孤独と醜悪
店内はすでに惨憺たる姿だった。昼時の活気は何処へやら、静寂が支配している。椅子もテーブルも在らぬ場所に散乱し、バーカウンターは黒焦げの燃えかすとなり原型を留めていなかった。床には木片と血と死体が無秩序に転がっている。カーテンは閉ざされ、部屋の照明の殆どが破壊され、暗がりの中にいくつかの動きを察知できる状況であった。店内に音を立てるような輩はいなかった。恐怖により口が聞けないか、保身の為に息を殺しているか、または事切れているかのいずれかだった。私も声が出せず、ただ身体を丸めて息を潜めた。いまは只、犯人たちを刺激しないことが唯一の生命線だった。
強盗が店を占拠したのは今からおよそ2時間前の事だった。犯人の一人は拳銃を所持しており、店に入るや否や発砲した。店内は一瞬静まり返ったが、すぐにパニックに陥った。怒号が飛び交い、悲鳴とともに客が店の奥に逃げ惑う。最初に殺されたのは店長だった。私とも親しい間柄だった彼は正義感の強さ故、命を落とした。発砲した悪漢に飛びかかった店長は、呆気なく引き剥がされ、そのまま銃で眉間を撃ち抜かれた。数秒の出来事だった。そこからは正に阿鼻叫喚の修羅場と化した。人が一人簡単に死んだことで、この現実離れした状況が、確固たる事実だと理解せざるを得なかった。侵略者は全部で3人いたが、その内の1人は厨房へと入って行ったきり出てこなかった。残りの2人は店内の装飾を破壊しつつ威嚇を繰り返していた。そして、カーテンを全て降ろさせると、ランダムに客を撃ち始めた。命を落とす者もあれば、致命傷を負って動かなくなる者もいた。銃を持たない方の男が叫んだ。
「どっちみちここにいる人間は生かすつもりねえぞ。どうにかして生き残る為にあれこれ考えとけ!」
それまで場には混沌があったが、いまは恐怖が占めていた。逆えず、反撃もできず、刺激もしてはならない。状況は最悪と言えた。この騒ぎを聞きつけて警察が動き出すまでにどれくらいかかるのか。その上で警察がこの店に突入、犯人確保に至るまでに何人が殺されるのか。もしかしたらその頃にはとっくに全滅しているかもしれない。外部に連絡しようとした若い女性は、その動きがバレた途端、心臓を撃たれて即死した。店の入り口はテーブルと椅子で固められ、とても隙を見て出られそうにはなかった。裏口は厨房から抜けられるが、そこには最初に入っていったもう1人がいる。窓からは敢えて離され、フロアの中央に集められている為、不用意に窓に近づくことさえ出来ない。シンプルだが効率的な監視体制だった。
「忠秀。きっと大丈夫よ。一緒に頑張りましょ。」
小声で私の名前を呼んだのは、この店に古くから勤めるコックの美智子さんだった。口が聞けずに震える私を見かねて、勇気付けようとしてくれていた。私自身もこの店に来て長いが、美智子さんの作る美味しい賄いをいつも楽しみにしていた。優しい美智子さんは店の自慢であり、頼れる母でもあった。動くとき、フローリングの軋む音がたち、その瞬間、犯人の1人と目が合った。男は立ち上がりこちらに向かって来た。
「おい、いま何かしたか?」
私は覚悟を決め、反撃しようと身構えたが、動く直前に美智子さんに押さえられた。
「すみません、私です。足が痺れてしまって…」
その瞬間、美智子さんの頭部が爆ぜた。真っ赤な放射状の液体を帯びながら、美智子さんの身体は後方に吹き飛んだ。なんてことだ。私を庇ったが為に、美智子さんが殺された。怒りに身体が震えたが、相手は銃を持っている。勝ち目がない以上、挑むことは得策とは言えない。いまは耐えるしかなかった。
犯人たちが入り口のバリケードの方に移動し、なにやら外の様子を伺いながら話し込んでいた。私たちの集団からは距離がそこそこあり、それを見越して誰かが小声で話し始めた。
「谷口、お前、なんとかしてあいつの武器を奪うんだよ。」
「は?部長、正気ですか?そんなことしたら殺されますよ。僕そんなことやりせんからね。」
「お前、誰に口聞いてるんだ?俺の命令だぞ?今のうちに恩売っとけよ。もっと頭使え、馬鹿が。」
「死ぬかもしれないのに恩もクソもねえだろ。つーかお前みたいな無能上司、どうせ出世も頭打ちなんだからお前があいつ止めてこいよ。未来ある若者の足ひっぱんなよ。」
「谷口てめえ!いまのセリフ絶対忘れねえからな。もう会社で無事に生きていけるとか思うなよ?ここで生き残っても社会的にお前死んだぞ。」
「小せえなジジイは。てめえのことなんて知らねえっつーんだよ。逆にパワハラで訴えるし。ここでの会話も当然録音してっから。お前終わりだよバーカ。」
