表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された侯爵令嬢と行く冒険者生活  作者: たけすぃ
追放された侯爵令嬢と行く冒険者生活短編2

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

130/199

短編8 パンタイルは全ての悪徳に背いて

短編8 パンタイルは全ての悪徳に背いて


パンタイルは全ての悪徳に背いて


 ジェニファーリン・パンタイルは友人が地面に腰を下ろし、自分が贈った剣を支えに体力の回復に努めている姿に大いに驚いた。

 自他共に認めるビックリする程の貧乏子爵家の次男であり、貴族で有り冒険者、怪物かと見紛う程の強さを持ち、正気を疑いたくなる程に自分の実力に無頓着、身分不相応な恋心を抱き、年相応に自身の不安に無自覚な少年。


 我が友シン・ロングダガーが疲れて地面に腰を下ろしている。

 ジェニファーリンは胸の中で湧いた感情をどう処理すべきか判断に迷った。


 友人に頼りたかった、だがそれと同時に支えてもやりたかった。

 友情とはかくも不条理な物だっただろうか?


 ジェニファーリンは困ったように笑った。


 *


 ジェニファーリン・パンタイルがその数字に気が付いたのは、まだ八歳の時だった。

 自分の黄金の目が少しばかり人とは違う物が見える目だと理解はしていたが、その意味までは理解していなかった頃だ。


 パンタイル家に時たまあらわれる、鑑定スキル持ちであったジェニファーリンにとって、世界とは、人とは数字であった。

 父も母も兄弟も、全てが数字の羅列にしか見えなかった。


 世界とは何と殺伐さつばつ無聊ぶりょうな物なのだろうか。

 八歳にしてジェニファーリン・パンタイルは数字が支配する世界に飽き飽きしていた。


 パンタイル家はそんなジェニファーリンに気が付きつつも放置した。

 一般的な貴族子女への教育はおこなうものの、自身の鑑定スキルとの付き合い方も、世界との向き合い方も教育する事はなく、ただ放置した。


 パンタイル家にとって、ジェニファーリンが抱えた無聊も、数字で表される世界に感じる殺伐さも、全ては慣れた物であり知った物であったからだ。

 つまりは麻疹はしかのようなもの、というのが彼らの結論だった。


 ただ一つ、彼らが知らなかったとは言え想定外であったのは。

 ジェニファーリン・パンタイルが真実パンタイルであった事であった。


 本来ならば成長と共に見える数字は徐々に増え、その意味も増えていくものであったが。

 ジェニファーリンはよわい八歳にして、本来であれば中年に差し掛かる頃に到達するであろう領域へと到達していた。


 それは八歳の少女が見る世界としては、八歳の少女が生きる世界としては、あまりにも殺伐とし寂寥せきりょうな世界だった。

 この世は無聊ぶりょうで出来ている。

 八歳のジェニファーリンは世界をそう断じた。


 百年の一度のパンタイルではあったが、まだ商売と投資と浪費の天才では無かったジェニファーリン・パンタイルが、その数字に気が付いたのはまさに世界に飽き飽きしていた時だった。

 名前、種族、年齢、それに続いて素っ気なく添えられただけの数字は、何の数字か分からなかった。

 それ故にジェニファーリンの興味を強く惹いた。


 一体何をあらわしている数字なのだろうか?

 兄弟はみなその数字は0であったが、父にはその数字はあった。


 冒険者、特にある程度の経験を積んでいる者はほぼ必ずと言って良いほどその数字はあった。

 傾向として、おおむね歳を重ねた者ほど数字が大きい傾向があった。


 ジェニファーリンは興味にあかかせて鑑定スキルを乱用し、日がな一日観察しては考察を重ねた。

 だが如何いかんせん八歳の少女である。

 その数字の正体を知るには偶然が必要だった。


 家族で出かけた時の話だ。

 捕まった何かしらの犯罪者が逃げだし、奪った武器で錯乱しながら暴れている場面に出くわした。


 家の者に守られ、安全な場所から踏み外した者を見ていた。

 ジェニファーリンの目には、ただ数字の足りない者が順当に道を踏み外し、自暴自棄になっているようにしか見えなかった。


 男はあっけなく偶々《たまたま》近くにいた騎士に殺された。

 いつものように鑑定スキルを使っていたジェニファーリンには、騎士は男を無傷で捕らえるだけの十分な実力がありながら、捕まえる事さへ面倒だと男を斬り殺したようにしか見えなかった。


 だがそれ自体はジェニファーリンにとっては全くもって心を動かされるような事ではなかった。ただ一つだけ興味を惹かれる物があった。

 男を斬り殺した騎士の、あの数字が一つ増えたのだ。


 ジェニファーリンは少しだけ考え込むと、酷く乾いた声で「嗚呼」とだけ呟いた。

 分かってしまえば何とも味気ない答えだった。


 自分の興味が惹かれた数字は、単に人を殺した数だったのだ。

 あまりにつまらないオチに八歳の少女は苦笑すら浮かべた。


 この世は無聊ぶりょうで出来ている。

 目に映る世界は数字だけが支配する。


 ジェニファーリンはそう断じると、興味を無くした。

 飽き飽きだった。


 だが、そう断じた少女が、自分にそう断じさせた数字に、大きく目を見開かされる程に驚かされたのはその三日後の事だった。


 酷く目つきの悪い、痩せた体躯の真っ白な灰のような髪の老婆だった。

 殺人数999。


 自分の護衛だと紹介された老婆を前に、幼いジェニファーリンは絶句していた。

 貴族としての礼節を忘れ、ただ驚くジェニファーリンに父は言った。


 元は王国の――王家ではない――暗殺者で、引退するとの事なのでジェニファーリンの護衛に雇ったとの事。

 数々の非道な犯罪者や他国の間諜かんちょうと戦いを繰り広げてきた歴戦の猛者であると。


「口さがない者は〈千人殺し〉等と言うがね」


 それは父の冗談であったのだろう。

 だが数字が見えていたジェニファーリンは思わず小さな声で呟いてしまった。


「一人足りないではないか」


 父には聞こえなかった、だが目の前の老婆はその声を聞き逃さなかった。

 ジェニファーリンがしまったと思う間もなく、老婆は痩せた体躯を音も無く移動させ、気が付けばジェニファーリンの目の前にひざまづいていた。


 そっと自分の耳へと顔を近づけ囁く老婆は濃密な死の気配がした。


「そいつは秘密なんだよ。黙っててくれるなら、そうだね、私の忠誠を捧げようじゃないか」


 それは明白な脅迫だった。

 断れば殺される、そんな事は無いだろうが、何かしら酷く困った事になるのではないかという、妙な確信があった。


 だがジェニファーリンはジェニファーリン・パンタイルだった。

 八歳でもジェニファーリンはジェニファーリン・パンタイルなのだ。


「そんな安い物はいらない」


 状況を理解できていなかったジェニファーリンの父親は娘の発言に驚き、老婆は微笑むように目を細めた。


「値を付けるのは私の方だ」


 ジェニファーリンは一歩下がって老婆の目を真っ直ぐに見つめて言う。

 そして、まだ何一つ自分で手に入れた物など所有していない少女は差し出せる唯一の物を差し出した。


 自分が非常に分の悪い商売をしていると分かっていた。

 提示された額《忠誠》は破格であるだろう。


 だがそんな物は要らないのだ。

 だから少女は差し出せる唯一の物を差し出した。


 ジェニファーリンは老婆に小さな手を差し出した。

 大きく広げた手は、それでも小さく、つまりはそれは少女の最大のハッタリだった。


「お前の友情をくれ、コークス・カンデライト」


 実に数十年ぶりに誰も知らぬ自分の本名を呼ばれた老婆、コークス・カンデライトは刹那せつな迷うとその手を取った。

 最後に彼女の名を呼んだのは誰だったか? そんな事を考えながら。


 *


 商売と投資と浪費の天才であり、百年に一度のパンタイル、最もパンタイルらしいパンタイルであるジェニファーリン・パンタイルは、溜息を押し殺した。

 目の前を歩くシンの数字のせいだ。


 パンタイルである前にシンの親友であると自称するジェニファーリンにとって、その数字が付いた事を黙っているというのは思った以上に難事だった。

 出来れば白状してしまいたい、私は君に酷い事をしていると告白したい、そして許されたい。


 たぶんこう、友人に謝って許されるというのは気持ち良いと思うのだ。

 凄くスッキリすると思う。


 ジェニファーリンは自分がシンに許されないという未来を考慮せずにそんな事を考える。

 だが、まあ。


「それは悪徳であろうね」


「何がだジェン」


 自他共に認めるビックリする程の貧乏子爵家の次男坊であり、貴族家の一員でありながら冒険者である変人、シン・ロングダガーは振り返りながら言った。

 その顔はまたジェンが変な事を言い出したと言いたげな顔だった。


「受け入れられると分かっている謝罪をおこなう事についてだよシン」


「お礼の言葉が欲しいと、人に親切にするのと大差ないと思うんだがな?」


 シンが先日老婆を助けた時のジェニファーリンについてやんわりと言及しながら首を傾げる。

 それに対してジェニファーリンは苦笑を浮かべる。

「我が友よ、それは違う物だよ。お礼の言葉が欲しいと人に親切にするのは対価を求めただけだ。だが受け入れられると分かっている謝罪をおこなうのは強請ねだるのと変わらないのさ」


 それはかっこ悪いだろ?

 ジェニファーリンの言葉にシンが沈黙を返しながら、道にまでせり出してきていた枝を剣で払う。


「俺にはどちらも脅迫の一種に思えるが」


 おお、我が友が辛辣だ。

 だがまぁその通りだね。

 心中で同意するジェニファーリンにシンが続けて言う。


「それはともかくとして、俺達はどこに向かっているんだ?」


「随分と今更な質問だね」


 ジェニファーリンは呆れた。

 普通は魔物避けの一つも無いような小道に向かう時点で抱く疑問だ。

 少なくとも獣道と変わらないような小道を半日近く歩いてから出る疑問ではない。


「人に聞かれるかもしれない場所でも言えるような目的地なら、護衛が俺一人だなんて事はないだろうからな」


 流石にここでなら大丈夫だろ?

 シンがそう言って顔だけ振り返りながら肩を竦める。


 成る程、シンなりに気を遣っていたのかとジェニファーリンは感心する。


「おい、その顔は傷つくぞ」


 はて、何の事かな?


「確かにここでなら、万が一にも人に聞かれる心配は無いだろうね」


 シンの抗議を無視してジェニファーリンは答える。


「この先に私の友人が住んでいるのさ」


 ジェニファーリンの言葉にシンが振り返る。

 ハッハッハ、こやつめ。


「その顔は傷つくから止めるんだシン」


「とも――」


 何かを言おうとするシンを遮って言う。


「パンタイルとて友人はいるのさ」


 数は少ないがね。

 そう付け加えながらジェニファーリンは肩を竦めた。


 *


 シンはその家を見て首を傾げそうになった。

 近くの木を材料に作られたであろうその家は、間違っても豪邸と呼べるような物ではなかったが、建てる為に掛かった金はそれに匹敵するだろう。


 獣道と変わらないような細い小道を抜けた先にあったのは、低い柵に囲まれた一軒の家だった。

 小さな畑に井戸、そしてたった一軒の家の為に魔物避けの魔道具が目に見えるだけで四つ。


 シンの目には他にも魔物避けが在るのが分かった。

 たった一軒の家の為に村一つ分くらいはあるのではないだろうか?


