ガキは親になんかなるもんじゃない
ふと、自分を振り返ると、ガキだなぁ、なんて思うことがある。たとえば友人との語り合いの時。たとえば目上の人の生き様を見て。自分はひどくガキっぽくて、そんな態度を改めようと何度も思うのに、そう思っていたことを思い出すのはガキだなぁと後悔したあとばかりだ。
そんなことを強く強く戒めた時、俺は一層に大人らしくいようと心に決めた。
まずは狭量である心を広く持つことを目指した。
心が狭いのはよくないことだ。誰だって心が狭い相手にはイラっと来るものだし。あとは……面倒なことでも率先してやれる自分になろうと決めた。
親に言われて勉強をするのが嫌なら、最初っから勉強すればいいのだ。言われてやることっていうのはダルいことだから、なら言われる前にやってしまえばいい。あ、だからって勉強漬けで体力がないのもだめだよな。運動もしよう。
そうして、急に変わってからは心配されたり気持ち悪いなんて言われたりもしたけど……俺はその気持ち悪いを貫き通した。頭の活性には筋トレもいいと聞いたので、ただの運動……ジョギングだけではなく、筋トレもするようにした。筋トレのあとにスロージョギングとかするとめっちゃ脂肪が燃えるとか聞いたことがあるけど、俺の場合は脂肪云々よりもヒョロすぎる。もっと食おう。
「はぁ……ふぅ、よしっ」
運動を続け、筋トレを続け、勉強も続け、その日々に汗をぬぐいながら息を吐く。
べつにイジメがあったとかそんな理由はない。ただ、短気を起こして自己嫌悪をしたことが結構あったのだ。それが嫌だった。嫌じゃないか? あの、妙に息苦しい時間が続くあのー……なに? 空間っていうか時間っていうか。
だから、そんな自分を変えたかった。自分改革ってやつだ。まあそれだけで自分がパッと変わるなら苦労はしない。ので、習慣自己催眠ってやつにも踏み出してみた。
毎日毎朝毎晩、鏡の中の自分に説くのだ。お前は心が広いやつだ、お前は滅多に怒らないやさしい奴、だけど言いなりになるような馬鹿じゃない。だから頑張れる。頑張れ、すっげぇお前になれ、みたいな感じで。
そんな言葉を無駄にしないためにも、自分が自分に呆れ、落胆してしまわないためにも、運動は続けたし勉強も怠らなかった。
でも……立派になりたかったわけじゃない。ただ、自分に呆れちまうような自分にはなりたくないなって、思っただけだった。きっかけなんてそんなもんだろ?
……。
ある日、出会いがあって、その人と付き合い、一層に好きになって、その先で裏切られてフられた。思ってたのと違うんだそうだ。よくわからん。でも俺だって“こっちのセリフだ”とは言いたい。裏切んなよばか。他に好きなヤツが出来たんならちゃんと別れてから付き合いやがれよ馬鹿。
「はー……信じらんねぇ。キープとか有り得るかよ…………」
「っはは、女って怖ぇわー……。ま、俺はお前みたいに誰かと付き合う~とか告白される~とかないから、一時でも恋人関係~とかそんな女が居ただけでも羨ましいわ」
「うるへー……人を好きになるって、それだけでも結構体力使うんだぞ……? フラれてここまで体が重くなるとか想定外もいいところだよ……」
「ていうかそれ、フラレた云々よりも裏切られたダメージだろ。そりゃ体も重くなるって。いつまでも気にしてねーで次進め次」
「……しばらく女とかいい……」
「こりゃ重症だな。はー、しっかし中途半端に美人さんだと心も歪んでくるのかねぇ。大方ちやほやされて、元々移り気が多い感じに育っちゃった系のやつだったんだろ」
「…………まあ、そんなケ、あったかも」
「忘れろ忘れろ、どーせ新しい男ともすぐ別れるに決まってんだから。そういうヤツってなぁな、男が言い寄ってくるもんだからそいつらン中からワテクシに相応しい男をワテクシ自らが選んでやるアマス、みたいな感じで選り好みするに決まってんだ。んーで、大体は最初の男に戻ってくる。なんにせよ比較しちまうからな」
「うーわー、すっげぇ手前勝手……」
「お前はたぶん、図書室とかで大人しく読書してるタイプの女子の方が似合ってると思うぞ? 成績優秀でスポーツも出来てそこそこ顔もいいってんで寄ってくる女よりは、お前はそういうヤツを選ぶべきだ」
「それお前の好みじゃなくて?」
「俺は俺を好きになってくれるおっぱいでけぇ子なら生涯をかけて愛する覚悟がとっくの昔に出来ている」
「一息でなんてひでぇ……」
時分は中学。そこで友達になったそいつとは、結局大学卒業までツルんで、一緒に随分と馬鹿をやった。
それぞれ恋人も何度か出来たし、ダチのそいつは“恋人段階で重すぎる”と言われてフラれること数度。俺は……やっぱり思ってたのと違うとフラレること数度。
しかし高校3年の時、ダチの言う通り図書室で知り合ったそいつと深い仲になり、同じ大学に進学、卒業、きちんと仕事も決まってから入籍、夫婦になった。お金を使うことに興味がなかったそいつは結婚式は望まず、けれどそのくせものすごーく俺にべったりさんな不思議な女性だった。
誰かが自分を好きになってくれたなら、自分の全部をそこに置きたいとずうっと思っていたそうだ。重い、って思われたってこれは性分だから、なんて笑って、彼女はずっと俺の傍に居てくれた。
手を握るのだって真っ赤になって、抱き締めるのだって真っ赤っか。初めてのキスなんて、ゆっくりしようか、なんて言っておいたのにトペ・スイシーダの如く勢いよく突っ込まれ、歯が折れるかと思った。
ただ、彼女も俺もどうやら尽くすタイプだったらしく、お互いを尊重し、時にはぶつかり、そのたびに笑っての付き合いが長く長く続いた。
思うことは過去の自分。
あの時自分改革をしなかったら、こんな自分にはなれなかったんだろうなってこと。
それを強く思った瞬間といえば……娘の反抗期が始まり、それが治まることを知らないと思った頃だっただろうか。
短気になるなと、そういえば昔に自分に言い聞かせたなぁ、なんて思い出させるようなことがほぼ毎日起こるようになった。
お父さんの洗濯物と一緒に洗濯しないで~は当然あったし、俺が使用したものはとことん使わない、触れようとしないのはもちろんのこと。そして誰の入れ知恵なのか、やたらと男親のことを悪く言い出す。友達が来た時は、部屋で遊んでいればいいのにわざわざリビングに来てまでクスクス笑ってボロクソに貶してくる。
友達の手前、さらには俺が特に怒ったこともないからと、言いたいことを言える自分に酔っている部分もあるのだろう。そこんところは“ああ、俺の子なんだなぁ”なんて思わせる。改革する前の自分を見ているようで、ひどく滑稽だ。
中学高校と、あまりいい友達には恵まれなかったんだろうか。他人の親の悪口を言うようにそそのかす相手となんで付き合ってるのかは知らないが、まあ娘の人生だ。俺には関係がない……とは言わないけれど、ああ、うん……この子はどうして、生活の維持をしている存在にそうまで邪険に出来るのだろうなぁ、と……たまに思う。
俺が自分を変えようって思ったのは、それをあの頃の俺が自覚したからだ。
だから親の期待には最低限応えようと思った。遊びたいなら学費払ってまで学校に行く必要なんてない。ここに行きたいと志望校を決めて受験して、安くはない金払って行く意味なんてこれっぽっちもないだろう。親は子に学んでほしいから学校に行かせる。そのくせ、子供ってのは自分で選んだ道に歩を踏み出しておきながら、出会いや遊びに明け暮れて、最低限の親の希望さえ叶えない。
なんだそりゃって思う。
そのくせこちらには不満ばかりを口にして、なんとこづかいまでせびるというのだからたまらない。子供ってのはそんなに偉いのか? そんなわけはないだろう。そう思えたから自己改革は始まった。運動も勉強もバイトもした。初めての給料でケーキ買った。そこで俺は二人が甘いものが苦手なことを初めて知って、三人でケーキを前に沈黙したあと大笑いしたっけ。
ケーキはしっかり三人で食べた。あめーあめー言いながら食べる親は、それでも頬は緩みっぱなしで。そんな事実に俺の頬も緩み、でも次はせんべいの詰め合わせとかにしてくれって言われた時はコンニャロメと思ったものだ。
待っていればなにかが変わるのだろうか。
娘の何かがいつか変わるのか。それは分からないけれど。結論をすぐに出してしまうものでもないと、思うことにした。変わらず、やさしさと愛情は注ぎ続けながら。
