貧乏子爵家次男は瞳を探す22
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竜が自身の傷を放置してでも魔力を貯める。
すなわちそれは、ブレスの前準備だ。
一番最初に思ったのは、舐めるな、だった。
当たるかと、当たってたまるかと、ここに来てヤケクソのようなブレスを選ぶ竜に怒りすら覚えた。
だが、俺がそう考えた時には俺の身体は全力で走っていた。
表情はおそらく噛み砕けない後悔に満ちていただろう。
思考が身体に追いつくと後悔はより強くなる。
何故なら俺は竜の意図が分かったからだ。
あらぬ方向に吹っ飛びそうになる身体を地面に剣を突き刺し、左手で地面を引っ掻き、四つ足の獣のような体勢になりつつ地面に縫い付け勢いを殺す。
自分の背後で、突然土塊を撒き散らしながら現れた俺に驚く人達の声が聞こえる。
走れなくなった商人の馬車を担いで逃げている冒険者達の声だ。
ちくしょう、エッズとパルの声もする。
「ブレスが来るぞ!散れ!」
間に合うハズも無い事を知りつつそう叫んだ。
竜を舐めてたのは俺の方だった。
偶然だろうが何だろうが、動けない馬車を狙えば俺がその前に立つと、奴は考えたのだ。
そしてそれは正解だ。
俺は俺の中の理想故にそれ以外を選ばない。
そして現実的にもそれ以外の選択肢は無い。
今日の俺は背後の人間を守ってばかりだ。
隣に立ち、時には俺に背中を見せ預ける彼女と共にいる事に慣れすぎた。
なんという贅沢か。
本来なら遙か先を行く人が側にいる事に慣れるだなんて。
この場にエリカが居れば。
そう思うのは流石に甘えが過ぎるだろう。
俺は奥歯を噛みしめ考える。
竜の顔を上に向ける? 首を引っ込められているのだ、無理だ。
身体ごと別の方向へ? それも無理だ、首を振られればそれまでだ。
あの竜は、自分のブレスを俺に当てる為に考えたのだ、俺に切り刻まれながら。
その結果が悪意に満ちていようとも、認めなければならない。
俺が削りきれると、竜を殺しきれると油断したのだと。
魔物相手に必死さで負けたのだ、業腹である。
糞が!
散れ――その“れ”の音が消える前に竜はブレスを吐いた。
そして俺は覚悟を決める。
*
身体強化の強度を上げる。
俺が覚悟を決めてやったのは、ただそれだけだった。
何せ俺にはそれしか出来ない。
ただし、初めての二重身体強化状態での最大強度だ。
魔境の森の記憶は吹っ飛んでいるので、これが初めてで良いだろう。
自分の腹と、何とかブラックの革製の服に構築した魔法陣に魔力を込める。
その瞬間に起きた事を正確に言葉に出来るほど俺は頭が良くない。
ただ――、確実に今の自分が踏み込んで良い領域ではない、という事だけはハッキリと分かった。
*
身体強化の強度を上げた瞬間、目の前が真っ暗になって俺は大いに慌てた。
光はすぐに戻ったものの失った時間を考えるとそれだけで絶望しそうになる。
だが目の前の光景は俺の予想を裏切るものだった。
竜のブレスはまさに今、発射されたばかりで、それは視界が真っ暗になる前の光景そのままだった。
しかし俺は直ぐに気が付く。
そんな事は些細な事だと。
俺は、俺の前に俺がいる事に気が付いて唖然とした。
身体強化をおこなうと、思考が身体に置いて行かれるという感覚を良く味わう事になる。
だが――幾ら何でもコレはない。
自分の背中を自分で見るなんて、こんな事は幾ら何でも聞いた事もない。
目の前の俺が、ゆっくりと剣を下段に構えてドラゴンブレスを受ける体勢を取る。
その光景に俺は、身体に思考を置いてきぼりにされた俺はパニックを起こす。
だがそのパニックさへも、恐ろしい早さで過去へと流れていく。
違う、これは、“今”の俺が感じている事は、俺としては過去の事なのだ。
体感として感じた事の意味不明さに混乱しながらも、それが正解なのだとハッキリと理解する。
自分が過去であると認識した瞬間、俺は思考の洪水へと飲まれた。
竜のブレスが魔境の森で見せられた“ソルンツァリの秘技”と同等の前に立てば死ぬと感じるような物だという恐怖。
竜のブレスで煮える草の本数。
エリカと食べようと買った焼き菓子の事。
踏みしめる地面が今の力を支えるには弱すぎる事。
だったら地面も身体強化で頑丈にすれば良いと思った事。
死にたくないと思い、当然のように死なないと確信する、不思議な感覚。
空気が流れる方向、魔力が空気に散る時の雨のような音。
全てが一瞬で過去になり、過去の俺に濁流 《だくりゅう》のように流れ込んでくる。
過去に考えていた事で過去の俺が何も考えられなくなる。
そして思考が強烈な痛みで埋め尽くされる。
自分の臓腑が身体強化された自分自身の身体のせいでひしゃげ潰れる。
膨大な思考と、それを塗りつぶす激痛に吐きそうになるが。
吐くはずの俺は目の前で迫るブレスに向けて剣を振るっているのだから意味が分からない。
膨大な思考が凄まじい勢いで痛みだけに置き換わっていく感覚は、どんなに説明しても理解される事は無いだろう。
痛みのせいで思考がシンプルになる。
そのせいか過去の俺が俺に追いつく感覚がする。
呆れる程に痛い。
自分の後頭部を見ながら考える。
こんなにも痛い思いをして、俺は何がしたいのかと。
冒険者など簡単に死ぬのだ、今日も明日もちょっとしたミスや油断や不運や理不尽で死ぬのだ。
今からでも見捨てて逃げれば良いじゃないか?
今の俺ならこの瞬間でも、ブレスが目の前に迫っているこの状況でも無事に避けきれるだろ?
こんなにも痛い目にあって何がしたいんだ? 見捨てた所で誰からも非難なんてされないのに。
なあ、俺、俺よ。
お前はいったい何になりたくてこんな事をしてるんだ?
「決まってるじゃないか」
俺は俺がそう言うのを聞いた。
「エリカの隣で胸張って立てる男になるんだよ」
嗚呼、そうか――。
そうだ、俺は、そうなのだ。
それにな――、俺が俺に笑う。
そういうのは、奥歯を噛みしめながら“やってやる”なんて顔して訊くことじゃないだろ、俺よ。
いやホント、まったくもって。
“俺《俺》”は痛みを奥歯で噛み殺し、歯を剥き出して笑った。