 建てるのに掛かった金と労力とは釣り合わない簡素な柵、その門とも呼べない門柵の前でシンはついジェニファーリンを見てしまう。

 艶やかな焦茶色の髪を日射しに照らされた友人がシンの視線に気付いて首を傾げる。


「なぁジェン」


「なんだい?シン」


 ジェニファーリンが普段と変わらない顔で聞き返してくる。

 シンはその顔を見て自分の疑念が間違っているだろうとは思ったが訊かずにはいられなかった。


「俺はジェンに殺されるような事をしただろうか?」


 しばしの沈黙の後にジェニファーリンは言った。


「シン、君はちょっと会話という物について学んでみるべきだね。ちなみにそう思った理由はなんだい?」


「人類圏から外れた場所で、魔物避けがあるからと言って一人か二人程度で暮らせる人間となると普通の奴じゃない。俺が気が付かない内にジェンを怒らせてしまっていて、パンタイルが囲っている暗殺者にでも殺されるのかと」


 シンはそう言いつつも、そんなワケは無いと思っていた。

 それは友人を信じている、といった素朴な友情からの物では無く、ジェンなら俺が気がつけるのはもっと切羽詰まってからだ、という奇妙な信頼からだった。


 家の面子めんつが絡めば友人同士であっても殺し合いに発展するのが貴族社会だ。

 貧乏子爵家の次男坊であっても、その辺りの感覚はシンも貴族だった。


「君に気取けどられるような計画を立てた時は私の才能が枯渇した時だろうね、その時は教えてくれると助かるよ」


 なので同じく貴族であるジェニファーリンも怒った様子は無く皮肉で返してくる。


「言っただろ? 私の友人に会いに来たと」


 ジェニファーリンが駄目な弟を諭す姉の口調で言う。


「だがまぁ、君の妙な勘の良さには驚かされたよ」


 ジェニファーリンの妙な言い回しに首を傾げそうになったシンは、次の瞬間に反射的に戦闘態勢にはいった。

 柵門の前に人がいる事に気が付いたのか、家人が家から出てきたからだ。


「おい、ジェン」


「なんだねシン」


「本当に暗殺とか計画されてないよな?俺」


 シンの言葉にジェニファーリンはただ微笑んだ。

 勘弁してくれ。


 心中でそう嘆きシンは空を仰いだ。


 *


「お待ちしておりました、お嬢様」


 門柵を開けた女性はそう言って深々と頭を下げた、質素ではあるが平民が着る服としては上等な服を着た女性だった。

 ジェニファーリンはそれに対して軽く手を振り、大仰な礼儀は要らないと態度だけで告げる。


「後輩か後任の前ですので、そういった事はしっかりしませんと」


 困ったような顔でそう応える女性にジェニファーリンが苦笑を浮かべる。

 女性の勘違いが面白かったからだ。


「残念ながら彼は君の後輩でも後任でもないよ」


 ジェニファーリンからの視線を受けてシンが一歩前に進む。


「シン・ロングダガー。ジェンの……ジェニファーリンの友人です」


 シンは声に緊張が乗らないように気を付けながら言う。


「ジェニファーリンとは学園の同級で、今回は護衛の依頼を受けて同行しています」


 それでも上半身は適度に脱力し、かかとはそれと分からない程に少しだけ浮かせている。

 シンは今この瞬間に戦闘になっても動ける体勢を維持しながら女性に挨拶する。


「あらやだ」


 女性が驚いた顔をしてシンを見てくる。


「お貴族様だったなんて、私ったらとんだ失礼を」


「いえ、構いません。今は冒険者としてジェンに雇われている身ですし、元より貴族と言っても貧乏子爵家の次男坊です。お気になさらずに」


 女性がそれでも困ったような顔をして、ジェニファーリンの顔を伺おうと視線を向けた瞬間だった。


「いやいやいや!我が友よ!どうした!?何か悪い物でも食べたか!? 大丈夫かい? 君が丁寧な言葉で人と会話するなんて! 雨乞いでもしたくなったのかい? 残念ながら雨じゃ無くて槍が降るぞきっと」


 ジェニファーリンがシンの両肩に手を置いて、真剣な顔でシンを心配する。


「お嬢様……ご友人にそれは流石に」


 ジェニファーリンの部下だろう女性が呆れた様な口調で苦言を口にするのを見て、シンは流石ジェンの部下だ、上司に苦言を呈するだけの忠誠心があると内心で感心する。


「俺だって丁寧な言葉ぐらい使えるぞ?」


 それはそうと自分でも苦言を呈す。


「前置き無しに暗殺を疑ったその口で君がそれを言うのかい!?」


 ハッハッハ。

 シンは笑って誤魔化す。


「家からこんな強い人が出てきたからな、仕方ないだろ」


 どういう理屈だとジェニファーリンが唸り、強者と呼ばれた女性が微笑む。


「それに師匠に言われてるんだよ。強者にはまず敬意を持って相対せよ、相手が敬意を受け取れないようなら殴って良しって」


 どこの蛮族の習慣だ、ジェニファーリンは飛び出しかけた言葉を飲み込んだ。

 続けて飛び出たシンの言葉に更に呆れたからだ。


「流石ジェンの部下だな。勝てるけど殺しきれるイメージが湧かない」


 君はやっぱり蛮族だろ? 強者と褒めながら極自然に相手を挑発するシンにジェニファーリンは溜息を吐きそうになるが我慢する。

 背後で自分の部下が「あらあら決闘を申し込まれてるのですか?」と微笑んでいたからだ。


「チャコ・カンデライト」


 間違ってもここで決闘騒ぎなど起こされたくなかった為に真剣な声が出た。


「私の見立てでもシンは君に勝つよ」


 部下は主人の見立てを、一瞬ですら欠片も疑わなかった。


「私の見立てはまだまだですね。これではお婆様にまた怒られてしまいますね」


 一瞬で微笑みは消え、ジェニファーリンの部下、チャコ・カンデライトは真摯な反省の表情を浮かべる。

 それを見て取ったシンが残念そうな顔をしたのをジェニファーリンは見逃さなかったが、見なかった事にした。

 殴るぞ我が友よ。


 チャコが美しいお辞儀をする。


「名乗りが遅れました事お許しくださいシン・ロングダガー様。私は名をチャコ・カンデライトと申します。ジェニファーリンお嬢様の護衛を務めておりますが、今はこの家の管理人のような事をしております」


 だがシンがその言葉に応える事は無かった。

 ジェニファーリンが無反応な友人を不審に思って視線を飛ばすと、そこには顔を青ざめ固く歯を食いしばっている友人の姿があった。


「ジェン」


「なんだい?」


「命乞いの方法とか教えてくれるか?」


 何を言っているんだ、とジェニファーリンが口にする前に声がかけられた。


「目に頼り切りだけど、まあ合格だね」


 誰も居るはずが無い、シンの身体の影から染み出る声にジェニファーリンは笑顔を浮かべた。

 久しく会っていなかった白髪の友人が、当たり前のように、最初からそこに居たかのように、シンの背後からにじみ出るように現れる。


「やあ久しぶり、我が友コークス・カンデライト」


 笑顔の友人を見てシンは思った。

 命乞いとは土下座で良いのだろうか? と。


 *


 本当に殺されると思った。

 そう真顔で言う友人にジェニファーリンは苦笑する。


 彼女の目からすると、数年前ならともかく今のシンがコークス・カンデライトに負けるとは思えなかったからだ。

 そんなジェニファーリンにシンが言う。


「俺を見る視線が完全に師匠と同じ物だった。アレは無理だ」


 招かれた家で小さなテーブルに座りながらシンが言う。

 枯れ木のような老婆の視線を思い出すとそれだけで背筋が伸びる。


「初撃を避けられる気がしない。その初撃を食らって生きてられる気がしない」


 思った以上に真面目な友人の声にジェニファーリンは肩を竦める。


「まあ彼女は元暗殺者だし君との相性は良くないとは思うが、そこまでなのかい?」


 ジェニファーリンの言葉にシンが目を見開く。


「言っておくが暗殺はないからな?」


 先回りして否定するとシンが何故か残念そうな顔をする。

 一瞬だけ戦いたかったのかと疑ったが、すぐに台詞を奪われた事に不満なだけだと結論づける。

 そこまで友人からの信用が無いとは思っていない。

「元はかの有名な“王国の暗殺者”なんだよ。引退後は私の友人をやるかたわらで護衛をやってもらっていたがね」


 ジェニファーリンの出した“王国の暗殺者”という言葉にシンが、道理で勝てる気がしないわけだと小声で呟く。

 彼ら、もしくは彼女達を動かすには王家、貴族家、時には教会の合意すら必要になるファルタール最強の暗殺者を指す言葉だ。


 一任務一殺、魔物が蔓延はびこる世界で徹底的なまでに対人間に特化した者達。

 語られる事は多く、されどその詳細は目に触れる事も耳に入る事もない。


 そんな人間を友人に? ついで、で護衛に?


「随分と凄い友人だな、頼むから俺と比べるのは止めてくれよ」


 そんな人間を雇えるパンタイル家にシンは素直に感心する。

 ロングダガー家の場合は、知り合える確率より暗殺対象にされる確率の方が高いぐらいだろう。


「鳥が馬と比べられるのを心配するのは不毛と言うものだよ、シン」


 そういう台詞は鷹に言ってくれと、シンがジェニファーリンの本音を皮肉と勘違いして言う。

 そんなシンに心中で、確かに君は鳥と言うよりかは竜の類いだねと呟きながら、ジェニファーリンは自身を小鳥と言う怪物シンの誤解を捨て置く。


 調査をして分かったが、友人の周りはちょっとオカシナ人間が多すぎるのだ。

 今更いまさら自分一人が君は、君こそが一等オカシイのだと言った所で考えは早々(あらた)まらないだろう。


 我が友ちょっと思い込みが激しいのだ。

 それにそっちの方が面白い、とジェニファーリンが笑みを浮かべた所で声がかけられる。


「私の前職を言うなんて、随分と心を開いているんだね」


 気が付けばそこに居た、としか言えないような自然さでテーブルのそばに立つ老婆は言った。


「なに」


 慣れていたジェニファーリンは事も無げに応える。

「友人には友人の自慢をしたくなるものだよ、我が“引く一”殿」


「そいつぁ嬉しい話だね、私の“いつか足す一”殿」


 老婆――〈千人殺し〉コークス・カンデライトが本当は九百九十九人殺しである事を知っている二人だけに通じる物騒な皮肉の応酬おうしゅう

 ジェニファーリンが一人足りない事を揶揄やゆし、コークスがそれに応えていつか足りない一にしてやると脅すのだ。


 つまりはジェニファーリンの護衛となってから彼女は誰一人として殺していない。

 ジェニファーリンはそれが意味もなく嬉しい。


 刺々しくも奇妙に気安い遣り取り。


「その近づき方は止めてくれ、心臓に悪い」


 そこへゲンナリした声でシンが言う。


「目に頼りすぎなんだよ、気配感知なんてのは気合いの範疇さね」


 抗議をバッサリと斬り捨てるコークスに、コイツは師匠と同類だなと察する。

 瞬間、察したシンの視線にコークスが白い眉を上げる。


「おや? 強者にはまずは敬意を、じゃないのかい?」


 聞かれていたのかと、シンが肩を竦めながら答える。


友人ツレ友人ツレかしこまった物言いをする道理を知らないもんでね」


 暗殺者の皮肉に冒険者の流儀で返す。


「成る程、冒険者かい」


 コークスは管理人である女性、チャコ・カンデライトが音も無く、だがシンにさとられない程ではない動きで用意した椅子に座る。


「相変わらずじょうちゃんは変な人間を集めるへきが抜けないね」


「失礼な」


 ジェニファーリンは憤慨する。


「シンは、シンの方から寄ってきたのさ」


 自慢げに語るジェニファーリンにシンは首を傾げる。

 はて? そうだっただろうか?


「暗殺者に殺されそうになってる所で偶々《たまたま》出会ってね」


 自慢するジェニファーリン。

 コークスが哀れな者を見る目でシンを見てくる。


「自分からパンタイルに恩を売るなんて可哀想な奴だね」


 何故か同情された。


「それはともかく、チャコ。帰ったら護衛の連中を鍛え直しな。パンタイルの護衛が、主人が恩を買うのを阻止できないなんてのは冗談にもなりゃしない」


 お茶のおかわりをカップに注いでいたチャコがその言葉に、はいお婆様、と答える。


「君の代わりは居ない、その程度の道理は弁えているつもりだからお手柔らかにしてやってくれ」


 部下をやんわりと擁護するジェニファーリンを見ながら、シンはこの老婆とジェニファーリンが本当に友人なのだな、と思う。

 これでも友人である、その辺の機微は何となくだが察せる。


 新しく煎れられたお茶の礼をチャコに言いながら、つまりはこの旅の目的はこの友人に会う事が目的だったのかとシンは納得する。

 貴族令嬢の友人が、元王国の暗殺者で護衛であるという点は奇妙この上ないが、割と命を狙われる立場であるジェンが会いに行くのに目立たぬようにする理由は察せた。


 護衛を引退した友人の居場所を人に知られたくなかったのだろう。

 敵対者が自分への人質として狙うかもしれない、というのは難しい想像ではない。


 まあ、この老婆。コークス・カンデライトを人質に取れるようなら、人質に取るまでも無く暗殺に成功するだろうが。

 シンはお茶を啜りながら、友人の無駄な気遣いを、そうと分かっていても安らかな隠退生活を守ろうとしたジェンを好ましく思った。


 友人ツレ友人ツレが、元暗殺者とは思えない優美な所作しょさでお茶を飲む。

 音も無く受け皿(ソーサー)に陶器製のカップを戻して老婆は言った。


「それにしても遅かったね。間に合わないかと思ったよ」


 コークスの言葉にジェニファーリンが困ったような曖昧な笑みを浮かべる。

 珍しい表情だな。


 友人の顔に浮かんだ曖昧な笑みにシンは違和感を感じる。

 そも皮肉ではなく、誤魔化すように笑みを浮かべる事自体がジェンらしくない。


 その笑顔に罪悪感のような物が見えるのだから尚更だ。

 はて? 友人から間に合わないかもと言われて罪悪感を感じるような事とはなんだろうか?


