42:時期が合わない
瞳子さんのように美味しい飲み物を提供することはできないけれど、精一杯心を込めて、ジュゼットのココアと次郎君のアイスコーヒーを作った。
自分にはロイヤルミルクティー。
わたしもリビングのソファに落ち着いて、おやつタイムに参加する。
カバさんはジュゼットの腕に抱かれたまま、再び大人しくなっていた。ぬいぐるみの中にいるのかどうか、いまいち見分けがつかない。
お茶を飲みながらのんびりするはずだったのに、会話はシビアにはじまった。
「兄貴は絶対にまだ何かを隠しているよ。嘘をついていると思う」
次郎君が眉間にシワを寄せている。アイスコーヒーを一気に半分まで飲んでくれたのを見て、コーヒーが不味かったからではないと、少し場違いなことを考えてしまう。
「一郎さんが? でも、どうしてそう思うんですか?」
「辻褄が合っていないことに気づいたんだ。昨夜は何が引っかかっているのかわからなかったけど、よく考えたら簡単なことだった」
「簡単なこと?」
わたしは再び不安になる。七年前の鉄骨落下事故が脳裏をよぎった。やはりごまかすようなことは許されないのだろうか。わたしの顔色の変化に気づいたのか、次郎君が慌てたように付け加える。
「あ、でも大丈夫。俺は今、あの鉄骨落下事故が本当にあったことなのかを疑っているから」
「え?」
思いも寄らない方向からボールが飛んできたように、わたしは目を丸くする。
わたしや次郎君を悩ませた、あの悪夢。
鉄骨の落下に巻き込まれた次郎君。あれがただの夢なら、それに越したことはない。
「時期が合わないんだ。俺が思い出したあやめとの出会いは、コスモスの咲く秋だった。中三の秋」
「……はい」
わたしがカバさんに見せてもらった光景も同じだ。
地平線まで続きそうな、一面のコスモス畑。まだらなピンクが辺りを美しいグラデーションに染める。風が吹くたびに甘い香りがほのかに拡散した。
幻想的なほど綺麗な情景の中で、次郎君は妖精のように佇んでいた。わたしにとって、とても印象的な出会い。
「でも、あやめの悪夢……鉄骨の落下事故は真夏だった。あやめも俺も中学の制服だったから、中一と中三のはず。だからあの悪夢は中三の夏の光景になる」
「あ!」
そうだ。靄で隠されていた景色が見えたように、わたしの中にあった違和感が晴れる。
どうして、こんなに簡単なことに気づかなかったのだろう。
「たしかにそうです!」
「俺があやめと初めて出会ったのが中三の秋。鉄骨の落下事故は中三の夏。ということは、どちらかが本当の過去じゃないってことになる」
「じゃあ、本当は次郎君は死んでいない?」
「その可能性が高いかなって。兄貴は、本当はもっと違う別のことを隠しているんじゃないかって。そう思えて仕方がないんだ」
一郎さんの隠し事は気になるけれど、わたしはほっと心が緩む。安心するには早いけど、でも、あの悪夢がただの夢なら、とても救われる気がした。
次郎君が死んでいなかったら、生きていることがずるいという後ろめたさは蹴とばせる。
「良かった」
「あやめ?」
「次郎君があの事故にあっていないのなら、本当に良かったです」
「うん。でもまぁ、ただの憶測だけど」
「でも可能性は高いですよね」
前のめりになってしまうわたしに、次郎君は困ったように笑う。
「俺は兄貴が何を隠しているのかが気になる。あやめの悪夢――俺の死がダミーなら、本当に隠していることは何だろうって」
有頂天になりかけていたわたしは、頭から冷水をかけられたようにゾッと心が震えた。弟である次郎君の死を盾にしてまで、一郎さんが秘めようとしていること。
もっと取り返しのつかない重大な過去があるのだろうか。さっきまでの晴れやかな気持ちが、嫌な予感に上書きされていく。
「イチローは嘘つきなんですの?」
カバさんをしっかりと腕に抱いたまま、ひたすらクッキーにかじりついていたジュゼットが、屈託のない顔をこちらに向ける。口の周りがクッキーの粉をまぶしたみたいに汚れているけど、拙い幼さがとても可愛い。ピンクのカバのぬいぐるみも良く似合っていて、愛嬌を感じる。
「わたくしがちゃんと帰れると言っていたのも嘘なのですか?」
「いや、それは本当だよ」
「わたくしは教育係の者や母様に、嘘をつくのはよくないと教えられました。その時はよくても、あとから良くない結果になることがあるのだと」
あとから良くない結果になることがある。
なぜだろう。ジュゼットの言葉が、くっきりと胸に刻まれる。




