後編
童話ですね、これ。
翌朝、漆喰塗の壁を一部残して更地となった求道寺では、二十人あまりの人々が懸命に倒れた鳥居の撤去に従事していた。
柱と笠木に縄を縛り付けて引っ張る。トラックもないので人力が頼りだが、若い男が少ない上に皆疲弊しているので石製の鳥居はビクともしない。
「皆さん、ちょうどよかった」
頃合いよしと青年が駆け付けた。
「僕に任せてください」
「また君か!」
青筋をたてる女性をまあまあとなだめて言う。
「路面電車が使えるかもしれないんですよ」
「阿呆か君は? 発電所も復旧していないんだぞ」
「だから電気を空から引くんだよ。おーい! みんな!」
手招きすると子供たちが、わらわら集まってきた。
太い縄を四本、十数人ががかりで引きずっている。青年は朝、近所の子供たちに声をかけ、神様立ち合いのもとで壮大な理科の実験をやるから君たちの協力を仰ぎたいと、ありったけの縄を用意させたのだ。
「ちゃんと電車に繋いできたろうね」
運転士さんがしっかり結びつけてくれたと子供たちが答える。そして、復員兵は誰かが口をはさむ前にロープを要領よく鳥居の柱に巻き付けた。
間を隔てる家屋が失われた今、半キロ先の電気軌道と天神さまの鳥居がまっすぐ繋がったのだ。これが直接道路から乗る路面電車の良さである。
「よし、発電開始だ」
これから始める大計画の成功を祈願し祓言葉を奏上した。
「祓い給へ清め給へ。守り給へ幸へ給へ」
「本当に気がふれているのか君は! どうやって電気を引くのかと思ったら祈祷の真似事か? 子供たちまでたぶらかして、悪ふざけも大概にしろ!」
激昂する孫江に大真面目な顔で答えた。
「傷んだ体なりにできることをしろとあなたは言った。だから、僕なりに皆さんを飢えから救う工夫をするのさ」
すでに上空で待機ずみの雷鼠へ向かって呼びかける。
「お願いします雷神さま!」
遠雷の音が鼓膜を振るわせ、みるみるうちに暗雲が空を覆った。
「雷など落としたら電線が焼き切れるぞ!」
「雷神さまが変電所の役目を引き受けてくれたんだ」
ぽつぽつと雨粒が人々の顔を打ち始め、灰色の空で光の球が激しく明滅を繰り返す。雷鼠も悪戦苦闘しているのが伝わってきた。
(雷鼠さま……! どうか恵みの雷電を……!)
祈りを込めて紙垂を垂らした御幣を振る。傍から見れば気ちがい沙汰もいいところなのは百も承知で信心を天空へ送った。
「みんな取り押さえろ! その男は狂人だ!」
「わっ、もう少し待てないのか⁉」
精神病棟へ放り込まれる寸前で奇跡が起きた。
「動いた!」
男児が大声をあげた。
確かに動いた。路面電車がゆっくりと進行を始めたのだ。
「電車が動いたぞ!」
少年の運転士が窓から身を乗り出し、大喜びで帽子を振り回す。
雷神由来の電流が通った馬力は素晴らしく、二十人がかりでも動かせなかった巨大鳥居をゆうゆう引きずっていく。
子供たちは大はしゃぎだ。何度もバンザイを繰り返した。
「雷鼠さま……」
青年だけではない。その場に居合わせた人々は見た。
ゆるやかな流水のような曲線を描き、雷光が電線を伝っていくのを。
鳥居は撤去され、地下壕への扉が開けられた。
そこに保存されていた大量の食料が人々を歓喜させたことは言うまでもない。各人、各家庭の状況に合わせて正しく分配されたのだ。
「私も神としての面目が保てました」
光球に包まれた雷鼠が青年の顔の横まで下りてきた。
「ありがとう。これも君のおかげです」
「神様が人間にお礼など言うものではありませんよ。僕のほうこそ、あなたのおかげで町に居場所ができたんですから」
「では、少し偉ぶってもいいですかな?」
「どうぞ遠慮なく」
「いい加減、孫江さんに正体を明かしなさい」
「え……?」
「あなたが彼女の待つ日高温その人ではないか」
「最初からわかっていらした……?」
「あなただって度々お供え物を捧げてくれたでしょう。信心深き者の顔も覚えずして神様が務まるものですか」
青年──日高温は恐れ入って頭を垂れた。
「顔に傷を負ったせいもあり、つい言いそびれて……」
「それのどこが憶する理由になるのです? 彼女が待っていたのは武功を立てた男でも、無傷の男でもない、あなたなのですよ。ほら、後ろをごらんなさい」
「早く言ってくれれば……」
振り向くと孫江がいたので帰還兵は動揺した。
「あ、あの……!」
「相変わらず不器用だな君は」
「すまない孫江さん」
「いいよ。すぐ気づかなかった私もどうかしていた」
孫江の表情から徐々に険しさが取れていく。
優しいまなざしを温の瞳に深く焼き付かせて……。
小動物の神様や仙人キャラは、これからも書いていきたいです。
ご覧くださった方、ありがとうございます。