「誕生日か?」


 真っ先に浮かんだ物がそのまま口に出た。

 ジェニファーリンが曖昧な笑みを更に曖昧に深めてシンから目を逸らす。

 そして返ってきたのはコークスの笑い声だった。


 とびきりの冗談を聞いた、そんな顔で老婆が笑う。

 声は乾いていたが、その弾み(リズム)は転がるようで刹那的でシンの良く知る物だった。


 冒険者の笑い方だな。

 どうやら自分は間違えたらしいと察しながら、シンは片眉を上げて答えをせがむ。


「なんだい、言ってないのかい?」


 コークスの問いに首を振るだけで答えるジェニファーリンに老婆がヤレヤレと肩を竦める。


「私の死ぬ日さ」


 簡潔にそう答える老婆に。

 問い返すまでもなく真実だと分からされる声に。


「そいつは遅れたら大変だな」


 シンは至極真面目な顔でそう答え、二度目の笑いを得る事に成功した。


 *


 〈王国の暗殺者〉、〈千人殺し〉、〈点影ドットシャドウ〉。

 コークス・カンデライトの目に世界は、正に無為で殺伐とした寂寥な物に見えた。


 どんな者も、貴族であろうが平民であろうが、裕福だろうが貧困に喘ぐ者であろうが。

 その数字を使い切れば死ぬ。


 コークス・カンデライトの目には、人の寿命が見えるという呪い(スキル)があった。

 何をしようと、何をしようとしていても、それが尽きれば人は死ぬ。


 そんな呪いを人は背負わされて生きている。

 コークス・カンデライトに世界はそうとしか“見え”なかった。


 そんな目を持っていたので、コークスが冒険者になったのはある意味当然だった。

 人の為に何かを作ったり、考えたり、そういった行為に意味をどうしても見いだせなかった。


 寿命を超えて存在し続ける芸術に対しては思う所はあったものの、それを見る側は数字が尽きれば死ぬのだ。

 コークスからすると、同じ動作を繰り返すだけの出来の悪い絡繰からくりにしか見えなかった。


 世界は無為で、人の成す事に意味など無い。

 されど生きていくには働かなければならない。


 自分は真っ当に働けそうにない、だったら冒険者になれば良い、それがコークス・カンデライトの出した結論だった。

 いささか短絡的ではあったがコークスのその選択は正解だった。


 幸いにもコークスには才能があった。

 冒険者として頭角を現すのに然程の年月は必要なかった。


 そして冒険者という職業は彼女の誤解を解いてくれたのだった。

 人は確かに寿命が尽きれば死ぬが、寿命が残っていようと殺されれば死ぬのだ。


 当たり前と言えば当たり前のこの事実は、コークスにとってはまさに青天の霹靂だったのだ。

 人は寿命に支配されている、それが見えるコークスもまた、その数字に知らず支配されていたのだ。


 人は殺されれば死ぬ、この当たり前の事実を知って。

 コークス・カンデライトの世界は華やかに色づいた。


 *


 ひとしきり笑ったコークスが、「さて」と呟いて意味深な笑みを浮かべる。


「我が友ジェニファーリンが、敵と味方の数は多かれど、友人だけはさっぱり少ないパンタイル中のパンタイルが、友人の今際いまわきわに連れてきたんだ、ただ者じゃないんだろ?」


 どうなんだい? 視線だけでそう問われてシンとジェニファーリンは思わず視線を合わせて首を傾げる。ただ者じゃないのだろう、と言われても意味が分からない。

 それをとぼけていると捉えたのか、当ててやろうといった顔でコークスが言う。


「結婚の報告かい?」


 ジェニファーリンが激しくむせた。

 貴族子女の最後のプライドか、涙目になりながらもお茶だけは噴き出さない。


 ジェニファーリンと結婚か……。

 無い、とは思いつつもシンは真剣に想像してみる。


 数秒の内に全てを皮肉でなぎ倒しながら高笑いするジェンと、その隣で疲れた顔する自分が現れた。


 たちが悪い事に自分は嬉しそうである。


 これは駄目だな、シンは肩を竦めて首を横に振る。

「我が友!決闘だな!? そのアレは決闘の申し込みだな!?」


 むせながらも身を乗り出しジェニファーリンが怒る。


「楽しそうではあるが、国が一つか二つは無くなりそうだからなぁ」


 シンの言葉にジェニファーリンが咳を押さえ込み沈黙する。


「ならば良し」


 何が“ならば”なのかは分からなかったが、シンは賢明にも黙ってそれに頷き返す。


「いや、すまないね。悪かったよ、私が悪かった。今ので分かった、あんたら二人が結婚はないね、というかしちゃ駄目だ」


 謝りつつも、呆れているのを隠そうともしないコークスの言葉にジェニファーリンは眉の角度を険しくする。


「その物言いも決闘モノだけど」


 ジェニファーリンは椅子に深く座り直しながら言う。

 むせたせいか、珍しく髪が乱れている。


「まずは自分が死ぬと言った理由などを説明すべきだとは思うんだけどね。普通は」


 普通じゃない人間に普通を説くほど無意味な事は無いと思いつつもジェニファーリンはつい言ってしまう。

 コークスの背後に立つチャコが何か言いたげな顔をしていたがジェニファーリンは気が付かなかった。


「説明は要らないだろうさ、言った相手が信じているんだから」


 何を無駄な事を言っているのかと呆れるコークスの言葉にシンが驚いた声を上げる。


「え? 嘘だったのか?」


 驚いた顔をするシンを見てジェニファーリンが頭痛を堪えるように眉間に手を添える。

 身振りだけでそうじゃないと、シンに否定を返しながら、我が友はこういう奴だったとジェニファーリン。


 我が友よ、ホントにその懐に入った奴をすぐに信じる癖を治さないと尻の毛どころか、生きたまま目すら抜かれるぞ?

 嗚呼、駄目だコイツ自分で目を潰そうとした事あったわ。


 八方塞がりじゃないかと呻きながらも、ジェニファーリンはシンを教育する事を心のメモに記す。


「普通に会話できる友人が欲しい」


 思わず呟いたジェニファーリンの言葉に、何故か友人二人が目を合わせて爆笑する。

 憤慨する主人を見たチャコ・カンデライトが行儀良く、お前ら全員が普通じゃないからな? と笑顔の下で思っていた事には誰も気が付かなかった。


 *


 人は殺されれば死ぬ。

 当たり前の事実に気が付いたコークス・カンデライトの世界は彩り華やいだ。


 何のことは無い、人は限られた寿命の中で成せることを成すのだ。

 命数めいすう使い果たして死んだ母も、ただそうであったに過ぎないのだ。


 何と美しく愛おしい世界なのだろうか。

 人は殺されれば死ぬというのなら、寿命は呪いでも無ければ宿命でも無い。


 只の限界であり、終着点に過ぎない。

 そうと分かれば、冒険者という職業を選んだのは正解であったと、コークスは己の幸運を喜んだ。


 人々をその終着点まで辿り着けるよう、手助けをするのだ。

 人に害をなす魔物を倒し、終着点までのその道が安らかな物になるようにと剣を振るうのだ。


 終着点までに至る一歩。

 それこそが尊く愛おしい。


 *


「それにしても良く信じたね」


 呆れたようなジェニファーリンの声にシンが振り返る。

 テーブルを端に寄せ、借りた毛布の上に寝袋を並べた所だった。

 今日の二人の寝床である。


 チャコ・カンデライトは主人に自分のベットを使うように言ったが、ジェニファーリンは固辞した。


「コークスが死ぬという話だよ」


 振り返ったシンの顔が質問の意図をまったく理解していない物だったのでジェニファーリンは説明を継ぎ足す。


「普通は信じられないと思うのだけどね」


 ジェニファーリンの言葉にシンはどう答えたものかと暫し悩む。

 友人ツレ友人ツレの話を信じないような事はしない、等という冒険者のノリ全開の答えを求められていない、というのは分かった。


 だが実際の所はそれよりも酷い。

 完全に直感だった。

 自分の目にはコークスの魔力が、嘘をついているように見えなかった、というのも理由としてはあったが、言った所で信じられないだろうとシンは言わなかった。


「直感は信じるようにしてるんだよ」


 なのでシンは直感だと答えた。

 それに対して寝袋に潜り込むジェニファーリンの顔が何とも言えない顔になる。


 成る程、信じたのかと俺に訊いたが、ジェン自身は信じきれていないのか。

 そのくせ、今日はもう眠ると言ったコークスに「今日死ぬわけじゃない」と言われるぐらいには心配な顔をしてしまう。


 同じく寝袋に潜り込みながらシンはどう言ったものかと思う。

 シンの中では、老婆、コークス・カンデライトが死ぬというのは真実だという確信があった。


 魔力がどうこう、というのもあったが奇妙なほどの確信がシンの中にあった。

 言語化できないが故に友人にかける言葉が思いつかない。


 寝袋に潜り込み、背を向けるジェニファーリンが囁くような声で呟く。


「友人をこんなにも心配させるなんて、全く酷い奴だよ」


 シンはただ一言、そうだな、と同意だけして魔石灯を消した。


 *


 翌朝、目が覚めたシンはジェニファーリンを起こさないように気を付けて寝袋から出ると、久しく出来ていなかった日課の鍛錬をした。

 森の中にあるせいか、日が昇りきらない早朝はまだ夜の空気を濃く含んでいた。


 軽く身体をほぐし、身体強化の訓練に移る。

 最低強度から最大強度まで、身体強化の強度を繰り返し変化させる。


 出来るだけスムーズに、出来るだけ一繋がりになるように注意する。

 まともに魔法が使えないシンが使える数少ない魔法、それだけに師匠である〈親切なバルバラ〉はシンの身体強化の魔法を徹底的に鍛え上げた。


 本人の資質も勿論あったが、結果としてシンは十三歳という年齢で〈親切なバルバラ〉が中々に使えると認める程になっていた。


「お嬢様を疑っていた訳ではないのですが、まさかこれ程までとは」


 そう声をかけてきたのはチャコだった。

 本人の薄い気配に不似合いなエプロン姿は一見すれば只の使用人だが、纏う雰囲気が剣呑に過ぎた。


「師匠からは“まだまだ”としか言われないから、そう言って貰えると嬉しいね」


 外に出た瞬間から見られているな、と思っていたシンは落ち着いて喉だけの身体強化を弱めて応える。

 その様子にチャコが、変態的に器用ですねと呟いて溜息を吐く。


「そのお師匠様はおそらくですが、お婆様と同類のような気がします」


「だとしたら貴方も大変だ」


 ただの事実としてそう応えると、シンは剣を振る。

 やっとで真似できるようになってきた師匠の足運びを思い出しながら慎重に、かつ全力で剣を振る。


 早朝の空気を裂く剣先はチャコの目からは殆ど見えなかった。

 身体強化を使っている時の動きの雑さが一切ないその動きに戦慄する。


 成る程、これは確かに自分は負けるだろう、そして逃げるに全力を賭すだろう。


 十三歳でこれか――、チャコは暮らすに苦労など無い貴族の少年が、この年齢でこれ程にまで達するに要した血の量を想像して首を傾げそうになる。

 何の覚悟があってそこまで血を流したのか? チャコは気になりはしたもののその疑問に蓋をする。


 今はそんな事はどうでも良い事だった。


「シン・ロングダガー様、お嬢様のご友人である貴方にお願いがございます」


 パンタイル家で学んだ礼儀作法に則り、背筋を伸ばし頭を下げる。


「どうか、これからもジェニファーリンお嬢様をご友人としてお支え頂きますよう、伏してお願い申し上げます」


 剣先が空気を裂く音と、鞘に戻る音がほぼ同時に聞こえた。

 何の事は無しに成される絶技に心中絶句する。


「まいったな」


 少年が年相応の声で困ったように言う。

 内容よりもその違和感にチャコはつばを飲む、お嬢様はこの少年が怖くないのだろうか?


