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1章第8話 討論せよ夢見る乙女。

 イチャイチャした昼食のあとの、月曜日の3限は子ども学基礎。


 2限とは打って変わって、重い空気が教室を掌握する。それもそのはず教壇には清白女子大学の学長が立っているんだから。

 ボクとしては、AO試験で学長に性別が露見するという大失態を乗り越えて、無事に彼の講義に出席し、元男性幼稚園教諭という数少ない視点からお話を聞くことができる。幼稚園教諭を目指す男だったら、こんなにも胸が踊る講義はないと思う。


「改めて祝辞の言葉を。入学おめでとう。幼稚園教諭を目指すお前たちは、それ相応の覚悟を持って入学したことだろうよ。しかし、その覚悟は現実を目の前にしたとき脆く崩れる。早めの自主退学を勧める」


 放たれる威圧。教室の空気が一層重くなる。こんなにも喜ばしくない祝辞は初体験だ。


「なんだよ、あの白髪ジジィ。何様のつもりなん? こっちは高い学費を払ってんのによお」


「そっすよね! うちなんて、奨学金使ってまでここに来てますから」


 後方に陣取る、厚化粧の学生2人が学長の祝辞を尻目にくっちゃべる。周囲がしーんと静まりかえっているだけに余計目立つ。


「つまんない話聞くくらいなら、寝るわ。昨日、珍しく英語の勉強しちゃってさぁ……疲れたんだよね」


「自主勉ってやつっすか! 偉いブラボーはんぱないすねー。なら、うちも睡眠タイムっす」


「はーばないすでぃー? うん、いえす、とにかくナイスディーだわ!」


 2人して寝るのかーいっ! 学費の分までしっかり講義を受けるんじゃないの!?


「俺は谷口清一郎。1学年では、子ども学基礎を担当している」


「…………」


「そうだな、お前たちが勘違いしているであろう点について正すとしよう。睡魔に襲われている者は寝て構わない――いや、保健室に行くことを許可する。聞きたい者だけが耳をこじ開けろ」


 人の声も物音すらも、一切しない静寂。

 学長を小馬鹿にしていた女子学生2人――ギャルさんとその舎弟さんも、圧倒的な力の前に萎縮してしまっている。マスカラとあわせって、がん開かれた目は怖いぐらいだ。


「それは新入生代表が口にしていた、幼児の気持ちを理解できる幼稚園教諭を目指して勉学に励む、についてだ」


 学長が教室内を見渡してから口にした言葉――新入生代表挨拶を務めた聖さんの言葉だ。

 あのときは聖さんに見惚れていたけど、この言葉だけは印象に残ってる。子どもの気持ちを汲み取ることができたら、それに沿った養護や教育が可能になる。まさに幼稚園教諭が目指す理想の在り方。


 しかし、学長はその理想を――。


「幼児の気持ちを理解する? はは、馬鹿馬鹿しい。幼児の気持ちが理解できたとして、それを受け入れるのか? ピーマンが嫌いという園児に対して、残して構わないとでも言うつもりか」


 問いを投げる学長。

 この中で何人がYesで、何人がNoと答えられるんだろうか。


 学長は誰も言葉を開かないことにつまらないと言いたげに続ける。


「甘やかすのは誰だってできる。保護者や周囲の大人にだってできる。なら、誰が幼児の先生役を担う。保護者か、幼児自身か。否――お前たち、幼稚園教諭だろう」


 子どもは可愛い、保護欲が湧く存在。だから、子どものやりたいようにやらせたい、好きにさせたいと思う。つい甘やかしてしまうんだ。

 しかし、それが本当に子どものためになるといえるんだろうか。さっきのピーマンの例は極端ではあるけど、的を得ている。それは幼稚園教諭は子どもの成長の道標を示して、教え導く必要があるから。ただ甘やかすだけが子どものためとは限らない。


 納得する。

 納得するしかない。

 いまのボクたちには、学長に意義を唱えることができるほどの知識を持ち合わせてはいないのだから。

 

 でも、入学式でそれを謳った張本人――聖さんはどう思っているんだろうか。

 隣に座る聖さんを横目で見る。


「それが学長の言うことなのね」


「えひ、聖さん? あ、あのお気持ちはわかりますけれど、声のボリュームは抑えて……」


 聖さんは、いまの発言をクラスメイトはもちろんのこと、学長にも聞こえる声で吐き出した。

 こめかみには怒りマークが浮かび上がっていた。怒り心頭なのかもしれない。


「鴫野聖か。俺は発言を許した覚えはないが」


 その言葉とは裏腹に、口角が緩む学長。反論を待っていたと言わんばかりに目も大きく見開き、聖さんを見定めている。


「申し訳ございません、谷口学長。私の拙い意見をお耳にいれていただいと思いまして。よろしいでしょうか」


 聖さんは、怒った表情には不相応な丁寧な言葉遣い。

 作り笑いができなかったのかな? 不器用な一面も可愛い、ふふ……なんて。これが学長相手の対応じゃなかったら、可愛いの一言で済むせることできるんだけどなぁ……。


「……ふむ、面白い。俺は座学よりも学生参加型のアクティブラーニングを好む。よい」


 聖さんは、学長から発言する許しを得て、


「谷口学長のお言葉も一理あります。しかし、子どもの気持ちを理解することで、その時々に合わせた対応ができるはずです。……」


「続けろ」


「突然無口になった子どもは、家で親と喧嘩したのかもしれない。いつも悪さをする子は構って欲しいのかもしれない。そういった何気ない仕草で、子どもの変化を感じ取れれば――」


「こういった幼児には、このように対応すれば問題ないだろう。あの行動にはこういう意味がある。そのような固定概念を持つことは、自身の視野を狭める。なにより幼児を幼稚園教諭が作り出した小さい枠に留めてしまう」


「それはしっかりとした理解ができていないからで――」


「しっかりとした理解とは何だ。歳がそんなに離れていない者同士でも言葉が通じず、すれ違うというのに。幼児とはそれができると? クク、夢見る乙女の理想でしかない。笑わせるな」


「理……想……」


「夢から目覚めろ、夢見る乙女たち。この業界は、お前たちが想像しているよりも遥かに険しい道である」


「っ……」


 唇を噛みしめる聖さん。

 長く続くと思われた討論は、学長の勝利で幕を閉じた。


「正否がどうであれ、意見を持つことは実にいい。そうだな……その他の意見を求む、月末にレポートを提出をしろ」


「「「「……」」」」


「それと俺も含め教員が言うこと全てを鵜呑みにするなよ。疑問に思えば正否を模索し、違うと思えばその証拠を見つけ出せ。我々は研究した答えは提示するが、それが正解であるとは限らないからな」


 その言葉を最後に学長は教室をあとにする。

 取り残された学生たち。誰1人として席を立たず、誰1人として口を開かない。


 まるで嵐の前の静けさ……。

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