妻との関係は相変わらずだ。娘がどうだろうと妻を愛しているし、妻も今でも結構赤面する。娘が自分の部屋をねだってからは、三人で寝ていた寝室も妻と二人。休みの日にはデートもするし、二人してめかし込んで手を繋ぎ腕を組んで、そんな状態でたまぁに親友に出会ったりすると、「あいっかわらずラブラブだなコンニャロ」とか言われる。
親友も相変わらずだ。あれから何度か出会いとフラレを経験したのち、会社の後輩に告白され、付き合いが始まったとか。今では結婚もして子供も居る。関係も良好。ていうかむしろ裏切られたら自殺するわとまで言えるほどに好きらしい。まあ、それは俺も同じだ。
「またフラレた~だの言ってた学生時代じゃ考えられない関係だよな」
「言えてる。あの頃の好きも確かに好きだったんだろうけど、今じゃ種類が違うって分かる気がするよ」
「だよなぁ。あ、でもさー、最近娘が俺のこと嫌いだしてさぁ」
「あー……男親の宿命ってやつ? 俺なんて随分前からだから諦めろ。愛情は注ぎ続けてるつもりだけど、毎度キッツい態度と言葉で返されて、いつか心折れそうで怖いよ」
「照れ隠しとかじゃなくて、アレマジで言ってるよな……? や、明確に俺が悪いことしたとかなら分かるぞ? でもいきなりとかひどいだろ。しかもガッコの友達とかになんか吹き込まれてるのか、お父さんが入ったあとのお風呂とかやだー、とか……」
「……俺もとっくに通った道だよ。だから一緒に入ってくれる妻が愛しすぎて……ッ!」
「羨ましいなチクショウ! お前らまだ一緒に入ってんの!?」
「ひゃっ、わっ……ななななにも暴露することないでしょう!?」
「ごめんなさいでも愛してる!!」
「~……わっ……わたし、も……変わらず、愛していますよ、ばか」
妻とは、うん。妻とはラブラブなのだ、マジで。
親友も羨むほどの関係で、逆に……妻に対する愛がそうであればあるほど、娘の冷たさが心に刺さるのだ。こういうものはいつかは治まるものだっていうけど、じゃあそれはいつの話なんだろう。いつしかすることもなくなった自己催眠にまた頼らなければいけないほどの我慢を強いられた先に、果たして……そんないつかを笑顔で迎えられる日は来るのだろうか。
……。
高校生になっても娘は変わらない。
風呂の順番に口を挟むし洗濯云々にもギャースカ。お前な、風呂沸かすのも洗濯するのもタダじゃないんだぞコラ。そうは思っても、軽い注意に留める。
途端に「うざ」だの「~……っさいなぁ……」とかが返ってくる。
義務教育終わったあとの方がクソガキ感増してるって、最近の子供ってどーなってるんだろうね。俺ゃ親として頭が痛いよ。ていうかウザいって言葉最初に言い出したのは誰なのかしら。顔面ブン殴ってやるから今すぐココ来い。
高校行っても成績は振るわず、遅い時間まで遊んでばっか。心配するのも疲れたのか、嫌気が差したのか、妻はもう娘になにも言わない。俺はそれでも言葉を投げかけ続けているけれど、やっぱり「うざ」とか「うっさいなぁほっといてよ」ばっかり。うーん、たまにマジに思うことあるけど、殴っていいですか? 顔面真っ直ぐストレート。鼻? 潰れますがなにか? ……よくないですね、よーし自己催眠の時間だオラァ!!
そうして自己催眠をしていると、鏡に映った……泣きそうで情けない顔の俺が、そうは思ったわけでもないのに自己催眠の言葉を放つ前に言った。
「……なぁ。俺、人間でいていいんだよな? 親になるって、人間を捨てることなのか?」
……え?
続いて出た声が、疑問だったもんだから途轍もなく驚いた。言うつもりなんてなかったのだ、そんなこと。本当にどうしてこぼれたのか分からないくらい、俺は人間を捨てているのだろうか……と考えて、なんだか急に涙が止まらなくなった。
……。
仕事帰り、たまたまたむろしてる学生たちを発見。しかも娘も居るようで、ハテ、なにをやっているのかと物陰に隠れつつ……ではなく、丁度死角にある自販機で飲み物を選ぶフリをしつつ耳を澄ませば。
「ていうかさ、親ってちっとも愛情とかくれないじゃん? 子供はこんなに苦労してんのにさー」
「言えてるー! 求めてるのはそういうのじゃないっていうかさー!」
「話し始めたと思っても話題とかこれっぽっちも合わないし、なにそれって感じでさー?」
「そうそうそれそれ! そのくせなんか必死でさー!」
「きゃはははは! ウケるー!」
………………。
空を見上げた。遠くの空が真っ赤だった。
……なんだろうな。反抗期を迎えて、今までの関係が崩れてしまっても、自分の家族なんだから、娘なんだからとどれだけ必死になっても……その必死さを笑われる気持ちは、分かってもらえないもんなんだな。
お前たちは親に、自分から話しかけに行くか? 行ったとして、それは金の無心であったり、都合の悪いことを押し付ける時のみだったりしないか? そして……そして。お前らは、少しでも父親に話を合わせようとしたことがあったのだろうか。
親が子を思う必死さは、ウケるなんて言われて笑われるようなものでしかなかったのか? 歩み寄ればウザい、うるさいなぁと言われるようなものは、くれない愛情とやらでは無いと言うのだろうか。
「子供は苦労してる……か」
満たされているだろうに。なにもせずとも食事が出て風呂も入れて洗濯もしてもらえる。お金だって貰えて、面倒なことは押し付けられる。そこにどんな苦労があるのか……俺はもう、忘れてしまった。
……。
娘が高校を卒業、大学に行くというので、その大学に近い部屋を取った。
娘は急な一人暮らしに渋ってもいれば、期待もしていたりしたようだ。この自宅から通う、という選択肢は選ばせなかった。生活費の最低限は出す。けど、それ以外の遊ぶ金なんかは自分で稼げと言った上での独り立ち。
どうしても行きたい大学がある、と言った娘に出した条件がそれだったのだ。
娘の性格は直らなかった。反抗期をこじらせたまま、親はうるさいもの、みたいな態度を崩さない我が子といつまでも暮らすのは、正直辛い。それでも親か、なんて言い出す奴もまあ居るのだろう。あんなやつに養われてるとか考えるだけで嫌だわ~とか言ってるのを聞いてしまえば、溜まっていたものが爆発してしまう前に思ってしまうのも仕方ないと思ってほしい。……ちなみに、爆発するのは俺じゃなくて嫁なので。
まあ、そりゃなぁ……俺も産まれたのが息子だったとして、俺の愛してやまない嫁を顎で使うような態度や、金をせびったり困らせたり、ババアなどと言い出した日にゃあ躊躇もなく拳を振るう覚悟がございます。容赦? するわけがない。
生涯愛すと誓った我が最高の嫁を侮辱することは家族だろうが許さん。それを嫁に言ったことがあるんだが、途端にホロリと涙され、わたしも娘に対して同じこと考えてる、あなたが侮辱されることが辛くて仕方がないと言われた。
親としては、とか言われると世間一般じゃあダメなんだろう。こんな考え方は、それこそ世間一般的にはガキっぽい考え方なんだろうし。
でも、たとえ家族だろうと嫁or夫を馬鹿にされて黙ってるのってヨシって言える? 俺は言えない。嫁も言わない。なので結論。
ガキが子供なんざ作るべきじゃない。
ガキは親になんかなるべきじゃない。
結局はこれなのだろう。
……。
数年が経った。
元々贅沢をしない俺達夫婦は、そうと決めたわけでもないのにお金が溜まり、結婚記念日や誕生日が来ると軽い贅沢などをして過ごしていた。
結婚記念日は誰に遠慮することもなく二人きりで旅行に出かけ、誕生日にはお互いを労わり合い、感謝をし合い。いつまでも一緒にを願う俺達は、食事にも運動にも気を使っている所為かご近所でも若々しいと評判で……や、まあ、まだまだ若いつもりだし、なんなら夜の営みもまだまだ続いている。旅行に行った時なんて羽目を外してハメまくり……ゲフン。うん、だめだな、親父ギャグがぽろりと出るようでは確かに歳だ。
子供はもう流石に懲りたので、安全日以外はスキンは欠かさないし、妻は安全日でもピルを飲む。もう、本当に懲りてしまったのだ。
……子供を宝だと思えた瞬間はどれだけあっただろうかと時折思う時がある。
つい先日、随分とまあ久しぶりに娘が家に来た。嫌な予感がしたので玄関前で対応したが、なんの用かと訊いてみれば金の無心だ。遊びすぎて生活費が足りないんだとか。仕送りはしているし、もう大学も出て働いているだろうに、どうしてと訊けば、ホストにハマったんだと。思わずため息が出た。ああだめだ、こいつ本気でクズだ。子は親の宝だ、なんて言う全世界の親達よ。……子供をクズと思う親は、親失格だと思いますか?
