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無くした感情

作者: 鈴蘭

「ここは、どこだ?」


 ふと目を開けると、俺は仰向けで寝ているようで、薄汚い天井が目に入った。

 体を起こすと、周りには何人もの頭に包帯を巻いた人が寝ているのが見えた。

 一人一人顔を覗き込んだが、知っている顔もいなければ、起きている人もいなかった。

 自分の頭に手をやると、自分の頭にも包帯が巻かれていることが分かった。

 ここに来る前、何をしていたのか、何故ここに来たのか、何も思い出せない。

 覚えているのは自分の名前が高橋守たかはしまもるだということくらいだ。


「とりあえず、ここを出よう。」


 何故か動きにくい左足を引きずって、俺は目の前にあったドアまで歩き、ゆっくりと開けた。



 だが、やはり見覚えの無い光景だ。

 薄暗いコンクリートの廊下が広がっている。

 そういえば、先程の部屋もそうだが、窓が見当たらない。

 ふと振り向くと、先程の部屋のドアに部屋の名前が記載されていた。


『死体安置所』


 死体安置所?

 俺はこの通り生きている。

 こんなところに来る用事は無いはずだ。

 とにかく進んでみよう。

 俺は廊下を進み、その先にあった階段を上がった。



 階段を上がった先には、同じく薄汚い廊下があり、その途中にいくつも部屋があった。

 診察室、処置室、手術室…


「ここ、病院なのか。」


 そうは思ったが、人気が無い。

 状況がよく分からないので、片っ端から部屋に入ってみる。

 まず、診察室に入る。

 診察室の机の上には薄汚い病院には似つかわしくないほど綺麗な書類が重なっていた。

 どれにも、株式会社◎◎と、同じ会社名が書かれていて、健康診断の書類のようだった。

 書類をめくっていくと、さっきの死体安置所で寝ていた人のような顔の写真が載っている書類もあった。

 名前、年齢、やはりどれも記憶には無い。

 と、1枚の書類が目にとまった。


高橋守たかはしまもる


 自分の名前だ。

 俺は株式会社◎◎に勤めていて、この日は健康診断に来ていたのか。

 それにしても汚い病院に来たものだ。

 そもそも、どんな仕事をしていたのかもよく思い出せない。

 自分のプロフィールには、住所、名前、年齢、緊急連絡先などが記載されていた。

 緊急連絡先は妻となっていることから、結婚しているのだろう。

 年齢は28歳だから、新婚だろうか。

 俺はとりあえず、自分の健康診断の結果を持って診察室を後にした。



 次に、処置室に入った。

 中はそこそこ広く、体重計や視力検査表などが視界に入って来る。

 歩き回ると、また小綺麗な書類が目にとまる。

 探すと、やはり自分の名前の書かれた書類が混ざっていた。


『検査の結果:健康 麻酔へのアレルギー無し 手術OK』


 書き殴ったような字で書かれていた。

 手術?

 健康診断では無いのか?

 よく分からないまま、俺はその書類を手に、処置室を後にした。



 次に入ったのは手術室だった。

 やっぱり、机の上にある書類が目に止まる。

 こんな薄汚い病院に、何故綺麗な書類があるのだ。

 手にとってめくると、自分の名前の書類があった。


『手術結果:失敗 脳死状態になるか、左半身に運動障害が残る可能性有り』


 俺は自分の左足を見つめた。

 動きにくいのは、手術に失敗したからだったのか。

 それにしても、俺は一体何の手術を受けたのだろうか。

 俺は自分の書類を片手に、さらに探してみることにした。



 10分間ほど探したところ、奥の机の引き出しの中から書類を見つけた。

 手に取り、書類に目を通す。


『ロボトミー手術』


 何だろうか。

 書類をめくってよく読んでみた。

 細かいことは小難しくてよく分からなかったが、脳を切除する精神疾患の患者向けの手術のことのようだ。

 また、無気力で受動的になったり、記憶喪失のような症状を引き起こす場合もあると書かれている。


 俺は自分の頭に手をやった。

 包帯が手に触れる。

 まさか、ロボトミー手術を受けたのだろうか。

 そう考えてはみるが、何も思い出せないし、何の感情も湧いてこなかった。


 

 俺はロボトミー手術の書類も持って、手術室を後にしようとした。

 すると、手術室を出たところで、声が聞こえた。

 振り向くと、廊下を這いずっている人がいる。


「なあ、高橋だろ?」

「ああ、そうだ。お前は?」

「覚えてないか…そうだよな、手術したんだもんな。俺はお前の同僚の安西あんざいだ。」

「そうか、ところで、安西は俺に何の用だ?」

「ああ…ここに来たことは覚えているか?」

「いや、何も」

「そうか」


 安西は一瞬暗い顔で押し黙った後、意を決したように話し始めた。


「俺たちは、社長に騙されたんだ。」

「どういうことだ?」

「俺たちがいた株式会社◎◎は、倒産寸前だった。給料も未払いで、仕事も力仕事で、体調を崩す奴があとを絶たず、社長はそれでも横柄で。それで、俺も、お前も、ほとんどの社員が退職の意思を固めていたんだ。」

