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醜いアヒルの子 学園編Ⅰ

 少し時は流れてジョージの入学式。

 ニコルも編入試験に無事合格し、私立栄王学園の3年生として新しい門出を迎えることとなった。私立栄王学園は十年程度と歴史が浅いながら、一貫した少人数教育と独特なカリキュラムで一躍有名進学校の仲間入りを果たした名のある高校である。建てられて間もないだけあって、古風さと近代を合わせてアレンジされた、お城をモチーフにした学校のデザインは非常にオシャレだ。その先進的な見た目にそぐわず、進学校としてだけでなく、将来を担うであろう両家の子息子女も多数在籍している。


 そんな艶やかな桜が舞い散る中、ニコルは久々の学校に不安と興奮を隠しきれない――――はずだった。分かり切っていたことだ。現実はそう簡単には変わらない。校門でジョージと別れて一人になったニコルは周囲から突き刺さる視線をできるだけ気にしないようにして職員室に向かう。周りの風景を眺めている余裕なんてこれっぽっちもなかった。


「失礼します」


 ――――ガラッ。


 編入試験時に一度来たことがあったため、ニコルは迷うことなく職員室に辿り着いた。職員室のドアを開くと、一斉に視線が集中する。


「…………えっと、今日からお世話になります」


 失礼のないように、お辞儀をする。


「あ、ああ、ニコル・ウィルソンくん……だね? 丸山先生ー転入生の子がいらっしゃいましたよ」


「え、ええ。……はい」


 職員室でニコルを待ち受けていたのは、外の学生たちとは質の違う視線であった。少なくとも、その視線から感じれられるのは好意ではない事は明らかである。皆が一様に、引き攣ったような笑みを浮かべていた。まるで人形のようにニコニコと笑顔を張り付けている様は異様とも思えた。しかし、残念なことにこの場でその雰囲気に気づいているのは当事者であるニコルだけ。実に救いようがない。


「今日から君の担任になる丸山です。よろしくね」


「はい。お久しぶりです」


「う、うん。……そうだね」


 さっき呼ばれていた丸山先生とニコルは挨拶を交わす。ニコルはこの丸山という教師と面識があった。編入試験の試験監督が丸山先生その人だったからだ。ニコルは内心で溜息を吐く。まだ二度目の対面ではあるが、ニコルは丸山先生に苦手意識を抱いていた。


「じゃ、じゃあ、そろそろホームルームだから教室に移動しようか?」


「はい。お願いします」


 ニコルが丸山先生を苦手にしている理由は単純明快であった。彼は一度たりともニコルの顔を正面から見ようとはしなかった。話をしている時も決してニコルと目を合わせようとしない。丸山先生の本音がニコルには透けて見えるようであった。そして、ニコルと丸山先生が職員室を出た後、職員室の中から露骨なほっとした安堵の気配を感じ、ニコルは少し落ちこんだ。


「…………」


「…………」


 廊下を丸山先生の後を無言でついていく。最早最初に感じていた高揚感はすべてどこかに霧散していた。ニコルに残ったのは、ここでやっていけるのかという大きな不安だ。


「…………こんなんじゃダメだっ」


 ニコルは不安を吹き消すように、先生に聞こえないよう小声で自分自身に気合を入れる。


「ジョージを悲しませたくないっ」


 自分のためならニコルは今さら学校など来なかっただろう。だが、自分を応援し慕ってくれる家族のためなら話は別だ。ここで失敗して一番悲しむのはニコルではなく、ジョージなのだ。人のため、何より家族のため。そんな思いがニコルに力を与えていた。


「ここが今日から君の教室だ」


 相変わらずあさっての方向を向きながら、丸山先生は言った。


「3年2組……」


 ニコルの心臓が早鐘を打ち始める。


「じゃあ後で呼ぶからここで少しの間だけ待っててくれるかな?」


「分かりました」


 ニコルは緊張で喉がカラカラになってきていた。簡単な返事をしただけなのに、喉が少し痛む。丸山先生が教室に入っていく。人気がある先生なのか、クラスメートからは歓声と拍手で迎えられていた。僅かな雑談の後に、先生が転入生についての説明を始める。教室から先ほどの倍に値する歓声が響いた。期待には百パーセント答えられないので、ニコルの口から自虐的な笑いが零れる。


