1話
私には過去に戻れる能力がある。正確には覚えていない、忘れた過去を思い出せるというものだ。
両側のこめかみを同時に叩く、それが条件。
この能力は便利に感じるが使い勝手が悪く、これが自分に役立つことはついぞなかった。
この能力に目覚めた|(気づいた)のは9歳の時、辛い試験に悩まされなくて済むと喜んだものだった。
しかし幾度叩いてもお目当ての記憶には辿り着かなかった。それを頼りにしてたので点数も散々だった。
この能力をある程度調べて分かったことが幾つかある。
叩く強弱で思い出す深度が決まる。叩く強さの極小の差異で1時間ほど、つまり望む記憶を手に入れるには1時間ほど見つめ続ける必要があるのだ。しかも一日経つとどれほど注意深く叩こうとも記憶は2~7日前のことを思い出し望むものは出てこないのだ。
これに気づき試験問題を1時間眺め続けるが、そんなに見ていれば全て覚えてしまって、能力を使う必要がない。
余りに不便な能力である。
しかしこれに目をつけたのがブランド将軍だった。
ブランド将軍とは先の戦争で知略を巡らせ勝利を重ねた名将だと聞いていた。
私は士官学校でこの能力を話の種としてよく活用していた。
それをどういうわけかブランド将軍のもとまで話が及び、私を諜報員として採用するというのだ。
私は剣も魔法も凡であり、このことに驚き、そして喜んだ。
しかし、この能力の欠陥を知らないのではないかと思い、ブランド将軍にこのことを告げると、問題ない、好都合である、と嬉しそうに答えた。
ブランド将軍は自分の能力を把握すると私のためのある機械を作ってくれた。
正確な強さで叩き、一か月ほどの記憶まで思い出すことができる小型の装置だ。
私は諜報員としての最低限の教習とその装置を携え、仮想敵国へと潜入した。
私の役割は既に潜伏している諜報員の情報を自国へと持ち帰ることである。
事前の知らされていた警備の手薄なところへ行き、国境を越え、指定の場所へと向かう。
私の到着を諜報員たちは歓迎してくれた。温かい雰囲気だった。
しかしブランド将軍に教えられた通りに装置を使い、記憶していた暗号となった文を紙に書き写していくと次第に空気が暗くなっていった。
軍の暗号を私は知らなかったので理由を聞くと、その暗号には近くこの両国で戦争が起きると書かれていたのだ。
事実、戦争が起きた。しかも諜報員の情報を全て記憶し、持ち帰ろうとした矢先に戦争の報が発令された。
国境はより厳重になり手に入れた情報が自国に届けることができなくなった。
情報は早く届けなければ果実のように腐って使い物にならなくなってしまう。
意を決して私は国境を越えようとしたが、私は捕まってしまった。
捕まる際に装置を壊す。そうブランド将軍に教えられた通り実行した。
私は拷問を受けることとなった。数か月前まではほんの学生だったのだ。すぐに知っている情報を白状した。
しかし拷問の手が緩まることはなかった。私は確かに諜報員とわかったが肝心かなめの情報を何一つ落とさなかったからだ。
私はこのときようやく気付いたのだ。私は捨て駒なのだと。
拷問で血が少なくなったためか頭が今までになく冴えている。
重要な情報は全て暗号化されており、しかも私には解読法を教えられなかった。
捕まった際に情報を出させないために、装置を破壊するようにしたのもブランド将軍だった。
この国に潜入した初日、紙に書いた文章は戦争の知らせとしてはあまりにも長すぎた。
恐らくわたしのことについて書いていたのであろう。
私は成功すれば良し、失敗してもなんの痛みもない都合のいい存在だったのだ。
キィ、という音と共に大柄の男がトンカチを二つ持って入ってくる。
私の能力も吐いたのでそれを引き出させようというのだろう。
しかし彼は大振りで私の頭めがけトンカチを振るう。
彼は私の頭を叩けという命令を拷問の類として受け取ったのだろう。
鈍い音と痛みが響き、薄れていく意識の中で、私は生まれて間もない頃のことを思い出した。
父親、母親、祖母や祖父などが笑顔を私に向けている。
この能力は便利に感じるが使い勝手が悪く、これが自分に役立つことはついぞなかった。
しかし今際の際に過去の幸せを思い出させてくれたことには、感謝しようと思った。