」

 炎華が受けて立つ。

「言いたい事はそれだけかしら? 亀森雪奈、殺害犯の秋麗巣秋尾市長。いえ、もう市長とはいえないわね。殺人を犯したのだから、ただの殺人犯として、お縄について堀の中で頭を冷やしなさい」

 秋麗巣秋尾のゴツい拳が安っぽいスチール・テーブルに叩き付けられ、激しい打撃音と共にメリメリとめり込む。

 が、青筋を浮かべながらも、口元にイビつな笑みが貼り付いている。

「ハ、ハハ。子供相手に怒っても仕方がないの、悪い冗談は終わりにして警察の責任者を呼びなさい、お嬢ちゃん。いくら秋穂のお友達でも、茶番はいい加減にやめなさい。でないと、秋麗巣ゼネコン・グループ全部を敵に回すことになるよ、お嬢ちゃん」

 炎華がクスリと笑う。

「ドカタは昔からヤクザと関係が深いものね。ゼネコン、イコール、暴力団、というところかしら?」

 秋麗巣秋尾の顔が怒りで真っ赤に染まる。

「グ、ヌヌウ、一代で秋麗巣財団を築きあげた、こ、このワシを愚弄する気かッ、小娘の分際でッ……!」

 炎華は眉一つ動かさない。

 美貌の少女が背筋の凍るような威厳に満ちた声音を発する、

「言っておくけど、私に恫喝は効かないわ、出来るものならヤクザでもマフィアでも何でも連れてきなさい。世界最強の軍隊でも構わないわ」

「グッ、ヌググググ」

 秋麗巣秋尾が振り上げた拳を下ろす。

 パイプ椅子をミシミシと鳴らしながら席に座り直す。

「ふんっ! 泣く子と地頭には勝てんわいっ! どうせくだらん余興じゃろう! が、暇つぶしに、しばらく付き合ってやるわいっ!」

 炎華が氷の微笑を浮かべる。

「少しは貫禄のある所を見せたわね。その威厳をいつまで保てるかしら? これから、あなたのトリックを暴かせてもらうわ。ねえユキニャン」

 炎華が我輩の頭を優しく撫でる。

「ニャ~~~ン!」

 我輩は炎華の勝利を確信し、高らかに鳴き声を上げる。


     ☆10☆


「亀森雪奈は妊娠していた。あなたの子供よ、秋麗巣秋尾。でも、雪奈は誰の子供か、昨日の時点では分からないと言っていた。つまり、久堂の子供か、あなたの子供か、どちらか分からない、という事よ。あなたは午後九時にホテルへ戻ったあと、雪奈に会い子供を降ろせ、中絶しろ、と詰め寄った。だけど、雪奈は聞き入れなかった。久堂の子供である可能性を雪奈は捨て切れなかったのよ。あなたは不倫の証拠となる子供を雪奈に絶対に産ませたくなかった。知事選挙が控えているこの時期に、万が一にもスキャンダルは避けたかった。しかも、あなたは自信があった。女絡みで失墜した幾人もの馬鹿な男たちと同じ徹を踏む気は毛頭無かった。あなたは雪奈をロープでグルグル巻きにし、口をガムテープでふさいだ。その後、車で雪奈を川に運び、ゴムボートの中に投げ入れ、ボートが川に流されないよう、釣り糸を桟橋にくくり付けた。あのゴムボートは穴が空いていて時間が経つと川に沈む仕掛けよ。雪奈は三時間後にボートごと川に沈んで溺死した。ボートは釣り糸で繋がっているから、そのまま沈み、雪奈は川に流され別の場所で発見された、というわけよ。この仕掛けを施したあと、あなたは秋麗巣駅へ向かった。駐車場に車を駐車し、新設されたリニア・モーターカーで東京へ向かったのよ。一時間足らずで東京に着いたあなたは、事前に購入して東京に置いてあった、もう一台の車に乗り込んで、ワザと飲酒運転をして警察に捕まったのよ。

 それが午前零時、というわけ。

 これは当然、アリバイ作りのためよ。三時間かけてホテルから車で東京までやって来ました、という、完璧なアリバイを作るためにね。最初にホテルから出た車は、車番の良く似た偽の車で、本物は東京に置いてあった車のほう。偽の車はナンバーに白いテープでも貼って加工したんでしょう。年老いた権三郎はナンバーの違いに気づく事はなかった。だけど、違和感はあったようね。あなたが昨夜、駅周辺に駐車した偽の車がまだ駐車されている事は分かっているのよ。その車を処分する時間は、あなたには無いはずよね。秋麗巣秋尾、私の推理に間違いはあるかしら?」

 秋麗巣秋尾が全身を震わせながら、

「駅周辺に駐車したという、その車は、まだ、見つかっていないのだろう?」

「まだよ、でも、すぐに見つかるわ。警察ほど優れた猟犬は他にいないのだから」

「車が見つかったとしても、ワシの用意した車だという、明確な証拠がどこにもない」

「抜け目の無いあなたのことだから、私のパラソルも処分したわよね。ついでに指紋も拭き取ったのかしら? だけど、あの日、私は少々機嫌が悪くてね、ユキニャンの毛を乱暴に撫でたり、ヒゲを引っ張ったりしたのよ。つまり、ユキニャンの毛が車内にたくさん落ちているはずなのよ。DNA鑑定すればユキニャンの毛だと、すぐ証明されるわ。それに、警察が本気で証拠を探そうと思ったら、いくらでも証拠が見つかると思わない? 私の髪の毛とか、死んだ雪奈の髪の毛とかよ、違うかしら?」

 言いながら炎華が再び、我輩の頭を優しく撫でた。


     ☆11☆


「《アキレスの亀》や逆説的な話の事を《ゼノンのパラドックス》といって、数学者や哲学者が崇高な学問として懸命に今も論じあっているわ。だけど、どんなに屁理屈をこねても、偽りを並べ立てても、真実はいつだって、必ず、一つだけよね」

 炎華が吸い込まれそうな瞳で我輩を覗き込み、

「ユキニャン、私はこう思うの。亀森雪奈はたとえ産まれた子供が秋麗巣秋尾の子であったとしても、その事を誰にも知らせずに、立派に育て上げたと思うの。ユキニャンはどう思うかしら?」

 我輩は子供に罪は、

「ニャ~ィウ!」

 無い! 

 と応えた。


     ☆完☆



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