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呟き

 自分の考えをまとめる文章。他に他意はない。

 やはり私は人を信用しすぎるのが短所だと言わざるを得ず、やはり金がらみは人の欲望を明るみにさせる。それで毎回失敗するし、今回もそうであると思っていた。しかしながらやはり何故か人を信用するように見せかけそうしてしまった。

 何故だ。

 問題の所有をしてしまうのか。それもまた違う。要は人に恩を売りたいだけのかもしれない。恩を売り信用を勝ち取りたいと手っ取り早い方法を選んでいるだけなのかもしれない。

 当事者はその時は助かったと思うのであろう。馬鹿な奴と内心あざ笑っているのかもしれない。そんな事は分かっているはずなのに何故手を差し伸べてしまう自分がいるのだろうか…。

 実のところただただ寂しく、表面だけの優しさでしか物事を語れない自分がいるのではないのであろうか。裏切られると分かっていたとしても。

 なら何故その事を明るみに出してしまうのか。それは多分、というよりもやはり人を信用したいという心を裏切られてしまい、反目の心がそうさせているのかもしれない。いや、そうである。

 やはり私には軸というものなどなく、その場しのぎで生きている弱い人間なのであろう。

 強いふりをして、しかしその場の意見や雰囲気にに飲み込まれ、断れなくなり、困窮してしまう負の連鎖は自分の仕業だ。そうに違いない。

 出来事が故に事実確認の場が設けられる。当事者は上の者からものすごい詰問を受ける羽目になるだろう。その日、その場所、その時間で自分はどのように佇まなければならないのか。

 考え想う事は今回の出来事。自分に非はあったのかという事。

 自分の出過ぎた想い以外、行動には悪はないと言い切れる。当事者が助かるのならという想いで行った行動。それに他意はなく、そこに詰問される謂れもない。

 なら何故ここまでこの心に恐れがあるのか。この胸のざわめきの正体は何なのか。表立ってはいい事をしているはずが、何故私自身が負の理に置かされているのか。

 それはきっと自分の心の弱さが故。

 良かれと思ってやった過ちを誇らしくいればいいのでは。当事者がどう思おうとも、その時に助かったのではという問いをその場所でつづればいい。後は野となれ山となれ。

 そう、何偽りなく潔白を謳い、臆することなくやればいい話である。

 やれる事はやった。後は想いのままに、転がるままに…。

 どういう結末が訪れようとも、後悔なく言葉を止めずに自分自身ままに表現すればいい。

 迷いなどそこには必要なく、「お前、何いよるんぞ。ファーファー言うのもたいがいにせえや」という強さを持たなければならない。

 今が勝負時。できないのではない、やるのだ。勝てば負けないそれだけだ。

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