おそばせながら新年初ですね。
昔はこのコーナーも一日1000文字以内という事で毎日更新していた時期もありました。
まあ、時の流れだけは大体そんな感じと言いくるめられるほど単調ですが、人の生活はそう思えるほど単調ではない事は言わずもがな。皆々様もそれは充分承知していられるでしょう。
こんなネット社会の中、これを見ている方々なのだから。。。
はい、という事で本年2020も始まって大よそ1か月が過ぎようとしております。
時が経つのは早いですね。
まあ、こんな私も仕事は順調なのですが、相変わらず生活は波乱万丈。
と申しましても、男女の痴情なのですが、こういう感じもこの歳になるといい加減やめておきたい。こんな思いになるのなら一人がいい、独りでいいと考え付く結果だというのも何となく分かるようになりました。
最近周りを見てると、まあ、自分自身の感情発露でもなのですが、めんどくさい事は避けてしまいがちなのではと気がついたのです。
更に過去の自分と会話してみると、若い時なんて人間関係でめんどくさい事ばかりにさらされながらも、それをめんどくさくないと、更に言うならそれに突っ込んで関わっていたのではないかという事に再度気がつきました。
昨今の問題でもある離婚率の上昇。めんどくさい事から目を背け、保守的になっている自分、はたまた社会がもたらしている現象なのではないかと、今日そう思いました。
まあ、自分の生活の中で、自分の事だけを肯定して、他人を排除する。それが自分らしさだと謳う現代メディアをいつの間にか鵜呑みにしていた自分に気がついた。。。
相手がいう事が信じらず、少しのどうでもいい欺瞞に自分自身が右往左往してしまっている。
本当に好きなら、愛しているなら、何故相手の事を信じてやれないのだろうか。
過去に裏切られた記憶は、今関わってくれている方達には関係なく、それらを何故物差しにかけ、未来をみようとしてしまう自分がいるのか。
自分は愛したい、愛されたいのに、目の前にいる方はその方ではないのに、何故今それを強要してしまうのか。
もちろんそれは自分の甘さ故。甘さと言い表現とは少し違う気もする。
そう、好きな自分を貫きたいだけの傲慢さに過ぎず、しかも自分の過去も未来も拒絶しているのではとう仮説。
それが正しいかは分からない。
分からない。。。
ただ、やみくもにも関わっていかなければ、人という感情も分からないまま。
幾千年も前から、生物は出会い別れを繰り返し、歴史を作っている。その中で、男女の感情など惰性ばかりで何も修復されないまま何故か時を刻んで今はある。