「ジェンに引っ張り回される未来は想像に容易たやすいんだけどな」


 嗚呼、確かに。

 チャコは思わず同意した。


「俺が支える側ってのはいまいち想像できないけども。まぁそうだな、この両手が届く内は必ず、で良いかな?」


 自分の言い回しが照れくさかったのか、誤魔化すように両手をヒラヒラとこちらに見せてくるシンを見て。

 成る程、確かにこの少年は主人の友人だとチャコは思った。


 *


「で? いつ死ぬんだ?」


 朝食を終えて、テーブルでチャコの煎れた茶を飲みながらシンは訊いた。

 ジェニファーリンのカップに茶を注いでいたチャコが凄い顔で見てくるのが見えて、まかせろという気持ちを込めてシンは頷き返す。


 チャコの顔が更に凄い物になる。

 何故だ? シンは心中で首を傾げそうになる。


 朝からジェニファーリンの様子がおかしい、というのはすぐに分かった。

 あのジェニファーリン・パンタイルが――、産まれて産声を上げる前に、すまないちょっと大声で泣くから宜しくと断りを入れてから泣いていても不思議では無い――、とシンが思っているあのジェニファーリン・パンタイルが、何かを言おうと口を開いては何度も思いとどまっていたのだ。


 これで何もなければ、それこそ詐欺である。

 友人にそこまで入念に騙されるような覚えは無いシンは、成る程これは友人がいつ死ぬのか気になっているが訊けないのだな、と理解した。


 ジェニファーリンが驚いた顔をしてシンを見る。

 まかせろ、シンはジェニファーリンに頷き返し、それを見たチャコが形容しがたい顔をした。


「老い先短い老婆になんて事を訊くんだい」


 コークス・カンデライトがカップを静かに皿に戻しながら呆れた声で言う。


「そんな事を気にするタマには見えないんでね」


 婆さんからは同類の匂いがするからな、とシンがうそぶく。


「これだから冒険者は……、女にモテないよ」


「おい止めろ、十三歳男子にそれは本当に止めろ、条約違反だぞゴメンナサイ」


 即座に降伏するシンにコークスがケッケッケと怪鳥のような笑い声を上げる。


「そこで笑顔で返せないようじゃまだまだだね、私の旦那だった男はそりゃもう素敵な笑顔で口説いてきたもんだよ」


 懐かしげな顔をして、そんな男に口説かれる自分、と暗に自慢するコークスにジェニファーリンが口を開く。

 声は小さく、そして呆然としたような雰囲気の声だった。


「結婚、していたのか」


 不安な顔をする少女を見て老婆は静かに笑い、少年は少女の不安が分からず心中で首を傾げる。


「昔の話だがね、うの昔、捨てるまでもなく勝手に朽ちる程のね」


 コークスがテーブルの上に組んだ手を置き、ジェニファーリンを見つめる。


「そう言えば話した事は無かったね」


 声に悪意など一欠片もなく、それどころか込められたのは疑いなく優しさであった。

 だが告げられたのは酷い無体むたいだった。



 つまりは、どれほど長い年月を過ごした友人であったとしても、聞けていない話など沢山あるし、語り尽くせない思いは山ほどあるのだ。

 もうすぐ死ぬのだと、そう告げる友人から聞くにはこたえる話だった。


 また明日と言った相手が翌日には死んでいる事が珍しくない冒険者のシンとしては、随分と優しいと思うのだが。

 人と人など、家族であろうと友人であろうと話し尽くせる物ではない、等という当たり前の事に不安になるジェンに、理解が追いついたシンは苦笑する。

 それはそれとして。

 珍しいほど素直に不安を顔に出す友人を見る。


「それでいつ死ぬんだ?婆さん」


 シンは不機嫌に言った。

 あまり俺の友人を虐めてくれるなよ。

 

 明らかにジェニファーリンとコークスの間で大切な何かが交換される空気をぶった切る。

 おい、ババア、そういうのは二人でやれ。


 言外に込めた言葉を視線に乗せる。

 ツレに大事な事を言うなら逃げ道に他のツレを巻き込むな。


「なんだい、腑抜ふぬけけてる時でもイケてる顔するじゃないかい」


 老婆に茶化されても嬉しくない。

 シンは肩を竦めるだけで流す。


 オーケー分かったよ兄弟ブロ

 老婆が小声で冒険者の流儀で答える。


「三日後さ」


 老婆が何でもない事のように自分が死ぬ日を告げると、シンはいぶかしげに眉を顰め。

 ジェニファーリンのあからさまに安堵した表情が目に入ると、嗚呼畜生このババア、と心中で毒づいた。


 *


 ちょっと柴刈しばかりに出かけます、手伝いがいるのでロングダガー様をお借りします。

 そう言ってチャコ・カンデライトは有無を言わさずシンを連れ出した。


 余りにも堂々とした態度だった為に、ジェニファーリンはおろかコークスも、そしてシン本人すらそういう物かと素直に従った。

 シンに至っては、よし一冬越せる程の柴を刈ってやろうと意気込んですらいた。


「私の話を聞いてました?シン・ロングダガー様?」


 小屋からちょっと離れた場所にある木にシンを押しつけ、逃げ出さないようにとその頭部の両脇に両手を付く。

 怒りのせいか少し力が入りすぎたようで、小さく木が鳴いた。


「柴刈り」


 必然覗き込むように向き合ったシンが端的に答える。

 こいつッ、手の平に木が砕ける感触を感じたチャコは深呼吸して自分を落ち着かせる。


「ジェニファーリンお嬢様を! どうか! 宜しくお願い致しますと! お願いしましたよね!?」


 ああ、と少年が呟く。 

 通じたか、通じてくれたかとチャコは安堵する。


 この段階で通じていなかったら自分は人選を大きく誤った事となる。


「上手くやっただろ?」


 通じてねぇ!

 生木に自分の指先が沈む感触が叫ぶのをすんでで留める。


 チャコは指先を生木から引き抜きながら、この表現しずらい感情がどうにかこの少年に伝われと両手をワキワキとさせる。


「最悪ですよ!?」


 言葉になったのはその百分の一にも満たなかった。

なんなんですか!? どう考えたらアレが上手くやったと思えるんですか!? 貴族ですよね? 貴族なんですよね? 貴族ってのはそんな感受性デリカシーをなぎ倒しながら生きていける物なんですか? ていうか感受性デリカシーに何か恨みでもあるんですか!?」


「どうして、どいつもこいつも俺を感受性デリカシーの敵にしたいのか?」


「普通の人はこれだけ言われれば疑問に思わず、ちょっとは傷つく程度の感受性デリカシーがあるからですよ」


 シンの顔があまりにも純粋に疑問を浮かべていたのでつい冷静な声が出た。

 その言葉はちょっと傷つくな、シンがそう言って頭を背後の木に預けるのに合わせてチャコは一歩下がる。


「でも俺は婆さんに上手く使われただけだしなぁ」


 呆れたように、まるで自分こそが被害者だと言いたげなシンの様子に思わず首を傾げる。


「どういう事ですか?」


 被害者面して非難から逃れたい、そういう感じでも無いシンにチャコは思わず尋ねた。

 その声にシンが不機嫌そうに、それでも何か受け入れるような顔をして言う。


「つまりはさっそく約束を守らないと駄目そうだ、って事だよ」


 *


 “冒険者”コークス・カンデライトは幸せだった。

 人は殺されれば死ぬ、当たり前の事実は世界を意味ある物に変えた。


 人生とは、長い短いではないのだ。

 数年前の自分が聞けば鼻で笑うような事を考えるようになっていた。


 世界の見え方が変われば受け止め方も変わる。

 受け止め方が変われば考え方も変わる。


 気が付けば人並みに人を好きになり、結婚していた。

 コークスは自分の変わりように驚くよりも笑ってしまった。


 だから毎日笑って生きた。

 笑って生きれば長い死への道が意味で溢れると思えた。


 幸せに生きるかどうか? とは酷く簡単な事なのだ。

 だからだ。


 簡単に絶望した。

 簡単な幸せは簡単に絶望に変わる。

 産まれた子供の寿命が三年だった。


 うとみはしたが、恨みはしなかった自分のスキルを始めて呪った。

 何故こんな物が見えるのか?


 スキルを神からのギフトであると言う教会の連中に聞きたかった、これは呪いではないのか? と。

 たった三年の命にいったい何の意味があるのか?


 親が産まれた我が子の人生の意味を疑問に思わなければならない、これは何かの罰なのか。

 何よりも恐ろしいのが、それでもなお我が子が愛おしかった事だった。


 コークスは産まれて始めて神に祈った。

 疎み恨んだ神にただただ祈った。


 だが死んだ、当たり前のようにあっけなく死んだ。

 幼い我が子が命数を使い果たすその瞬間を目の当たりにし、その幼い体躯から温もりが消えるのを己の腕で感じ、コークスは絶望した。


 我が子が死んだ事にではない。

 神が自分の祈りを聞き届けてくれなかった事にでもない。


 そんな物は絶望でも何でもなかったのだ。

 コークスは泣けない自分に絶望した。


 思えば母が死んだ時もそうだった。

 終わりが見える自分は、死が訪れるその時には既に覚悟が出来てしまっているのだ。


 初めから受け入れていたのだ。

 祈り生きてくれと願った自分が、本当は受け入れていたのだと知って、コークス・カンデライトは絶望した。


 嗚呼、これから自分はどれほど大切な人が死のうとも、涙を流す事など無いのだ。

 コークス・カンデライトは世界にではなく、自分に絶望した。


 *


 重症だ、これは重症だ。

 言い訳程度に柴を刈って戻ってきたシンは扉を開けた瞬間にそう思った。


 あのジェニファーリンが、黙って座っているのだ。あの、ジェニファーリンが。

 明らかに何か言いたげ、何か聞きたげな顔をして、あのジェニファーリンが黙って座っているのだ。


 思わず心中であのジェニファーリンと三度も繰り返し、実際に目にしてもなお頭が拒否するような光景に、シンはついその元凶である老婆を非難がましい目で見てしまう。

 つまりは、おいどうにかしろ、という目である。


 老婆、コークスはその視線にただ皮肉気な笑みを返してきただけだった。

 その笑みに溜息と幾つかの言葉を飲み込むと、シンは諦めたように椅子に座った。


 自分が戻ってきた事に安堵する友人に、重症だ本当に重症だ、そう思いながらシンは軽い頭痛を感じた。


 *


 コークス・カンデライトは、全てを捨てた。

 いや、全てから逃げ出した。


 自分と違い、我が子が死んだと涙を流せる夫から、死んだとしても泣いてやれない夫から。

 コークス・カンデライトは全てから逃げ出した。


 世界に絶望しても人間は生きていける、だが自分に絶望した人間が生きていくのは至難だ。

 腹が減れば飯を食い、眠りたくなったら眠り、死にたくなったら死にに行った。


 生きる意味など無かったが、自死を選ぶ程に自分の死にも意味を見いだせなかった。

 結果として死ぬならまあ良いか、コークスはフラフラと強い魔物を求めて各地をさ迷った。


 寝て食って死にに行く、そんな生活を数年続け、気が付けばコークスは王国の暗殺者となっていた。


 理由は今となっては思い出すのも困難だったが、きっとどうでも良い理由だったのだろう。


 ただただ、意味の無い自分に疲れ果てていた。

 つまりはコークス・カンデライトは絶望していたのだ。


 *


「嘘だろ、おい」


 思わず小声で呟いたシンは天井を仰ぎ見た。

 恐ろしい事にジェニファーリンは、アレから実に半日の間、一言も喋る事は無かった。


 飲み過ぎて手を付ける気にもならないお茶は、冷めるたびにチャコの手で機械的に温かい物にれ直される。

 貧乏子爵家の次男坊としてはお茶が勿体ないから止めろと言いたくなるが、最早もはや問題はそんな所には無い。


 余りの異常事態にジェニファーリン・パンタイルが十三歳の少女に見えた程だ。

 本人に言えば即決闘ものの感想を抱きながらシンは溜息を我慢する。


 つい原因であるコークスを恨みがましく見てしまったが完全に無視される。

 お前が一言ジェンに声をかければ、というのはシンだけの感想ではあるまい。


 本人はともかくとして、チャコも良く黙って付き合ってられるな。

 シンは自分を棚に上げてそんな事を考える。


 結局、ジェニファーリンは夕食の時間になるまで一言も喋る事はなかった。

 ジェンが一言でも話しだしたら適当に理由を付けて二人きりにする、と考えていたシンは自分の考えが甘かった事を痛感していた。


 丁寧に調理された兎肉は美味かったが、妙にか弱く見える友人を前にして食べると何とも奇妙な味がした。

 食後の茶を飲みながら、これはもう俺がジェンに話しかけるかと、呆れすぎて緩くなったあごに力を込めた所だった、チャコ・カンデライトが小さくうめくと、その眉根に皺を寄せよせたのは。


 遂にチャコも我慢の限界か?

