1章第2話 寮に住まう女装乙女。 ☆
寮に着くなり、スマホの電話帳を開く。連絡を試みる相手は極悪非道、女の子がいる寮にボクを追いやった――。
「あ、父さんっ!」
「んだよ、電話なんてかけてきてよ。もうホームシックか? そんともセクシーな黒下着を荷物の中に忍ばせたことにおこか?」
「違うよ!? それになに、そのセクシーな黒下着って……! もう……そうじゃなくて、寮について聞きたいことがあってさ」
「あーはいはい。そのことね。そうだよな、連絡が来るとしたらそのことか、性別がバレて助けをこうかしかないもんな」
知った風な生返事をする父さん。やっぱり図ったね!
「ボク以外にも寮生がいることを知ってたのに伝えてくれなかったんだね、酷いよ。ボクを社会的に抹殺するつもり!?」
「驚かせてやろうと思ってな」
「驚きより、恐怖が勝ってるから! でも、何でこんなことしたの? あの理由は嘘だったの?」
杏樹さんみたいに別の県から引っ越してきたわけじゃない。なのに寮に住まなくちゃいけない理由。
父さんは、あーと呟いてから、
「毎朝、佐々宮家から見知らぬ若い女の子が出てきたら、ご近所さんがびっくりするかもしんねえ、ってやつ? いや、嘘じゃないけどよ。普通にびっくりするだろ」
「じゃないけど? 言い訳くらいは聞いてあげるよ」
「申請したあとに、ほかの女の子も住むって聞いていたんだがな。もう申請しちまったし、いい機会だと思ったんだよ」
「牢屋に収容する機会? ボクが小さい子好きで幼稚園の先生になるからってそういうのは残酷過ぎるよ」
「違うってーの。身近に彼女候補がいれば、嫌でも親しくなってくれかなってさ。精々頑張れやい」
そこで通話が切れた。
父さんの気持ちもわからないわけじゃない。彼女いない歴=年齢の息子がいたら、孫の顔が見れるのか心配にもなる。でも、女の子が一緒だって一言伝えてくれたら、心構えも違ってたのに。
「め、恵唯ちゃん? もう大丈夫?」
「ひゃっ、はっ……はい」
トイレに籠るボクに心配そうに尋ねる杏樹さん。彼女を安心させようと、すぐにトイレを出る。
「お、大きな声がリビングまで聞こえて、社会的に抹殺されるとか、牢屋に収容する機会がどうとか、物騒な単語が飛び出したから、いてもたってもいられなくて」
「あ、その、さきほどまでお父さまに連絡を取っていて……杏樹さんが心配するようなことはなにもないです!」
「独り言じゃなかったんだね」
「わたくしは、トイレで独り言をするような痛い娘ではありませんよ!?」
「ははっ……そんなこと言ってないでしょ?」
笑われた。それも腹を抱えて、大笑いするくらい。
「そこまで笑わなくても、もう……。ふふ、杏樹さんとであれば、寮生活も不自由なく、楽しめそうです」
なぜボクはこんなにも後ろ向きなんだろう。なぜボクの頭からは否定的な考えしか生まれないんだろう。
子どもみたいに無邪気に笑う杏樹さんを眺めていると馬鹿らしくなる。彼女みたいに前向きで、笑顔を絶やさない人こそが子どもから愛されるんだろうな。
「任せて、いっぱい楽しませてあげる。でも、楽しくなり過ぎて倒れないでよ?」
「倒れるのはご勘弁を!」
「比喩だよ、比喩。それと生活を楽しくするのに、家事も重要事項だよね。恵唯ちゃんはなにか得意なことある?」
「これといってありませんが、そつなくこなすことはできます。できるだけですけれど」
「わたしも一通りできるし、家事は数少ない得意分野の1つになるのかな。じゃあ、わたしが家事を担当しよっか」
「すべて、ということでしょうか?」
杏樹さんは、間を置くことなく頷く。まさかと質問してみたけど、本当に任せてちゃっても大丈夫なんだろうか。
「よろしいのですか? たしかに家事が得意な方には敵いませんが、杏樹さん1人で務めるのも酷といいますか……」
新天地での生活は慣れないことが多い。それに大学生活は、高校と比べものにならないくらい大変だ。なのに、彼女に押し付けるのは……。
「いいのいいの。適材適所だよ。代わりに、わたしが苦手なピアノや勉強を教えてよ」
「ピアノはあまり……しかし、勉強は任せてください。黒板に書かれたことはすべてノートに記し、杏樹さんがわからなかった箇所を説明できるように準備をしておきます」
「ありがたいけど、そこまで!? 真面目だなぁ……すごく真面目で、逆に不安になるよ」
「真面目が一番ですから」
「真面目なのは結構。でも、真面目なのばっかりだとストレス貯まるし、たまには気を緩めてね」
杏樹さんの指摘通り。新天地にきて、少し張り切り過ぎてるのかも。
でも、緩い彼女が近くにいたら、丁度いい感じ?
