醜いアヒルの子 誕生日編 Ⅱ
「お、おじゃま……します……」
声の震えを懸命に抑える。何事も第一印象が大事である。ニコルに授けられたアドバイスを忠実にこなそうと、美幸は自身にできる最高の笑顔を見せる。
「わぁー。初めまして!ニコチーの弟のジョージです!」
声を聴いただけで、美幸の心臓は高鳴り、頬が上気する。
顔を上げ、ジョージと目を合わせた。
(あ、ああ…………)
自分に向けられたジョージの笑顔。それは美幸がこれから先、どんな事を経験したとしても、決して見せることのできない天使の笑みであった。その笑顔だけで満足してしまいそうな自分を美幸は叱咤し、ジョージに言った。
「私は渡良瀬美幸って言います。ジョージくん、お誕生日おめでとうございます!!」
予想していたとはいえ、ジョージが自分の事を覚えていない事実に若干の悲しみを覚えつつも、ここ数日で何百回と練習してきたその言葉をようやく伝えることができた。
――――今日は待ちに待った6月12日。ジョージの誕生パーティーの日であった。
ニコルとジョージに促され、美幸は家の中に招かれる。家の外観を見た時も圧倒されたが、中もそれに決して劣るものではない。とにかくセンスがいいのだ。全体的に洋風の内装。カーテンや家具の色調はもちろん、小物に至るまで配置なんかもとても考えられていることが美幸にも一目で分かった。なにより、ここに住んでいるのが見た目外国人さんというのが、また絵になっていた。
リビングに通され、美幸はまたも驚く。そこにはまるで外国の俳優さんと言われても不思議に思わないようなダンディーな紳士と、メイド服を着こなした燃えるような赤髪の美女がいたのだ。美幸は事前にニコルから家族についてはいろいろと教えてもらっていたが、それでも驚きを隠せない。まるでお伽噺の登場人物ような人たちであった。
「……ん?」
美幸が硬直していると、その存在に最初にジェイクが気づく。
「あー、君が渡良瀬美幸さんかな? いらっしゃい。家のニコルと仲良くしてくれてありがとう。私はジェイク・ウィルソンだ。よろしくね」
「あ……ああ、こ、こちらこそよろしくお願いしましゅ!」
慌てて頭を下げる美幸。最後で噛んでしまい、真っ赤になった顔を上げることができない。だが、この家にその事を笑うような人間は一人もいない。
「こんな可愛らしい子と友達なんてニコルが羨ましいね」
「まったくで御座います」
その言葉に美幸はまた違う意味で顔を赤くした。
「もう、ジェイクもシェリーも美幸さんをそんなにからかわないのっ!美幸さん、ごめんね?」
「い、いえいえっ!!」
ニコルのフォローでようやく美幸は顔を上げる。その顔は相変わらず赤いままだったが、家の皆が優しい笑顔を浮かべていたのでホッとする。変な子とは思われていないらしい。
(それにしてもニコルくんってお父さんの事ジェイクって呼ぶんだ……。なんか以外)
ニコルの新しい一面を見れたようで美幸は嬉しさを感じる。その気持ちは穏やかで、ジョージに対する燃えるような気持ちとは正反対だ。美幸はなんだか不思議な気分だった。
「さて、そろそろパーティーを始めるか」
ジェイクがそう宣言する。
「テンション上げてこーーーー!」
ジョージが叫んだ。美幸はその子供っぽい仕草が可愛らしくて、勝手に頬が緩んでしまう。見れば、ニコルとメイドさんも似たような表情を浮かべていた。
ただ、美幸には一つだけ疑問があった。それを隣のニコルに問いかける。
「このパーティーの参加者って他にはいないんですか?」
友達百人を地で行くジョージだ。誘えば、この広い家がいっぱいになるくらいの盛大なパーティーだってできるはずなのだ。それに対するニコルの答えは美幸にとって驚きのものだった。