いくら必要なんだと一応訊いてみれば百万くらい貸してくれないかなぁとヘラヘラ笑いながら言った。どうせ趣味もなく溜め込んでいるんでしょ、だの、働いてみて分かったけど、とーさんって給料だけはよかったんだねー、だの。
こい、つは……本当に……どこまで───
ぎり、と拳を握り込んだ途端、こいつへ向ける感情が死んだ。
隣に立つ妻が握り締める拳をそっと両手で包み、だめだよ、と小さく呟いて。
結局俺は娘に100万を包んだ。大喜びでそれを受け取った娘は感謝も言わずにとっとと帰った。悔しさで泣く妻に、我慢を強いたことへの謝罪を告げて───俺は妻に引っ越しを提案。マイホームはとっとと売りに出して、遠く離れた県へと誰にも引っ越し先を告げずに発った。
丁度、会社から出世の話が出ていて、他県の方での仕事を任されたのだ。
それに乗っかる感じで、当然娘にも言わずに。
俺と妻はそこで新しい家を買って、二人暮らしなら十分な広さのそこで、のんびり過ごすことにした。
ご近所さんにも仕事の仲間にも恵まれて、今ではストレスのない暮らしが出来ている。たまにあの頃の友人に“会って飲まないか~”なんて誘いが来る。けど、会話は慎重に、どこに住んでいるんだ、なんて言葉には絶対に乗っからないようにしている。
こういう時に、ああ、俺はガキだなぁなんて思うのだ。後悔なんて何度したかも忘れてしまった。
「~……ぱっはぁ~っ! いやぁ~久しぶりだっ! 元気してたかよっ!」
「今の暮らしが楽しすぎてたまらん。もうあの頃には戻れないな、これは」
「あ~……引っ越したの、やっぱ娘さんが原因か。てか場所くらい教えてくれてもよかっただろ」
「嫌だね無理だ絶対に断る興信所なんて使ってみろ刺し違えてでもぶち殺すぞ」
「お、おう……マジな目やめろ、な? いやまあ……お前が娘さんの所為で苦労してきたのは知ってるしな、聞いたって言うつもりもねーけどよぅ」
「どこから漏れるか、どこに耳があるかもわからん。だから嫌だ絶対に嫌だ俺と妻の平穏は俺達だけのものだ」
「……ちっと前に娘さんと会ったんだけどな。家に知らん誰かが住んでてびっくりしたってよ。引っ越したこと教えたら泣きだした」
「で?」
「おっ……おいおい、怖い顔すんなって、な? あ、あー……その。100万、渡したんだろ? 娘さんに」
「……で?」
「あっ……ああもう! 命かけてもいいからその目を俺に向けるのやめてくれ! 俺は! お前の味方だ!」
「それを決めるのはお前が言いたいことを言ってからだ。俺は何度も言ってるぞ? ……で?」
「……あの。お前の娘さん、そこまでヒドかったん?」
「……で?」
「……………………OK、余計なことは言わん。あとお前をここまで怒らせるとか、俺も信用できなくなってきた。……とにかく、娘さん、貰った100万でいろんなもん清算できたんだと。ホストにハマってヘンなところから金も借りて、ホストにはいいように振り回されて、気づけばホストを紹介してくれた長い付き合いの友人も消えてて、残ったのはぼっちの自分と借金だけ」
「………」
「大学時代にバイトだの家事だのやって、自分のためにしなきゃいけねぇこと全部を自分でやってみて、初めて親がやってることの大変さを知ったんだと。むしろバイト始めた時は、バイト先の先輩に高校でバイト経験してなかったことを随分と馬鹿にされたらしい。馬鹿に、っていうか、正論突きつけられて喧嘩したんだとさ。高校は親が金だしてくれたから遊べたのに~とか愚痴ったらその先輩が怒ったらしい」
もっと言ってやってくれ先輩とやら。……もう遅いか。
「そんな先輩にも反発しながら家事もやって大学も、なんてやってりゃそりゃストレス溜まるよな。そんな時に友人にホストに誘われたんだと。その時は先輩が止めてくれたらしいけど、まあ、反発ばっかのやつがそんなこと言われりゃ逆の行動取るよな? ホストには行かなかったけど、別のことで散財し出したんだ。一応それでストレスは解消できてたらしいんだけどな、その友人が娘さんに金をせびり出した。せびるっつか、財布忘れたから貸しといて、だな」
「アホだな」
「即答だなおい。や、まあ払っちまうのは相当アホだとは思うが。そんなことが何度か続いて、けどちっとも返さねぇから娘さんも怒ったそうなんだが、逆切れされて絶縁、ろくでもねぇ噂を大学で吹聴されて、金に意地汚いなんて言われるようになったんだとか」
「……なぁ。長々と聞く気はないぞ。結局、それで、どうなった」
「…………ああまあ、大学卒業して就活して、会社務めになったらしいけど苦労してんだと。なにより態度のことで一時期立ち直れなくなるほどボロクソに注意されたとかでな。その時つい“親が教えてくれなかった”なんて言っちまったとかで、“社会人としての常識を親から教わろうなんてお前馬鹿か!? なんのためにガッコ通ってたんだ本当に馬鹿か!? 逆に親御さんが可哀想だわ! 親は馬鹿を作るためにガッコ通わせてんじゃねぇんだぞ!? いつまで適当やってりゃ良かった学生気分だ!”と怒鳴られて、今さら罪悪感が沸きすぎてきたとかでなー……。で、たまたま会った俺に“本当に馬鹿なことをした。親孝行も出来ないでごめんなさい。今まで本当にごめんなさい。お金を返したいので会ってください”だと。会うことができたらそう伝えてくれって」
「あ? 嫌だが」
「即答だなぁ……」
「即答もします。ええ、私も嫌です」
「……なぁ。お前らの娘さん、どんなことすりゃお前らにここまで嫌われんの……? 学生時代になにされてもとことん怒らないから菩薩夫婦とか、いっつも笑顔だからえびすカップルとか呼ばれてたお前らを……」
「親だから、でいつまでも子を愛せるわけがないだろ。それが出来るのは、子も親を好きでいる努力をした時だけだ。毎日人のことをボロクソ馬鹿にしてくるヤツが、俺と妻が頑張って買ったマイホームに我が物顔で住んで、人を馬鹿にして見下す毎日をどう思う? 金を返したいならお前にでも預ければよかった話だろう? 俺は会いたくもない。というかだ。返せる100万があるならそれで好きに生きればいい。俺達はもう二人で幸せに暮らしている。孝行したいなら会いたいだなんて思わないでくれ」
「……な、なぁ。あのな? 娘さん……な? お前に100万借りるときに、いろいろ覚悟決めてたらしいんだ。今さらしおらしく頼って何様のつもりなんだろうって。それなら嫌われ者のままで借りた方が、きっとお互いにダメージも少ないだろうからって」
「───」
友人の目を見て、深呼吸。妻もそれに倣って、それから俺の手を握ってきた。
「嫌われ者のままで居る覚悟を決めたのなら、何故今になって金を返すなんて言うと思いますか?」
「へ? や、そりゃー……関係を取り戻したいから……とか?」
「ああそれ無理ですね、とっくの昔に手遅れです。ああ、あの時の行動にはそんな意味が、なんて状況に心を温められるほど、もう温かな心など残っておりませんから」
「うわー……そ、そこまで?」
「意地張ってるガキかよ、なんて鼻で笑うなら好きにするといい。学生時代に遊び惚けて、メシは食い散らかすし部屋の掃除は母任せ。金が無くなりゃよこせと言って、人の金をアテにしては、風呂には自分が一番最初に入ると言うくせにいつまでもテレビをつけながらスマホをいじり、こちらも仕事があるからと入ってしまえば風呂の湯を捨て掃除して沸かし直してなどとのたまう。注意をすれば即座にキレてウザいだのうるさいだの。高校卒業まで耐えさせたのもそうだが、大学の頃も仕送りを贈っただけで十分だろう。その金の全てをホストに使われた挙句、連絡も無しに急に帰ってきたと思えば金の無心? 悪いことをしたなら謝罪をする。それすら自分の都合でしない、しようともしない者に、今さらどうしろと?」
「い、いや、けどな? 一度くらい会ってやっても───」
「会うわけがないだろう。ダメージがどうのと勝手な理由を振りかざして謝りもしないやつと、これ以上どうしろという」
溜め息を吐きながら言うと、友人は言葉に詰まりながらも溜め息を吐いて片手で顔を覆った。
「……こっちも娘が結構ひねくれてるから強くは返せねぇけどさ。一度会ってやれって。お前もしこれ以降、娘さんに会わないまま不幸があったりしたら、いつかこの日のことを───」
「それは俺の後悔であってお前には関係が無い」
「ォァー……え、え? あの……マジ? 娘さんそんなにヤバいのか? 俺と話してた時は結構、こう……」