「は?何やってんだお前!今すぐそれ消せ!寄越せ!」
2人は感情的になり、当初の小声という部分を忘れているようだった。強盗の1人がこちらに近づいてくる。口論している2人はまるで気付いていなかった。
「おい、お前ら何勝手に喋ってんの?」
強盗の男がそう話しかけた事で、ようやく2人は事の重大さに気付いたようだった。急に押し黙ってみたものの、既に意味は無かった。
「聞こえた?何やってたんだ今?」
「あ、いえ、こいつがスマホで録音しているとか言い出して…」
「はあ!?てめえ、何売ってんだよ!ふざけんなクソが!」
「おい、クソはてめえだよ。」
スパナのような金属の工具でこめかみを殴られ、一瞬で動かなくなった。上司の方の男はそれを見るとすぐに土下座して許しを乞うた。
「私は違うんです!こいつが卑怯で目に余るもので、注意を!許してください!許して…」
今度は正面から頭部がかち割れた。頭蓋骨が大きく陥没し、割れ目から鮮血が吹き出た。ほどなくしてそちらの男も動かなくなった。目に留まれば殺される。そして、いずれはここにいる人間全て殺されてしまう。生き残った人間はとうとう2人だけになってしまった。
再び強盗たちが入り口に集まり、話し合いを始めた。それは遠目に見ても揉めているようにしか見えなかったが、チャンスが再来したのだと思わざるを得なかった。私の横にいる青年が強盗たちの動向を伺いながら慎重に口を開いた。
「このお店の方ですか?裏口までは厨房から行くんですかね?」
「店の人間ではないが、ここには昔からしょっちゅう来てるから大体の配置は覚えているよ。確か、厨房の入り口の左手に冷蔵庫があって、そこから右方向に狭いけど裏口のドアがあったはずだ。鍵がかかってたかは分からないけど。」
「いえ、十分です。左に行って右に進むんですね。さっき厨房に入って行った男のことが気になりますけど、銃は持ってなかったはずです。」
「そうだね。ではあいつらの隙を突いて一気に厨房に駆け込もう。一瞬であれば私が注意を引きつける。そこに落ちてる椅子を使って身を守りながら走るんだ。いいね?」
「はい。じゃあ合図で動きましょう。いきますよ?1、2、3…!」
カウントとともに青年は走り出した。強盗たちが振り向いたときにはもう青年は厨房に辿り着いていた。入り口の暖簾を潜って中に入り、すぐさま左に曲がった。この店の構造を良く知る私からすればそれは悪手だった。なぜなら裏口の扉は厨房の右手にあるのだから。
ゴキン、と鈍い音が聞こえた。
「ふっふっふっ。馬鹿だなあ。死ぬ奴はみんな馬鹿だ。ああ、最高だった。強いて言えばあの馬鹿の最期の驚いた顔を見れなかったのが残念だったくらいかな。そう思わないか?」
強盗の2人はこちらへ近付いて来るとゲラゲラと笑い出した。
「ホント、名演技だわお前。最後のダッシュは燃えたよね。生き延びるんだ!って感じでさ。まあこれでこの店も潰せたし、俺らのこと出禁にしやがったクソ店長もぶっ殺せたから満足っしょ?」
「だな。そろそろズラかんねえと警察来ちゃうぞ。裏口は大丈夫なんだよな?」
初めに厨房に入って行った男が出てきた。手には赤く染まった鉄パイプが握られていた。
「余裕だよ。裏からなら余裕で逃げられるぞ。つーか、最後の馬鹿の顔、最高だったぞ?動画でも撮っとけば良かったわ。」
「人間は全滅。1人も逃すわけねえっつうの。」
「お前、サイコっぽいくせに動物とか可愛がる節あるよな。犬とか猫とかさ。そこは違うわけ?」
「アホか。全然違うだろ。そもそも犬ってのはな、人の…」
その瞬間、窓が爆ぜた。厨房からは白煙が立ち込めている。外からいくつもの閃光弾が投げ込まれ、強盗の男たちはたちまち行動不能になった。窓から黒の強化スーツに身を包んだ機動隊の面々が続々と侵入してきた。ほんの数秒間で犯人は皆制圧された。逃げる間も反撃する間も与えられなかった。気付いたら店の床に叩きつけられ、拘束された男たちの姿があった。
なんと醜い世界なのか。私は嘆く。緊急時にこそ本性を曝け出すとは聞くが、それでももっと人の心は美しいものだと信じてきた。しかし、現実は無情だった。だから私は嘆く。
「生存者は!?いるか!?」
「いえ、1人もおりません!生き残りはこの老犬だけです。」
私は嘆く。忠秀と名付けてくれたあの優しい店の従業員たちはもういない。この醜い世界で私はどうしようもなく孤独だった。
初投稿です。
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