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次元境界管理人 〜いつか夢の果てで会いましょう〜  作者: 長月京子
第十章:信じられない、信じたくない

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47:カバさんのお腹の中にあるモノ

 一郎さんの望まなかった結末が、カバさんのお腹の中にある。

 わたしの視線は否応もなく、次郎君がつかんでいるぬいぐるみのお腹に向いた。


 初めて見た時から、不自然にポッコリと膨らんだお腹。愛嬌のあるカバのぬいぐるみ。もともとのデザインかと思っていたけれど、どうやら違う。


 その中には、とても重要な過去が入っている。

 過去。

 一郎さんが望まなかった世界。


 何度違うと否定しても、浮かび上がってくる憶測があった。


 次郎君はじっとぬいぐるみのお腹を見つめたまま、全身の力が抜けてしまったように、力なくソファに身をあずけた。

 うなだれたように肩を落としている。


 きっと、わたしと同じことを考えているのだ。

 ジュゼットはしゃくりあげるようにして、泣き続けていた。


 知りたいのに、知りたくない。カバさんの示唆した筋道。続いていく道の先を辿ることが怖い。

 知らない方が幸せ。世の中には、そんなことが溢れている。

 何かを問うことが怖い。見たくない。形にしたくない。


「大丈夫だよ。ジュゼット」


 まるで自分に言い聞かせるように、わたしは嗚咽するジュゼットの肩をさらに力強く抱きよせて、一緒にソファに座った。

 前にも後ろにも行く道を失ってしまったように、気持ちを動かすことができずにいると、ジュゼットが濡れた声で呟いた。


「わたくし、……カバさんのお腹の中にあるものを、……見せてもらいました」


 ぎくりとわたしと次郎君は同時に反応する。


「え?」


 聞きたいのに、聞きたくない。

 ためらいが勝ってしまい、息苦しい沈黙になってしまう。ジュゼットがぐすんと大きく鼻をすすった。


「カバさんが見せてくれたのは、トーコが死んでしまう夢でした」


 ズンっと世界が陥没した。足場が崩れ去ったような感覚。ぞおっと全身の肌が泡立つ。


 眩暈がした。


 昨夜、ジュゼットが見た悪夢。

 カバさんが彼女に見せていたのは、一郎さんが望まなかった世界。


 瞳子さんが死んでしまう世界。


 事故にあったのが次郎君でなくて良かったなんて、わたしはなんて能天気だったのだろう。


「イチローは……」


 ジュゼットはぐすぐすと鼻をすすって、しゃくりあげている。印象的な青い瞳は涙に濡れて潤んでいる。


「……イチローは、カバさんに、嘘を……つかれたんですか?」


 何も答えられない。わたしも次郎君も心の整理が追いついていない。わたしはハンカチを取り出して、ジュゼットの涙を拭う。


「カバさんは、イチローに、……苦しい嘘を、ついたんですか?」


 ジュゼットの涙腺が、ふたたび激しく緩む。見たこともないような勢いで、ぼろぼろと涙があふれ出る。


「トーコは、……いなくなってしまうんですか?」


 そんなことないよ!と、大きな声で否定したいのに、声が出ない。


「あいつの言っていることが正しいとは限らないよ」


 次郎君がローテーブルの上にピンクのカバのぬいぐるみを置いた。


「俺たちは騙されているのかもしれない」


 ジュゼットが嗚咽をこらえて頷いた。


「……嘘をつくなんて、カバさんは悪い人ですわ」


「そうだね」


 次郎君がわたしを見た。


「あいつ、応急措置に奔走してるって言ってたよね」


「はい」


 まるで何のことかわからなかったけど、次郎君には心当たりがあるのだろうか。


「また気休めに奔走してくる、みたいなことも……」


「はい」


「……もう原型を失うくらいに壊れている、か」


 次郎君は視線を伏せて、ローテーブルに鎮座するぬいぐるみを見つめる。


「もし、俺の考えている通りだったら、あまり時間がない気がする」


 何か難しいことでも考えているのか、次郎君は一つ吐息をついてから壁に掛かっている時計を見た。


「もうすぐ兄貴たちも戻ってくるし。俺、兄貴が帰ってきたら、問いただしてみるよ」


「はい。でも、次郎君の考えていることって?」


 不安を顔に出さないように努めたけれど、次郎君には強がってみても無駄だった。精悍な顔に、困ったような笑顔が浮かんだ。


「ただの思い付きだから、まだ秘密。あやめがそんな顔することないよ」


「次郎君?」


「ジュゼットもあいつの言ったことを真に受けて泣くことないから」


 ひくひくと泣き続けるジュゼットの頭に、次郎君が慰めるようにポンとポンと触れた。






 一郎さんと瞳子さんが「ただいま」と帰宅したのは、まだ日暮れ前の赤い太陽が、空の端を茜に染めている頃だった。次郎君もわたしもジュゼットも、部屋で独りになるのが嫌で、ずっとリビングのソファを陣取ったまま、テレビをつけていた。


 見るともなくテレビを眺める次郎君とわたしの傍らで、ジュゼットは読みかけの絵本を開いていたけれど、いつのまにか眠ってしまったようだ。


 他愛ないワイドショーには、例のタグで投稿された動画について検証をおこなったりする場面があった。テレビのコメンテーターは口を揃えて、もう動画の拡散は収束をはじめているという結論だった。一過性の流行だったのだろうと、大学の友人たちと同じような感想を抱いていた。


 一郎さんは帰宅すると、わたし達を見て眉を潜めた。何かを言う前に、次郎君がピンクのカバのぬいぐるみを掴んで立ち上がり、勢いよく歩み寄る。有無を言わせぬ調子で一郎さんの腕をつかんだ。


「大事な話がある」


 一郎さんは次郎君の視線をまっすぐに受け止めている。何か心当たりでもあるのか、聞き返すこともなく、ただ頷いた。次郎君を自室へと促し、すぐに二人の姿がリビングから消える。


 瞳子さんは次郎君の剣幕に目を丸くして、わたしを見た。


「どうしたの? 次郎君。兄弟喧嘩でもはじめそうだったけれど」


「えっと……」


 なんて説明すれば良いのかわからない。


「一郎さんに聞きたいことがあるみたいです」


 咄嗟にこたえて、わたしは自分の気持ちを引き締める。瞳子さんの顔を見ると、じわりと目頭が熱くなった。いけない。わたしが突然泣き出したら、絶対におかしい。


「もしかして、またカバさんが現れたとか?」


「あ、はい」


 ぎくりとする。


「でも、また意味不明なことを言ってましたよ」


 辛うじて言い逃れた。


「ほんとに不思議よね、カバさんは。私、先に着替えてくるわね」


 瞳子さんはピシッとしたスーツ姿だった。助手というより敏腕秘書みたいな風格を感じる。手に持っていた紙袋をローテーブルに置くと、ソファでうたた寝しているジュゼットの頭を撫でた。


「良く寝てる」


 リビングを出て行く瞳子さんの背中を見送って、わたしはほぅっと小さくため息をついた。

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