第1話:愛子
「京ちゃ・んの・・お嫁・・・さ・ん・・・に・・・な・・り・・・・・」
ここで目が覚める。
俺は泣いていた。
いつもの事だ・・・
「又この夢を!愛子・・・俺はダメな男だな。いつまで経っても・・・」
ここは大学キャンパス内の図書館。
来週提出するレポートを書いていたのだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。
俺は右手の甲で、涙で濡れた目と頬をゴシゴシと拭った。
周りを見渡すと誰もいない。
館内はシーンとしている。
こんな姿を他人に見られなくて良かったとホッとする。
そして、スマホを取り出し時間を確認する。
「やべっ!バイトに遅れる」
俺はレポート用紙や筆記用具を慌てて鞄にしまい込み、急いで図書館の外に出た。
秋の夕暮れ時。
空には雲1つなく、西に傾いた日は赤みを帯びた綺麗な夕焼けで、街道に落ちている真っ赤な紅葉と合わさって、世界全体は赤く染まりどこか幻想的である。
俺は鞄を右肩に背負い、左手にはスマホを持って走り出す。
走る俺を見かけた女子大生のグループが密かに黄色い声を上げている。
俺は少し照れながらも、その場を猛ダッシュで走り抜けた。
「いつまでも過去に縛られていちゃ愛子が泣くよな!」
俺は顔を上げて夕焼け空の下を力いっぱい走っていた。
俺は稲葉京佑、北海道の国立大学に通う学生である。
父は○○市役所に努める公務員で母は専業主婦。二つ上に○○警察署に勤める兄がおり、俺は次男である。
俺と兄は、父の影響で小学生の頃から剣道を習っていた。
兄は小学校の頃から全国大会に名を連ねるほどの強者であったが、俺は出来損ないの弟と周りには認識されていた。
勉強やスポーツなど、すべてにおいて兄に劣る俺。
だけど、俺は特に拗ねたりやさぐれる事はなかった。
俺には、幼馴染の三田村愛子が居たからだである。
彼女が傍に居てくれるだけで俺は幸せであった。
愛子は3軒隣りに住む同い年の女の子であった。
生まれた病院も一緒で、幼稚園・小中高と一緒であった。
俺と彼女はいつも一緒だった。
彼女は、俺が兄と比較されて落ち込んだ時など「京ちゃんには京ちゃんの良いところがあるの!」と言っていつも俺を励ましてくれた。
彼女はスラっとしたモデル体型で、可愛いと云うよりは美少女と云う感じだ。
いつも笑顔で、誰とでもフレンドリーに接する事が出来る人であり、友達は多かった。
気配りも出来て、一緒に居て楽しく、癒される存在であり、小中高と彼女のファンは多かった。
「大きくなったら京ちゃんのお嫁さんにしてね!」
彼女は幼い頃からいつも俺にそう言っていた。
俺は照れながらも「良いよ」と同じ返事をしていた。
俺の両親や彼女の両親もこの事は知っていて、俺達は親公認の仲であった。
学校帰りは良く手を繋いで帰った。
彼女は夕焼けが大好きだった。
俺はヘタレだったので、手を繋ぐ以上の事をなかなかするが出来なかった。
高校1年の頃から彼女に異変が起き始めた。
歩行中にこける、痙攣、言語障害・・・悪性の脳腫瘍であった。
進行の早い腫瘍で、手術は不可能だった。
愛子の両親は、彼女の余命が後1年と聞かされたらしい。
それを俺が知ったのは、彼女が亡くなってからだ。
俺は彼女が入院する様になってから毎日お見舞いに行った。
いつも励まされてばかりの俺だったけれど、今度は俺が彼女を励ます番だと思ったからである。
何としても彼女を助けてあげたい、守ってあげたい・・・
でも、彼女の容体は段々と悪化して行った。
日に日にやせ細って行った。
笑顔も少なくなって行った・・・
高校2年のクリスマスの日。
愛子の人生は幕を閉じた。
最後の言葉は
「京ちゃ・んの・・お嫁・・・さ・ん・・・に・・・な・・り・・・(たかった!)」
彼女の目から一滴の涙が落ちていた。
最後の方は聞き取れなかったが、たぶんこう言いたかったんだと俺は思う。
俺は最愛の人を失ってしまったのだった。
ファーストキスすら出来なかった初恋の人を・・・
それからの俺はかなり酷い状態だった。
あの日から笑う事がなくなり、彼女を思い出しては泣く日々が続いた。
彼女の後を追って死にたいと思ったこともあった。
でも死ねなかった。
俺は弱い男だ。
本当に情けない男だ。
そんな状態が4か月ほど続いただろうか。
高校3年になり、受験の事を考えなきゃならなくなっていた時、漠然とだけど命を守る、助ける、励ます事が出来る様な道に進めたらと思い始めた。
愛子に何もしてあげられなかった自分を悔み、何かをしてあげられる人間になろうと。
そして俺は今、北海道の薬学部のある大学にいる。
俺のこれからのために。
愛子の事は少しずつだけど気持ちに整理がついて来たと思う。
あの夢はたまに見るけど、それでも良くなった方だ。
「愛子!俺、頑張るよ」
キャンパスを抜け、バイト先に向かいながら、俺は過去の自分を見つめ返していたのだった。
バイト先のコンビニまではもう少しの距離。
ギリギリ間に合いそうだ。
頬に感じる風の心地よさ。
商店街を通り抜ける時に匂ったコーヒーの良い香り。
何処からか聞こえて来る何年か前に流行った曲。
この歌、愛子が好きだったっけなぁ。
聞こえて来た曲に合わせて鼻歌まじりで走る俺は、秋の夕暮れを背に浴びて、賑わう商店街を駆け抜ける。
十数m先の交差点の青信号を確認しつつ、鼻歌まじりの曲調のテンポが上がると、それに合わせて走りも加速する。
並んでいた店舗の最後を通り過ぎ、交差点に入りかかった時・・・
「じゃあまたね~!バイバイ!」
ランドセルを背負った女の子が、友達と別れて信号を渡っていた。
その子は後ろ向きに友達に手を振りながら渡っている。
「あっ!」
俺には見えた。
車の車種までは分からなかったが、たぶん黒いミニバン系だったであろう。
ハンドルより下を見ていた若そうな男性の運転手の視線が、横断歩道を渡っている女の子の方に急に切り変わり、目を大きく開き驚愕している顔を。
「キキキキキキー!」
車の急ブレーキの音が響き渡る。
「危ない!」
俺は女の子に向かって飛び込み、思いっ切り女の子を突き飛ばした。
「ドンっ!」
その瞬間、俺の視界が途絶えた。
寒い!急に寒くなった。
何かザワザワと聞こえる。
でも何を言っているか分からない。
俺はもう死ぬんだろうな。
そう思ったとき、懐かしい愛子の声が聞こえた気がした。
(俺もそっちに・行く・よ・・・)
意識も朦朧として来た。
「あい・こ・・・あ・・い・・・し・・て・・い・・・る・・・・」
翌日の朝刊に「稲葉京佑 不慮な事故 享年22歳」と載った。
こうして俺の人生は幕を閉じた。