「家族が家族を大事にしようと頑張っている時に、家族を大事にしようともしないどころか級友連れ込んで笑いながら見下す奴を、いつまで家族と思い続けるかなんて人の勝手だ。ガキみたいな駄々をこねているだけだろうと思うならそうしろ。だったら俺はこう返すよ。“ガキが子供なんて授かろうとするもんじゃない”。世の親っていうのはこんな気持ちさえ飲み込んで受け入れてるんだろうな、頭が下がるよ。けどそれは他家の事情であって俺達とは関係がない」
「ええ、謝罪を受け取ります。けど会いません。100万も要りませんので」
「えー……」
友人は随分と困惑しているようだった。酔いも醒めたのか、頭をコリコリと掻いて、だはぁと溜め息を吐く。
「まあ、もう社会人なんだしお前の方で覚悟決まってんなら俺がどーのこーの言う必要なんてないわな。わぁった、飲み直そう。ってか、気分悪くさせちまったな、ここは俺が払うから、好きなだけ飲んでくれ」
「いや、飲みはしない。食いはするけど。運転俺だし」
「じゃあ嫁さんだけでも───」
「私も飲みません。なにかあった時に運転するのは私ですから」
「支え合ってんなぁあああ……羨ましいぞチクショイ。なぁ、娘さんを愛さなかった~とか一番大事な時に構ってやらなかった~とか、そんなことがあったわけじゃないんだよな?」
「出来ることはほぼほぼやったさ。最後は、あいつが俺達両親より悪友の言葉を信じてホストに貢いで、金が無くなったから俺達に金を無心してきた。その際に親子の会話よりもダメージなんてものを優先させた。それだけだ。次はどんな用で来るんだろうな。不倫騒動に巻き込まれて慰謝料を代わりに払ってくれ? それとも別の借金の話だろうか」
「…………なんか、すまん」
「……分かるだろ、なぁ。子供がこづかいの前借を要求するのとは違う。社会人が金を要求する理由や意味ってのは大体がろくでもないことだ。俺はなにを信頼して、なにを信用すればいい? なにを信じて頼れば、なにを信じて用いれば、俺たちは子を授かる前のようになんの不安もなく未来へ希望を抱いて毎日を笑顔で生きられる」
「……いや、悪い。俺もな……いつかは娘も分かってくれる、高校に入ったら、大学に行ったら……社会に出たら……そんな期待を何度もしてきた。それでも娘だから……あいつにしてみりゃ俺達の都合で勝手に生み出した命だから、なんて…………昔はさ、俺んちもあんま裕福じゃなかったし、もし俺が子供を授かったら、うんとやさしくして幸せにするんだ、なんて思ってたよ。でも……どれだけ手を伸ばしても、相手が受け取ってくれないんじゃ……意味、ないんだよな。わかってる、ずっとずうっと手を伸ばすのなんて楽じゃねぇよ。いつか疲れちまう。他人事だから言ってられる綺麗事だっていっぱいあるし、むしろそんなんばっかだ。自分ちじゃない別の誰かが和解出来るなら、いつかはうちもって希望を持てるって、そんな勝手なこと考えてた」
「結果は?」
「お前はさ、強情な奴だよ。でも、最初から誰かとの関係を諦めるようなやつじゃない。そんなお前がこうまで頑なってことは、それだけ頑張って、だめだったってこった。……そんなお前にお前が希望だったのに~なんてアホなこと言う気もないし、言うのもお門違いもいいところだ。んで、俺の方は嫁さんが娘に引っ張られて性格歪んできちまってる。娘が俺の悪口言うと否定するどころか賛同することだってある。だから期待しちまった。先駆者のお前がなんとかなれば、うちもなんとかなるんじゃないかって。無茶言ってくれるよな、娘がどっから仕入れた情報か知らんけど、こっちがやってる仕事の事情も知らんで好き勝手言って、それに賛同されようがこっちになにをどうしろってんだ。じゃんけんでグーしか出さない仕事に、パーを出せって言ってるようなもんをそうだそうだその通りだって、俺にどーしろっての」
「……たまにさ、自分のこと、ガキだな~とか全然成長してねーなー……って、思うよな」
「あー、それ。ほんとそれ。でもさ……俺らだって人間なんだぜ……? 悪口言われりゃ傷つくし、俺が入ったあとの風呂になんて入りたくない、なんて言われりゃ泣きたくなるんだ。そのお湯張るための金稼いでんの、俺なんだけどな……はは」
掴んだままのビールジョッキを握る手に、ギウウ……と力がこもり、震えているのが分かる。本当に、なんでこんなにやさしくない未来にしか辿り着けなかったのか。
やさしくするんじゃなく、厳しすぎるくらいに接すればよかったのか? いっそ突き放すくらいにすればよかったのか? ……違う。出来ることは、それこそ飴も鞭もやってきた。そんな中で何が一番娘に影響を与えたのかといえば、学友でしかなかった。
どれだけそれはだめだと言ったところで、俺達は学校での経験に口を出せない。何故なら集団心理ってものがあるから。俺達の言葉よりも、学校っていう、集団の中で過ごすための処世術を身に付けなければいけないのなら、俺達の意見なんて後回しにするべきだ。
でも……それを当然とばかりにいつまでも続けるのは……違うだろう?
「離婚すっかなー……一緒に居たくない理由も証拠も随分集まっちまったし」
「録音?」
「録音。ひっでぇぞ? 聞いてみる?」
「んにゃ、やめとく」
「だよな、自分家でも大変なのに、他の家の騒動なんて聞きたくもねぇ。あーあ……お前ん家が親子関係良好で笑顔溢れる場所になった、なんて報告を聞く日を、楽しみにしてたんだけどなぁ……」
「……悪い」
「あ、あー悪い、いや、こっちが悪かった、すまん。こんなこと言われても困るよな」
ぽろりと涙をこぼし、ぐいっとビールを飲む友人。つまみも乱雑に口に放り込むともう一度ビールで流し込んで、派手にゲップを吐き出した。
「うあー……ほんと、結婚生活とかめちゃくちゃ幸せだったのに。あんな本性、知りたくもなかったぜ……」
「お前、これから自分の家に帰るのか?」
「んにゃ……もう十分証拠取ったから、やっすいホテルに行く。そっからはもう弁護士の仕事だ」
「え? ……や、証拠証拠言ってたけど、まさか浮気か?」
「おー。それも、俺と結婚する前からっぽいんだ。信じられるか?」
「よしやっぱり録音聞かせてくれ。全力で手伝う」
「わたしも。クズは許せません」
「お前ら……っ……!! ちくしょうお前ら好きだー!! 愛してるー! 俺の友達でいてくれてありがとうよっ! ありがとうよぉおおっ!」
「いやすまん、俺妻だけを愛してるから」
「わたしも無理です夫だけを愛していますので」
「そういう意味じゃねぇよ!? 俺だってお前らのラブラブっぷりが大好きだわ! お前らが離婚とか言ったら世界のなんにも信じらんねぇよ! ……あー……じゃあ、一応お前の住まいのお話とか───」
「「それはダメ」」
「デスヨネー」
……やっぱりどっかでうちの娘のことに首を突っ込んでいるんだろう。
実は浮気をしているのはこいつで、その相手がうちの娘とかだったらもう盛大に笑ってやるが。なんてことを言ってみると、「お前ね。確かに俺ゃお人よしだなんだって言われてきたが、娘ほど歳の離れた女なんて興味ねぇよ」と言ってみせた。
「それに、俺の血が入ってるかはわからねーけど孫もちゃんと親に見せられたし、もーいーだろ。俺はこれから一人で気ままに生きるさ。孤独死した時はまあ、いつかどっかで拝んでやってくれや」
「……そだな。俺達もいつかそんな風になるかもしれない。二人きりのほうが気楽でいいしな」
「……うん。愛しています、あなた」
「ああ。愛してる、おまえ」
「ちくしょうやっぱり羨ましいなぁくそ! 俺もそんなパートナーが欲しかったよちくしょう!」
どぅあー、とへんな声で泣く友人を二人で励ましながら、その日は終了。
後日、友人はしっかりと離婚。俺達も知っている友人の奥さんは慰謝料を請求され、しかも貯金の使い込みまで露見することとなり、両親にすがりついてチョッピングライトされて気絶したそうな。
うちの方も……友人から娘に話は届いたそうで、もう会いたいなんて言葉を言われようが、友人が話を通さなくなった。ただ、本当に100万は返すつもりだったらしい。その意思だけは受け取ってやれ、とは言われた。金は受け取らんし、今さら仲良し親子なんて絶対無理だけどな。
ガキは子供を作るもんじゃないのだ。大らかな心で迎え入れるとか、時間の解決に身を委ねることも出来ない俺達は、結局のところ、そんな存在なのだろう。これからの娘の方が、よっぽど立派な親とかになれるんじゃないかね? 知らんけど。そんなわけだから───時が過ぎて、娘が結婚したと聞いても“そうか”で終わり、子供が産まれたそうだと聞いて“ほ~、それで?”で終わった。