「毎年12日に家でやるパーティーは今までずっと家族だけなんだ。だから美幸さんが家族以外で初めての参加者だよ」
「そ、そんなっ……」
図々しくニコルに頼んで参加させてもらったが、今さらながらそんな事実を知り、美幸の身体が小さくなる。
「ご、ごめんなさい……。わ、わたし……知らなくて……」
ペコペコと美幸はニコルに頭を下げる。きっと今さら何を言ってるのかと、ニコルに呆れられただろう。
「……まったく」
案の定、ニコルは呆れたように溜息を吐く。美幸はますます小さくなった。せめて、この楽しい空気を壊さないようにと、表情は笑顔。だが、明らかに引き攣っていた。
「僕の親友なんだからもっと自信持ってよ」
「へっ?」
だから、ふいにニコルが言ったその言葉に美幸は思わず素っ頓狂な声を上げていた。クスクスと笑い声。すぐ傍でメイドさんが口元を手で押さえながら上品に笑っていた。美幸の全身が恥ずかしさにまたしても、紅潮する。こんな大事な場で何度恥をさらすのかと美幸は頭を抱えたくなる。だが、メイドさんの視線を追って気づいたのだが、ニコルは美幸以上に赤くなっていた。自分で言った台詞に、言った後になって恥ずかしくなったのだ。美幸の対応も悪かった。これではスルーしているみたいではないか。美幸は慌てて口を開く。
「わ、私たち、し、親友なんだ……よね?」
「ぼ、僕はそう思ってるけど……」
お互いに顔を真っ赤にして確認しあう。まるで初心な恋人同士のようだ。
「私も……そう思ってます……」
その言葉を告げるだけに、美幸はものすごく緊張した。
「あ、ありがとう……」
胸が温かい。その感情を美幸は知らなかった。ジョージへのものとも、早苗へのものとも違う。どちらかといえば、母や家族に対する、親愛のそれに似ていた。
「……ジョージもさ、友達はいっぱいいるけど、親友と呼べる子はいないみたいなんだ。どちらかといえば、ジョージの方から距離を置こうとしてるみたい」
「……そうなんですか」
それは意外な事実だった。でも確かに、人気者のジョージが特定の誰かと親しくすると、何かしらの波紋を呼ぶだろう。人気者にも人気者にしか分からない悩みがあるのだ。
「でもさ、昔からお互いに『親友』って呼べるような人ができたら紹介し合おうって約束してたんだ」
「そ、それで……」
「う、うん……」
美幸はニコルの親友としてジョージに紹介されたのだ。迂闊な真似は絶対にできない。
(告白も……今はやめた方がいいかも……)
事を急げば、ジョージにいらぬ誤解を与えるかもしれない。最初はそうだったとしても、今はそうではない。ジョージだけでなく、ニコルの気持ちも同じくらい大事なのだ。美幸が考え込んでいると、ニコルの背後からメイドさんがぬっと前に出てきた。ニコルは苦笑して一歩下がった。美幸は一連のやりとりを見られていた事を改めて意識し、悶絶したくなる。
「先ほどはご挨拶できずに申し訳ありませんでした。ウィルソン家のメイドを務めておりますシェリーと申します。何かあった際には気軽にお申し付けくださいませ」
「は、はい! よろしくお願いします!」
シェリーは優雅に一礼すると、さっきと同じようにニコルの背後に控える。浮かべている気品ある笑顔は同性である美幸すらドキリとさせたが、その時シェリーが実際に考えていたのは酷く下世話なものであったりする。
「シェリー、そろそろ出してくれる?」
「かしこまりました」
どこか残念そうな表情でシェリーは了解すると、足音を立てずにキッチンに消える。
「美幸さんも行こう?」
「は、はい!」
どこに行くか。そんなものは決まっていた。
美幸の見据える先にはただ一人。子供のようにはしゃぐジョージの姿があった。