1章第4話 ナンパされる女装乙女。 ☆
「あれ、これってそのまま持っていっていいのかな……?」
不意に、握りしめたおしっこ(を入れた容器)をそのまま預けていいのかなって疑問に思ってしまう。検査されて、ボクの正体を知る関係者以外にバレちゃったりしない……?
「やあ、探したよ。君が佐々宮恵唯さんだね」
スーツを着こなした美形の男性が颯爽と現る。俳優みたいな爽やか笑顔に、男のボクが羨ましく思っちゃうくらいの高身長。
周囲の女学生から感じる嫉妬の眼差しはこの人が原因だよね……。
「そ、そうですけれど……」
「恵唯ちゃんの知り合い?」
「いいえ、わたくしの記憶が正しければ、初対面のはずです……」
「ってことは、ナンパかな?」
彼はナンパ師で、彼に群がる女学生は口説かれた人たちってことね。いやいやいや、杏樹さんのボケに乗ってどうするんだ。
ボク以外のイレギュラーを除いて、女子大学に男性がいる理由なんてそうそうないない。
「たぶん教員ではないですか? 男性の学生はいらっしゃいませんから、教員である可能性が高いかと」
「正解。僕は音楽の実技を担当している高原――」
「ピアニストの高原利光……」
「あ、そういう君は、孤高の天才――鴫野 聖さん。これは有望な学生が入学したものだね。育てがいがある」
「私の実力は所詮アマチュアレベル。プロには到底及びませんよ」
「謙遜を。僕たちプロでも君のことは一目置いているんだよ?」
「聖ちゃん、この先生有名な人?」
「高原さんは、20代にして数々の賞に選ばれ、永遠の神童と謳われているピアニストよ。さらに作曲もこなすなど幅広く活躍していらっしゃるわ」
「永遠の神童……カッコイイですね。名前から高原先生がどれだけすごいピアニストなのかよくわかります」
男の子は、永遠や神童ってフレーズが大好きだから、純粋に口をついてしまった。
「その異名は、音を聞きわける絶対音感や自然に楽譜の意味を理解できる感性。そういう生まれつきの才能で弾いている僕への皮肉なんだけどね」
「しかし、ピアノは才能で弾くわけじゃない。弛まぬ努力とそれを発揮できる強靭な魂がなければ宝の持ち腐れ。違いますか?」
「聖ちゃん、いいこと言うね! 才能でピアノを弾くなら、才能のないわたしはピアノを諦めた方がいいってなっちゃうもんね」
「はは、まいったな。まさか学生に慰められるなんて……」
「だから、孤高の天才とは呼ばせない……」
「聖さん……?」
眉をひそめる聖さんのくぐもり声につい反応をする。
「何? 私よりもあなたでしょう? 高原先生はあなたに用があるようだし」
「え、ええ。高原先生、わたくしにご用というのは……」
「入学前に提出して貰った用紙に不備があるから、そのことで同行して貰ってもいいかい?」
「入学式前……風疹の注射の件かな?」
「どうだろうね。呼びに来ただけだから、詳しいことはわからない。でも、いま呼ばれるということは、健康診断に関係あることじゃないかな?」
「なら、行くしかないわね。私たちも同行しても構いませんか?」
「長い時間、彼女を借りることになるよ。たぶん昼過ぎまではかかるだろうね」
「昼過ぎだと、キツいわね……」
「健康診断を行ってくれる方々は、お昼には次の場所に向ってしまうからね。だから、その間に終えていなければ、自腹で検査をしてもらうことになるよ」
「2人は健康診断の続きを。わたくしは大丈夫ですから」
「じゃあ、終わったら、カフェテリアに集合しよ? いいよね?」
「杏樹1人で待つのも暇でしょうから、付き合うわ」
「わかりました」
高原先生に案内された場所は、さっきトイレを求めて訪れた1号館6階にある1つの研究室。
「ここが僕の研究室だ」
入学式前に提出した用紙に不備あるらしいので、高原先生の研究室にお邪魔した。
照明に当てられて黒く光るピアノに、一ヶ所にまとめられたレポートの束。彼が綺麗好きなピアニストであることが伺える。
「この研究室は防音対策がされているからね、内緒話にはもってこいさ」
「内緒話……なるほど」
防音対策がされてる部屋で行う内緒話。その相手がボクときたら、必然的にあの件だ。
「高原先生は、わたくしが男であることを知っている」
「そ、学長から事情は伺っているよ。男である君がどうして、ここにいるのか、とかもね」
「ということは、性別バレを防ぐサポートを?」
「それももちろんある。しかし、今回はほかの学生の安全確保のためが大きい」