 シンは一瞬そんな事を考え、すぐに違う事に気が付いた。


 固い魔力の線がチャコに伸びている。

 魔道具からの魔力?


 一体何の魔道具だ、という疑問を抱いた自分をシンは馬鹿かと心中で罵倒した。

 人類圏外の森の中で住む人間が使う魔道具なんてたかが知れている。


 魔道具から何かしらの通知を受けるような物ならそれこそ考えるまでもない。

 探知系魔道具が動作したのだ。


 シンは無意識で剣帯の締め具合を確かめる。

 夜の森は始めてだなぁ、深刻な表情でそっと顔を自分の耳に寄せてくるチャコを見ながらシンは暢気に考える。


「シン・ロングダガー様、申し訳ございません、お嬢様の為に死んで頂きたく」


 緊張の滲む小声にシンは笑みを浮かべる。

 ジェンが泣くから死ねないなぁ。


 泣くジェニファーリンなど想像も出来なかったがそう思うぐらいは許してくれ、シンは死んでくれと言われて頷き返す。

 元暗殺者の祖母を持つ人間から言われるには物騒すぎる言葉だったが、おかげで覚悟がすぐに決まる。

 つまりは依頼をこなせば良いのだ。

 逃げるではなく、死守と言われたのだ、それはジェンの目的がコークスとの対話であるという事だ。


 家臣から主人の依頼内容の補足をしてもらったにすぎない。

 強者チャコに死を覚悟させるナニかに邪魔させなければ良いだけの話だ。


 いや割にあわねーな。

 シンは笑って剣を手に取った。


 立ち上がった自分にすがるような視線を向けてくるジェンファーリンに笑いかける。

 変な感じだとシンは思う。


 頼られるのが妙に心地よい。

 彼女が欲している助けは、今から自分がするような事ではないと分かってはいたが、友人に頼られるという事に嬉しさを感じる。


 シンはジェニファーリンの隣へと移動すると、片膝を突き椅子に座るジェニファーリンをそっと見上げる。


「ジェン」


 名を呼ばれたジェニファーリンが戸惑うように視線を惑わせる。


「俺は今からちょっと依頼をこなす。冒険者だからだ。お前に雇われた冒険者だからだ」


 明確に不安を顔に浮かべたジェニファーリンが口を開こうとする。

 それを首を横に振って黙らせる。


 ジェニファーリンの口から出そうになった言葉が何だったのか、シンには分からなかった。

 分からなかったが言わせる気はシンには無かった。

 いつものジェンならチャコの様子から何かしら事情を察したはずだが、本当に今は弱っているんだな。

 おそらくナニかが近づいている事にも気が付いていないジェニファーリンに言う。

 

「仕事をしてくるよ、雇い主殿」


 戸惑うように頷き返してくるジェニファーリンが本当に十三歳の少女にしか見えない。


「それで、だ。こっからは友人としての言葉だ」


 ジェニファーリンがいつもこうだったら――、シンはコークスに結婚相手かと間違われた時の事を思い出す――、想像とはいえもう少しまともにジェンとの結婚生活想像できたのかもしれない。


「ジェン」


 数少ない友人を無くすのはゴメンだが。


「何でも良いから話せ、くだらない事でも良いし、泣き言でも良い、笑い話なら最上だ。話す理由なんて探すな、話す意味なんてのも探すな」


 シンは立ち上がりそっとジェニファーリンの肩に手を乗せる。


「友達と話すのにそんな物は必要ない」


 それじゃあな。

 シンはそれだけ言うとさっさと背を向けてしまう。

 何かを言いたげな友人を明確に拒絶して。

 だが。


「嗚呼――」


 ふと扉の前でシンが足を止めて言う。

 どうしても友人にこんな顔をさせたコークスに一言()っておきたくなった。


「静かな夜を保証してやるよ婆さん。感謝しろよ?」


 つまりはお膳立てはしてやるから、しっかり責任取れよ、という事である。

 背後で老婆が笑う気配がした。


 *


 身体強化を使っても夜の森は暗かった。

 達人の域に達すると身体強化中は星すら無い夜であっても昼間のように見えるらしいので、せいぜい早朝程度にしか見えない自分は、つまりは未熟なのだとシンは思う。


「敵は?」


 背を向けて前に立つチャコに訊く。


「こちらの方へ魔物の群れが迫っています」


 成る程、単体ではなく群れか。

 何かしら強い魔物などが発生した際に、その周辺の魔物が一斉に移動するというのはまれではあるが珍しくない話だ。


 そういった群れは規模にもよるが魔物避けを無視する事も珍しくない。

 今回はその移動先にこの家があったという事だ。


「この辺の魔物の情報は?」


「ファルタールらしく何でもありですが、所感としては大鬼オーガの類いが良く出るかと」


「じゃあ相性は悪くないな」


 シンの言葉にチャコが振り返る。

 顔には若干の不満が見て取れた。


 どうやら緊張をほぐす為の冗談を言ったと思われたようだ。

 緊張していると思われたのが不満なのだろう。


 シンは肩を竦めて訂正する。


「ただの事実だよ、オーガなら首を落とせば死ぬ」


 チャコが変な顔をする。

 なんだその竹馬に乗る熊を見たような顔は?

 シンが首を傾げるとチャコが溜息を吐く。


「まあ確かに竜種と一晩中殴り合う事と比べれば相性は良いのでしょうね」


 皮肉気な肯定の声にシンは頷き返す。

 竜は本当に勘弁してくれとシンは思う、本当に相性が悪いのだ。


「ところで群れの規模は分かるか?」


 そう言えば敬語を使い忘れてしまったな、そんな事を考えながらシンはチャコに尋ねた。

 チャコが一瞬だけ呆れたような顔をする。


 最初に殺せるかどうかを気にしてから群れの規模ですか、これだから冒険者は。

 小声で漏らした独り言は聞かなかった事にした。


「そうですね」


 チャコがシンに向かって皮肉気な笑みを浮かべる。

 成る程、彼女も確かにジェンの部下だ。


「生き残れば酒場でモテる、程度ですね」


 冒険者こちらの流儀に合わせた言い回しにシンはチャコの隣に足を進める。


「十三歳男子にとってはやる気の出る言葉だ」


 俺のモテたい相手は酒場にはいないが。

 心中でそう付け足して、シンは身体強化の強度を上げた。


 *


 コークス・カンデライトは“当初”の予定通りに夕食後のお茶を飲み終えると着替え、ベットに横になった。

 予定外は起きたが、まぁあの二人なら何とかするだろう、というのがコークスの結論だった。


「そんな所で突っ立っていられたらゆっくり出来やしないよ」


 予定外を人に放り投げたコークスは、途方に暮れたような顔をする年下の友人に声をかける。

 正直な所、ジェニファーリン・パンタイルがこうなるというのは“予定外”だった。


 思えば多くの死に立ち会ってきたが、自分以外の人間が予定された死に立ち会う場面というのは始めてだった。

 ドアの前で不安げに惑うジェニファーリンは確かに珍しくはあったが、死ぬ前に見るにしてはそぐわなかった。


 百年に一度のパンタイルの、最もパンタイルらしくない姿を冥土の土産にするのも悪くは無いが、それをやったらあの坊主は怒り狂うだろう。

 あの坊主に老人の無責任さを教えてやるのも面白そうではあるが、流石に大人げないだろう。


 ジェニファーリンにあらかじめ用意しおいたベット脇の椅子に座るよう、身振りだけでうながす。


「三日後だと」


 ベットサイドの小さな魔石灯の明かりが作った影の中でジェニファーリンが小さな声で言う。


「三日後だと言ったじゃないか」


 やっとで口を開いたと思ったらそれかい。

 コークスは呆れながらも、やはり自分の嘘はバレてしまったなと苦笑する。


 一体どこで気が付いたのだろうか?

 いや、パンタイルにその手の隠し事が出来ると考える方が間違っているね。


 あの一族は、一族郎党眼が良いのだ。

 スキルの有る無し等は実際は些細な違いでしかない。


 バレるようなヘマはしたつもりは無かったが、まぁ相手はあのジェニファーリン・パンタイルだ。

 最初からバレない等とは思っていなかった。


「本当はいつなんだ?」


 近づいてくれないから顔が良く見えない。

 コークスはそんな事を考えながら口を開く。


「私は明日の朝には死ぬ」


 コークスは淡々と真実を語った。


 *


 千人殺すまでには死ぬだろう。

 そんな理由で千人殺すまでは王国の暗殺者を務めようと思った。


 率先して――、というよりも王国はコークスを完全に使い潰すつもりだったのか、明らかに失敗が前提の任務が割り振られたので、コークスはそれらの任務を片っ端からこなしていった。

 自分でも不思議だったが、何かを殺す、という事において才能があったようだった。


 人の命数が見える自分が、殺す事に長けている。

 最早ここまでくると皮肉を通り越して趣味の悪い冗談である。勿論、冗談とはコークス自身の事であった。


 そうしてコークスがどう考えても死ぬか失敗するかというような任務を幾つも成功させ、幾つかの異名を付けられ、当時名乗っていた偽名よりもそれら異名で呼ばれる事に慣れた頃に千人目を殺した。

 正確には諸事情により千人では無かったが、その頃にはどうでも良くなっていた。


 辞めると告げれば自分は殺されるかもしれない、そんな事を考えながらコークスが時の上司に引退することを伝えた所、盛大にねぎらわれた。

 国家に忠誠を誓い自ら最も危険な任務に志願し続ける忠臣の凄腕暗殺者、というのがファルタール王国がコークスに下した評価だった。


 質の悪い冗談である。コークスはいつか自分を殺しに来るだろうからと、鍛えた後輩どもへの訓練が全て無駄になった事にゲンナリした。

 ここまで何もかも上手くいかないとは、やはり自分は神という存在にとことん嫌われているらしい。


 まあいいか。

 絶望には底が無い、それは慣れた物であったしうの昔に諦めていた。


 最初から諦めていれば絶望は大した事は無いのだ。

 さて、次ぎからどうやって死にに行くか?


 辞めてから数日、コークスがそんな事を考えていたら、自分を護衛に雇いたいという酔狂な人間が現れた。

 自分が何者かを知れる立場の人間が、わざわざ身の内に暗殺者を抱えよう等というのは余程の事情があるか、只の馬鹿のどちらかだ。


 珍しく興味からその話を受けてみる事にした。

 そうしてコークス・カンデライトはパンタイル男爵家からの、護衛として雇いたいという話を受けた。


 *


「何を話せと言うのだ?」


 椅子に座ったジェニファーリン・パンタイルは短い沈黙を挟んでそう言った。


「あの坊主も言ってたじゃないか、友人と話す事に意味なんて探すもんじゃないってね」


 良い言葉じゃないか。

 そう言って笑うコークスを見て、ジェニファーリンは唇を浅く噛む。


 死を間近にする友人との会話で、話す意味など探すな、など出来ようはずがない。

 何を話そうとも、それにかなう価値を見いだせない。


 故に沈黙が続き、胸が詰まるほどに話したいというのに言葉は何一つ出てこなかった。

 自分は何を話すべきなのだ?


 ジェニファーリンは今日、数えるのも億劫になる程くり返した疑問を自分に投げかける。

 それとも私は彼女から何かを聞くべきなのだろうか? 何か果たせなかった思いや、残したいと思った思いを彼女から受け取るべきなのだろうか?