「ゆるゆるの杏樹さんに、真面目過ぎるわたくし。お互いがフォローしあえば完璧ですよ!」
なんて、自嘲気味に言ってみる。
「わたしが足を引っ張る。ううん、スカートを掴んでそのままずり下ろしちゃう未来しか見えないね!」
「それは大事故ですよ! やめてくださいよ!?」
「ほいはーい」
女の子にそんなことをされたら、立ち直れなくなっちゃう。それどころか社会的に(以下略)。
ヒィ、恐い恐い。
「独り言してる痛い娘の安否確認しにきただけなのについつい話込んじゃった。わたし、夕飯とか、その他もろもろをしないとだから、またあとでね」
「やはり痛い娘だと思われていた!? わたくしは、まったく痛くない普通の女の子ですから。誤解しないでくださいよ!」
「普通の女の子は、自分で普通の女の子だって発言をする展開にならないんだよねー」
おっしゃる通り。
まあ、ボクは普通の女の子じゃないから。女装してまで女子大に通う変態男だし、反論する隙間もないね!
杏樹さんの姿が見えなくなると、いままで気にしていなかった寮に視線がいく。
この寮は2階建てで、1階に寮生の憩いの場となるリビングと数人で料理ができるほどの広々としたキッチン、個室トイレ、お風呂場。2階には、防音対策がされているピアノ室、寝室は10部屋もある。
「不憫に感じることはないと思うけど、2人だけで住むには広いよね」
もう荷物は届いてるかな。届いてたら、そのまま部屋の整理をするのもありだよね。
「セクシーな黒下着もついでに処分しておこう」
2階に上がり、こいぬ部屋やうさぎ部屋などの動物の名前がつけられた部屋が目につく。
その一番奥に位置するひよこ部屋の中から、日頃愛用している枕を見つけて、この部屋がこれからボクの寝床になるんだと実感する。
「? ダンボールに荷造りしたのが綺麗に整頓されてる!? 父さんと母さんがこれを……?」
タンスに衣類、本棚には参考書や小説が、どれも使う人を想ってキチンと整理されていた。
私物が少なく、日用品しか持ってきていないのは、性別がバレちゃう原因をできるだけ排除するため。
当たり前だけど、男物衣類は一切持ち込んでいない。いま履いている下着も女性用だ。
「まあ、仕方ないよね。自分が選んだ道だし、バレないように遂行しなきゃ。それでも不要な物を忍び込ませたことは許せない!」
タンスの3段目――下着エリアを漁る。
ショーツ、ローライズと様々な形状の下着があった。はじめて拝む物ばかりで、知らない人のタンスを漁っているような錯覚に陥る。
これ以上継続しても、ライフを無闇に削るだけ。セクシーな黒下着の処理はまた今度にして、杏樹さんのお手伝いしようそうしよう。
「お料理は順調ですか?」
リビングに立ち込める香りから順調なのは明白だけど、聞いてみた。
このスパイスが効いた風味は、カレーかな。味噌汁のいい匂いもしている。
「って、机に4品の料理が並べられている!? この短時間で……1人で作られたのですか」
「グッドタイミング! ちょうど呼びに行こうと思ってたところなんだ」
「すごいですね」
机の上に鮮やかに彩られた料理4品に息を呑む。匂いと見た目で、早く食べたいとお腹が悲鳴を上げそうだ。
「めいめいってお腹が鳴いてるよ。恵唯ちゃんだけにね。あは、つまらないか」
「聞こえてしまいました? あまりにも料理が美味しそうだったので、これは料理上手な杏樹さんのせいです!」
「見た目や第一印象は大切だからね。それが褒められてるのはうれしいかな。でも、問題は味の方で、恵唯ちゃんの舌を篭絡できるか否かだよね」
「ふふ、確認しないとですね。では、」
「「いただきます!」」
杏樹さんと向かい合う形で食卓を囲む。
まずはどれからいただこうか。カレー風味の鶏の唐揚げから? それともポテトサラダ? どれもおいしそうだ。