「そうだったのか。」

「ああ、それで、俺が退職の意思を告げようと社長に話しかけようとした時、社長の方が先に口を開いた。みんなすまんかったと。とりあえず、みんな健康診断を受けてくれと。」

「それで、この病院に?」

「そうだ。数年ぶりの会社主催の健康診断だった。まあ、最後に健康診断くらい受けるかと。それが間違いだった。」

「何があったんだ?」

「最初はただの健康診断だった。でも、途中から一人一人麻酔を打たれて、手術され始めた。俺はお腹が痛くて、健康診断前にトイレにこもってたんだけど、処置室に戻る前に手術室の前を通ったんだ。そうしたら、社員の人たちが手術室に連れていかれて、頭に包帯を巻かれてどんどん病室に運ばれていくのを見ちゃったんだ。」

「え…」

「俺は慌てて病院から逃げ出そうとして、逃げ出そうとしたんだが、誰かに突き飛ばされて、階段の下にいたんだ。足が折れたのか、上手く動かないんだけどな。まあ、手術は受けずに済んだみたいだ。」

「俺、地下の死体安置所にいたけど、お前のこと見てないけどなあ。」

「そりゃそうだろ。俺はずっと前に階段を這い上がって、病室のある方の廊下の前に行ってたんだから。そしたら、お前が後から階段を上がって来てたんだよ。」

「そうだったのか。」


 俺は少し考えてから口を開いた。


「なあ、手術が成功した奴ってどうなったんだろうな。」

「ああ、株式会社◎◎の社長に引き取られていったよ。」

「何で?」

「言ったろ?社長に騙されたって。手術は社長が仕組んだものだよ。ロボ何ちゃら手術?とやらで感情の無い人にして、無給で働かせるとか言ってた。同僚が連れていかれるのは、階段を這い上がっているときに聞こえてきてさ、何もできなかったけど。」

「ロボトミー手術か。」

「知っているのか?」

「ああ、手術室とかにあった書類を見たんだ。」


 俺は持ってきた書類を全て安西に見せた。


「そうか…この書類があれば裁判して社長に勝てそうだな!他のみんなの書類も持ってきてくれないか?」

「ああ、いいよ。」


 俺は診察室、処置室、手術室を周り、書類を集めてきた。


「これでいいか?」

「ああ、よし、ここを出るぞ。」

「そうだな。ただ、社長と鉢合わせするとかは無いのか?」

「そこは大丈夫だ。もう来ないと言っていた。」

「何でだろう。」

「残っているのは死んでいる奴か、自力で動けない奴だから、放っておいたら死ぬし、もう使われていない社長の父親の所有物の病院だから証拠も残らんとか言ってたな。」

「そうか。」


 俺は安西を肩に担ぎつつ、病院の外に出た。

 山の上のようで、車などが通る気配もない。

 が、100メートル歩いたところで傾きかけの公衆電話を見つけた。


「おい、ラッキーだぞ。社長は公衆電話に気がつかなかったんだ。」

「みたいだな。で、どうすればいいんだ?これ。」

「受話器を外して、1、1、9と押してくれ。」

「分かった。」



 しばらくして来た救急車に助けられ、俺たちは病院を後にした。

 運ばれた病院で、安西は足の骨折だけなので治るようだが、俺は脳障害のため、どうしようもないと言われた。


 検査の結果を告げられた次の日、どうしたもんかな、と思っていたところ、女性と4歳くらいの男の子が俺の部屋に入ってきた。


「守!!」

「おとぉさん!!」


 泣きながら俺に駆け寄ってきた。

 そうか、きっとこの人たちが俺の奥さんと、子どもか。

 結婚して、子どもまでいたのか。


「守、私が働くから。守の分まで働くから、もう無理はしないで。」

「おとぉさん、しんじゃやだー!」


 自分のために泣いてくれている家族を見て、俺は何も感じなかった。


「守、どこか痛むの?」

「どうして?」

「だって、泣いているじゃない。」

「おとぉさん、いたいのいたいのとんでけー!」


 手で顔を触ると、確かに濡れていた。

 一体、何で泣いているのだろうか。

 そんなことすら、俺にはもう分からない。


「そうだな、どこか痛いのかな。」


 そう答えつつも、どこか気持ちは上の空だった。

 ああ、きっと、大変なのはこれからなんだろうな。

 そんなことを考えつつ、今は家族を見つめていた。



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