プロローグ ☆
「幼稚園教諭になるために清白女子大学少女に行きたい」
父さんと担任の先生が同席する場での面談。2人の驚愕した表情は、いまでも忘れられない。
「恵唯、お前……」
「…………」
「清白大学ってどこよ? 聞いたことあるような、ないような……」
意味深な反応をしておいて知らなかったの父さんっ!
「真剣な話をしているんだから、あまり茶々を入れないで欲しい」って言いたいけど、父さんの尊厳もあるし、先生の前では控えておく。
「佐々宮くん、清白大学は女子大だよ。それをわかっているのかい?」
「もちろんです、先生。下調べをした上でお話してますから」
清白大学とは、幼稚園教諭氷河期でも毎年安定して50人近くもの新入生を受け入れている由緒ある大学。教育界隈では、有名な幼稚園教諭の養成学校である。
そして、ボク――佐々宮 恵唯は男だ。
「内申だけ見れば、佐々宮くんは間違いなく入学できると思う。成績は申し分ないし、生活態度も非常にいい。君の合格を応援できる調査書は書けるよ」
「先生……!」
「内申だけを見れば、っていう話になってしまうのが残念だけどね」
「そうだぞそうだぞ、男は資格が取れねーんだから、無理だってーの。給料もドチャクソ安いんだし、やめとけ」
重労働に不釣り合いな低給与が原因で、大学側も端から入学するはずのない男性を募集していない。さらに女性でも低給与の職業を選ぶ者はごく僅かで、資格を取得できるのは女子大学の教育系の学部だけになっていた。
「そうだね。男性は募集してないし、給料も安い。誰がそんなお仕事をしたいって思うんだろうね」
でも、だからって諦めることはできない。
夢だから。人を笑顔にする喜びを大好きだった先生に教えてもらったから――。
「わかってんなら、諦めろ。それとも男のお前でも入学できる方法があんのか?」
「なくは……ないかな?」
「本当かい? 私としても教え子の願いは叶えてやりたい。教えてもらってもいいかな?」
「もちろんです。先生に協力してもらいたいですから。ただ――」
「ただ、なんだよ。勿体ぶらず、はよ教えてくれ恵唯」
「その……男の尊厳とか、その他諸々を失うことにはなるだろうけど」
「お、おう。すげぇ覚悟だな」
「……」
「――女装すれば問題ないよね?」
「お、おぉぅ……?」
「佐々宮くん……」
ボクが考えた唯一の方法。それは中性的な容姿と高い声を活かした女装潜入だった。
けど、なにが問題ないのか――ボクの考えは甘かった。
女装で入学に成功し、幼稚園教諭一種免許を取得できても、ある問題があることに気づけていなかったんだ。
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清掃が行き届いた清潔感のある男子トイレ。
白髪の男性が少女を問い詰める。
「女装して幼稚園に通勤、労働するというのか、お前は」
「えっ……と……?」
「そこまで頭が回ってはいなかったとはな」
「幼稚園教諭になることしか頭にありませんでした。でも、なぜ女装で通勤、労働なのです?」
「幼稚園教諭一種免許を取得できるのは男子禁制の女子大だけ。男性が幼稚園に通い、幼稚園教諭の業務を行うのは不自然だろう」
「納得です。男性の幼稚園教諭は、絶滅してますもんね……」
清白女子大学で実施されているAO試験。
その小論文と集団面接の合間の休憩時間に、ボクは男子トイレで不運にも清白女子大学の学長にばったり出くわしていた。
女装しているのに男子トイレに入る時点で、不運でもなんでもないんだけど。
「過程と結果から生まれる問題に目を向けてから行動するべきだな。お前には、やりたいことが先行し過ぎている節がある。何も考えずに行動していれば、いつか失敗するぞ」
「はい……」
大学の学長を務めているだけあって、言葉に説得力がある。
この人の講義を受講してみたかったな。それもいまは叶わぬ夢だけど。
「しかし、気づかなかった。最初は女性が男子トイレに侵入したと思ったのだが」
受験中、パットやウィッグを着けなくても正体を悟られることはなかったけど、女装した姿で男子トイレに入るのは流石にまずかった。
ちなみに今日は、高校の同級生から借りたセーラー服(夏服)を着用している。でも、袖とスカートの裾がすごく短かったから、手にアームカバーを、足には膝上が隠れるくらいの丈があるオーバーニーソックスを装備している。
夏にしては厚着かもしれないけれど、女装はほんの少しの肌の露出が命取りになる。不審がられても、日焼け対策だって、テキトーな理由をつければ納得してくれるだろう。
まあ、それ以外のことが原因でバレちゃったけどおぉぉぉぉ!!
