14:初めてのキス
「え? 本当に?」
ガバッと顔を上げると、次郎君はなんともいえない顔をしていた。そういえば一郎さんは結婚とかなんとか、飛躍したことを言っていたけど。
「その、あまり深く考えないで欲しいけど、……その」
次郎君がこれ以上はないくらい何かを言い淀んでいる。
「あっ、そうだ。瞳子さん! 瞳子さんは俺たちの事情を知っていただろ?」
「言われてみれば!」
たしかにそうだ。肩書きが教授の助手さんだし、時任兄弟とは昔からの知り合いっぽいから、当たり前のように瞳子さんも一郎さんたちと同じような立場なのかと思っていた。でも、血統で決められているのであれば、時任兄弟と血のつながりがない瞳子さんは関係ない。なぜ事情を知っていられるのかは、すごく謎になってくる。
「瞳子さんのお家も代々そういう家系だとか?」
「ううん、違う。ーー瞳子さんは兄貴の婚約者だから、管理局に黙認されているだけ」
「黙認? どうして婚約者だと大丈夫なんですか?」
「血統を維持するために必要な配偶者になるから、かな?」
血統の維持。いずれ一郎さんとのお子様を設けるということ? なんだか、とっても下世話なお話になった気がする。
「でも、もし婚約破棄になったり、お子様を生んでから離婚した場合は?」
「たぶん修正が入る」
うわぁ。予感はしていたけど、聞きたくなかった真相だ。
「でも、修正って、どんな? その場合は、どの段階まで戻っちゃうわけですか?」
「誰も覚えていないから正直なところわからない。でも兄貴が言うには、黙認後の修正はわりとひどいらしい」
「一郎さんはどうして知っているんですか?」
「管理局に聞いたって言っていたけど……、詳しいことは教えてくれない」
暗黙の了解みたいな話になってきた。わからないだけに、余計に怖いんですけど。
でも。
配偶者にだけは、同じ世界が許されるのか。
「さっき一郎さんが次郎君と結婚したらいいって言っていたのは、そういう理由なんですね」
「兄貴も冗談で言っているだけだから、聞かなかった事にしてくれて大丈夫。俺や兄貴の場合は、相手にとってかなり重たい話になるからね」
わたしが今、彼らの事情を知っていられるのは、期間限定の特権。ジュゼットのことが解決するまで。
きっとすぐにその日は来てしまうんだろうな。
寂しいけれど、そんな一時的な感傷で「あなたと結婚します!」なんて、決めてしまえるわけがない。
勢いだけの不確かな約束。次郎君にも迷惑な話だ。
「うん、とても重い話だと思いました」
私は次郎君の目を見て正直な気持ちを伝えた。
「次郎君の話は、期間限定で教えてもらっているだけだし、修正されたらわたしは全部忘れてしまう。次郎君も今のことは忘れちゃうかもしれないですし」
「そう。だから話せた」
「はい。でも、わたしは話してもらえて嬉しかった。だから、全部忘れちゃっても、いつかまた次郎君からそんなお話が聞けるような女性になれたらいいなって思います」
ジュゼットが元の世界に戻って、世界が復元されても、次郎君ときちんとお付き合いをしていて、ずっと彼の恋人でいられたら、いつかもう一度打ち明けてくれる日が訪れるかもしれない。
それは次郎君にプロポーズされる未来なのかな。
でも、今は誰にもわからない。望む未来を思い描けても、どうなるかはわからない。
次郎君が、もっと素敵な人に出会う可能性だってある。
わたしは彼に好きでいてもらうために、励むしかない。
「あやめ」
おもむろに次郎君の腕が伸びてきて、肩を引き寄せられる。ローテーブルを挟んだ距離が、至近距離まで近づいた。
「ーーなんか、すごく嬉しい」
「次郎君」
お顔! お顔が近い!
「キスしても良い?」
ぎゃあ! でも、たしかにそんな雰囲気になっている。
「ど、どうぞ!」
ぎゅっと目を閉じる。もっとロマンチックに応えることができなかったのかと、頭をぐるぐるさせていると、そっと次郎君の気配が触れた。
初めてのキス。
うわーと脳内で何かが小躍りしてしまう。
でも、この時間は失われる。わたしは、いつかもう一度次郎君と初めてのキスができるのかな。
ふわふわとした甘い気持ちの中で、少し場違いな事を考えた。
だって、恥ずかしくて死にそうだから。