3:助手の瞳子(とうこ)さん
「瞳子さん」 「瞳子」
どうやら時任兄弟のお知り合いらしい。もしかするとこの女性も教授だろうか。凛とした華やかな笑顔。大和撫子という形容がぴったりの、長く美しい黒髪。
私は再び頭をさげる。
「はじめまして。早坂あやめです」
「え? あやめちゃん!?」
女性は胸の前で手を組んで先輩を見た。
「ついに? 次郎君、ついに彼女ができたの?」
「瞳子さんまで! 兄貴と同じこと言わないでよ!」
たしかに教授も女性も話が飛躍している。そんなに先輩に彼女が出来てほしいのだろうか。っていうか、先輩ならお付き合いしている女の子とかいそうだけどな。二人には内緒なのかな。この様子では彼女をお披露目したらからかわれそうな気もするけど。
女性は「違うの?」と意外そうに目を丸くして、再びわたしを見た。
「はじめまして、あやめちゃん。私は清水瞳子です。――時任教授の助手をやっています」
教授の助手さんか。この部屋に飾られた花や、ピンクのカバのぬいぐるみはこの人の影響かな。でも、妙に馴れ馴れしいのは気のせいだろうか。笑うととても可愛い女性で、全く悪い気はしないけど。女性ーー瞳子さんの人懐こさのおかげで、簡単に親近感がわいた。
「私は文学科の一年に在籍しています。時任先輩とは顔見知り程度の仲でーー」
「お財布忘れた事件よね」
「え?」
瞳子さんが突然言い当てる。
「次郎君から聞いたことがあって。あやめちゃんが学食にお財布を忘れて、次郎君が届けたことがあるって。それで少し話すようになったって」
「あ、はい。そうなんです。先輩の噂は聞いていましたけど学科も違うし、直接話すような機会もないと思っていたので、本当にお財布を忘れてラッキーでした」
瞳子さんがあまりにも打ち解けやすい雰囲気だったので、隠すことなく憧れの先輩であることを示しておいた。時任先輩に憧れている学生は多い。わたしもその他大勢の一人と変わらない。
「ラッキーって!? 次郎君! めちゃくちゃ脈ありじゃないの!?」
「え?」
「瞳子さん! 今はそんなこと言っている場合じゃないんだって」
飛躍し続ける瞳子さんを制して、時任先輩がソファへと誘導する。大きなソファセットの一角には、中世ヨーロッパのドレスを着た幼女ーーお姫様が横たわっている。
そういえば、この子は誰なんだろう。
「あら? この子は次元エラーかしら」
わたしと並んでソファにかけながら、瞳子さんはようやくお姫様に気がついたようだ。
「次元エラー?」
わたしが何気なく聞き返した、次の瞬間。
「あ!」
ぐるりと瞳子さんがこちらを見た。華やかな笑顔が幻のように、この世の終わりのような顔をしている。え? わたし何か失礼なことでもしたのかな。
はぁっと時任先輩がため息をつく。
「理解してくれた? 瞳子さん」
「ど、どうなっているの? 大丈夫なの?」
「たぶん大丈夫じゃない」
「どうするの?」
「兄貴は未だに能天気な顔をしているけど」
よくわからない危機感を漂わせる二人をよそに、教授はキッチンで四人分のお茶を淹れていたらしく、茶器をカチャカチャと言わせながらこちらに戻ってきた。ああ、教授にお茶を淹れてもらうなんて恐れ多い。
「失礼だな、次郎は。今さら焦ってもどうしようもないだろ? とにかくお茶でも飲みながら今後の事を話し合おう」
今後のことって、わたしは思い切り部外者なんじゃ。
「あの、じゃあ、わたしはそろそろ学院祭の準備に戻ります」
「それは困るよ」
教授が爽やかな笑顔で、きっぱりとわたしの退路を断った。
「いま一番重要なのは、君の処遇だから」
「え?」
「俺も君のことをあやめちゃんって呼んでも良いかな? きっと長い付き合いになると思うから」
「え?」
なんだか、全く話がのみ込めないんですけど。
「ああ、そんな顔しないで。今からきちんと説明するからね。とりあえずお茶でも飲んで」
「あ、はい」
どうやらまだ学院祭の準備に戻ることはできないようだ。進められるがまま、わたしは目の前に置かれた湯呑に手を伸ばした。