ていうかなんでお前はわざわざそんなことを報告してくるんだ、と訊けば、「俺だって娘ちゃんが報告してくれって言ってくるから!」と返された。断ればいいだろうに。
……ちなみに、友人の元妻は金持ちの再婚相手とよろしくやってるそうだ。友人と結婚する前から関係があったそいつは随分とまあ金持ちで、DNA鑑定の結果、娘もそいつの子であったことが判明。友人はとんでもねぇ額の慰謝料を手に入れはしたけど、「……女なんてみんなクズだ。もう俺の方こそあんなやつらの後の風呂なんざごめんだ」なんて呟いていた。とっくの昔に離婚してるだろうが。
まあ、人を騙した存在の誰しもがひどい目に遭ってくれるわけじゃない。
世の中全自動でざまぁな将来に辿り着いてくれる案件なんて、そうそうないのだ。
けどまあ───
「ま、ただ、娘にとっちゃあ随分とダメージでかかったみたいだけどな」
「? なんでさ」
「本当の父親があんまりにクズすぎてドン引きしたんだと。正式に家から出ていく時、泣いて謝られたわ」
「ほほう。して、そちの反応は?」
「今さら遅いわ一択で」
「今度こっちのいい酒でも送るわ」
「俺も今同じ県住んでんだよ!!」
そう、友人は“やってられん”と住んでいた家を売却、俺達が住んでいる場所の近くへ引っ越した。なので俺達の娘の近況はそれ以降聞いていないが、もう結婚してるならどうとでもやるだろう。
「ていうか遠くに行きたいって適当に引っ越した先にお前が居るとか、こっちがびっくりだったわ。こりゃあれか。友情の為せる業か」
「嫁に手ぇ出したらお前でも許さん」
「しねぇってのばかっ!」
「夫をいかがわしいお店なんかに誘ったら夫の友人でも許しません」
「その遠回しな言い回しな私と貴方は友達じゃないけど宣言やめろよ! 学生時代は俺も友人してたろうがよぉ!」
「しかし、娘が子供をねぇ。どうなることやら」
「子供の性格が良ければなんとかなるんじゃね? 俺ャ知らん」
「ああ、そりゃそうだ」
「ふふっ……ええ、そうですね」
「あー……いーなーラブラブ……。俺も金だけはあるから、家政婦さんでも雇うかなぁ……」
「通報しなきゃいけないようなことだけはやめてくれよ」
「お前は俺をなんだと思ってんだ」
「密偵……?」
「お前は俺をなんだと思ってんだ!?」
俺と嫁の言葉に、今日も今日とて赤ら顔で賑やかな男は、俺も恋がして~……なんて呟いて、酒を飲んでいた。
「てかさ、なんで嫁さん、酒飲まんの。下戸?」
「俺も嫁も、お互いで二人きりの時しか飲まんよ。別のやつに前後不覚の自分なんて見せるもんか」
「あー、そーそれ、俺さ、嫁とそういうことしてみたかったのよ。なのにあのクズと来たら……!」
「まあ、浪費癖のある金持ちなんて、金が無くなったあとに地獄を見るって相場が決まってるもんだ。のんびり生きていけばいいだろ」
「はぁ……だなー……」
「あの」
「お? なになに嫁ちゃん。俺に訊きたいことでも? スリーサイズはムキッ! モキッ! ムッキィーン! だ!」
「こいつ昔からガタイだけはよかったんだよな……」
「いえべつにあなたの筋肉には一切の興味がありません」
「面と向かって冷えた表情でひでぇ!? じゃ、じゃあこいつの筋肉は? 夫の筋肉さんは~……」
「………」
「一途な女性ってそれだけで羨ましいなぁ……。体の上から相手の裸を想像して赤くなるとかウヴすぎだろおい……あ、でー……なに?」
「…………訊きたいこと忘れてしまったじゃないですか……!」
「あらそりゃ残念、まあまあ落ち込まんと、旦那の肉体でも想像して赤く熟してりゃあいーだろ。つまらねぇ話なんて忘れちまえ忘れちまえ。残してきたものはもう成人してんだ、俺達は俺達でのんびり暮らしていこーや」
……友人の言葉に、素直に頷くことが出来た。
今の時代、在宅で出来る仕事が増えてきてくれたお陰で、俺も嫁もいつも一緒だ。
こんな調子で田舎みたいなこの場所で、のんびりスローライフを送るのも悪くはないだろう。
スローライフって言ったら異世界ものな気もするけれど、俺はこの日本の地が性に合っている。なので、まあ。ずっとずっとこんな感じで、じーさんばーさんになるまで馬鹿やっていきたいなと思う今日この頃でした。
「……ところでお前、ほんとの本気で娘さんのことはいい?」
「いーっての。あ、どうなったっていい、って意味じゃないからな? 人として普通に暮らしてくれりゃあ分かることもあるだろうって話。それすら分からないなら……人としてやべぇ」
「ま、こっちもそんな感じかね。てか今さらいろいろ縋りつかれたって“誰だテメー”って言えるレベルで赤の他人どころか紅蓮のよそ様って感じでどーでもいいわ」
「……そういえば赤の他人の赤ってどういう意味なんだろな」
ふと頭によぎったことを口にしてみる。その前に話していた娘の人生については、まあ娘がどうにでもするだろうと思えるからどうでもよかったのだろう。
「色の赤には、明るい、明白、という意味があるそうです。火の赤を思い出していただければ、なんとなく想像はつきますよね。そういうところから、明るいの“あか”から取って、明白な他人……赤の他人、となったと言われているそうです。他にもいろいろ説がありますが、大体はそんなところらしいですよ」
「……いいなあ。旦那の疑問にさっと答えられる嫁さん」
羨ましがる友人をよそに、どうでしょう、と知識を投げてくれた嫁が軽いガッツポーズを俺に向けてくれた。友人に嫁を褒められて嬉しかったこともあり、抱き寄せるようにして頭を撫でると……目を細めて喜んでくれる。
「……はぁ~あ……もう解散するか? 愛し合う二人の邪魔をする気はねぇし、俺もこれからは仕事とプライベートとでのんびり暮らすつもりだから、その準備でもしてぇしさ」
「だな」
「ていうか飲みに誘ったのに二人ともノンアルコールって。くそう、酔ってるのが自分だけって、一人だけテンション高くて周りがドン引きしたあの空気に似ててツライわー……」
「気持ちは分かる」
「おうおう存分にイメージしやがれ。んで、今度二人で飲む機会があったらそん時ゃ飲んで、ベロンベロンになって帰った時に嫁さんに手厚く介抱されやがれ」
「だから飲まんって。弱ってるところを見せるのは嫁さんにだけだ」
「お前それ自慢かよー! いいなあ羨ましいなあー!」
言いつつも顔は相当笑ってたので、奥さんと別れられたのは友人にとっていいことだったのだろう。一人で悩んでいた時は随分と大変だった、とは聞いたけど。
「んじゃ、解散すっか。んっ、ぐっ、……っぷぁっはぁーいっ!! やっぱ炭酸が喉を通る感触ってなぁいいなぁ! んーで酔えるってんだから、炭酸とアルコール考えた人は天才だな!」
苦味が染みると口にする友人が立ち上がると俺達も立ち上がって、解散。
会計を済ませて店を出ると、友人は赤い顔のままに手を大きく上げて振り、「そんじゃーなー! 嫁さん大事になー!」と言って歩いていった。
俺達も苦笑し合ってから歩き出す。
子供を産んで、俺達になにが残せたのかは分からないし、もう一人欲しいかっていったらそんなことはない。いつかもっと歳を食った時、なにかを思うことがあるのかも分からないけど───まあ、今の自分たちに、子供なんてものは大きすぎたってことだ。
他に誰に相談したって、大人なら、親なら当然だって言われるようなことばっかりなのだろう。それでもその道を歩んでいるのが俺達であるのなら、同じ人間として社会に出た子にいつまでもどーのこーの考えるのは……正直ダルいのだ。
本当に大事にしたいと親子ともどもが思える家族関係ってのは難しい。俺は親を大事には思っているけれど、親がどう思ってくれているかは正直わからん。
やっぱりいくら家族だっていったって、所詮はそんなもんなのだろう。
「今度、親になにかプレゼントでもするかな」
「賛成、です。なにがいいでしょう」
「二人でのんびり考えようか。急ぐものでもないし」
「いきなりプレゼントされて、相当驚くかもしれませんね」
「確かに」
「あの。親孝行って、たとえばどんなことがいいんでしょうか」
「んー……元気でいること、良い土産話を持っていくことー……孫を見せること、は、まあ見せたけど喜んでもらえたかどうか。あとは旅行をプレゼントするとか、還暦にプレゼント、とかか?」
