中編
次回で終わりです。
「天神さまのありがたみを知らしめる方法か……」
その夜、小学校の用具室で青年は仰向けになった。
空襲による災禍をまぬがれた貴重な建物として、現在この小学校には彼の他にも二十組ほどの家族が住んでいる。
子供のいる家庭が優先されるので、彼のような一人身にはいちばん狭い備品を収納しておく部屋があてがわれたが、このほうが気楽であった。
「信心も飢えの前では分が悪い。それでも何とかしてやりたい」
夕飯は芋を入れた雑穀の雑炊が一杯だけ。栄養の不足は睡眠で補うしかない。煎餅布団をかぶって夢の世界に入りかけた瞬間、はっと身を起こした。
「もしもし……もしもし……?」
誰かが呼んでいる。仮住まいしている町民が相談事でもあるのかと思ったが、明らかに声は室内から聞こえてくる。
「もしもし……お若い方」
「誰だっ?」
「雷神にございます」
「悪ふざけはよせ」
発電所も破壊され、電気は通っていないので蝋燭の火をつける。
「鼠……⁉」
枕元に置いた祠の前に鼠そっくりの生き物が立っていた。
頭に小さな冠を乗せた束帯姿、手には笏、まるで小人の平安貴族だ。
「天神の眷属、雷鼠にございます」
チイチイ声で恭しく青年にお辞儀する。
「住まいをきれいにしていただいたお礼に参上しました」
「ああ……神様直々にお礼を言われるなんて勿体ない」
青年は信心深いだけあって素直に受け入れた。
「むしろ神聖なお家を今日まで野晒しにしていた町の人々をお許しください。今は誰もが生きることだけで精一杯なんです」
「許すも何も空襲から町を守れなかったのは事実ですからな。せいぜい雨を降らせて延焼の被害を食い止めるのがやっとでした」
「それで十分なのに、なぜああも掌を返せるのか……」
「ぶつけようのない恨みを受け止めるのも神の仕事。昼間、あなたと火花を散らしていた女性も熱心にお参りされていましたよ。徴兵された想い人を生きて帰してくださいと毎日のように」
小さな雷神に含むところのある目で見られて青年は一瞬目を伏せたが、キリッと表情を正して話題を切り替えた。
「祠をここへ持ち込んでしまいましたが構わんものでしょうか?」
「構いませんとも」
鼠顔の小さな神様は笑った。
「まだ私を神様と見なしてくれる人間が一人いただけでも報われましたよ。おかげで枯れかけていた霊威も、こうやって顕現できるぐらいには回復しましたからね。さて、願い事があれば何なりとお言いなさい」
「願い?」
「親切のお礼に願いを叶えてとらそうというのです」
「童話みたいな話って本当にあるのですね」
青年は少し考えてから希望を述べた。
「壊れた橋を直してください」
「無理です」
一瞬で却下されて姿勢がぐらついた。
「何なりとおっしゃったじゃありませんか」
「大きな建造物を復元するには霊威がまだ足りていません。いや、私のごとき眷属神の中でも階位の低いものは万全であっても不可能でしょう」
「あなたには無理でも、もっと高位の神にお願いできないのですか? 天神さまの眷属なら天満自在天神に打診してみるとか」
鼠はとんでもないといったふうに首を振る。
「道真公はとうに天へ昇られ、地球を取り巻く自然神の一柱におなりあそばしました。人間とじかに交信することなど滅多にありません。それは地上に残った私のごとき眷属の仕事なのです」
「しかし、大きな神通力は持たないと」
「面目なく……」
鼠貴族は苦しげに着物の袖で顔を隠した。
「文字通りの奇跡を起こすほどの念力を発揮しようというのであれば、大量の信仰心が必要なのです。せめてこの町民全員ぶんに相当するほどの」
「とりあえず今のあなたのお手並みを見せていただけますか」
青年は雷神を手に乗せて外に出た。
「では、稲妻を呼んでみましょう」
雷鼠が笏を振ると、夜空に閃光が走った。
三秒後にゴロゴロ……と雷鳴が続く。
「これだけです」
「一回稲妻を呼ぶだけ?」
「そうです。たった一回稲妻を呼ぶのが精一杯です」
「ちょっと待ってください」
青年は校舎へ取って返すと、仮住まいの用具室でボロボロのノートを広げ、鉛筆で何やら数式を書き込み始めた。
「雷神さま、雷神さま」
「何でしょう」
「雷の速度を落とすことはできませんか」
「雷電をゆっくり落とせということですかな?」
「はい、電光はあまりに一瞬で、電圧も高すぎるので」
「考えてみたこともありませんな……」
雷鼠は髭をひねって考え込む。
「無理でしょうか。雷神さまの協力が仰げれば、実用的でない雷を利用した発電も容易となり、町民を窮状から救うこともできます」
「わかりました。他ならぬあなたの頼み、試しもせぬうちから断っては管公に顔向けできぬというもの。やってみましょう」