「素で間違えてしまいました。いえ、思いいたったとしても、女子トイレに入る勇気はなかったと思います」
「入学してからは、どうするつもりだったんだ。呆れるな」
「オムツ、とか……? あは、はは……」
性別がバレっていうに、それを笑い話のように語ることになるなんて。苦笑するほかなかった。
――って、笑ってる場合じゃない。
「はぁ……」
このままどう処理されちゃうのかを心配するべきだよね。
警察に突き出されるんだろうか。警察に捕まって、もう幼稚園教諭になる夢を叶えることができなくなるんだろうか。
「お前が男性だと発覚したとはいえ、エントリーシートを確認する際に気づけなかった我々のミスだ。したがって、不本意ではあるが、我が大学を受験してもらう」
「本当ですか!?」
学長は自分たちの非を認めてチャンスくれた。この人はなんて寛大なんだ。神様仏様学長様!!
「ただしほかの受験生と同じ試験とはいくまい。お前とは違い、しっかりと条件を満たしているのだから。彼女たちと同じ土俵で争うのは筋違いだ」
「女性である彼女たちとボク――わたくしとでは、大きな差がありますから。受験させていただけるのであれば、それで構いません。わたくしは純粋に幼稚園教諭になりたい。その可能性が残っているのであれば、挑戦します」
「生半可な覚悟ではあるまいな」
目定めるような視線。
ボクはそれに頷き、
「……女装してでも、やり遂げてみせます」
精一杯の覚悟を言葉に表した。これがいまできる精一杯の誓い。
あとは、この人から入学の許可を頂くのみ。
「では、問おう。なぜ幼稚園教諭になりたい」
「……」
シンプルではあるけど、十人十色に答えがでる質問。
どう答えたら、正解なんだろうか。ううん、正解なんてない。だから、ボクが思うことをそのままぶつければいいんだ。
「わたくしが幼稚園教諭を目指す理由――それは子どもたちの成長の手助けをしたいからです」
「幼稚園教諭でなくては駄目なのか。小学校、中学校、高等学校とほかにも選択肢があるだろうに」
「幼稚園という場は、子どもたちにとって性格や人格を育てる大切な時期です。そして、様々な物事に興味を持ち多くのこと吸収する、一番成長速度の速い時期でもあります。そのひとときを見守りたいんです」
「ほぅ……臆することなく、生き生きとした回答だな。余程、面接練習してきたと見える」
「やりたいことを成し遂げるには、行動するのみです。そのための努力は怠りません」
「どれほど辛くてもか? 女装してでの大学生活だけの話ではない。幼稚園教諭になってからも、精神的にも肉体的にも耐え切れると断言できるか」
学長の見定めるような眼力。心臓のドキドキが止まらない。彼の前に立つよりも、女装する方がよっほど楽だと思えるくらい冷汗が頬を伝う。それほどまでに強い眼力で、この場を圧迫していた。
けど、ボクの想いはそれを払拭する。
「幼稚園教諭は子どもを相手にするのに力や体力が必要となる職業であり、さらに子どもだけではなくその保護者への対応能力も求められます。子どもの悪態や保護者からの重圧に耐え切れず、辞めてしまう方々が存在することは重々承知しています。しかし、幼稚園教諭は子どもたちに夢を与える仕事でなくてはいけないです」
「夢? ふっ、夢見がちな乙女も結構だが、お前が想い描いているものほど現実は甘くない」
鼻で笑われる。
学長は、ボクのことをなにも知らない青二才って思っている。
でも、ボクは信じられるんだ。実際に夢を与えてもらったから。夢があるからこそ、いまの自分が存在しているから。
「その夢を与える仕事が大変だから、辛いからといって耐えるつもりも、辞めるつもりもありません。だって耐えるもなにも、幼稚園教諭は子どもたちの成長に関われる幸せな職業であると胸を張って言い切れますから!」
ニコッと笑うボクは、心の中で安堵した。自分の想いをしっかりと伝えられた。これで不合格でも悔いはない、って――やっぱり思えるはずないよ!
ボクは、幼稚園教諭になりたい! 夢を叶えたい!
学長は顎に手をあて、無慈悲な批評を言明する。
「……最後の回答は精神論でしかない。幼稚園教諭という立場を経験してない者の言葉は、説得力など皆無に等しいからな。評価を下げざるをえまいよ」
「……」
「ま、お前の気持ちが充分に伝わった面接試験となったわけだが……ただ子どもが好きという甘い理由で受験したのなら、警察に突き出していたところだ」
「ありがとう、ございました……っ! わたくしもまだまだ経験不足の、愚かな子どもだと自覚できまし――」
「合格。通いたければ好きにすればいい。しかし、男であることはくれぐれも露呈するな」
「え? あーっ、えっと……い、いいのですか?」
急な手のひら返しにしどもどする。
評価を下げるっていわれたのに合格……? どういう……こと?
「面接した限りでは申し分あるまい。足りない知識と経験は、入学してから学べばいい。あとはAO試験の成績次第ではあるがな」
「は、はいっ! これから大いに励む所存です!」
男子トイレにボクの甲走った声が反響する。
堂々とはいかないけど、幼稚園教諭になる第一歩を踏み出すことができた。その事実に自然と感情が昂ぶる。
ボクの夢物語はまだプロローグ――これから女装乙女としての物語がはじまるんだ。
あとがき
カセット先生に表紙と挿絵を描いていただきました。
恵唯ちゃんの魅力を十二分に引き出した素敵なイラストを描いていただき、ありがとうございます。