「お義父さんとお義母さんは驚くくらいやさしいですから。たぶんどんなことでも喜んでくれると思います」
「なんでも、は渡す方が困るって、料理の献立にしたって言えることだよな」
「ふふっ……今日の晩御飯はなにがいいですか?」
「酒買って帰って一緒にのんびり飲もうか」
「はいっ♪」
自分のことを、ガキだガキだと後悔する日々を繰り返すやつって、結構居るもんだ。
俺だってそうだし、自覚はなくてもいつかはそうなってしまう人ってのはやっぱりいる。けど……俺の場合、友人と……なにより嫁には恵まれたんだと思う。
授かった子供が汚点だなんて言うつもりはないし、もちろん俺達にも悪いところはあったのだろう。や、どう接すればいいのかの教本があって、その通りに子供が動いてくれるなら誰も困りはしないのだが。常に子供にとって最善の行動を取れる? 常に満点の親で居る? それどんな存在だよ。心読めても気色悪いって思う。
いろいろ考えながら、調べながら、ぶつかりながらの関係だった。親になるってこういうことかってしみじみ受け止めながら子育てをしてきた。けど、その子供が学校で受ける影響なんて、家で会うしか出来ない俺達にはどうしようもないのだ。
親が鬱陶しいって子供が感じれば、いい親であるにはどうしたらいい? 鬱陶しくないように放置する? そうしたら親からの愛がないなどと言い出すのだ。我儘を全部受け止めていれば、子供ってやつがどうなるのかくらい俺でも分かる。だからこそ何度もぶつかって、成功もすれば失敗もして、いつしか子供が学校やネットで伝え聞くことばかりを真に受けては腐っていった。愛そうとはした。突っぱねられても親だからと歩み寄った。それでもやっぱり俺達は親である前に人間で、子を授かったのだからと自分らも変わる必要を強いられてもまだ、全然頑張れた筈の俺達は……その守るべき子供にこそ心を折られた。
ガキじゃない親ならもっと頑張れたんだろうか。
友人らは笑って言う。社会に解き放つまで我慢出来ただけ、それほどガキでもねーだろ、と。
けど、親子で仲良く旅行へ行ってきた、なんて言う知り合いを見ると、やっぱり俺達は、なんてどうしても思ってしまう。
だからせめて嫁だけはいつまでも愛そう。いや、改めて考えるまでもなく愛しすぎててヤバいのだが。
いつか聞いてしまった、子供の“親からの愛がない”なんて言葉を思い出すと、心が痛む。欲しいものはと訊いた時、お金が欲しいと言われたことを思い出すと、胸が痛む。一緒に遊ばないかと誘った時、親と遊ぶとかないわと言われたことを思い出すと、自分の子供のことがただの嘘つきの我儘な存在に思えてしまう。
友人に相談すると、照れてるだけだと言ったけれど、踏み込んでみれば激怒した娘。心底うざったいとあいつが口にした時、こいつは親に愛情なんざ求めていない、罵倒出来る都合のいい相手がほしいだけだと理解した。
(……幸せな家庭、ね)
築きたかったものがあった。たぶん、それはもう叶わない。叶えたいと思ったら、たぶんそこに子供の姿は無い。
……そんな日から大分経ったいつかのことだけど。
娘は友人に連絡を入れては、俺達に会わせてくれと言うらしい。
孫を見たくないの、だのお願い話をさせてだの言っているらしいけど、それこそ今さら遅いわでぶった切っているらしい。
なんでも自分の息子の育児で相当参っているそうで、今さら自分がどれだけ親に恵まれていたか、そして自分が最低な馬鹿だったかに気が付いて、泣いて謝っているらしい。
その時の友人の対応はといえば。
「あのなぁ娘ちゃん。あいつらはもうお前の親であることをやめたんだよ。キミさ、散々我儘放題してたくせに、愛されてないなんて、つるんでるやつらに笑いながら話してたんだって? そこにあいつ、居たんだよ。なあ、自分の子供を愛してるなら今さら自分の親に頼るんじゃなくて、あいつらみたいに自分で愛してみろよ。散々の愛情をつっぱね続けたのはキミで、最終的に百万要求してあきれ果てさせたのもキミだ」
『だ、だってあれはっ……! 返すって言ったのに会ってもくれなくて!』
「あいつな、泣きながら俺に相談してきたんだよ。嫁ちゃんにも相談して、精一杯キミに向き合ったけど、終始うざい、うるさい、気持ち悪い、風呂に先に入るな、洗濯は別にしろ、挙句に欲しいものはと訊いたら金を寄越せときたもんだ。キミ……お前さ、あいつがどんだけお前に応えようとしたか分かるか? 努力して向き合って、そのくせお前は学校やネットで仕入れた知識で尖っていくばっかり。俺も散々相談役やってきたし、あいつとの橋渡しになれればって思ってたけど……お前だめだ。これだけ経って分かってくれたのが、たったの“子育ては大変でした”ってだけって……」
『だって……わ、私にも仕事があるし、あの人も……』
「それでもあいつと嫁ちゃんはきちんとやったよ。だからお前の今がある。ていうか、俺も今、今度こそって思える人に会えたから、連絡とかやめてくれ」
『ま、待ってよ! わたし、他に誰も頼れる人が居ないの! 友達だって思ってた人たちはみんな離れていったし、親友だって思ってた人はお金盗んで逃げたし……! あの人はやさしいけど、親の言いなりで……!』
「……祖父母でも頼ってみたらいいんじゃねーの? あいつに“それでも娘なんだから”って何度も背中押してくれてた人たちだし、まだ情が残ってるなら受け入れてくれるんじゃないか?」
『……何処住んでるのか、知らない……』
「………………あのさ。お前ってほんとに家族大事に思ってんの? ……あーあー思い出した、あいつ、お前のこと何度も実家に連れていこうとしたけど、全部断られたって言われてたっけ。その理由が祖父母が構いまくって来てうざいから、だったっけ? ……あのさぁ、もういいからベビーシッターでも頼めばいいだろ。なんでも相談所じゃねーんだぞ俺は」
『……そんなお金も、余裕も、なくて……だ、だから働かなくちゃって……』
「なんで子供作ってんのお前」
……結局、最終判断は俺に任せるってことで、随分と久しぶりに娘の近況報告が友人の口から聞けた。俺と嫁がどうしたかっていうと……まあ。あれから大分経っていたこともあって、心に余裕も出来ていたから……受け入れた。
久しぶりに見る娘は随分とまあみすぼらしいって言ったらあれだけど、心身ともに疲れ切っている感じになっていた。
会うなり耐えきれないといった感じで涙をこぼして、ごべんなざい、ごめんばざいと声にならない声で泣きながら謝られて……これまた随分と久しぶりに頭を撫でれば、号泣って言っていいほど泣いて、抱き着かれた。
……いわく。あの頃は、親や自分より偉い人を貶したり悪く言うことがカッコイイ、ステータスみたいに思っていた、あの頃の友達だけを悪く言うつもりはないけど、金を返さずに失踪した元悪友の所為にだけは絶対にする、とのこと。
「あと100万円───」
「いらん。大きな金があると心が醜くなる」
「うぅう……」
「あーもう泣くな泣くな。あの気の強いお前はどうした」
「やめて……中二病レベルで黒歴史なの……! それも100万円借りていろいろ清算するまでの高二も大二も経験したようなどうしようもないクズなのわたし……! 社会人二年目になっても続いてたなら、社二病……!? ごめんなさい、ごめんなさいお父さんお母さん……!」
「はぁ……いーわよ、もう。大人になって、子供産んで世話してみて、いろいろ分かったでしょ? べつにね、わたしに迷惑かけるくらいならある程度は受け止めたけどね。あなたがわたしの大切な旦那様のこと悪く言うのが、もうとにかく引っぱたくどころじゃなくて顔面殴りたくなるほど許せなかっただけだから」
「お母さん怖い!?」
「ほら。お金あげるから美容院とか行ってきなさい。近くに知り合いのお店があるから。すごいことになってるわよ? 昔はお金盗んでまでオシャレしてたのに」
「ごべんばばいぃ……!!」
娘は泣きまくっている。ちなみに孫は物珍しそうに家の中を見渡している。
もう中学生っていったか。
「てかさ、かーさん」
「ぐしゅっ……なに? 浩二」
「泣いて謝るレベルって、なにやらかしたの?」
「…………ひぐっ、うぐぅうう……! おぶらぁとぉおお……!!」