 ジェニファーリンは口を開こうとしたが、唇が戦慄わなないただけだった。

 そう問うことすら、死を前にしてそれだけの価値があるのか分からなかった。


「まったく、出会った頃のアンタが今ココにいたらなんて言うだろうね? 笑うかね? まぁそうなるなら私は随分と上手くやったという事だろうね」


 自分には理解出来ない呆れと皮肉を吐くコークスの顔をマジマジと見てしまう。

 小さな魔石灯に照らされるその顔は、驚くほどに白かった。


 ジェニファーリンは息を飲む。

 私は友人がこんな顔をしている事にも気がつけていなかったのか。


 そうと気が付いた瞬間、ジェニファーリンは衝動的に言葉を発しそうになった。

 全ての思考を投げ捨てて、感情だけが口を突いて出ようとした。


 だがそれを食い止めたのは、そうさせた友人の白い顔だった。

 強烈な皮肉がこもった笑顔。


 言葉にせずとも伝わる、“そう”ではないだろうと。

 私とアンタの間にあるのは、そういう物じゃないだろ?という同病を哀れみ皮肉る強烈な意思。


 同じ空虚の輪郭をなぞった二人だけが相通あいつうずる感覚に、ジェニファーリンは言葉を飲み込む。

 私は間抜けか?意味など求めないにしても流儀という物があるだろうに。

 ジェニファーリンは溜息を吐いた。


 溜息を吐き終えれば、目の前には期待するようなコークスの目がある。

 よろしい、ならば期待に応えようではないか。


「墓碑銘でも決めようか、我が友よ」


 ジェニファーリン・パンタイルは実にパンタイルらしい笑みを浮かべた。


 *


「お前の友情をくれ、コークス・カンデライト」


 そう言って自分の古い名前を呼んだ八歳の少女は、良く知った闇だった。

 飽き飽きし辟易へきえきし、世界その物に「この世はつまらない」のだと何度も告げられた者の顔だった。


 唯一ゆいいつ自分と違う点は、それでも手を伸ばせるというその一点だった。

 それが少女の出せる最大限なのだろう、大きく開いた幼い手の平は、本当に、本当に小さく。差し出された瞬間からコークスは眼を離せなかった。


 手を伸ばせなかった自分を思い出す。

 いや、正確には手を伸ばす事すら思いつけなかった自分を、だ。


 現実では一瞬、だがコークスからすれば驚くほど間の抜けた数瞬後。

 遙か昔に捨てた本名を呼ばれた事に驚いた。


 *


「生涯ただ一人の男を愛した女コークス・カンデライト」


「いきなりぶっ込んで来たね」


 コークスが呆れたように笑う。


「そんなに私が結婚していた事を知らなかった事がお気に召さなかったようだね?」


「愚問だね」


 紙に墓碑銘を書きながらジェニファーリンは答える。


「単純にそんな面白い話を私に黙っていた事が気に入らないね、大いに気に入らない」


 自分の素直な言葉に苦笑を浮かべる老婆に、ジェニファーリンは視線だけでこの墓碑銘はどうなんだ?と問う。


「駄目だね」


 返ってきたのは否定の言葉だった。


「そうさね、確かに生涯唯一の愛だっただろうさ。それは間違いないが、単純に“後”が無かっただけの話さ」


 しかも……。

 老婆が古い傷口を見る目をする。


「それを捨てた女がそんな墓碑銘にするなんてのは、本人が知ったらさぞ不愉快だろうさ」


「まだご存命なのかな?」


「いや、とっくに死んでるね。割と幸せな人生を送れたんじゃないかね?」


 おそらく調べて知っているんだろうな。

 ジェニファーリンはそう思ったが深くは聞く事はなかった。


 友人の顔を見ればかの男性の人生が真実そうであったのだろうと分かった。

 少なくとも最後までその一歩は美しかったのだと友人は思っているのだ、ジェニファーリンには分かった。


 どちらにしろ昔の話さね。

 そう言って言葉を結んだコークスを見てジェニファーリンは紙に書いた墓碑銘に横線を引く。


 まあ第一案で決まるとは思っていない。

 ふむ。


「それでは……希代の賭け師、子供の言葉に全てを賭ける愚か者コークス・カンデライト」


「おっと自分の失敗を他人の墓碑銘にしようとは、中々に豪胆だねパンタイル」


「八歳の少女を、それも護衛対象を連れて賭場に行く時点で存分に大きくってると思うがね?それに私は失敗してないよ。あの時、儲け損なったのは私のせいじゃなくて、どこかのカンデライトがイカサマの裏をかいただけに満足せずにそれをネタに毟ろうとしたからだろう?」


 過去を改変しようとする友人を訂正する。


「過去の細かい事を。だいたいゴーサインを出したのはアンタじゃないか? 私は護衛だよ? 主人の許可が無ければあそこまではしなかったね」


 相手からも反論が来た。


「当時はまだちょっと引き際というのが良く分からなかったんだよ、こっちは八歳だったんだぞ?」


 あんな八歳が居て堪るか。

 友人が過去を思い出してぼやく。


 それに対してジェニファーリンは反論を試みる。


「確かに賭場が半壊したが……いや全壊か」


「全壊だったねぇ」


 自分の訂正に律儀に相槌を打つコークスにジェニファーリンは苦々しい顔をする。

 他人事のように言っているが賭場を全壊させたのはこの老婆だ。


「全壊させたのは私のせいでもあるが……」


 言葉を最後まで続けようとしたが、友人の視線に負けてジェニファーリンは言葉を飲み込む。


「分かったよ、分かった。そうさ、八歳の私がちょっと踏み込みすぎたんだよ、八歳の私が。でもその後に暴れ回ったのは私じゃ無い」


「的確に優先的に叩きのめす相手を指示してた人間が言って良い言い訳じゃないねぇ」


 ケッケッケ、怪鳥の鳴き声のような笑い声を上げるコークスを見てジェニファーリンは遂に降参する。


「よし、無しだ。この墓碑銘は無しだ」


 コークスの返事を待たずにジェニファーリンはメモに横線を引く。

 線を引きながらジェニファーリンは考える。


 狙った訳ではないが墓碑銘を考えるというのは、思い出話になってしまうものだな。

 まあ当然か、人生の終着点で付けるのだ。


 それは未来には求められない、過去からだけだろう。


「さてと次ぎは――」


 それは思った以上に楽しいものだった。


 *


 シンはすぐに見るという行為を諦めた。

 自分の身体強化では、どれほど眼を強化した所で夜の森の中ではたいして見えない。


 だったら形が見える程度で良いとシンは早々に割り切った。


「こんのッ!」


 シンは自分の脇腹に噛みつく四つ足の魔物の首とおぼしき場所に剣を突き立て、ねじ切るようにその首を落とす。

 へし折れた肋骨を回復魔法で治す間もなくチャコ・カンデライトから渡された魔道具が明滅する。



「人使いが荒いっ」


 そう毒づきながらもシンはチャコの的確な動きに感心する。

 現在シンとチャコは別々に行動していた。


 チャコはシンに先行し群れを少数に分断、シンはその分断された群れを狩って回っている。

 森に仕込んだ罠を使っているとはいえ、群れを分断しそれらが再び一つにならないように足止めするという難しい仕事を一人でこなすチャコに素直に感心する。


 チャコからすれば、分断したとは言え一人で魔物の群れを狩り回っているシンこそ異常だと言うだろうが。


「次はどっちだ」


 魔道具が指し示す方向を確認しながらシンは肋骨がくっついた事を触って確認する。

 嗚呼畜生、服に穴が空いている。


 いや、いかん。

 流石に肋骨より服の心配をしだしたら貧乏性が極まり過ぎてる。


 ジェニファーリンが聞けば皮肉たっぷりの呆れを聞かされるような事を考え、シンは短く深呼吸すると駆けだす。

 友人の大切な時間を邪魔させるわけにはいかない。


 つまりは全て殺せばいいのだ。

 シン・ロングダガーは見つけた次の群れに向かって飛びかかった。


 *


 私はこの世で一番美しい物を見た。

 私はこの世で一番愛おしい物を見た。


 同じ空虚をなぞった少女の、それでもなお差し出せる小さな手。

 終着点まで歩み続ける一歩こそが尊く美しい。


 そうであるならば泥《絶望》に足を取られた人間が踏み出すその一歩は至高ではないのか?

 私はその手にそれを見いだした。


 足を止めた自分には無かった物だ。

 世界から、お前は“こう”なんだと告げられて心が折れた自分には出来なかった事だ。


 若さ故だろうか?

 疑問は内省ないせいによってすぐに答えが出た。


 実際その通りなのだろう。

 若さ故に少女は手を伸ばせるのだ。


 自分がその若さを持っている時に、手を伸ばせる人は居なかった。

 手で受け止めた物がすり抜ける感触だけがこの手に残る人生だった。


 かつての自分にもし手を伸ばせるような他人ひとが居たら。

 甘美な想像は痛みを伴う、鎧のように重なった瘡蓋かさぶたが剥がれる感覚は、その下には癒えぬ傷がある事を自覚させる。


 私にもコークス・カンデライトが居たら。

 そう想像したらもう駄目だった。


 伸ばされた手を握ったのは、真実それに自分がすがったからだ。

 この少女をもし無聊ぶりょうから救えるのなら、もしかつての私を救えるのなら。


 嗚呼、私は全てを賭けるだろう。

 下らぬと意味すら感じられぬこの命にすら意味を見いだし。


 この少女の瞳が、如何様いかような世界をうつしていようとも。

 この少女が笑えるようにと足掻くだろう。


 終着点に向かって踏み出される、その一歩こそが美しい。

 コークス・カンデライトは終着点を見いだした。


 *


「我が友、コークス・カンデライトここに眠る」


 少し気恥ずかしかったがジェニファーリンは本命の墓碑銘を出してみた。

 自分には珍しく直球の好意を示した。


 ちょっと恥ずかしくてコークスの顔がまともに見れなかったので、つい視線を逸らしてしまう。

 そして返ってきたのは老婆の溜息だった。


「良いかいパンタイル、それは友達が少ない奴が数少ない友人にお前も友達が少ないだろ?私だけが友人だろ?っていう妄想を元に付ける墓碑銘だよ」


 はぅ。

 ジェニファーリンは叫び声を飲み込んだ。


「だいたい友達が居ない奴とも友人になれる様な出来た奴が友人が少ないわけが無いのさ。そういうのはソイツの葬式で参列者の数を見て墓碑銘付けた人間が後悔するからやめときな」


 お前そこまで言うか。

 頬が紅潮するのを自覚しながらジェニファーリンは反論をこころみる、言えば手厳しい返しがあると思いながら。


「いるもん、友達いるもん。シンがいるし」


 ビックリするぐらい舌がまわらなかった。


「おぉパンタイル」


 おうなんだ、なにが飛び出してくる、受けて立ってやるぞ、どんな言葉でもバッチ来いや。

 ジェニファーリンは覚悟を決める。


「そうだね、ツレなんてのは結局は量より質さ。あの坊主は大事にしな、ってなんだいその顔は?」


「いやてっきり聞けば自害したくなるような皮肉が飛んでくるものかと」


 そんな驚かれるような顔をしているのだろうか? ジェニファーリンは自分の頬を触り確認しながら言った。


「あの坊主に関しては皮肉は山のようにでるけどね。特にあの歳でアレはヤバすぎて絶句もんだよ、何なんだいアレは? 何をどうしたらアレになるんだい? むしろあの坊主と友人とかパンタイル極まるね」


 うぇっへっへ、我が友凄いだろ我が友。


「褒めちゃいないよ」


 呆れたようなコークスの声に顔を上げる。

 今のは褒め言葉だろ、褒め言葉。


「いや本当に全くパンタイルは」


「そう言うカンデライト殿はどうなんだい? さぞかし賑やかな葬式になるんだろうね?」


 一瞬の沈黙。

 友人がやおら真剣な顔をする。


「参列者はアンタ一人で十分さ」


 おまっ――。

 顔を直視出来ずに俯き片手で顔を覆う。


「この墓碑銘は却下だ! 絶対駄目! 次だ次ぎ」


 空いた片手を振って強制的に話を終わらせる。

 何なのだ、シンにしてもコークスにしても、こう我が友はホントもう、こう……我が友よぉ。


「なんだい、人が本音で言ってるっていうのに」


 だからたちが悪いんだよ。

 心中でそうぼやきながらジェニファーリンは紙に横線を引く。


 シンもコークスも変な所で似ている。

 身内に対して歯に衣着せなさすぎるのだ。


 何なのだ? 産まれながらのパンタイルキラーか貴様らは。

 ジェニファーリンは吹き出た汗が引くのを暫し待ってから、まだ提案していない墓碑銘を考える。


 王に毛生え薬を届ける者……、はもう言ったな、あれは良い商売だった。


「あーでは、命数を告げる者、残される者に悔い無きよう告げる優しき者、というのはどうだい?」


 コークスが苦笑を浮かべる。


「そんな風に優しく使った覚えはないけどねぇ」


「墓碑銘なんて盛ってナンボじゃないか」


 盛り方ってモンがあるだろ。

 呆れたようなコークスの声に親しみが滲むのが分かる。


 同病スキル煩う二人だけにしか分からない感覚だ。

 ジェニファーリンにしても、今となってはスキルの手綱を握っていると思えるが、幼い時はそれこそ振り回されて生きていた。


 思えば互いに一目見て同じようにスキルに振り回されている人間だと分かったような気がする。

 ジェニファーリンはパンタイル最大の秘密であるスキルの事をコークスに告げるのに躊躇が無かった事を思い出す。


 代わりに告げられたコークスのスキルも、聞いたところでもありなん、としか感じなかった。

 ジェニファーリンは父にコークスを紹介された時の事を思い浮かべる。

 もしかしてあの時自分がこの老婆に手を伸ばしたのは……。


「助けたかったのかもしれないな」


 ふと考え無しに言葉が口を突いて出る。


「何の……話だい?」


 老婆が白い顔を小さな驚きに染めて言う。


「嗚呼、いや始めて出会った時の話だよ」


 良く覚えてはいるがイマイチ今の自分との繋がりを感じられない過去。

 あの時自分はこんな事を考えたのではないのか?


