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醜いアヒルの子 誕生日編 Ⅳ

 ジョージと美幸は夜道を二人で歩いていた。


「もう暑くなってきたねー」


「そうですね。ほんのつい最近まで桜が咲いてたような気がします」


「なにかだんだんと一年が早く感じるようになるよ」


「あっ、私もそう思ってました!」


 一見和やかな会話に思えるが空気はお世辞にもいいとはいえなかった。どこか堅さがある。無論、それを感じているのは美幸だけかもしれない。息苦しいような緊張感の中で、美幸はウィルソン家でのやり取りを思い返していた。









「え?僕が?」


「うん、お願いできる?」


 ニコルはお腹を抱えてジョージにお願いしていた。そのお願いとは、もちろん美幸を家まで送ってほしいという内容だ。


「ニコチーが行った方がいいんじゃない? 僕だと会話が続かないかもしれないし……」


「あはは、ジョージに限ってそんな心配はいらないよ。それに僕、さっきからお腹の調子が悪くて……」


「あ、そうなんだ?」


 ニコルのワザとらしい演技をまったく疑うことなくジョージは納得する。


「うーん……でも……」


 だが、意外な事にジョージは即答しなかった。


「えっ……ダメかな?」


「ダメってことはないけど……」


 いつになく歯切れが悪いジョージ。こんな事は珍しく、ニコルも戸惑う。


「で、でもさっ、もう暗いし……女の子一人だと危ないし……」


「そう……だよね……。うん、わかったよ」


「そ、そう? ありがとう」


 何故か空気が重かった。ジョージの態度も「行きたくない」という感情が透けて見えるようだった。

 この後の展開に勘付いているのかもしれない。だとしても、ジョージの性格を考慮すると、この態度は解せなかった。


「じゃ、じゃあ美幸さんの事お願いね?」


「…………うん」


 務めて笑顔で送り出す。ニコルに出来ることはあくまでも協力である。ニコル自身に誰かの心を動かす事などできはしないのだ。











 ジョージとニコルのやり取りを陰から見ていた美幸は少なからずショックを受けていた。あんな難色を示されるとは夢にも思っていなかった。初めて現実と想像が乖離した瞬間。だが、それが当たり前なのだと美幸は思う。今、目にしている彼こそが、本当のジョージ・ウィルソンなのだ。美幸は自分自身に強く問いかける。


 渡良瀬美幸が好きなのは……誰だったのだろう。改めて考える。


 答えなど決まっていた。今目の前にいるジョージ・ウィルソンだ。美幸を助けてくれたジョージ。手で触れることのできるジョージ。現実のジョージ・ウィルソンだ。

 そして、今、彼は美幸の隣を歩いている。その表情はどこか冴えない。自分のせいでそんな表情を浮かべているのかと思うと、美幸は逃げたくなる。


 でも、それはできない。そんな自分を変えたくて、美幸はジョージの隣を歩いているのだ。


 美幸は何かにつけて逃げ続けてきた。早苗との件が最たる例だ。落ち込むような事があると、勝手に自己完結して、何でもネガティブに考えて、逃げてしまう。その後は相手が歩み寄ってきてくれるまで、自己嫌悪。美幸にとってそれは最早、癖と言ってもいい。傷つくことに耐えられない。美幸はそんな自分がずっと嫌いだった。だからこそ、美幸の前に現れたニコル・ウィルソンという少年は、美幸にとって鮮烈であった。いろんな噂を聞いた。ほとんどすべてが根も葉もない趣味の悪い噂だった。聞いているだけで嫌な気分になり、自分だったら到底耐えられない。そんな中でもニコルは優しさを失わずに、話しかけるといつも笑顔だった。友達になって嬉しかったのは、むしろどっちだったのか。ニコル・ウィルソンもまた、出会った日から今日にいたるまで、常に美幸の憧れであり続けた。


