醜いアヒルの子 学園編Ⅱ
「最近学校の方はどうだい?」
夕食後の団欒。ジェイクが二人に問いかける。
「楽しいよー。友達もいっぱいできたし!」
「…………まぁまぁかな?」
それに答える二人の表情は対照的であった。
ジョージはその内容通りの笑顔。だが、ニコルはとても「まぁまぁ」とは思えない浮かない顔をしていた。
「…………そうか」
そのことについてジョージは殊更問い詰める気はないようだ。ニコルとしてもそうしてくれた方が気が楽であった。なにしろ、この問題は今に始まったものではないのだから。
「ニコル様? 何かお飲みになられますか?」
「あ、うん。お願い」
「かしこまりました」
若干ぎこちなくなった空気を打破するようなシェリーの申し出にニコルはほっと息をつく。シェリーは家事だけでなく、家の資産管理から細やかな気遣いまでできる。ニコルがこうして普通に生活できているのもシェリーのフォローあってのものだった。正直なところ、ニコルはシェリーに対して頭が上がらない思いだった。
「じゃあ僕もー!」
「私も貰おうか」
「はい。少々お待ちくださいね」
「はぁー」
温かい紅茶を口にしてニコルが癒されていると――――
「ジョージ様学校で誰か可愛い子はいらっしゃいましたか?」
「ブッ!」
唐突なシェリーの言葉にジョージは同じく飲んでいた紅茶を吹きだした。
「あらあら」
まるで母親のようにタオルでジョージが吹きだした紅茶を拭うシェリー。ジョージはされるがまま人形のように固まっていた。
「な、なになに?いきなり?!」
シェリーが離れてようやく動き出したジョージの顔は真っ赤になっていた。容姿も相まって、ワタワタと慌てる様が実に可愛い。
「いえ、ジョージ様もそろそろ年頃ですので」
対するシェリーは相変わらずの無表情。だが、雰囲気で分かる。シェリーは楽しんでいるのだ。それを家族は分かっている。だから、そこにジェイクが乗っかるのは自然な流れであった。
「なんだい?とうとうジョージにも彼女ができたのかい?」
「で、で、できてないよ!!」
どもる辺りが実に怪しい。この流れに乗りそこなう訳にはいかないと、ニコルも参加する。
「でも気になる子くらいはいるんじゃない?」
「ニコチーまで! だからいないってばー!」
「ふーん」
そこまで聞いて、ニコルは少し不思議に思った。ジョージはものすごい美少年だ。その中性的な容貌は今時の少女には受けがいいのは間違いない。実際、ジョージがニコルの教室に来た時は騒がれたし、ニコルも紹介してくれと頼まれもした。恋人なんてその気になればいくらでも作れるだろう。だというのに、ここまで否定するというのは、学校かどうかは別として、本当は気になる子がいるのかもしれない。
「でも、おかしいですねぇ?」
シェリーは演技がかったわざとらしい仕草で首を傾げる。
「おかしいって……何が?」
ジョージが次は何を言われるのかと恐々と尋ねる。
「いえ、つい最近ジョージ様の部屋を物色――――もとい掃除していた時にノートに愛のポエムを……」
「わーわーわーわーわー!!」
シェリーの言葉を遮るようにジョージが大声を上げる。たが、もう遅い。ニコルも、そしてジェイクにも聞こえていた。
「愛のポエム……。へぇ、ジョージそんなの書く趣味があったんだ」
関心するニコル。自分には到底似合わない趣味だが、ジョージだとそれ程違和感は感じなかった。
「ないない! シェリー!! 嘘言わないでよ! てか掃除はもう自分でするって言ったじゃないかっ!!」
「あんな物を隅に寄せるだけのを掃除とはいいません。それと――――」
ゴソゴソとシェリーはメイド服の内ポケットを探る。
「ああ、ありました」
そこから取り出した物は――――
「これが証拠です。コピーしておきました」
「やめてーーーーー!!」
ジョージがA4用紙を目にも止まらぬ速さで奪い取る。奪い取った用紙を大事に胸に抱え、ジョージはシェリーをキッ睨んだ。
「もう僕の部屋に入らないでよね!!」
そう言うと、ジョージは涙目で階段を上り自分の部屋に逃げていった。
「…………ちょっとやりすぎだったんじゃない?」
「そうでしょうか?」
「息子の恥ずかしい秘密を聞くのもいいものだ」
「…………うわー」
まったく容赦のない二人に、ニコルは人知れず震えた。
「「「…………」」」
ジョージがいなくなって静かになったリビング。眠気を催しそうな穏やかな空気の中、三人でお茶を啜る。
「血は争えないものですね」
「そうなのかい?」
「はい」
「そうか……」
意味深な会話を交わすジェイクとシェリー。ニコルには、彼らが何を言っているのか理解ができない。いや、もしかしたら理解したくないのかもしれない。
「ご覧になりますか?」
シェリーが内ポケットから新たな用紙を取り出す。ジョージの行動もすべて計算ずくだったという訳だ。
「いや、やめておくよ。実の息子に嫉妬するのはごめんだからね。でも――――」
ジェイクとシェリー二人の視線がニコルへ向く。
「ニコルは見ておいた方がいいんじゃないかい? ジョージも今年の6月13日で16歳になる」
「…………」
ニコルは少し考えて首を振った。
「…………いいよ、見なくて」
「そうか」
ジェイクも無理に見せる気はない。すぐに納得し、頷いた。
「でも、そっか……。ジョージも、もう16歳になるんだ……」
しみじみとニコルが呟く。ウィルソン家の男子にとって、16歳を迎える事には大きな意味がある。
「ニコル……」
「何?」
ジェイクがどこか寂しそうな表情を浮かべていた。
「やめてもいいんだぞ?」
「…………」
ニコルは『何を?』とは問い返さない。ジェイクは隣に座っているシェリーに肘で脇腹を突かれていた。
「先の事なんて……分からないよ……」
明日何が起こるかなんて誰にも分からない。ニコルにできるのは、先の冗談の言い合いみたいに、流れに身を任せること。当の昔に自分を操る舵は見失っていた。
「そ……うか」
複雑な表情でジェイクが俯く。その背中をシェリーが撫でる。普段は強くたくましいジェイクが少年のように小さく見えた。
「まぁ、でも昔からの約束でも……あるからね……」
「…………ああ。そうだね」
その時の事を考えると、ニコルは今から少し気が重い。あと少しで、今まで築いてきたジョージとの関係が変わってしまうかもしれない。何度も経験してきた事とはいえ、ニコルは慣れることはなかった。
「ニコル」
「ん? どうしたの、ジェイク?」
部屋に戻ろうと立ち上がった際にニコルはジェイクに呼び止められる。
「…………」
「…………どうしたの?」
だが、ジェイクは何も言わない。どうも言うべきか言わざるべきか悩んでいるようにニコルには見えた。やがて、逡巡の後、ジェイクはようやく口を開く。
「学校……頑張れ」
ジェイクにしては珍しく、自信なさげな小さい声であった。ニコルはその言葉に驚き、その意味する所を悟った。
「ジェイクに『頑張れ』なんて言われるのは何十年ぶりかな?」
「失礼だね。私はまだ若い。そんなに経ってないだろう」
「はははっ。そうだね」
静かな二人の空間。シェリーはジェイクがニコルを呼び止めてすぐにどこかへ引っ込んでいた。空気が読めすぎるというのもある意味難儀なものである。
「でも、ありがとう。もう一度頑張ってみるよ」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
明日はまた学校がある。それが最近は憂鬱であった。だが、ニコルは久しぶりに穏やかな気持ちで眠りにつくのだった。