 ふわふわとした感覚だけの理も思慮もない感情だけに任せてジェニファーリンは口を開く。


「酷く寂しい奴がいるものだとね、一族郎党、敵と味方は多かれど友達だけはさっぱり少ないパンタイルよりも寂しい奴がいるものだとね、そんな事を私は考えたんだよ」


 だから……。

 言葉を継ぎながらジェニファーリンは過去の自分を思い出すように薄暗い天井を見上げる。


「だから私は君と友達になりたかったんだよなぁ」


 意味も無くても無い、感情だけの言葉を紡いだジェニファーリンは、老婆から聞こえてきた震えるような吐息に我に返って赤面した。

 またぞろ馬鹿にされる。


 ジェニファーリンとて自覚はあるのだ。

 数字だけの世界にいてんでいた自分を救ってくれたのはコークス・カンデライトだと。


 今度はどんな皮肉が飛んでくるのか、ジェニファーリンは覚悟を決めてコークスに視線を向ける。

 おずおずとした態度だったのは、恥ずかしかったわけでは断じてない。


「いや待て!我が友どうした!どこか痛いのか!?」


 なのでジェニファーリンは大いに慌てた。

 コークスが片手で目を覆い震えていたからだ。


 死ぬと、今日死ぬと分かっている人間に対して向ける心配としては、思い当たるに遅すぎて滑稽極まりないが。

 ジェニファーリンは友が痛みを感じているかもしれないと思うと慌てずにはいられなかった。


「嗚呼……違うよ」


 老婆のかすれた声はジェニファーリンが戸惑う程の静謐さと優しさに溢れていた。


「居たんだね」


 何が? とは訊けなかった。

 あのコークス・カンデライトが泣いていると気が付いたから。


「私にも居たんじゃないか……ジェニファーリン・パンタイルが」


 ジェニファーリンは名を呼ばれた瞬間、衝動的に老婆の手を握りその背中に優しく手をやった。

 小さく震える老婆の背中は今なお一歩を刻もうとする者のそれだ。


 誇り高く愛しくたっとい一歩だ。

 終着点まで至るその一歩が、ジェニファーリンは愛おしくてたまらない。


「パンタイル、随分と遅かったじゃないか」


 何が一体遅かったと言うのか? コークスからの意味の分からない理不尽な文句に、震えるその声にジェニファーリンは苦笑する。

 不思議な事に何故か自分でもそう思ってしまう。


 商機にさとく、拙速せっそくな決断と見切り発車が得意なパンタイルらしくない。

 実にパンタイルらしくなかった。


 嗚呼、そうだね。

 我が友よ、遅かったこと私も悔しいよ。


 終着点に至るまでの欲得の一歩、それこそが尊く愛おしい。

 そしてジェニファーリンはそれが悲しかった。


 *


「おぉおああっ!」


 叫びすぎて枯れた喉は叫びというより只の音の塊を吐いた。

 然程さほど意識せず避けて走れるようなった木々の間を走り抜け、勢いそのままに激突と大差ない突進を慣行する。


 魔力の枯渇が怖くて治療途中で放置した傷が衝撃で開く。

 だがそのリターンは十分だった。


 シンの突撃を真横から受けた人型の何かの魔物は、脇腹から差し込まれた剣に貫かれ、体当たりという名の激突の衝撃にうめき身体が宙に浮く。


「ああぁあ!」


 人型の魔物が刺さったままの剣を捻りそのまま地面に打ち下ろす。

 魔物を斬ったというよりハンマーを地面に打ち付けた時のような感触を手に感じながら、剣を引き抜き馬乗りになって逆手に握った剣を魔物の頭と思われる影に向かって突き立てまくる。


 無様ぶざまである、と自覚しつつも雑に動く事を許容しないと魔力が枯渇しかねない。

 師匠に知られたら訓練が五割増しになるな、シンはそう考えながら魔石屑に変わったのを確認して立ち上がる。


「大丈夫か?」


 飲み下した自分の血で喉をうるおわせ、とりあえず止血だけをしつつ振り返りシンは問う。


「はい、私は大丈夫ですが……」


 そう答えたのはチャコ・カンデライトだった。

 群れの分断と遅滞にだけに務めていたが、その中で何度かやむを得ない戦闘をしたのか、シン程ではないが傷を負っている。


 疲れのせいか離脱のタイミングを見誤り窮地に陥っていた所をシンが寸でで助けたのだ。


「あの……シン様。頭は大丈夫ですか?」


 助けたのにいきなり罵倒されるのか。

 流石に傷つく程度の感受性デリカシーはあるぞと思いつつも頭の違和感に気が付く。


 嗚呼、こいつのせいか。

 シンは自分の頭部に噛みつく四つ足の影に気が付いて、胸の鞘から抜いた短剣で雑に滅多刺しにして処理する。


 どうりで頭が重かったわけだ。


「助かったよ」


 何故か引き攣ったような笑みを浮かべて立ち上がるチャコの顔に、内心首を傾げながら礼を言う。


「どんな頭してるんですか」


「大丈夫、まだ思考は明瞭だ」


「物理的な話ですよ?」


 呆れたようなチャコの声に、物理の授業は苦手なんだよとシンがぼやく。


「ああ、いえ、すいません。ファルタールの冒険者と騎士団の連中に常軌じょうきを期待するという愚行を致しました。伏して謝罪いたします」


 嗚呼、これは褒めてくれてるのか。

 シンは誤解した。


 怪物揃いの騎士団と上位ランクの冒険者は常軌から逸している、完全に。

 つまりボロボロの自分をそれらと同列だと褒める事で発破をかけてくれているのだろう。


「嬉しい言葉だけど俺なんてまだまだ足りないよ」


「不思議な事に皆さん同じ事を仰りますね」


 困ったように笑うチャコの息が整っているのを確認してシンは雑談を切り上げる。


「よし、それじゃあ仕事を続けるか」


「流石貴族様、お人使いが荒いですね」


 夜の森を駆けずり回ったのはお互い様のはずなんだけどなぁ。

 シンは言葉を飲み込む。


「残りの群れは?」


「後は三分の一程ですね」


 ですが。


「これ以上は分断するのは難しいかと」


 成る程。

 シンは浄化魔法を使う魔力も惜しんで、血に塗れた剣を袖で拭う、魔物の血は何故かすぐには魔石に変わらない。


「纏まってくれてるなら楽じゃないか、走らなくて済む」


 剣帯を締め直しながらシンが言うと、チャコが溜息を吐く。


「シン様、一つ訂正をさせて頂きます」


「なんだ?」


「今日の事は酒場で自慢するのはお止めになってください。モテるどころか引かれますので」


 女性の機微きびは難しいなぁ。

 シンはモテる男にはなれそうにないなと、そんな事を考えた。


 *


 気が付けば墓碑銘の事など忘れて話し込んでしまった。

 気持ちの良い皮肉の応酬は唯々単純に懐かしく、知っているはずの思い出話は新たな気持ちの発見で満ちていた。


 嗚呼、やめてくれ我が友よ。

 そんなに嬉しそうに私がやった失敗を語らないでくれ。


 そんなに私が笑った事を誇らしげに語らないでくれ。

 そんなに二人でやらかした騒動を楽しげに語らないでくれ。


 もうこれより先は無いのだと、過去に輝きを見いだすのはやめてくれ。

 嬉しげに、テーブルの上に自分の最高の手札を並べるように思い出を並べるのはやめてくれ。


 どれもこれも私の胸をえぐるのだ。

 それでいて嬉しくなってしまうのだ。


 我が友が、最高の手札だと並べるカード全てに自分がいる事に、どうしようもなく嬉しくなってしまうのだ。

 テーブルにカードを並べる度に、代償のように我が友の手から力が抜けていく。


 祈るように友の手を両手で包み込み握ろうとも、自分の手から友の時間がすり抜けていくのが分かる。

 友の声は静謐で聞いたことの無い平穏で満ちていた。


 時折みせる遠くを見るような目は何を見ているのだろうか?

 友の様子が明らかに変わったのは、彼女が泣いた後からだった。


 疾うの昔に死を受け入れた彼女が、今際の際に降ろした荷物が何だったのか?

 分からなかったがその荷物が降ろされた事が嬉しくも悲しい。


 嗚呼、嗚呼、やめてくれ友よ。

 そんな目で私を見るのはやめてくれ。


 一等大事な物を見るような目で、輝かしき最後の一歩を誇るような目で私を見るのはやめてくれ。

 私は友の視線から逃れるように俯く。


 額に友の手をあてて、締め付けられる喉の熱さに難儀しながら。

 そんな私を無視して、ゆっくりと話し続ける友が優しげな手つきで私の頭を撫でる。


「なんだいパンタイル。泣いているのかい?」


 言葉を発する事を拒否する喉を無視して、友の言葉に答える為に私は言葉を絞り出す。

 顔は上げられない。


「知らなかったのかい? パンタイルは泣かないんだよ」


「それは始めて聞くパンタイルのへきだねぇ」


 優しげな呆れが耳を撫でる。


「泣いてる所を慰められたら、それに見合う対価を相手に払わなければならないじゃないか?」


「自分の涙に値を付けようとするのはパンタイルだけだろうね」


 喉から漏れる息が熱いのを自覚しながら私は友に一族の秘密を白状する。


「嘘だよ。単に一族郎党()ずかしがり屋なだけさ、ご先祖がそれを知られたくない言い訳に言い出したら定着してしまったのさ」


 難儀な一族だね。

 友がどこかのロングダガーのような事を言いながらのそのそと動く。


 起こしていた上半身をベットに横たえる。

 つい心配になって顔を上げてしまう。


「なんて顔だい」


「どんな顔だろうか?」


 純粋に分からなくて尋ねてしまう。

 友の優しげな苦笑が胸に刺さる。


「いい顔さ、とてもいい顔をしてるよ」


 なんだその答えは、不満に思いながらも友がそう言うのならと受け入れる。


「ああ、それにしても無駄な嘘をついてしまったねぇ」


 友がちょっとした失敗を悔いるように言う。

 きっと私に死ぬのが三日後だと言った事だろう。


 どう考えてもちょっとした失敗みたいに言う事ではないだろうと思う。

 友人に向かって自分が死ぬ日を騙る必要は無いだろう、というかしちゃいかんだろ我が友よ。



「それはどんな顔だい」


「何故そんな嘘をついたのか疑問に思ってる顔だね」


 抗議の気持ちが顔に出たようだ。

 友が観念したような苦笑を浮かべる。


「単なるお節介だよ、私はいつも泣けなかったからね」


 後悔と言うには諦めが着き過ぎて、懺悔というには傷つき過ぎた被害者の声。

 私はその声に震える。


 友は、我が友は何人見送ってきたのだ?

 いったい誰を、どれ程見送ってきたのだ?


