1章第10話 ピアノの練習をせよ夢見る乙女たち。
追い打ちをかけるように、月末にピアノの実技テストを行うとの張り紙が掲載された。
学長のレポート提出、すずしろキッズゲームたーいーかーいぃー(通称・ゲーム大会)、ピアノの実技テストを同時並行で進めていかなくちゃいけない。月末はハードスケジュールになりそうだ。
でも、実際にはそんなことはなくて、ゲーム大会の準備は順調だった。これも聖さんの指示とその通りに動くみんなのおかげだ。
あとの不安材料といったら、やっぱり――。
「ピアノですよね」
「幼稚園教諭には必修だし、落とすわけにはいかないけどさ。ほぼ初心者の2人だけで練習しても上達しないよねぇ」
土曜日の昼食後――ボクと杏樹さんは、ストケシア寮のピアノ室でピアノの練習をしていた。
「あーあーもう! いややぁ……全然弾けないよーっと」
杏樹さんは、鍵盤から手を離し、背を後ろに曲げて、ぐーと身体を伸ばす。それに合わせて、タンクトップごと乳袋も下から上に押し上げられる。その結果、タンクトップと短パンに生まれた小さな隙間からチラリズムするおへそは、小さくて可愛らしかった。
いやいやいや、女の子しかいない空間(女装男子を除く)だからって無防備すぎるよ!
「ストケシア寮には、先輩方が新入生の面倒を見るという伝統がありまして、その中にピアノの指導もあったようですけれど……」
「先輩なんていないじゃんっ」
「寮で暮らししているのは、わたくしと杏樹さんの2人だけですからね」
ピアノを上達させるには、ひたすら練習あるのみ。それは理解しているんだけど、やっぱり手より口が動いてしまう。
「上手くなったら、それはもう楽しい気分になると思うけど、弾けないうちはね。恵唯ちゃんも上手く弾けないときはつまんないでしょ?」
「正直に答えるとイエスですけれど。しかし、実技試験に落ちてしまいますと、補講を受けなくてはいけませんし……」
「そうなったら、ゲーム大会に参加できるかわからなくなっちゃうもんね……。それに恵唯ちゃん実行委員長だから」
「そうなのです。実行委員長が参加できないなんてことになれば、皆さんに申し訳が立ちませんから、とにかく練習です」
「だれか練習を見てくれたら、やる気も出るのになぁ……。わたしたちと仲良しで、ピアノが上手な人がベストかな」
「そんな都合のいい人――」
1人だけいる。
ボクたちの友達で、ピアノの実力はプロも認めるほどの人が。でも、向上心が高い人で、必然的に練習も厳しくなる。それにボクたちが耐え切れるか……。
「聖さんであれば、杏樹さんの理想に合致します。しかし、スパルタ指導が予想されます。それでも構いませんか?」
「ボロクソいわれても、平気だよ! それくらいじゃないと上手くなれないもん」
「もうやだよ厳しすぎる!」
即オチだった。
「別に普通だから。逆にこんな簡単な曲もできないと、これから先が不安になるわ」
杏樹さんに1曲の通しを繰り返しやらせる聖さん。1曲を止まらずに弾き終えることは、とても大事なことらしい。
「一瞬迷ったわね……はい、もう一度」
「えーいまのよかったよね!?」
やっぱり厳しかった。
「恵唯はそれなりに弾けているわね。間違えてる箇所もないし、止まることなく最後まで弾けてる」
「ほんとですか!? ふふ、嬉しいです」
「でも、滑らかさが足りないわ。それぞれの音が点になっているもの。そうね……」
聖さんはボクの隣に腰掛ける。
「手に注目して、見てなさい」
「♩、♪、♫…♩」
ボクの演奏を再生したような再現度の高さ。音が途切れ途切れになって聞こえる。音に繋がりがないから、曲として成立しているのかも危うい。その原因は、音を鳴らすたびに、手が鍵盤から離れる動作にあるみたいだ。