「やるしか……ない!」


 丸山先生がニコルの名を呼ぶ。外国人かと驚く生徒たち。何事も最初が肝心だとニコルは精いっぱいの笑顔を浮かべてドアを開いた――――














 およそ三十の視線が一斉にニコルに突き刺さる。ニコルは見た。興奮と期待が一斉に失望と嫌悪に移り変わる一部始終を。両手を上げて拍手の準備をしている生徒がいた。だが、拍手は鳴らなかった。ニコルの顔を見て表情を不快そうに歪めると、何事もなかったように席につく。視線が集中していたのも最初の一瞬だけで、今では大半の生徒がニコルの方を見ていない。ニコルは初日にして逃げ出したくなった。ジョージの信頼や愛情諸々を擲ってでも逃げ出したい衝動にかられた。だが、ニコルの意思と反して、ニコルの両足は丸山先生に促されるまま教卓の前に進んでいく。


「はい、注目! 彼が今学期から編集してきたニコル・ウィルソン君だ。難しいと言われてるうちの編入試験を極めて良好な成績で合格してるから頭いいぞー。皆も来年はいよいよ受験だから、分からない所があれば聞いてみるといい。ほら、ウィルソン、自己紹介」


 先生は相変わらず張り付けたような笑顔を浮かべていた。教室の空気がおかしい事には当然気づいているはずだが、まったく意に介していない。


「は、初めまして……ニコル・ウィルソンです。一年と短い間ですが、よろしくお願いします」


 ペコリとニコルは頭を下げる。できることならば、ニコルはこのまま顔を上げたくはなかった。だが、丸山先生に促され、渋々顔を上げる。


「「「…………」」」


 教室の空気を端的に表すと、白けていた。彼らはやはり期待していたに違いない。ただでさえ転入生というだけでこの年頃の男女ならばテンションの上がるイベントである。しかも、名前から想起されるのは外国人。盛り上がらないはずはない。無論ニコルに罪はない。しかし、この教室内の雰囲気の再構築は難しいとニコルは結論づけずにはいられなかった。特に女子の反応はより直接的だ。ニコルに見られていると認識しているはずなのに、露骨に表情を歪め、嫌悪感を全面に押し出している。中には「きもい」「私無理ー」だのと口に出している者までいる始末。ニコルが丸山先生に助けを求めるように視線を向ける。丸山は相変わらず張り付けた笑みを纏って言った。


「じゃあウィルソンの席はあそこだから」


 そう背中を押された。まるで、早くあっちへ行けと言わんばかりに。


「…………はい」


 その予め用意されていただろう席を一瞥して、ニコルは引き攣った表情で頷いた。

 そこは、教室の最後列。ただし、隣には誰もいない。他とは机一つ分はみ出した孤独な席であった。

 自分の席に辿り着くと、ニコルには丸山先生が手をクラス備え付けの雑巾で拭っている姿が見えた。


「あははは……僕って雑巾よりも……」


 ニコルは笑うしかなかった。












「新入生のみなさん、入学おめでとうございます。ならびに保護者のみなさま、誠におめでとうございます。謹んでお祝い申し上げます。私はこの高校の卒業生でえ、九期生の渡良瀬美幸と申します。 高校受験という人生の難関を乗り越え、私立栄王高校の生徒となったみなさんにあらためてお祝い申し上げます。 義務教育を終え、自分の力で人生の進路を決めたのは初めてという人も多いのではないでしょうか。みなさんが栄王高校で、充実した三年間を過ごせるように祈っております――――」


 ニコルは針の筵というものを存分に実感していた。ジョージの入学式を見届け、美人で清楚な生徒会長さんの挨拶に少したけ癒され、今は昼休みだ。ちなみに、今までニコルは誰にも話しかけられることはなかった。避けられている事はニコルにも分かっている。何故なら、ニコルから少しでも離れようと近くの席のクラスメートが少しづつ移動しているので、ニコルと周囲の生徒との間には不自然な空間ができているからだ。恐らくは丸山先生は最初からこうなる事が分かっていて、この位置にニコルの席を用意したのだろう。それがニコルへの配慮ではないことは馬鹿でも分かる。


