1章第3話 女子トイレで○○○○せよ女装乙女。 ☆
外が明るくなった頃に目が覚めた。
寝起きのせいで、ベッドの高級感溢れる心地よさにもう一度身を委ねちゃいそうになる。家の布団は、こんなにふかふかしてたっけ……。
変な感覚に頭が混乱する。
自分の部屋にあるはずがない古びたタンス。本棚の位置もいつもと違うような……。
「そうだ、ボクがいるのはストケシア寮だ」
昨日のことを思い出すことでこの答えにいたる。
一緒にお風呂に入る、入らないで討論したあとから記憶に靄がかかってるけど、杏樹さんと一緒にお風呂に入った事実はない……よね?
「恵唯ちゃん、起きてる? 朝食の準備ができたから起こしにきたよ」
ノックを数回鳴らして、エプロン姿の杏樹さんがボクの部屋を訪問する。
「あら、杏樹さん。ごめんなさいね、朝食を作っていただいた上に起こしにきてもらうなんて。わたくしは本当にダメなメイドです」
「冗談をいってるうちは、その謝罪は本気じゃないね」
昨日はなにもなかったみたいで、彼女は平然としている。
やっぱり一緒にお風呂には入ってないんだね!
「確信が持ててよかった……」
と切実に思う。
同じ屋根の下、男女が間違いを犯すのはごめん被るからね。
「この部屋、私物が少ないね。殺風景だし」
「そうでしょうか……?」
「お嬢様なら、お人形に囲まれてそうだもん。ベッドとかも高そうな布で覆われたそうだし」
部屋を物色し始める。
それと同時にエプロンの上からでもはっきりわかる凹凸が上下に跳ね回る。その妖艶な神秘に目が吸い込まれそうだ。
眠気が残ってるから、って言い訳もだめだよね。保て自尊心を。
「ですから、わたくしはお嬢さまではないと何度口にすればいいのです? お人形に囲まれているイメージは確かにできますけれど、高そうな布って何なのですか?」
「あれだよ、天井から吊すカーテンみたいな、お姫様が寝てるベッドについてるやつだよ」
天蓋カーテンのことかな? 大金持ちのベッドには、装飾されてそうだけど。
「わたくしが例えお嬢さまだったとしても、未来の清白学生が使う共有物に手を加えませんよ。ありのままの形で使用して、ありのままの形でお返ししたいですから」
ありのままの姿で大学に通って、ありのままの姿で卒業したいと思うボクの叶わない願い。それが言葉として現れた。
起きたばかりの人間は、本心がポロポロ出ちゃうもんだね。いいや、ボクの心が弱いだけかな。
「そういえばですけれど、いま何時ですか?」
たわいない会話をしているけど、こんなにゆっくりしててもいいんだろうか。ボクも杏樹さんも朝食のことを忘れて話し込んでいたから、予定の時刻が過ぎてないのか不安になった。
「最後に時計を見たときは9時だったから……それから10、15分は経ってるかも。あれ、オリエンテーションっていつからだっけ?」
「え」
「え、ってなになに? 不安になるような反応やめてよ」
「この事実を聞いても驚かず、急いで支度を整えてくださいね。4月9日――今日の学年別オリエンテーションは、牡丹ホールで9時より始まります」
「もう9時じゃん。あっちゃー遅刻だね」
杞憂で終わってくれたらよかったのに、そうならないのが現実。
彼女みたいに遅刻したことを気にせずにいられたら、幸せだったのに。
はあ……。
「セウトだったね」
「アウトでした」
「アウフ?」
「アウフとは何ですか!? アウトですよ!」
「アウトとセーフをくっつけた言葉だよぉ……」
11時――ボクたちが牡丹ホールに到着して1時間半で学年別オリエンテーションは終了した。
寮が大学から数分もかからない距離にあって助かった。じゃなかったら、遅刻どころかオリエンテーションに参加できない未来もあったかもしれない。
「次は健康診断だっ。オリエンテーションの内容はだれかに聞けばなんとかなるけど、こっちは参加できてよかったよねー」
「杏樹さん、カフェテリアのある1号館はそちらではありませんよ」
カフェテリアの反対側へ行こうとする彼女を誘導する。
次に行われる健康診断は、まず1号館の1階にあるカフェテリアで受付をするみたいだ。
「学籍番号K113佐々宮恵唯様ですね。では、こちらの容器に尿を入れていただき、1204号室に持って行かれるようお願いします」
「ふむ……」
カフェテリア付近にある女子トイレの大行列を見て、受付女性の言葉を理解する。
1号館2階に設置されてるトイレも同様だった。女子大学で女子大生が一斉にトイレに駆け込んだら、当然の結果だよね。
「どこも混んでるね。別の館か、もっと上の階に行かなきゃ。大行列に並ぶのもまあ、コミケに比べればどうってことないけど……」
「大行列に並ぶのもまあ、なんですか? 小声でよく聞こえなかったもので」
