24:胸騒ぎ
「意味なんかあれへんで」
次郎君がしげしげとピンクのカバのぬいぐるみを眺めている。
「でも、このピンクのカバのぬいぐるみは昔からあったものだけど、11Dはそんな昔からこの世界に紛れていたってこと? それともぬいぐるみの姿を借りているだけ?」
「お兄ちゃん、ワシのことはカバさんって呼んでんか」
「あ、ごめん」
カバさんって、きっとジュゼットのつけた名前なんだろうけど、気に入っているのかな。
11Dだと、まるで管理番号みたいだもんね。
「ええねん、わかってくれたら。姿は借りもんや。認識できるようにしただけやで。ワシは高次元やからな。あんたらの次元とはモノがちゃうねん」
なんだろう、見た目が可愛いからごまかされているけど、ちょっと物言いが上から目線の気がする。
「わたし、このぬいぐるみのこと、知っているような……」
ぬいぐるみとしての見た目の話ではなくて、方言や声に覚えがあった。どこかで聞いたことがあるのだ。いったいどこだったのかな。
「夢の中やんか」
ピンクのカバのぬいぐるみ――カバさんがわたしを見ている。
まるで心を読んだかのように、きっぱりと教えてくれた。途端にわたしの脳裏に蘇る光景。
「あ! そういえば」
出てきそうで出てこない俳優の名前を思い出した時のように、はっきりとした。
いつもの悪夢に現れた、ピンクのカバのぬいぐるみ。
「お嬢ちゃんの夢におったやろ。薄情やな、忘れてもうたんか? あ、でも、あれはもう別次元の話になるんやったかな」
「あやめの夢に?」
次郎君に頷いてみせる。少し端正なお顔が険しくなっている。心配してくれているのかな。
「うん。前に次郎君がきてくれた夢とほぼ同じなんだけど、でも世界が静止していて、カバのぬいぐるみと話すっていう、不思議な夢だったんだけど」
まさかあのカバのぬいぐるみと、このカバさんが同一だったとは思いもよらない。
「――あの夢……」
次郎君の顔が、ますます険しくなる。どうしたんだろう。
「カバさんは、今まで私達の前では話したり動いたりしなかったけれど、それはどうして?」
瞳子さんの問いかけに、カバさんはガハハと笑う。
「この次元ではなんでも理由がいるんかいな?」
「そうね。わかりたいと思うから」
真摯な答えに、カバさんは笑いをおさめる。ぬいぐるみの愛嬌のある眼で、ひたっと瞳子さんを見た。再びピコピコと尻尾が動いている。
「わかりたいから? ふう〜ん、なるほどやな。でもイチローは逆のことを言うで」
「一郎が?」
「そうやで。知らない方が良いこともある。イチローはそう言うてたけどな」
「兄貴を知っているのか?」
「知ってるに決まってるやんか。イチローとは永い付き合いやねんで」
次郎君も知らなかったのか、信じられないと言いたげに、ジュゼットの腕に抱かれているカバさんを見つめている。
「この姫さんよりも、もっとずっと昔から知ってるで」
「兄貴と? カバさんが高次元ってことは、ひょっとして管理局?」
「違うがな」
「でも、普通の次元エラーじゃないよね?」
「当たり前やんか」
なぜかカバさんの声が自慢げに聞こえる。次郎君が言葉を選ぶように、ゆっくりと尋ねる。
「もしかして、……カバさんは、何か知っているのか?」
「なんや?」
「この次元で、ジュゼットが戻れなかったり、金魚が現れたり。そうなっている理由を」
「う〜ん? さぁな、どうやろな」
わたしにもわかってしまうくらいに、カバさんはごまかし方が下手くそだ。これは絶対に何か知っている。ガハハと笑い声がした。
「やっぱり、ここは面白いわ」
次郎君がソファから立ち上がった。
「俺、兄貴を呼んでくる」
「やめとき」
即座にカバさんが止める。次郎君が「どうして?」と言いたげに振り返ると、カバさんは愛嬌のある顔にニタニタと笑みを浮かべた。
「せっかく眠ってるんや。今は寝かしたり」
全てお見通しと言わんばかりに、カバさんはニタニタと笑う。
「イチローの考える世界は、ほんまに面白いからな」
「兄貴の世界が面白い? 夢のこと? どういう意味?」
「そのままの意味やんか。ワシもちょっと眠ろかな」
言うなり、ピンクのカバのぬいぐるみから不気味な表情が失われる。まるではじめからそうだったかのように、何の変哲もないぬいぐるみの気配に変わった。
ジュゼットにとってはどんな様子の時も親しみのある、可愛いぬいぐるみなのだろう。変わらず愛しそうに抱いている。
「次郎君?」
次郎君の横顔が見たこともないくらい、不安げに見えた。何だろう、嫌な予感がする。
「どうしたんですか? 何か気になることでもあった?」
端正な横顔が白くなっている。血の気が引いているのだ。見間違いだろうか。
「顔色が悪いわよ?」
瞳子さんも労わるような目を向けていた。やっぱり顔が青ざめているんだ。ジュゼットが、そっと次郎君のほっぺたに手を伸ばす。
「ジローは、カバさんのことが嫌いですか?」
「――ううん。違うよ」
ジュゼットに笑ってみせる次郎君の顔が暗い。ざわりと胸騒ぎを感じて、わたしは胸に手を当てた。