「……」
「別に佐々宮さんを信用してないわけじゃない」
「承知しています」
「それで健康診断中のタイミングで君を呼び出したのは、身長や体重などの女の子のプライバシーに配慮してのことだ。それに君が彼女たちと一緒に内科診察や胸部レントゲンをしたら、騒ぎになる恐れがあるからね」
「そこまで気を配ることができていませんでした……。トイレで気づかれてしまわないか、摂取した尿を渡していいのか……自分のことばかり考えていたのが恥ずかしいです」
ここは女子大なんだ。自分のことよりも、周囲の女の子に気を遣わなくちゃいけないはずなのに……。
「わかっているなら、いいんだ。今日のことはこちらの伝達ミスだから、気に病む必要もないしね」
「伝達ミスなんて、そんな……」
「それに講義の内容次第では女の子に触れる機会が訪れるだろうし、極端に女の子を避けられても困る。その場にあわせた対応を試みるようにお願いしたいな」
「女の子慣れしていないわたくしには、難しいお願いですね……」
「またまた。入学式からまだ2日目だというのに両手に花だったじゃないか」
「りょ、両手に花!? た、たしかに一緒に行動していましたけど、別に侍らせていたわけではありませんからね!?」
「そうはいってないだろう? それともそう疑われることでもしてしまったのかい、クスっ……」
高原先生は口角が上がった口元を手で隠す。
かぁ〜早とちりなんて恥ずかしい。
「してませんよっ! あっ……し、してませんよ……?」
「自信なさげだね」
記憶にはないけど、昨日、ボクは女の子と一緒にお風呂に入った……らしい。お風呂ってことはお互いに裸になってわけで……。
ボクは杏樹さんの裸を見たの……? 見たとしたら、ボクがあの双乳を絶対忘れないだろうし、性別がバレてここにいられないわけで――はぁ、わけがわからないよ。
「深刻な顔で悩まなくても。女の子の輪の中でも無事にやっていけるならいいさ」
「それは大丈夫です。みなさん、お優しいですから」
に、にこっ。
笑顔を浮かべるもぎこちなくなっちゃった。
「あ、これから通う上で不便に思うことや気になることはあるかい? 僕でよければ相談に乗るよ。学長から君のことを頼むとお願いされているから」
「あ、1つ……でも、自分には関係がないことなのですけど……」
「僕が答えられることなら、どうぞ」
「孤高の天才ってどのような意味があるのですか?」
「孤高の天才……言葉通りさ。彼女は、その若さでプロにも迫る実力を備えていた」
「それってすごいことなのですよね?」
「ああ。正直言って、僕よりも実力は上だろうね」
「え!?」
プロをも凌ぐ実力がある聖さんが、なぜ幼稚園教諭を目指しているのか。
ピアノを活かすためだとしても、ピアノに対する考え方や姿勢からはどうも合致しない違和感。幼稚園教諭を目指す理由には、本人の意思が存在してないじゃないかって考えてしまう。
「だからかな、実力を高めあえる同年代のピアニストがいなくて、それ以上の成長を望めなかった」
「しかし、弛まぬ努力とそれを発揮できる強靭な魂がなければ宝の持ち腐れ、と口にしてしまう彼女であれば……」
「そう、彼女なら技術、精神共に実力不足が原因だと、他人は理由にならないと啖呵を切るだろうね」
切磋琢磨できる好敵手がいなかったから、または彼女自身の心の持ちようが原因だったかはわからない。でも、このどっちかに彼女がピアノを辞めた理由があるのはよくわかった。
行為じゃないけど、本人以外から聞くことじゃなかった。
忘れた方がいいよね……。
「ほかに質問はあるかい?」
「いえ、いまはとくに。せっかくこんな機会をいただいたのにあまり質問できなくてごめんなさい」
「謝ることはないさ。質問がないってことは悩みもないってことだろ? 順調な滑り出して安心したよ」
「ありがとうございます。皆さまの期待に応えられるよう精一杯頑張ります」
「ああ、頑張ってくれ。僕は君の味方だから」
にこやかな笑みで応援してくれる高原先生。彼がたくさんの女子大生に囲まれている理由が容姿以外にもあることがわかった。
「ふふっ……本当にありがとうございます!」
優しい友達に、心強い先生。イレギュラーな存在のボクだけど、非常に恵まれた環境にいるんじゃないかって思えた。
余談だけど、尿以外の健診は後日に持ち越された。健診費用は自己負担で、意外に高かったのは秘密である。