「はぁ……」


 思わず溜息が漏れる。まだここに来て数時間だというのに、ニコルのストレスは限界値を超えそうになっている。完全に無視されるならまだ気は楽であった。だが、奇異の視線と陰口を授業中、休み時間問わず延々と聞かされる苦行はそういう扱いに慣れてしまったニコルでもさすがに堪える。また、休み時間には噂を聞きつけた他のクラスの生徒が見にきたり、携帯で写真を撮ったりする有様だ。教師陣はそれらに注意もしない。単純に関わり合いになりたくないのだろう。もちろんニコルとだ。


「……もう泣きたい……」


 このままこの生活を続けていく自信はニコルにはなかった。今すぐにでもギブアップしてしまいたい程であった。ニコルは制服のズボンのポケットに入っている携帯を探る。ジェイクに連絡すればすべて終わる。きっとジェイクは怒らないだろう。むしろ「よく頑張ったね」と褒めてくれるに違いない。誘惑に屈しそうになるニコルの脳裏にジョージの顔がちらつく。優しい子だ。責任を感じるに決まっていた。


「でも……もう……」


 ――――キャアアアアッッ!


 心が折れかけたニコルの耳に黄色い悲鳴が飛び込む。どうやら、廊下に誰かがいるらしい。モデルか芸能人でも在学しているのかとニコルが声の方へ向くと、そこにはよく見知った顔があった。


「ジョージ!」


 何故ここに?とニコルが疑問を抱く暇もない。教室に入ってきたジョージがニコルを見つけるとその表情がぱっと輝く。側にいた女子生徒がその表情を見て、クラクラと揺れていた。しかし、ジョージがニコルに近づくのを知ると、黄色い歓声が一転して悲鳴になった。「どうして?!」「離れて!?「穢れる!!」二人の事をよく知りもしないでよく言えるものだとニコルは逆に関心してしまった。そんな周囲の反応を気にも留めず、ジョージはニコルの隣まで来ると、振り返り厳しい表情で言った。


「僕の兄さんに酷い事言う人は許さないよ……」


 その一言で周囲が射すくめられる。芸術品のような美貌からくる威圧感だけではない。ジョージにはカリスマ性とでもいうべき不思議な存在感があるのだ。ニコルすらもその姿に思わず見惚れてしまう。だが、ずっと固まっている訳にもいかず、ジョージに問いかける。


「……3年生の教室までわざわざどうしたの?」


「どうしたのって……。ニコチーをけしかけたのは僕だからね。どうしてるのか心配するのは当たり前だよ」


「で、でも、今日は入学式で……ってジョージはもうとっくに授業終わってるんじゃないの!?」


正確にはロングホームルーム。進学校とはいえ、さすがに入学式の日から授業はないはずだ。


「まぁね。でもさっき終わったばかりだよ」


「そ、そう」


 先ほどからニコルは周りの好奇の視線が気になっていた。それを察したのか、ジョージが話を切り上げる。


「ああ、ごめんね? ニコチーの事どうしても気になちゃって……」


「……それは別にいいけど……」


「でも……」


 ジョージが周囲を鋭い目で見渡す。遠巻きに二人を見ている集団がざわつき、後ずさった。


「……あんまりいい状況じゃなさそうだね」


「…………」


 あんまりどころか最悪の状況だよとはニコルはさすがに言えない。


「まっ、今日の所は帰った方がよさそうだね」


「うん、ごめんね」


「ニコチーが謝る必要なんてないよ!」


 ジョージがバックの紐を肩にかけ直し、踵を返す。


「皆さん、僕の兄さんの事よろしくお願いします」


 そう言いながら、深々と頭を下げた。クラスメート――――特に女子――――は機械のように何度も頷いた。最後に儚げな微笑を残し、ジョージは風のように去って行った。













 それから僕への周囲の対応には若干の変化が現れた。奇異な物を見る視線は続いているが、露骨な陰口は鳴りを潜めた。また、ジョージに興味を持ったらしい数人の女子グループに話しかけられた。ただ、それだけ。だが、ニコルにとっては大きな変化だ。

ニコルは家に帰ったら、ジョージにお礼を言おうと軽い足取りで家路についた。


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