 ――――だからこそ、美幸は悩んだ。


 自分の想いが、大好きな人と憧れの人の間にいらぬ誤解を与えることが恐かった。

 また、逃げようとした。そして、思い出したのだ。美幸がジョージに告白すると宣言した日にニコルに言った言葉を。


『私は基本的に弱い人間なんです……。何かの後押しがないと実行に移せない……。だから一気にいかないと私はすぐに現状で満足しちゃうんです。でも私……弱い上に我儘だから、友達じゃ我慢できないです』


 あの言葉は極めて的確に渡良瀬美幸という少女を表している。


 今日という日を、美幸は思い出す。脳裏を過るのは、十年後にも鮮明に思い出せそうな楽しい記憶。


 美幸は心からそう思う。笑顔と優しさに満たされた空間。ずっと現状維持で満足してしまいそうな居心地の良さ。でも、そんなのは嘘で美幸は自分がいつまでも満足できないであろうことを誰よりも知っていた。


 だから――――




「私……どうすればいいのかな?」


「…………大丈夫だよ」


 美幸はニコルに相談した。大事な親友に心の内をすべて吐露した。ニコルは黙ってそれを真剣に聞いてくれた。


 そして――――優しい笑顔で「ありがとう」とニコルは言った。


 それには二つの意味が込められていた。自分たち家族の事を真剣に考えてくれた事。そしてもう一つは、自分に相談してくれた事。


「でも、あまり舐めて欲しくないな」


「えっ?」


 ニコルはニヤリとした笑みを浮かべていた。全然似合っていなかった。


「僕とジョージの信頼はその程度の事じゃ揺るがないってこと」


「あっ……」


 美幸は今日見てきたものを思い出す。今日だけではなく、これが十数年積み重なって今のニコルとジョージがあるのだ。


「ふふ……ごめんなさい、ちょっと舐めちゃってました」


「いいんだよ。これからゆっくり知っていけばいいんだしさ」


 ニコルは優しく美幸の肩をポンと叩く。肩に載せられた手に美幸は自分の手をそっと添え、誓うように言った。


「うん……私……今日、告白します」


「無理しなくていいんだよ?」


「……もう逃げるのは嫌だから……」


「……うん、そうだね……ほんと、そう……」


 自分に言いきかせるようなニコルの言葉が美幸は少し気になった。


「どうかしました?」


「ううん、気にしないで。じゃあ僕がセッティングするから、待ってて!」


「ありがとう、ニコルくん」


 美幸にとって憧れの人。人生で二人目の親友。


 そして――――













「美幸さんの家ってこの近くかな?」


「はい、あの角を曲がった所です」


 家まですぐ近くに迫った所。


「ジョージくん」


「なにー?」


 人通りがない事を確認して美幸はジョージを呼び止める。街頭の頼りない明かりと他には虫の鳴き声しか聞こえない静寂の中、美幸は絞り出すように言葉を形にする。


「私の事……覚えてないですか?」


「へっ?」


 びっくりしたようにジョージは振り返る。そして、美幸の顔をまじまじと見つめる。数秒見つめた後でジョージは美幸に謝った。


「ごめんなさい……。記憶にない……」


「いえ! いいんです! 気にしないでください!」


 やはり覚えていないことを改めて聞くと、少なからずショックはあった。だが、それでこそジョージだとも思う。困っている人を無心で助けられる優しい人だという証だ。


「一ヶ月ちょっと前なんですけど、私が男の人に声をかけられて困ってる所をジョージくんに助けられたんです。あの時は本当にありがとうございました!」


 ガバッと頭を下げると、ジョージは困ったように手を振る。


「いやいや! 気にしないでよ! 僕こそ覚えてなくてごめんね!」


「それこそ気にしないでください。私の方こそずっと何かお礼できたらと思ってたんですけど、言えて良かったです」


「うん……どういたしまして」


 ジョージは恥ずかしそうに頭を掻く。


「は、はいっ」


 美幸は少し緩んだ空気にほっと息を吐く。だが、本番はこれからだと、改めて気合を入れた。


「それで……ですね」


「…………」


 美幸の雰囲気にジョージは何かを察したのか一転急に身を固くする。そのジョージの雰囲気をさらに美幸が察して背筋を冷や汗が流れた。一瞬緩んだはずの空気が、嘘のように張りつめていた。


