59:満開の桜の下で
溢れ落ちそうな勢いで、満開の桜が梢を飾っている。駅前に植えられた桜並木。辺りに緩やかな風が吹くと、往来にいっせいに花びらが舞う。
「ごめん。あやめ、待った?」
「次郎君。わたしも今来たところです」
駅前広場の時計を確かめると、まだ待ち合わせの十五分前。
「すごい花束。それ、墓前に飾るには派手じゃない?」
「でも、瞳子さんには菊よりも百合の方が似合うと思って」
わたしが御墓参りのために選んだお花はカサブランカだった。上品だけど華やかさがあって、今から訪れる故人には、とても似合うと思う。
「一郎さんは?」
今日は次郎君とのデートではない。三人で集合のはずだったけど、姿が見当たらない。
「午前中の用事がちょっと長引いているみたいだから、現地で合流するって」
「そうなんですか」
わたしと次郎君は幼馴染で恋人同士。一郎さんは次郎君のお兄さんで、心理学の世界では著名人でもある。毎日多忙な人だった。
「でも、瞳子さんに報告ができる結果で良かった」
「うん。あやめ、頑張ったよね。俺もめちゃくちゃ嬉しい。本当におめでとう」
実は昨日は大学の入学式だった。
わたしは晴れて名門校である夢の宮学院の心理学科に入学を果たしたのだ。きっかけは次郎君である。次郎君の傍で同じように学びたい。その一心で猛烈に勉強をして、なんとか夢を叶えた。
今日はそれを瞳子さんの墓前に報告へ行く。
瞳子さんは一郎さんの大学時代の恋人で婚約者、わたしも大好きな女性だった。
次郎君と一郎さん。詳しくは言えないけれど、時任兄弟には複雑な家庭事情がある。
そのこともあり、瞳子さんには次郎君のことで相談に乗ってもらったり、美味しいご飯をご馳走になったりと、面倒を見てもらった。
幼い頃から、彼女との思い出は数え切れないほどある。
でも、世界は時々、とてつもなく残酷だ。
瞳子さんは、もうこの世にはいない。
「じゃあ、行こうか。俺、向こうの駐車場に車を置いてるから」
「はい」
駐車場に向かって次郎君と桜並木を歩きながら思う。
あれから、七年。
瞳子さんが亡くなってから、もう七年も経った。今でもつい昨日のことのように、瞳子さんの存在を身近に感じるのに、時間は流れていた。
不幸な事故だった。わたしは駅前の広場から見える高層ビルに目を向ける。
瞳子さんを事故に巻き込んだ現場は近い。
七年前、駅前の高層ビルで行われていた工事で、鉄骨の落下事故があった。彼女は小さな女の子をかばって、変わりに巻き込まれて亡くなってしまったのだ。
駐車場にたどりつき、わたしは次郎君の車に乗り込んで瞳子さんの眠る霊園へ向かった。
郊外にある霊園でも桜は満開だった。
世界がけぶるほどに咲き誇っている。春の花々の爽やかな香りが、霊園の空気に溶けている。線香の穏やかな芳香も漂っていた。
瞳子さんの墓前に向かって小径を歩いていると、見慣れた後ろ姿が視界に入ってきた。
一郎さんだ。
墓前で腰を落として手を合わせている。
「兄貴!」
次郎君も気づいたみたいだ。
「次郎、あやめちゃん」
立ち上がってこちらを振り返ると、一郎さんが笑顔になる。背後では、線香の煙がゆっくりと立ち昇っていた。
「一郎さん、もう着いていたんですね」
「出先から近かったからね」
二人で墓前へ歩いて行くと、一郎さんがわたしの抱える花束を見て目を丸くした。
「あやめちゃん、その花は?」
「綺麗じゃないですか? 瞳子さんに似合うなぁって思って」
一郎さんは可笑しそうに笑って「たしかに」と頷いた。
瞳子さんの墓前にいそいそとカサブランカを飾ると、わたしと次郎君も墓前に屈んで手を合わせる。
(――瞳子さん、わたし、次郎君と同じ大学に合格しました。これからも次郎君と一緒にいられるように頑張るので、応援してください)
報告を終えて立ち上がると、一郎さんが辺りに咲き誇っている桜の花を見上げていた。
いつ見ても、絵になる大人の男性だった。
端正な横顔はどこか憂いを含んでいる。瞳子さんを失ったことは、一郎さんにとって世界が終わるに等しい悪夢だったはずだ。今でも当時の絶望は色あせず、彼の中にあるのだろうか。
何かを懐かしむように目を細めて、一郎さんはひっそりと霊園の景色を眺めていた。
「一郎さんは、いつも瞳子さんに何の話をしているんですか?」
墓前で手を合わせて、何を伝えているのだろう。
「ん?」
一郎さんは満開の桜から、わたしに目を向ける。
「もちろん、愛してるよって伝えてる」
無邪気な答えがかえってきた。
面白がるようなイタズラっぽい笑顔が浮かんでいる。
もう、人が真面目に聞いているのに、すぐに話を茶化すんだから。わたしがやれやれとため息を着くと、再び遠くを眺めたまま、一郎さんが答えた。
「――約束は守っているよって」
「約束?」
「そう」
約束って何だろう。
不思議そうな顔をしていたのか、一郎さんがわたしの様子に小さく笑う。
「長い夢の中で、彼女と約束したんだ」
「長い夢……」
「瞳子がいなくても、幸せになってみせるって。……俺が約束を守って、この夢を完うしたら、その時、もう一度彼女に会える」
(私と一郎は、いつか夢の果てでもう一度会えるの)
あれ? どうしてだろう。
じわりと胸があたたかくなった。
懐かしい気がするのに、昨日のことのようにも思える不思議な気持ち。
とてもあたたかくて、切ない。
わたしも瞳子さんと約束をした気がする。
どこでなのか思い出せない。でも、たしかに。
(これからも次郎君のこと、お願いね)
次郎君にふさわしい女性になると、誓ったのだ。
「――いつか、夢の果てで……」
一郎さんの穏やかな声が、春の麗らかな空気にまぎれる。
緩やかな風が頰を撫でると、桜吹雪が舞った。まるで生きていること、それだけを祝福するように。
儚く、華やかに。
春の幻が謳う。
大好きな、あなた。幸せになって、誰よりも。
あなたが私の生きる夢を望んでくれたように、私はあなたの幸せを願っている。
だから、もう泣かないで。
私たちは、いつかもう一度出会う。
あなたが歩き続けたその先にある、夢の果てで。
私はいつまでも、夢の果てであなたの幸せを祈り続ける。
だから、笑っていて、いつまでも。
大好きな、あなた。
いつか、夢の果てで会いましょう。
次元境界管理人 〜いつか夢の果てで会いましょう〜 END