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私が白鳥だった頃 Ⅰ

 中世の時代、イギリスの片田舎にニコル・ベルナールは生を受けた。幼少のころより、農奴として休む暇もなく畑を耕す酷く貧しい暮らしながら、周囲の村の人間と協力し合い必死でその日その日を生きていた。慢性的な流行病に患うこともなく、ニコルはすくすくと成長した。


 それはニコルが10歳を迎えたころの事。とある村にものすごく美しい少女がいると噂になった。隣町からも見物人が訪れるようになり、ニコルの両親は一時期ニコルを家の中に隠したが、人手不足で猫の手でも借りたいのが本音であり、やむをえずニコルは人の目に晒された。やがてすぐに大きな噂となるのに、時間はかからなかった。手は冷水にさらされボロボロ、肌は土に汚れとても清潔とはいいがたい。それにもかかわらず、ニコル・ベルナールという少女には美しいという称賛の声が鳴りやまない。それからというもの、ニコルの元に食料の貢物が届けられるようになった。ニコルは受け取るべきか迷ったものの、常に空腹の家族や村の皆の顔を思い出し、貢物を皆で分けることにした。


 それから2年後。ニコルは12歳になっていた。村にとある貴族が訪れた。貴族はニコルに言った。「我の妾にならんか?」と。貴族の元に行けば、家族だけではなく、村の住人達にも十分な食料を回してくれると貴族はニコルに約束した。家族も村の住人も口ではニコルの意思に任せると言っていたが、本心では誰もがニコルが貴族の妾になることを願っていたし、信じていた。そして、それをニコルも理解していた。


――――だが。


「申し訳ありません。……私は行くことができません……」


 ニコルは貴族の申し出を断った。当然、恥をかかされた貴族は激怒した。村を燃やしてやると真っ赤に充血した目でニコルを脅した。ニコルは頭を地面にこすりつけながら謝罪した。「私は何でもしますから、家族と村の人には何もしないでくださいっ!!」みっともなく泣きわめきながら謝った。そして、身分の差という絶対の現実を思い知った。ニコルは貴族の妾になることを覚悟したが、事態は翌日一変した。貴族の元へ伝令がやって来たのだ。それは、貴族の領地に置いて、大規模な反乱が起こっているという凶報だった。貴族は泡を食って領地に飛んでかえり、話はうやむやとなった。


 さらに2年後。ニコルは14歳になった。そして、結婚した。相手は隣に住んでいた幼馴染であるアドレー。中肉中背で目鼻立ちも目立たない少年ではあるが、それでもニコルにとっては誰よりも信頼できる存在であった。一月違いで生まれ、それからずっと一緒だった。楽しい時も辛い時もニコルの人生とは彼の人生でもあった。貴族からの申し出を最初断ったのも、アドレーの存在があったから。頭を下げて受け入れようとしたのも、やはり彼の存在が大きかった。ニコルにとってはなくてはならない半身のようなものだ。アドレーの妻になれて、ニコルは心の底から幸福を感じていた。


 1年後、ニコルは15歳。村の男性陣とアドレーが協力してニコルとアドレーの新居が建てられた。といっても、雨風を凌げる程度のものだが、大好きな村の人たちと愛するアドレーの建てた家である。ニコルの目には他のどんな家よりも素敵に見えた。しかし、よかった事だけではない。ニコルが結婚したという話を聞きつけたのか、定期的に送られていた貢物の類がなくなった。それは仕方のない事でがあるが、生活が苦しくなったのは事実だ。村の皆で協力し合い、年貢を納めるためにより一層働いた。


 もう一年後。ニコルは16歳になっていた、村の皆が誰もが沈痛な面持ちを浮かべている。この村は比較的水資源が豊富であり、衛生面はそれなりに気を配られていた効果か、流行病の類が深刻化した事はそれほどなかった。ただ、これまでが運が良かっただけなのか、この年は村を流行病が襲った。村の近くに医者はおらず、仮にいたとしても治療を受けられるだけの財産はない。1000人いた村の住人のおよそ4割が病に倒れ亡くなった。ニコルは両親をアドレーは母を失った。










「ニコル……大丈夫かい?」


「っぅ……ぁ……ぅえ……っ」


 涙を流すニコルの肩をアドレーは優しく抱く。アドレー自身も母を亡くしているにもかかわらず、それを態度には出さない。アドレーには今まさに、守らねばならない存在がいるからこそである。


「…………っご、ごめんな…さいっ……」


 ニコル自身も自覚はしていた。泣いている場合ではないこと。ようやく沈静化の兆しを見せたものの、村にはまだ苦しんでいる人が大勢いるのだ。


「いいんだ。今は泣いていいんだよ」


 アドレーはゆっくりと、優しくニコルの背中を撫でる。そして、ぎゅっとアドレーはニコルを強く抱きしめた。


「君が生きてくれててよかった」


「アドレーっ……!」


 アドレーのシャツが濡れる。温かい。それは生きている証だ。


「それに、僕たちはもう二人じゃない」

 

 アドレーが壊れ物に触れるようにニコルのお腹に手を添える。


「あっ……」


 その奥に、ニコルはアドレーの手の温もりだけでなく、確かな鼓動を感じた。ニコルは妊娠しているのだ。まだそれ程お腹は目立たないが、じきに一目で分かるようになるだろう。その事実に、ニコルは喜びと同時に不安も抱えていた。


「…………私……怖いの……」


 震える手をニコルはアドレーの手に重ねる。


「怖い?」


「…………お母さんもアドレーのお母さんも亡くなって……どうすればいいのか分からないの……」


 もちろん、アドレーの子供を身籠った事は嬉しく、これ以上ないくらいに幸せな事である。しかし、流行病で混乱した中、子供をどう守るのか、それ以前に陣痛などの時の対処法がニコルには分からない。それを教えてくれるはずだった彼女の母は二人共もういないのだ。


「大丈夫。僕が精いっぱい支えるし、村の人だって協力してくれるさ。僕たちは昔からそうやって助け合って生きてきたじゃないか」


「…………うん、そう…ね」


 そうニコルは頷くものの、相変わらずニコルの表情は冴えない。その理由はアドレーにも薄々分かっていた。流行病が蔓延しだしてからというもの、村の皆のアドレー、ニコル夫妻を見る目が日に日に変わっているのをアドレーも分かっていた。最初は病のせいで気が立っているのだと気に留めなかったが、二人に接するとき以外の村の皆は変わらずいつも通りなのだ。アドレーが理由を聞いてみても、要領を得ず曖昧な答えしか返ってこない。そんな事はこれまで一度もなかった事だった。――――いや、とアドレーは思い返す。一度だけ、一時期おかしくなった事があった。しかし、それはすでに終わった事のはずだ。アドレーは嫌な予感を打ち消すように首を振る。アドレーは母体に負担をかけないようにニコルの背中から肩を抱き頬にキスをする。するとニコルは振り向き、ぎこちないながらも笑みを浮かべ、唇に軽く触れ合うようなキスを交わした。


「君もお腹の中の子も僕が守ってみせるから……」


「…………うん」


 お互いの体温を感じ、愛しい我が子の鼓動を共有する。

 アドレーは裕福な暮らしができたにもかかわらず、特に取り柄のない自分を選んでくれたニコルを絶対に幸せにすると改めて誓うのであった。

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