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9:真夏の光景

 じわじわとセミの鳴き声が聞こえる。蒸し暑い夏の午後。背負ったリュックで背中が群れる。

 足元に目を向けると、白い運動靴が目にはいる。何の面白みもない学校指定の白いソックス。


 ああ、とわたしは気づく。これは夢だ。

 繰り返し見る、後味の悪い夢。


 大通りで一棟のビルが改装工事をしている。高く組みあげられた足場と、粉塵を巻き散らさないように張られたネット。

 警備員らしき人が、気を配りながら人通りを誘導している。


 駄目。このまま歩いて行っちゃいけない。とても嫌なことが起きるから。


 駄目、駄目。止まれ、止まれ!


 懸命に成り行きを変えようと試みるわたしの意識は、世界に反映されない。

 ゴオンと大きな音がする。


 大通りを行き交う人々の喧騒に、小さく悲鳴が飛び交う。

 わたしはようやく立ち止まった。


(ーーっ!)


 突然、すごい勢いで突き飛ばされる。あまりの勢いを受け止めきれず、まるでその場から飛び上がるようにして、道路に転がった。行き交う人達が立ち止まり、悲鳴をあげている。


 ガアンと耳をつんざくような衝撃音で、一瞬意識が飛んだかもしれない。


(救急車!)


(まだ生きてる!)


(動かすな!)


 転げるようにしてその場に倒れた私に手を差し伸べるのは、知らない会社員っぽい男性。


(君は大丈夫か?)


 顔はよく覚えていないけれど、男性は切羽詰まっているように見えた。わたしはその人の手を借りて立ち上がり、制服のスカートをはたこうとして、ぎくりと身じろぐ。


 視界の端に、不吉な色が滲んだ。


 赤い。


 日差しでしろっぽくけぶる世界。アルファルトが溶けそうな真夏の情景に、あまりに場違いな赤。

 視界に入って来た光景に、わたしの心は凍り付く。


(ーーーーっ!)


 絶叫した。


 倒れているのは、私と同年代か少し上くらいの男の子だった。違う学校の制服を着ているけれど、大きな鉄骨と並ぶようにして倒れている。


 誰に教えられたわけでもなく、わたしは理解する。

 自分を突き飛ばしたのは彼だと。

 助けてくれたのだ。


 そして。


 男の子は落ちてきた鉄骨に腕が挟まれている。もう千切れてしまっているのではないか。腕の長さが不自然だった。

 彼が私の身代わりになってしまった。


「あやめ、泣かないで」


 その場に突っ伏して泣きじゃくっていると、そっと肩を叩かれた。


「これは夢だから、大丈夫」


 そう、夢。これは夢だ。繰り返し見る後味の悪い夢。


 いつも通りに夢が終わらない。いつもならここで目覚めるのに。起きると涙でぐっしょりと顔を濡らして、全身が汗ばんでいるはずだった。


「これは夢。でも、目覚めればそこからは現実。大丈夫、あやめは正しいよ。何もおかしくはないから、それだけは覚えいていて」


「次郎君?」


 上体を起こして振り返ると、次郎君が立っていた。「大丈夫」とほほ笑んでいる。

 手を握られると、とてもほっとした。


 真夏の光景が、遠ざかる。






 ハッと目覚めると、さっきまで見ていた次郎君の顔がすぐそこに迫っていた。


「わ!」


 驚いて距離を取ろうとすると、しっかりと手を握られていることに気付く。夢の中でわたしを励ましてくれた次郎君と同じ。ああ、だからいつもの続きにあんな夢が加わったのか。


「あやめ、大丈夫?」


「え、えっと――?」


 一瞬で頬に熱がこみ上げるのを感じながら、辺りを確認する。ここは一週間ほどお世話になっているわたしの部屋だった。教授のフロアにはたくさん部屋があるようで、一室がわたしに貸し出されている。瞳子さんが飾ってくれたお花が、白いだけの室内を彩ってくれていた。


 いったいどういう状況なのかと、次郎君に手を握られたまま考える。冷静になろうと努めるけれど、次郎君に握られている手を意識してしまい、心臓がドキドキしてしまう。ベッドで眠っていたようだけど、レースカーテンごしに見える窓の外は、茜に暮れていこうとしている様子だった。


「次郎君……」


 眠りに落ちる前のような混乱がない。嘘のように心が安定している。ざっと成り行きの整理に成功したので、不安そうにわたしの顔をみている次郎君に笑ってみせた。


「わたしは大丈夫です。でも、わからないことがあって……」


 お姫様をみた途端に蘇った記憶。まるで自分の世界を捻じ曲げられたように、全てが不安定に感じられて、とても居心地がわるかった。


「わたしはお姫様を見たから、一郎さんに監視されていたんですよね?」


 いまなら夢と現実の区別がつく。だからこそ、ここに至るまでの経緯を忘れていたことが信じられない。


「ちょっと失礼」


 コンコンと開けっぱなしの扉を叩いて、一郎さんが立っていた。


「説明は俺からするよ。入っていいかな、あやめちゃん」


「あ、はい!――っていうか、わたしがそっちの部屋へ行きます」


 この部屋には必要最低限の家具しかない。いま次郎君が座っている椅子以外には、座れるものもないのだ。


 隣にはすっかり見慣れて馴染んでしまった憩いのリビングルームがある。そちらで話を聞く方が良い。わたしはベッドを降りて移動した。

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