「私は泣けなかったよ。知っているとね奇跡にすらすがれないのさ、諦めきった心では泣けなかったんだよ」


 友の手を握る私の手を、固く節くれ立った手が包む。


「泣けないってのは思う以上に辛いものさ」


 なぁ、友よ。

 なぁ我が友よ。


 私は本当に遅かったんだな。

 拙速せっそくで無計画な見切り発車が得意とのたまうパンタイルの癖に、本当に遅かったんだな。


 私がいれば、そんな風に涙を流さず泣きわめく君を一人になどしなかったよ。

 君の隣で大声で泣きわめいてやったよ。


 ほら一緒に泣こうと、みっともない程に君を泣かせてみせたよ。

 嗚呼だから……。


「おや? パンタイルは泣かないんじゃないのかい?」


 そんな風に笑うのはやめてくれ。


「これは泣いてるんじゃないのさ、君の為に泣いてやってるんだ我が友よ」


 もう終わりだと、綺麗さっぱり満足したのだと笑うのはやめてくれ。


「パンタイルを泣かせる代価は……高く付きそうだねぇ」


 友が薄く笑い、深く溜息を吐き、目を細めたまま「嗚呼」と呟く。

 ほんの刹那の静寂が私の胸をえぐる。


「鳥が鳴いている、朝が来る……あの子の朝食を作らないと……それから旦那を起こして」


 友が、コークス・カンデライトが夢うつつのまま呟く。

 零れていく、私の手から零れていく。


「それから……それからあの子を連れて会いに行こう、私のパンタイルに。そしたらきっと――きっとあの娘も」


 友の名を呼ぼうとしたが、喉は締め付けられ音にも成らぬ短い悲鳴のような何かを発するだけだった。


「きっとあの娘も笑ってくれる」


 嗚呼、そうだね。

 我が友よ、その通りだ。


 その娘(パンタイル)は笑うだろうさ。

 私が保証するよ。

 何せ私は君と出会ってから笑うに困った事はないのだから。


 夜明けを告げる鳥の声はまだ聞こえない。

 朝と言うにはまだ早いじゃないか我が友よ。


 友に嘘をつくとはなんという悪徳か。


 *


 ほぼカラッケツだ。

 シンは魔力切れを起こしたチャコを肩に担ぎながら小屋の前に辿り着くと目玉をぐるぐるさせているチャコを少々雑に地面に転がし、フラフラと数歩前に進むと限界とばかりに地面に座り込んだ。


 空の端は白みだしたが、まだ周囲は暗く。

 空気は夜気に満ちている。


 シンは荒い息を整えようと難儀しながら剣に体重を預けて身体を支える。

 本当に死ぬかと思った、最後の最後は身体強化の維持すら危うかったのだ。


 実戦でここまで追い込んだ経験は始めてで、自分が今生きているのがシンは素直に不思議だった。

 シンは魔力の回復に努めようと深くゆっくりと呼吸しながら師匠に感謝する。


 生き残れたのは師匠のおかげだろう。

 普段の訓練の方が数倍ヤバい追い込み方をしているおかげで最後の最後まで冷静でいられた。


 魔力切れ間近で片腹吹き飛んだ状態で戦う訓練が役に立つとは思わなかった。

 頭はアレだが師匠としては優秀なのだろう、頭はアレだが。


 今回の話を酒場で自慢すれば、師匠の弟子になりたいという人間も増えるかもしれない。

 シンは〈親切なバルバラ〉が自分とエルザしか弟子がいない事に不満を漏らしていた事を思い出しながらそんな事を考えた。


「酷い格好だね」


 気が抜けてるな。

 シンは背後からかけられた友人の声に、その気配に気がつけていなかった事に驚いた。


「今、浄化魔法を使ったら俺は倒れるね。雇い主殿の前で無様を晒すが許してくれ」


 そう言って振り返ったシンは、続く軽口をつぐんだ。

 暫し思案する。


 自分が女性からモテるような人間ではない、という自覚があるシンは、自分が女性の機微に少々疎い自覚があった。

 それでも目を赤くした少女を前に何も言わないという選択肢を選べる程の疎さは無かった。


「あー」


 言葉を探す。

 うとさは無かったが、かける言葉が思い浮かぶかはまた別の話だった。


「胸でも貸そうか?」


 なのでシンは諦めた。

 少女と思うから駄目なのだ、目を赤く腫らした友人と思えば言葉はすぐに出る。


 言葉は正解だったようで、友人の顔に笑みが浮かぶ。


「断る」


 不正解だったかぁ。

 シンは顔を正面に戻し、ションボリとする。


 女の子の気持ちホント分からない。


「自分の為に流された血だらけの胸を借りるというのも中々にオツだけどね」


 ホント女の子の気持ち分かんない!


「胸を借りると支えられっぱなしになってしまうからね」


 自分の背後でジェニファーリンが地面に腰を下ろす気配がした。


「だから背中を借りる事にするよ、シン」


 シンは自分の背中にジェニファーリンの背中がくっつくのを感じて首を傾げる。

 胸を借りるのと背中を借りる違いが分からない。


 困惑の気配が背中を通じて伝わったのか、ジェニファーリンが薄く笑うのが分かった。


「うん、まぁそうだろうね。君にはまぁ分からないだろう」


「ジェンの言い回しは十三歳男子には難しすぎる」


 自分の抗議にジェニファーリンがクツクツと笑うのを感じる。

 まぁ笑える程元気ならそれで良い。


「私はシンの隣には立てないからね、ましてや君の前に立ち背中を見せるのも不可能だ」


 ジェニファーリンが何を言いたいのかますます分からなくなる。

 そんな自分の反応にジェニファーリンが満足そうに、そうだろうとも君は分からないだろうと笑う。


「でもまぁそんな私でも君の背中に立つ事は出来る。立つついでにっかからせてもらうがね」


「えっとつまり俺は今ジェンに頼られているのか?」


「その通りだよ我が友よ。そして非力非才の身でも背中でなら君一人を支えられるのさ」


 成る程。

 シンはそうならばと浄化魔法を使う。


 先程からジェニファーリンの服が血で汚れるのが気になっていたのだ。

 血の汚れはさっさと落とすべし、時間がたつと面倒なのだ。


「おっと」


 ジェニファーリンが背後で驚く。


「物理的な話を言ったわけでは無いのだけどね?」


 今度こそ本当にカラッケツだ。

 浄化魔法を使ったシンは魔力切れの倦怠感に任せてジェニファーリンの背中にもたれ掛かる。


「でもこういう事なんだろ?」


「そういう事なんだが、やはりシンは感受性デリカシーの敵だな、天敵だ」


 最近は聞き慣れてきた皮肉を軽く流しながら、シンは白み始めた空を見上げる。


「それで……、ちゃんと話してきたか?」


 その言葉に、背中にかかる友人の重さが少し増える。


「嗚呼、ちゃんと話してきたさ。ぴったりの墓碑銘も考えてやったよ」


 喧嘩とかしてないよな?

 死を目の前にする人間の墓碑銘を考える行為の是非をつい考えてしまう。


 まぁあのババアの事だから喜びそうだが。

 シンは二人にしか分からない事だとその疑問を捨てる。


「どうも君とチャコには随分と苦労をかけてしまったようだね」


 疑問を捨てるまでの沈黙の間にジェニファーリンが話を続ける。


「仕事だよ雇い主殿、気にしないでくれ。それにジェンからの依頼で予想していた内容としては十分常識的な範疇だ」


「君はいったい私が何をやらせようと予想していたんだい? いや良い、言わなくて良い。今日は数ヶ月分の皮肉を聞いたし言ったからね」


 ジェンの数ヶ月分の皮肉か……。

 シンはその数を想像して苦笑を浮かべた。


「成る程、楽しい最後だったわけか」


 シンはコークスの最後を想像して笑みを浮かべた。

「嗚呼、そうだな」


 そう言ったジェニファーリンの重さが増える。

 それに合わせてシンも預ける体重を増やす、釣り合う重さは負担にならない、互いを支える重石になる。


「ジェン?」


 背後で友達が漏らす湿り気を帯びた吐息を聞いてシンが尋ねる。


「なんだ?シン」


 返ってきた上擦った声にシンは言う、真剣な声で。


「俺は耳を潰した方が良いか?」


 しばしの沈黙の後。


「馬鹿」


 というジェニファーリンの言葉と共に背中に懸かる重さが盛大に増える。

 シンは慌てて剣を支えに体勢を保つ、流石に友に頼られ潰れる無様は晒せない。


 背後でそんなシンを友人が面白そうに笑う。

 シン・ロングダガーはそれが嬉しかった。


 *


「それでは後は頼む」


 ジェニファーリンは目を赤く腫らしたチャコにそう言った。


「はい、後の手はずは全て私にお任せください」


 そう言ってうやうやしく頭を下げるチャコ・カンデライトにジェニファーリンは未だに若干の後ろめたさを感じる。

 彼女もコークスの最後に立ち会いたかったのではないかと思うと、いくら本人から立ち会う気は無かったと言われても後ろめたさは拭いきれない。


 チャコは主人の今だ拭えぬ後ろめたさに気が付きつつも触れぬ事にしたのか、謝るタイミングすらくれなかった。

 いやこれは悪徳か。


 ジェニファーリンは自分の謝りたいという感情をそう断じる。

 チャコからすれば謝罪を受け入れるしか無いのだから。


 何か色々と言うべき事があり、語り合う事があると思うが、まぁそれは帰ってからで良いだろう。

 ジェニファーリンはそう考えるとチャコの帰路の安全を願い、それを別れの言葉とした。


「俺達は先に帰っていいのか?」


 門柵の前で既に待っていたシンがそう言った。

 ジェニファーリンはシンに頷き返しながら、チャコに手を振り歩き出す。


「本心を言えば自分の手で我が友を王都まで帰したかったがね、流石に学園の休みが終わってしまう」


 シンが「そう言えばそうだな」と実に不真面目な応えを返してくる。

 さてはコイツ忘れていたな?


「別に一日二日程度、休んだ所で良いだろうに」


「どの口が言うんだい? 忘れているかもしれないが進級が懸かった試験はあともう一度あるんだよ?」


 自分の親切心からの忠告にシンが恨みがましい視線を向けてくる。

 おいおい、我が友よ私が決めた制度ではないんだよ? ジェニファーリンは理不尽なシンからの抗議に呆れる。


 ついつい今日は控えようと思った皮肉が口から出そうになる。


「ああ、でも……」


 だがその皮肉はシンからの言葉で行き場を無くす。

「旅が終わるというのは寂しいもんだな」


 ハッハッハ、コイツめコヤツめ。


「なに、心配する事はないさ我が友よ」


 ジェニファーリンは軽くなる足取りを自覚しながら言う。


「旅とは家に着くまでが旅なのさ、道中に君が退屈するような事はないさ、私が保証しよう」


 そう言いながらジェニファーリンは思う、歩むその一歩こそが尊く美しいのだと。

 そしてこの友人はこれからどんな一歩をきざんで行くのだろうと。


 シンの事だからとんでもない道を行くだろう。

 むしろ足を降ろす場所が道であるかすら疑わしい。


 無人の荒野の如き荒れ地を、我が物顔で行きたい方向へと、この友人は何食わぬ顔で歩んでゆくのだ。

 ジェニファーリンはその点に置いて疑う余地を持たなかった。


 たぶんコイツは全員が唖然あぜんとするような方向へと一歩を踏み出す、それも理解しがたい理由で。

 そのくせ寂しくなって周りを見回すのだ。


 自分はその時、少なくとも視界に入る場所に居てやろう。

 見といてやるから存分に好きな方向へと行けと言ってやるのだ。


 冷静になって考えてみれば何とも理不尽な話ではあるが、友情とはかくも理不尽な物なのだ。


「さてと、ではまず何から話して君の退屈を晴らしてやろうか? 王国随一の暗殺者がたった一度だけ殺せなかった者の話でもしようか? 彼女がいかに数奇な運命でその暗殺者の孫として家族になったか知りたくないかい?」


「うっわ、それすげぇ気になる」


「そうだろう、そうだろうとも」


 なのでジェニファーリンは思うのだ。

 少なくともまだ目の前に居るこの瞬間は、存分にその理不尽な友情という物に感謝しようと。


 友の背中はまだ近く、そして王都はまだ遙か先だった。



いつもコメント、いいね、有難うございます。

投稿サイトによって好まれる小説がある、というのは重々承知ではあるのですが。

なろうの方ではあまり本作品はウケが良くないようなので、なろうでの更新はこの話で終わりにしたいと思います。

なろうの方を消そうとかそういう事はするつもりはないですが。

続きはカクヨムの方でのみ投稿していこうと考えております。

読者の皆様のいいねやコメントには、驚くほどのやる気を与えてくれます。

またレビューまで頂き、作者は大変感謝しております。

ガチなガッツポーズが出ます、冗談じゃなく。

いつか手が空いたら、なろうの読者に刺さるような物を書いてみたいです。

それではまたいつか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