「コミ、コミック……! コミックは漫画のことで、料理漫画に登場する行列のできるラーメン屋さんに比べたら、どうってことないなって!」
「行列のできるラーメン屋さんって実際にありますよね」
か細い声を耳にしたけど、杏樹の慌てふためく姿で、これ以上の追求はやめた。些細なことが原因で、知り合って2日目から仲違いになるのは洒落にならないもん。
「トイレの件ですけれど、いかがしましょうか」
女子トイレの大行列に並ぶってことは、自分の順番が回ってきたら、女の子が数秒前に使用した便器でお小水を採取するってことで――なんともいえない背徳感がある……。
「に、尿を排出するだけなのに何をそこまで強ばった顔を晒しているのかしら」
2階と3階の間の踊り場から見下ろす鋭い瞳と長い黒髪の美女。
「聖ちゃん……。照れるなら、尿なんて言わなきゃいいのに」
「て、照れてなんて……! 幼稚園教諭になれば、子ども相手に尿と口にする機会がくるのだし。にょ、尿、尿、尿、尿! ほら、余裕よ」
昨日ぶりに毒舌な言葉を浴びせてくる彼女は、白い肌に不釣り合いなほど頬を赤らめている。
「尿では子どもに伝わらないような……。おしっこならまだしも」
「お嬢様の恵唯ちゃんがなんのためらいもなく、おしっこって言っちゃうなんて意外だね。お嬢様力は、聖ちゃんに軍配上がったってことかな?」
「ですから、わたくしはお嬢様ではないです」
「ふーん、親しくなった杏樹にも崩さない丁寧な口調。身のこなしが軽やかで、品のある作法。これでお嬢様でなければ、固い意思、そうせざるおえない都合があるということね」
言動からなにか理由があるのではないかと推理するなんて、この美人なお嬢さん――。
「鋭過ぎない!?」
(鋭過ぎない!?)
杏樹の声とボクの心の声が重なる。
「たしかに2人で同じ屋根の下に暮らすことになって、一緒にお風呂にも入ったけどさ。わたしたちが親しい仲まで進展したことに気づくとは、お主なかなかできるのーナンチャッテ」
「偶然こんな広いキャンパスで遭遇して、一緒に健康診断に望むなんて考えにくいでしょ?」
「なるほどね……」
「……」
名推理をかます聖さんに、それに納得する杏樹さん。
ボクは、女性と一緒に入浴した驚愕の真実と、聖さんの推理から話が逸れなかったら、自分の正体が発覚してたかもしれない恐怖に生きた心地がしなかった。
早く目的を果たして帰りたいよぉ……。
「ふむ、なぜそこまで悩む必要があるの。職員の研究室がある6階のトイレは空いてるわよ」
「階段上がるの嫌だなあ」
「エレベーターで上がればいいじゃない」
「エレベーター……? では、なぜ聖さんは階段を降りてここまで?」
「行きはエレベーターで、帰りは部屋を見て回りながら階段で降っているの。これから大学生活を送るキャンパスなんだもの。どこにどの教室があるのか把握しておかないと」
「真面目だねえ。わたしも見習わなきゃ」
「ですね。でも、その前に」
「うんっ」
6階は人の気配がなく、待たずにトイレの個室にこもることができた。
6階に上がってまでトイレをしようなんて学生はいなかったみたいだ。
「あらかじめ健康診断をするってわかってたら、スカートを履いてこなかったのに……。ううん、ズボンは見つからなかったんだから、スカート以外の選択肢はないよね」
荷造りのときまでは、ボストンバッグの中にあったはずのズボンが、タンスには一着もなかった。
犯人は自ずと絞られる。
「父さん……! はぁ……どうしたら、綺麗におしっこを摂取できるの? 下半身は裸になった方がおしっこも跳ねることがなくて確実だよね……?」
自問自答しながら、スカートとニーソックス、桃色のパンツに手をかける。
個室にはボク1人。肌と衣服が掠れる小さな音でも個室を侵略するには充分だった。
そして、いよいよその瞬間は訪れた――。
「んーっ……うぅ」
下半身に力を集中させると、おしっこがプラスチック製の容器を目掛けて放たれる。
すぐに満たされた容器は退けておき、まだ出し切れていないおしっこは放物線を描いて便器へ注がれていく。
おしっこが便器に打ちつけられる音――それに合わせるようにドアを叩く音が聞こえてきた。
「はぁっ、はい……?」
「恵唯ちゃんはまだだったんだね」
「だから、言ったじゃない。恵唯がトイレから出てくる姿を見てないって」
「ごめんなさい。2人をお待たせしてしまって」
「いーのいーの。わたしたちがせっかちなだけだから」
「わたしたちって、私を巻き込まないでちょうだい」
「あー……あはは……」
会話をしながらも、収まらずに出続けるおしっこ。
女子トイレで、しかもおしっこをしながら、女の子と会話するなんて……背徳感を感じずにはいられなかった。
きもち――よくないから!? 新たな性癖に目覚める前に色々慣れていかなきゃ、うん。