「私……その日からずっと……」


 眼を見なくても、美幸にはジョージの視線が急速に冷めていっているのが分かった。だが、ニコルにもう逃げないと約束した美幸はもう止まれない。


「ジョージくんの事が……」


「………………………」


 美幸はもう泣きそうだった。告白する前から結果は見えていた。だけど、最後まで美幸はやりきりたかった。美幸のジョージへの気持ちは半端なものではない。失敗したとしても諦めない。そんな強さを美幸は求めていた。その第一歩として今ある精一杯の気持ちをジョージに伝えたいのだ。


「好――――」


「ごめん」


「えっ?」


 だが、無情にも美幸の告白は言い切るよりも先に終わりを告げた。他ならぬジョージの言葉によって。


「僕、ずっと好きな人がいるから。家すぐそこみたいだし僕帰るね。さようなら渡良瀬さん」


「あ……ぇ……?」


 ジョージは踵を返して美幸の横を通り過ぎていく。その視線は美幸が見たこともない程に冷たいものだった。


「あっ、そうだ」


 ふと、何か思いついたようにジョージは立ち止まる。


「もし渡良瀬さんが『こんなこと』のためにニコチーに近づいたんならもうやめてね。僕にもニコチーにも迷惑だから」


「あ……ぁぁ……ま、待って……待ってぇぇ……」


 すたすたと足音が遠ざかっていく。美幸はそれを追いかけることも振り返ることもできなかった。ただ情けなく、その背中に懇願するだけ。ポトポトと地面に水玉模様ができていく。その時になって初めて美幸は自分が泣いていることに気が付いた。あまりに急すぎる展開に頭の中が真っ白で何も考えられない。美幸は幽鬼のようにフラフラとした足取りで家路につくのだった。













 ガチャリッ。

 玄関のドアが開き、美幸の母である美智子は我が子の帰りを悟った。


「あら、帰ってきたみたいね」


「…………遅い」


 笑顔の美智子とは対照的に機嫌の悪いのは美幸の父であり、美智子の夫である功だった。功は大事な一人娘が男の家に行くと聞いてからずっと不機嫌だった。だが、いくら反対しても美幸とそれに味方する美智子の前ではどうしようもなかった。発言力という点では功はこの家において一番低いのである。


「あら、おかしいわね?」


「…………」


 玄関が開いてからいつまでも現れない美幸に美智子は訝しがる。家族仲は極めて良好であり、何かとあれば自分からあれやこれやと両親に話す美幸だ。今回も美智子お気に入りのニコルについていろいろと話してくれるものと思っていた美智子は少し心配になる。


「様子を見に行く」


 先に立ち上がったのは功だった。美智子は特に何も言わず、その後を追従した。階段を上り、美幸の部屋の前までやってくる。


「おい――――」


 功がドアをノックしようとして美智子に止められる。シーという静かにのジェスチャーに功は黙って耳を澄ませる。そして気づいた。泣き声だ。押し殺したような泣き声が功にもわずかに聞こえた。


「――――!?」


 何があったのかと慌てて部屋の中へ功が入ろうとすると、美智子に押しのけられる。


「何を……」


「あなたは下に行ってて、美雪には私が話を聞いておくから」


「むぅ……」


 功にも不満はあったものの、功自身にも若干口下手な自覚があるだけに、最終的には美智子に任せることにする。功は黙って下に降りた。下に降りると、功は飲みかけのビールを一気に煽る。やはり、女同士の方がいろいろ言いやすいという事が分かっていても、美幸の悩みを聞いてやれない自分に功は苛立ちを感じた。


 そして――――


「ウィルソンとか言ったか……美幸に何かしてたら絶対に許さん……」


 静かな怒りを燃やしていた。

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