『第3回 下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ大賞』シリーズ
交差点で君に
わたしは、目の前の仕事や家事をこなし、何の変哲もない日々を暮らしている。
それがただ続くと思っていた。
続くはずだった。
同じ部署に年下のフレッシュなイケメン君が配属されてきた。わたしも昔は、キラキラしてただろうか?
彼は仕事の手際もよく、気配りもでき、いつも女性社員の視線を集めている。
「僕は、先輩にしか興味ありませんよ」
「馬鹿ね。こんなオバさん、からかわないでくれる?」
彼はいつも、わたしに気があるそぶりをする。
それは、お世辞だったとしても、嬉しかったのは事実だった。
この日、心のゲージをすり減らしたわたしの心は弱っていた。
そつなくこなして、騙し騙しでやってきた家庭の不満が爆発してしまった。
そう。何の変哲もない毎日だったはずがない。
一日耐えていたが、会社を出て交差点に差しかかった時、押し殺していた涙が溢れてしまった。
「大丈夫ですか?」
振り返ると、彼がいた。
こんな姿を見られるわけにいかないのに。
「先輩、無理しないでください」
「無理してないから!」
「先輩のそんな顔見てられないです」
「なら、見ないでよ! もともと、こんな酷い顔なのよ!」
メイクが崩れ、涙でぐちゃぐちゃだった。
「こうすれば、見えません」
彼はわたしを抱き寄せた。
出逢う順が違ったら、今は違ったのだろうか。
わたしの横にいるのは、君で……。
ダメ! そんなこと、考えちゃいけない!
わたしは自分にショックを受けていた。
こんなことになると思いもしなかったからだ。
落ちるのはいつだって一瞬だ。
一度落ちてしまったら、もう引き返すことはできない。
それは沼だ。
足掻けば、足掻くほど、足は沼に沈んでいく。
フィルターがかかると、それはもう何をしてもカッコイイ。何をしても可愛いのだ。
仕事をする真剣な眼差し。
無邪気でキラキラした笑顔。
優しい声。
ご機嫌な鼻歌。
急な天然。
寝癖のついた後ろ髪。
あの日から、自分をとめられない。
もう、認めざるをえない。
必死に心に嘘をついてきたのに。
ごまかしてきたのに。
好きになってしまった。
ここはオフィス。周囲からの目もある。
だけど、このときめきを抑えられない。
この気持ちを消さなければ。
なのに、そばにいたいと思っている。
この想いは、交わってはいけない。
今夜も、互いの指が触れるか触れないかの距離で、並んで夜道を歩く。
分かれ道の交差点まで来てしまった。
彼は突然、わたしを後ろから抱きしめ、囁いた。
「今夜は、朝まで一緒にいませんか? 奥さん」