「音が点になっている……なるほど、的確な表現です」
「わかってくれたみたいね。じゃあ、次は手本を弾いて見せてあげる」
「お願いします」
聖さんは全身の力を抜く。手が鍵盤に密着して、流れるように奏でる。
「♩〜♫〜♫〜♫」
脱力することで無駄な力が入っていない。最小限の力と動作で、けど演奏のレベルは格段に上がっていた。
2種類の演奏の仕方で、これほどまでに違いがはっきりでるものなんだ。
「苦手なものほど、力んでしまうわよね。でも、脱力なさい。じゃないと、ピアノを弾けるようにはなっても、上達はできないわ」
「や、やってみます」
杏樹さんは迷うことなく最後まで、ボクは脱力した状態での演奏を何度も何度も繰り返す。時間も忘れてぶっ通しで弾き続けた結果、聖さんのスパルタ練習を始めてからはや6時間。
「もう20時ね。まだ納得のいくレベルに達していないけれど、今日はここまでよ」
その聖さんの掛け声を合図に、ボクは酷使した手をぶらぶら揺らし、杏樹さんはピアノの椅子に突っ伏した。2人とも、もうヘトヘト。
「ありがとう……ございました……」
「今日はありがとね、聖ちゃん……」
指導者がいるだけで、場の空気が引き締まって、やる気も段違いに上がったいた。聖さんのおかげだ。
「礼はいらない。結果で返してちょうだい」
「もちろん。せっかく聖ちゃんに教わったんだもん。ちょちょいのちょいで合格してやる!」
「そのためにも、明日のお休みも練習に充てたいと思います。頑張りマンモスです!」
「いい心掛けね。練習を習慣にするのはとても大事なことよ」
「明日は寝て過ごした……い……う、嘘だよ。ちゃんとピアノするよ」
聖さんの睨みに怯んだ杏樹さんはすぐに撤回。エアーギターならぬエアーピアノを披露することでやる気を見せた。
「やるもやらないもあなたの自由よ。好きにすればいい。でも、弾けるようになれば、ピアノが楽しくなるはずよ」
楽しい――聖さんはそう口にした。
いままでできなかったことができるようになったら、楽しくなる。当たり前だ。
じゃあ聖さんは?
ピアノが弾ける。しかも、とても上手で、その実力はプロも認めるレベル。そんな聖さんは、ピアノに楽しさを見出せているんだろうか。
それとも、自身の成長を阻んだのは技術と精神共に実力不足が原因であると、他人は理由にならないと答えてしまうくらい己を律して、貪欲に上を目指す向上心しか持ち合わせていないんだろうか。
後者だったら、いまのセリフも杏樹さんにやる気を出させるためのデマカセだった可能性がある。
それでも、3人でピアノを練習した時間だけは、どうか楽しいと感じていてほしかった。
「聖さん、今日は楽しかったですか?」
「楽しかった……? それはどのような意味で問いを投げているのかしら?」
「……」
ここでボクの言葉は必要ない。求めるのは、聖さんの本心だけだ。
「……。そう、ね……楽しかったかもしれないわね」
断言はしなかった。
でも、初めての感情は未確定なものだから、これからはっきりさせればいい。
1人で演奏することだけがピアノじゃない。
――みんなで弾くこともピアノ。
――子どもたちが歌う曲を演奏することだってピアノだ。
それが理解できたら、他人は理由にならない、ピアノは個人で演奏する楽器であると口にする彼女でも、ピアノに対する心の持ちようが変わると思う。
あと彼女の胸に痞えている、学長に否定されたあの言葉だけど。どうすれば、解決するのかな。
ちなみに「女の子1人で夜道を歩くのは危険です。わたくしが途中までお送りします」とボクが申し出たんだけど、「私を送ったあと、あなた1人で寮に戻ることにじゃない」と聖さんに断わられてしまった。
ボクは男だから、気にしなくてもいいのに。




