人の本質
ある一説によると、人の性は醜悪さであるらしい。
他人をねたみ、そねみ、陥れる事に快楽を覚え、どうにもこうにも何ともならんというとんでもない感情を老若男女どこも問わず、持ち合わせているという。
これまで経験してきた事を思い返してみてもそんな事を繰り返して今に至る気がしなくもなく、自身の感情を探り当てても、確かにそのような感情があるような気がしなくもない。
しかしながらそれだけではなく、光に満ち溢れたような感情、人を慈しむ力。助けたい、人の役に立ちたいという心情で今を生きる人は確実にいる。
この違いはどこに在り、どう生きているのだろうか。
まあ、つまるところ、自分が今をどう生きて、どう過ごしているかによってどっちにも転がるといいうことなのだろう。
善と悪は互いに寄り添い、在るという事になる。らしい。
今、自分はどう在るのだろう。健全度高い心持で今を過ごせているのだろうか。今日行動した事、感じた事は一年後の自分にどう反映されるのだろうか。そう考えながら過ごし、行動する心情は果たしてつまらないものなのだろうか。つまる事になるのだろうか。
感情と共に生きる人たる生き様は確かに愚かさが多い事はすでに歴史が証明していて、これからもそれらはついて回るのだろうきっと。
人の感情は自身で気づくしかなく、他人が変えられない事は火を見るより明らかなのである。
何が言いたいかって?
そう、これは自分自身に問いかけているだけ。他人に訴えている事ではない。実に済まない。
此度、長年に渡り大切に培ってきた心情を捨てた。そんな自分に「本当にいいのか、それで」と最後に問いかけたのだが、やはり答えは『否』
自分で言うのもなんだが、ようやく諦めがつき、捨て去る事ができたようである。
長くもあり、狂おしく苦しかった。捨てて清々しくもある。が、やはりどこか悔しい感情は否めない。
それは自分に向けられている事ではなく、私に関わる方達の残念無念な気持ちを察しているからに過ぎない。当事者にはどうでもいい話。だから、捨て去る事にした。
こう決めた時からもうそれを求めず、否応なく避けている自分がなんだか面白い。
自分の人生に関わる人は、自身が輝いているのなら確実に幸せにする事ができる。妙な蟠りは川に大河に流し、自身の力量で今を生きていこう。
切に想う。