「迷いますね……」
「じー」
熱のこもった眼差しを感じる。
杏樹さんの視線が料理じゃなくて、ボクに釘つけみたいだけど。早く食べて、と催促されてるみたい。
どれから食べても、どうせ胃の中で消化されるんだから悩む時間が無駄だよね。けど、女の子に手料理を振舞ってもらうのは初めての体験だし……。
いいや、考えるから迷うんだ。
モリモリ食べちゃえ――。
「ごちそうさまでした! とても美味しかったです」
「お粗末様。うんうん、それはよかった。最初はなかなか手をつけないからどうしたんだろうって心配しちゃったよ」
「友達と一緒に食事を囲む機会がなくて、それで緊張してしまって……」
嘘は言ってない。友達の前に女の子の、を付け加えてないけど。
「でも、物凄い早さで平らげたね」
「お恥ずかしい。いつもはゆっくり頂くのですが、杏樹さんの手料理が美味しくて、つい手が伸びてしまいました」
「いつもはゆっくり。高級料理を優美にいただく恵唯ちゃんを想像できるよ」
演技がお嬢さま過ぎるせいで勘違いされてる節がある。もう少し庶民臭を匂わせる方がいいのかもしれないけど、高貴に見せる演技しか練習してないのが裏目にでた。
演技はしょうがないとして、答えられる範囲で真実は伝えよう。寮に住む友達に女装以外こことで嘘をつくのはいい気分じゃないしね。
「勘違いしていらっしゃるようで。わたくしの家庭は、杏樹さんが想像しているほど裕福ではありません。普通くらいですよ」
「その姿が想像できるってだけ。まーいいところのお嬢様じゃないかなって勝手に思ってたけどさ」
「そういう杏樹さんはどうなのです?」
「メイドがいないから料理するし、両親共働きだから家事もよくする。これで察せるでしょ?」
「メイドは雇っていませんが、お母さまが専業主婦ということで、わたくしは家事のお手伝いをしないダメ人間です。悪いですか!?」
声を張る。そこまで怒ってはないけど、その場のノリで逆ギレしてみた。
杏樹さんはおろおろしながらも、ボクの顔色を伺っている。
「むむ、どこから見ても……」
様々な角度から。品定めするみたいに。
ボクの隠しきれない男オーラから、正体を感づかれた!?
「あぅ、あまり見つめられると……」
「恵唯ちゃんって、ものすっごく可愛いよね。芸能人でもこんなに可愛い娘は見たことないもん」
「うぎゃや」
すってんころりん。床に崩れ落ちる。もちろん比喩。
床に崩れ落ちたりなんてしたら、一気にイメージが変わっちゃうし。
「さきほどのは、自虐ネタというものです。面白かったでしょう? 渾身のネタですよ、笑ってください」
「あれ、そっちの話!? 変な声が出たことについて説明してくれるんじゃないの?」
「そういえば、お風呂はいかが致します? わたくしは杏樹さんの後でいいのですけれど」
「時間が歪められたみたいに話を変えられちゃったよ!? わたしはそれで大丈夫だけど」
了解は得た。
べ、別に杏樹さんが浸かった残り湯を飲みたいとか、ハレンチ極まりない理由じゃないんだからねっ!
「ありがとうございます。お風呂は好きなときで構いませんので」
「あ、でもね、寮のお風呂に入るのって、初めてでしょ? だから、1人だと用途がわからないこともあるかもだし」
「おっと、悪い予感が……あ、口に出ちゃってた」
「お風呂の使い方の確認と親睦を深める意味合いを込めて一緒にどう?」
ボクが素を漏らしても、自分の世界に入り込んだ杏樹さんはスルーしてくれる。
ありがとう。だからって、年頃の男女が同じお風呂に入るなんて許されない。絶対、駄目だよ!
「一緒に入ろうよ!」
強引に手を引っ張られる。
だめ、性別バレちゃうから! 全裸になっちゃったら、隠せないから!
「あーれー」
杏樹さんはボクの性神をピンク色に侵食する次元に誘った。