「え!? なんで泣くの!? 俺聞いてみたかっただけなんだけど!? じいちゃんばあちゃんに会うのも初めてなのに、来たらいきなりかーさん泣くしで! 俺どうすれば!? あ、あー……あの。とりあえずあの。……俺が言うのもなんだけど、かーさんいじめんの、やめてください。あの……俺の所為……っすよね、ここに来たのって。俺がかーさんに負担かけてばっかだから、そういう系の話、しに来たんすよ……ね? あ、もしかして俺、駆け落ち親子の子供とかだったりするんすか? かーさん実は勘当されてて、とか? ……すんません。今までかーさんに迷惑かけてた分、真面目になりますから、その……」
「───」
じいっとMAGOを見てみる。随分とまあ親思いなことを言っているように見えるけれど、妻が俺の袖を食いと引いた。まあ、うん。分かる。
「そうだな、呼ぶことになったのはキミが原因だ。中学生のうちから随分と周囲に迷惑をかけて暮らしているそうじゃないか」
「そっすね。でも───」
「真面目になるからさっさと話を終わらせてくれ、だろう?」
「……っ」
「……娘よ。随分とまあ思い知ったと思うけどな。俺も通った道だ」
「……ガキが子供なんか作るもんじゃない……だよね。うん、子供の前でも平気で言える。ていうか、よくこの子が口だけクズだってわかったね、お父さん」
「口では立派なこと言いながら、一度も目を合わせようともしないからな。で? 犯罪は?」
「それはまだ。先は分からない」
「……ッチ。親が親なら祖父も、ってか。つくづく愛情もなんもくれねぇ家族だよ。来たくもねぇのにこんな田舎に連れてこられて、来たら来たでなんかクソくだらねぇお涙頂戴劇場やるしよ」
「愛情無いならとっくに捨てとるわ、馬鹿なのかお前。だったら今からお前はホームレスだ。学校も辞めていい。遊びたいんだろう? 本当に愛情の無い生活ってのを味わってみればいい」
「はっ……はぁっ!? なっ……ふ、ふざけんな! 勝手に産んでおいて───」
「クズに育ったのはお前だろう? どんな自分になるかなんてある程度自分で決められる。我慢するか怒りに変えるか糧にするか。取れる行動はたくさんあった筈だ。お前の父親もまあ随分とマザコンというか、親の言いなりらしいな。……はぁ……本当、どうしてこうなった。ガキが子供作る世の中って怖いな……───あー、なぁ孫よ」
「……んだよ」
「ガッコ行って、学んだか? 鍛えたか? 自分を成長させたか? 今のお前が迷惑ばっかかけてるクズでしかないなら、お前は本当に高校に行くだけ金の無駄で時間の無駄だ。中卒で働きにでも出てとっとと独り立ちしろ」
「ふざけんな、中卒なんてダセェ学歴残せっかよ」
「へー。じゃあ高校に行くための金、誰が出すんだ? 言っておくが、こいつが俺に返そうとした100万程度じゃ全然足りないぞ? 親には頼らないだろうな? 愛情無いんだもんな?」
「ぅ……ぐ……っ……! な、なんだよそれ……! 親としての義務だろうがよそういうのは!」
「じゃあ子供の義務って? 義務教育の時でさえグレまくりのクズがさぁ、自分以外にだけ俺にやさしくしろとかアホか馬鹿かクズかカスかゲスかクソかボケタコイモボケ人間のクズ」
「───………………」
ここまで言われると思っていなかったのか、真っ青になって立ち尽くすMAGO。
けどなぁ、ダサいから、なんて理由で学ぶこともしようとしない学校に行かせるのってアホだろ。
ていうか涙浮かべてぷるぷるしてる。大いに傷ついたらしい。
「ちゅっ……中坊相手に、マジになるとか……いい歳してダッセェの……! ぐしゅっ……!」
「おーガキだぞ? ガキだとも。お前の親のクズっぷりに、ガキが親になんかなるもんじゃないって本気で思って後悔したまままだまだガキだ。だから二人目なんか望まなかったんだよ。で? 年寄り相手にいい歳した中学生サマが偉そうに何様だ? こちとらてめぇよりも酸いも甘いも散々経験したお爺様だぞコラ。で? いい歳だからなんだ。歳がどーの以前に一人の人間だ。馬鹿にされりゃあ怒るに決まってんだろうが。お前は違うのか?」
「っ……っるせぇんだよクソジジイ! さっきからえらっそうに上から目線でさぁあ!! 急に現れて説教とかふざけんなよ! 身内だからなにも出来ないとでも思ってんのか!? ざけんなブン殴ってやるyぎゅあぁあああああああああっ!?」
頑張って怒ってますな顔をして殴りかかってきたMAGOが、どかーんと畳に叩きつけられ腕を極められた。
……うん、嫁さんの前で俺に攻撃とか、やめたほうがいいよ? あ、逆に俺の前で嫁さんに攻撃とか、どんな手を使ってでもブチノメすからオススメしない。
「お前さぁ、中学なんて半端な時期に大人に勝てるって本気で思ってたのか? それとも一発でも殴りたかっただけか? その場合、俺が反撃しないとでも思ったか? ……あのな。俺達はここで静かに暮らしていただけだ。そこにお前らがやってきた。言いたいこと、分かるか? 俺は正直お前なんて孫だなんて思っちゃいないし、ただの生意気でいきなり怒鳴り散らして暴力を振るう腐れ中坊だとしか思えないし実際そうだろう。過去に親父狩り~なんてものが流行ったらしいけど、仕返しされないとか思わなかったのかねぇ」
「ってぇな離せよババア! なにいきなり横からぼぼっ!?」
嫁に腕を極められたMAGOの、こちらを見上げる顔面を下段突きで殴りつけた。
……お? てめ今なんつった? ババア? 人の大事な最高の嫁に向かってババアだ?
「とりあえずお前、ボコるわ。ていうか自分から相手に痛い目合わせようとしてきたくせに、やり返されたらキレるととことんクズだな」
「~……殴りやがぶぐっ!? ばっ! おぶっ! ごっ! ぎぃっ!」
「あーあー喋るなうっせぇ。現時点で迷惑そのものでしかないてめぇにぴーぴー騒がれると迷惑なんだよ腐れ中坊。お前なんで生きてんの? 生かされてるくせに好き勝手我儘放題口を開けば愛されねぇとかイカレてるだろなぁなぁなぁ」
握った拳を振り下ろし、ドアをノックするように側面でドゴドゴ殴り続ける。どんだけ甘やかされて育つか放置されて育てばこんなのが出来上がるんだか。おかしいんじゃないか、俺達の血筋。いやぁほんとガキだ、この家系ってガキしか生まれないのか? 産まれるっていうか、もう発生って意味での生まれてるんじゃないか?
「お、お父さんっ!? やめてよなんでそんな、急に殴るとかってことになってるの!?」
「生かされてるのに感謝もなく、愛されてないなんて口にしながら人に暴力を振るえる人間のクズだからだが? こいつ、このまま放置すると人様から金品毟り取る最悪最低のくそったれクズ野郎に成り下がるぞ。あー……いっそのこと体の何処か、使い物にならなくするか?」
「ひっ!?」
「や、やめてよ! そんなことしてほしくて会いにきたんじゃない! この子を傷つけるならわたしを───」
「顔面整形しても治らんほどに破壊するぞ?」
「っ……そ、それでも! ~……わたし! 本当にお父さんとお母さんにとっては最低の娘だった! 何度謝っても足りないと思う! 許されないと思う! でもっ、だからこそ、自分の息子にはっ……!」
「………………おふくr」
ずっぱぁあああんっ!!
「へぶぅ!?」
「おふくろ!?」
ビンタした。渾身のビンタであった。
「その息子のことで人を頼ってきておいて今さらなんだこの野郎」
「~…………」
頬の痛みと罪悪感からか、娘は蹲り泣いてしまった。
それを見たMAGOは───……ぎりぎりと歯ぎしりをして、腕を極められているにも関わらず、強引に起き上がろうとする。
「~~……てっ……めぇええええぇっ……!! よくもっ……よくもおふくろをぉおおおっ!! てめぇの娘だろ!? 今までなんにもしてくれなかったくせに、急に招いて好き放題……! ふざけんな! ふざけんなよ! てめぇらにおふくろの何が分かる!? 親父は仕事ばっかで家に帰らねぇ! 帰ったとしても向こうのババア連れてきて言いなり三昧でなさけねぇったらねぇ! そのくせおふくろにはやさしさに見せかけた下種な行動ばっかり! てめぇらが何してくれたよ! てめぇらにとってお袋がひでぇ娘だったとしても! 俺が産まれてから今日まで頑張って育ててくれたのはおふくろだ! てめぇらに今さらどうのこうの言われる筋合いなんてねぇんだよ!」
「じゃあなんで迷惑かけてんのお前。俺、てめぇが娘に心労かけまくってて辛いからって、招くことになったんだが?」
「はぁっ……はぁっ………………へ?」
そもそも全部お前の所為なんだが? “てめぇらが何してくれた”? 社会に出るまで支援して、出てからも100万かしましたが? そんで平和に生きてましたが? それを急に貴様のことで相談乗ってくれ的な意味で、せっかく黙ってた住所を報せるハメになったが?
