最初に会うのは…
皆さんは、古典落語の演目に「死神」という話があるのをご存じだろうか。幕末から明治にかけて活躍した初代三遊亭圓朝≪さんゆうていえんちょう≫が、グリム童話の「死神の名付け親」またはリッチ兄弟の歌劇「クリスピーノと死神」を翻案したもで、何かにつけて金に縁のない主人公が出会った死神に、死神の姿が見える呪いをかけてもらって医者になり、足元に座る死神を追い払うのだが、有名な医者になり、富豪になったがすぐに貧乏に戻ってしまう。その上、助からないから駄目だと言われた枕元に座る死神ばかりみるようになり、貧乏に戻った主人公は大金に目が眩み、死神の言いつけを守らなかったばかりに、死神に蠟燭のある洞窟に連れて行かれて…というやつだ。
何故、そんな事をと思う方も多いかもしれない。だが、それに似た様な体験をしてしまったのだ。否、似ていたのは洞窟に、蠟燭があっただけかもしれない。
気付いた時、洞窟に一人で座り込んでいた。
何処だここ? そう思いながら、辺りを見回してみる。足の踏み場もない位、蠟燭が立っていて、長い物もあれば、短い物もある。蠟燭には、炎が揺らめいていて全く消える心配のない物から、今にも消えそうな物、途中で消えてしまった物、燃え尽きて消えてしまった物もあった。
呆然と眺めていた俺は、ふと人の気配に気付いて右側に視線を移した。蝋燭の間を縫うように足を地に付かせて仁王立ちをしていたのは、一八歳位の長い白髪の女だ。白い着物をわざと着崩し、その下には黒の服を着ている。
その女は、蠟燭を上手く避けながら、俺に近づいてきた。
「珍しいな、こんな所に死に損いが居る」
死に損いって…俺の事か? つか、初対面の奴にいきなり死に損いはないだろ。
「あのさ、死に損いって言うなよ」
「死に損いだろう。お前、ここに来る前に何があったか思い出してから、私に物を言え」
偉そうに言ってるよ、何かムカつく。
思いながらもここに来る前の俺は、何をしていたのだろうかと自分の記憶を辿る。
確か大学の講義に出た帰りで、横断歩道のとこから帰り道が分かれる腐れ縁の悪友に軽く手を振ってから道路を渡ってて…。何かにあたった気がしたと同時に空綺麗だなあとか思ったっけ。それって…。
「そうか、車に跳ねられないと一面空なんてないよな」
「それみろ、やっぱり死に損いじゃないか」
否定出来ないけど、胸張って威張るな。
「死に損いって言うなよ。ちゃんと加賀清彦≪かがきよひこ≫って名前がある」
言い返せない分、悔しいと思いつつも俺は、自分の名前を言う。
「ふーん、どうでも良いんだが」
適当に頷いて、どうでもよさげに答えている。
どうでも良くねーよ。
「あんたの名前、聞いてないけど」
怒りが込み上げてくるが、ここは何とか抑えて聞いてみる。
「生と死の狭間を配する者」
にっこりと笑みを見せたけど、それは名前じゃない。
「それは名前じゃないだろ。しかも長いし」
「面倒臭い奴だな。じゃあ“い”で良い」
面倒臭そうに言うなよ。
「“い”って、あのな」
「嫌なら“ろ”でも良いぞ」
何で“い”とか、“ろ”なんだよ。
「あんたさ、名前言いたくないんだろ」
にっこり笑って拍手。
こいつ。
「もういいよ。でさ、ここは何処?」
埒があかないので、話を変えてみる。
「だから、生と死の狭間だ」
それは三途の川の近くか?
「じゃあこの蠟燭は?」
全く信用してないけど、聞くだけ聞いてみる。
「これか? 人の寿命だ」
得意げに答えてるけど、俺にはただの蠟燭にしか見えないよ。
「蠟燭の長さは人の寿命だ。長い物は、まだ寿命がある。逆に短いのは、寿命が無い。それと、炎が灯っているのは、生きている事になる。逆に、消えているのは死んでいるんだ。」
へえー。じゃあ、ここには俺の蠟燭もあるのか?
俺の思いには構うことなく“い”は、話を続ける。
「消えているのは別に構わんのだが、灯っているのを倒してしまったら、消えて寿命が尽きてしまうから、倒さない様に通るんだ」
こいつが、蝋燭を避けて来た理由らしい。
「それであんた、蠟燭を避けて来たんだ」
「そう言う事だ」
にっこりと笑みを浮かべると、直ぐに真顔になった。
「ところでお前、これからどうする気だ?」
「どうって?」
聞き返すと、思いっきり溜息を吐かれた。
「言った通り、ここは生と死の狭間だ。お前が何時までもここに居れるわけではない。で、生きるのか、死ぬのかどちらか自分で選べ」
「あのさ、俺別に死ぬ気」
俺が言っている途中で、くるりと来た方を向いた“い”に、俺は思わず言葉を止めた。
「出かけて来るから、暫く考えてろ」
ひょいひょいと蠟燭を避けて歩き出す。
「って、どこ行くんだよ?」
聞いた俺に“い”は、肩越しに俺に笑いかけ、こう言った。
「焼酎飲みに行くんだ」
「焼酎って、何で飲みに行こうとしてるんだよ?」
俺の問いは、“い”には聞こえていないのか、器用に蠟燭を避けて歩いて行く。
「どこまで飲みに行くんだよ?」
先程よりも声を大きくして問いかけるが、やはり答えが返ってこない。
「何時帰ってくるんだよ?」
投げかけた言葉は、薄暗い洞窟に姿を消した“い”に届く事はなかった。
「答えてから行け!」
返事一つしなかった“い”に対して、怒りをぶつける様に叫んだが、虚しく洞窟内に声が響くだけだった。