「……お前、悪いこと言わないからここで常識学んでけ。ていうかそんだけ言えるほど罪悪感持ってるならまだ戻れる。むしろ自分のこと棚に全力投球して上げておいて、よくもまあ庇うようなことをほざけるな。あのな、信じられないことに理解してないようだから言うけどな。……俺の、娘に、迷惑を、かけて、いたのは、お前だ。分かるか? 分かるよな? 他人がどうこう以前にお前が改まれ。そしてようこそ。大人になれなかったくそったれな家族の住む田舎へ。……ただ、お前に非常識を吹聴して回るクズどもはここにゃあ居ない。ゆっくり、穏やかに、心を癒していきゃあいい」
「な、なに……言って……」
「おい娘ー? こいつ、通信制のガッコに通わせるから。それでも学歴はちゃんと残せる。いちいちくそったれな連中とつるんだり絡まれたりする必要はない。一度悪友と離れて自分ってものを振り返ってみろ。お前は自分の格好良さのために、寝ている他人の飼い犬の腹を全力で蹴る外道か、寝ている犬の頭をそっと撫でられる存在か。ちなみに嫁は飼い主に許可を得た上でやさしく撫でる派だ」
「………」
極められた腕を解放されると、腕をさすりながらもMAGOがすごい呆れたような疲れたような顔で俺と、俺の隣に戻ってきた嫁を見る。好きにするといい。ただ、ここで暮らせば少しは落ち着いた自分になれるさ。そんで、今まで“友人?”とつるみながらギャハハと笑っていた自分が、どれほどくだらなく、振り返ってみれば別にそんな笑えるようなことでもなかったわ……って呆れる時がくる。
「で? 娘よ。お前はいつまでこっちに居る?」
「ぐすっ……もう、さ。離婚しようと思うんだ」
「お前もかい。……原因は? まさか相手の浮気かあいつみたいに」
「ううん、ただ……育児放棄と押し付けと精神的DV。証拠になりそうなものはもう一通り手に入れてるから、こっちに来たのをきっかけにしようかなって」
「……離れがあるからそこでしばらく暮らすといい。住む場所見つかったら出てけよ。それまでは置いてやるから」
「ふふっ。結局、なんだかんだ言って娘に甘いんですから、あなたという人は」
「……そんなんじゃないから」
妻はこう言うが、甘くなんかないだろう。甘いんだったらもっと早い段階でゲロ甘に助けていただろうし。離れは距離があるし、俺達の生活が変わる要素はそうそうない筈だ。
「…………なぁ。通信制って……たまに聞くけど、それって高校からじゃ……」
「中学にもある。というか、学校に通ってクズな連中の悪影響受けるくらいなら、誰もが通信制を選ぶだろうよ。学校で青春? 一生に一度のかけがえのない友情や恋? あー、あるのかもな。それよりも人間関係で腐る子供の方が明らかに多いだろうけど」
「……あ、の。俺、普通に通いたい───」
「却下。学校通った所為で性格捻じ曲がって親に迷惑かけた奴が言えた義理かよ」
「けどっ! ……通信制なんて、不登校なヤツが受けるやつみたくて……ダセェし」
「親やよそ様の子供に迷惑かける方が人としてよっぽどダセェよアホか」
「………」
断言されて、MAGOは俺を睨むけど、その目をじいっと見つめながら「考えてみろ、しっかりと」と伝えると……しばらくして目を泳がせ始め、俯いた。
「親の勉強しろはとりあえず正面から受け止めとけ。反発したくなる気持ちはわかる。他は遊んでるのにって思う気持ちもだ。義務教育まではそれでもいいかもしれん。けど、高校行きたいならちゃんとしろ。惰性で青春求められても金を浪費するだけなんだよ。その浪費する金を出すのは誰だ? 義務を終えてもまだ甘え続けるつもりなら、せめて迷惑をかけることだけはやめろ。親が願う“学んでくれ”って最低限の要望に応えないで、お前はどのツラ下げて高校行きたいなんて言えるんだ」
「………」
「ひっでぇ言い方になるけどな。お前は俺らみたいになるな。さっさと社会に出ていい人見つけて結婚して子供見せろなんて命に替えても言わない。ただ、立派な大人にはなってほしいとは思うよ。そうと感じられるほどには、俺も娘の旦那も根がクソガキだろうからな」
「………」
「俺は嫁に恵まれただけだ。ただ、子への接し方が分からなかった。教本があったとして、その通りに全てが動いてくれるわけでもない。どれだけ頑張ってみたつもりでも、俺はうざったくてうるさくて気持ちの悪い親にしかなれなかったんだ。……いいか、ボーズ。俺を最低だって思う分だけお前は立派になりやがれ。俺にンなこと言われる筋合いはねぇって思えるなら、母親を守ってやれる男になってみやがれよ。努力もしないで喚くのは心底ダセェ口だけ男だ」
「……うるせぇよ。言われなくても……分かってる」
「言ったな? じゃあこれから目上の人に対する態度ってのを学べ。俺はお前を大切なMAGOだとは思わないし、娘のことも近所になんか急に越してきた離婚相談中の女だって思うことにする」
「は、はぁ!? んだよそれ! 態度なんて指摘される謂れは───」
「───誰の家の、どんな離れで生活するつもりですか?」
「ひぃ!?」
言葉を遮るように放たれた嫁の言葉に、MAGOがヒィと悲鳴を上げた。
そして娘にぽしょりと何かを言われると、ぐっ……と何かを飲み込むように口を噤むと、「……よ、よろしく、おねがい、シマス……」と頭を下げた。
───それからの話は、まあべつにどうということのない話。
田舎はご近所付き合いが大事。
出会う人出会う人におはようこんにちはいい天気だねぇを言われ、「……はよっす」から始まったMAGOは、次第に「あ……はよ、です」になり、「おはようです」になり、「おはようございます」になり。
通信制の中学も続け、激しく笑うことはないものの、たまぁにご近所さんと会話をして笑っているところを見る。
けど、そのたびに何処か苦しそうにしているのも見る。
そんな様子のMAGOだったけど、またしばらくした時に声をかけられた。
なんでも、自分に出せる自分に関する話題が、親に迷惑をかけたことや、よそ様に迷惑をかけたこと、そしてそんなことを格好いいことだと信じていた自分だということくらいしか無く、自分のことを訊かれるたびに親への罪悪感でいっぱいになる、とのこと。
「じいちゃん……ごめん。俺、ほんと……くそったれだった。……ここの人たちさ、嘘とかつかないんだよ。いっつも笑顔で挨拶してくれて、最初はなにが楽しいんだって思ってたけど……やさしくて、なんでもないことで笑顔くれて。……無理矢理にでも楽しい話題を出さなきゃいけなかったあっちとは違って、どんな話題でも聞いてくれて。それでシラケるわけでもなくて、励ましてくれて……」
「ちょっとずつでいいからやさしさってのを覚えていけばいーよ。あとは、親を泣かすようなことは出来るだけしないように。今のあいつ泣かせたら、周囲が黙ってないぞ」
「……ああ……うん。おふくろ、あんなに綺麗だったんだな。いっつも俺のこととか家のこととか、親父のこととかで余裕ないって感じで……疲れてますって感じだったのに」
「自分のことを後回しにしてまで向き合ってくれてたんだって思えるだけ、お前はまだ立派だよ。俺の時なんてあいつ、最後までひでぇ言い草だったからなぁ。トドメにホスト通いで金が尽きて100万くれって俺に言ってきた。そんな娘、どう思う?」
「あー…………あの、マジでごめんなさいっした。俺、なんも知らないくせに怒鳴ったりして……」
「いいって。悪友に影響されて迷惑かけて親泣かすより、いい人たちに影響されて穏やかに生きてくれりゃあ案外それだけでも孝行になるってもんだ。なにせ、迷惑をかけられる理由がない。人ってな、性格ひとつで誰かのためになってたりするもんだ。だからまず、クズにはなるな。それだけ。それが親孝行の第一歩だ」
「…………っすね。それだけ……だったんだよなぁ。それだけが人付き合いの中でどれだけありがたいか、今むっちゃくちゃ実感してます」
MAGOも随分と敬語もどきに慣れてきた。まだまだ子供っぽさはあるけど、中学生だ、仕方ない。
それでも今はのんびりと、周囲に受け入れられやすい自分になって、自然体で人に好かれる自分になってもらいたい。
その中で、ガキな自分でも一歩進めるなにかを手に入れてくれたら、なんも言うことなんてないのだ。
娘も旦那と離婚した。慰謝料しっかり貰ったし、養育費もきっちり出してもらうとのこと。今はシングルマザーとしてここらで仕事を見つけて、そこでしっかり働いている。MAGOいわく、随分と笑顔が増えた、というか……あんな笑顔の母は初めて見た、とのこと。田舎を悪く言う人は結構いる。けど、悪くないもんだよ、田舎。クズの数が都会に比べて少ないしね。クズの所為で心を疲弊させた者にとって、それがなによりありがたい。
まあ、そのクズも随分と丸くなってくれたようだし、今後も丸い性格のままで生きてほしいもんだと思う。
落ち着いたら離れから出ていく、とは言ってるけど、まあ。べつにMAGOが出ていってからでも遅くはないと思う。今の性格のままならね、ほんと。
さて、今日も嫁を愛しますか。こんな俺と一緒に居てくれるだけで、ほんと嫁って天使だと思う。こんな俺でもいいのなら、俺の全てを以て、尽くし尽くしましょう。……言い方おかしいか? 尽くし尽くすって。