136 あしたてんきになあれ/この悦楽への誘惑、まさに悪魔の如しっ!
「ハジキ?」
倒れていたのは、ハジキだったのだ。ハジキの髪の毛は、雄ライオンのたてがみのように乱れ、目の下にはクマが出来ていて、全身が汗と土で汚れていた。
「おい、大丈夫か?」
伴内の声を聞いたハジキは、弱々しく口を開き、伴内に話しかける。
「ば、伴内?」
「どうした? 何があったんだよ?」
「あくま……あくまのくさに、やられた……。き、きをつけ……ろ」
そういうと、ハジキは意識を失い、目を閉じる。そして、気持ち良さそうに寝息を立て始める。まるで、夜通しで働いた労働者が徹夜明けに、眠りにつくように。
(――相当に疲れていたみたいだな。悪魔の草によって正気を失った猫人は、暴れまわって体力を消耗して、遭難してしまう……シラタマさんの言った通りだ)
心の中で呟きながら、もう一人の倒れている猫人に、伴内は駆け寄る。
「こっちは……ペンチか」
もう一人の猫人は、息はあるものの、体力を使い果たしたかのようなボロボロの身体で、寝息を立てていた、普段どおりの赤いツナギ姿のペンチだった。ペンチは疲れ果てた顔ではあるが、気持ち良さそうに寝息を立てている。
(ペンチとハジキは俺達より先に、夏呼びの為に入って、悪魔の草にやられたのか。今のところは、命に別状は無さそうだが、このまま森の中で眠ったら、まずい事になるかも)
とりあえず、死んだりしている訳で無い事に安堵しつつ、伴内は後ろで止まったままの猫人達の方を向き、声をかける。
「どうやら、この辺りで倒れてる連中は、悪魔の草にやられたらしい」
伴内は周囲を見回し、悪魔の草らしき草を探す。様々な種類の草が、森の中を吹き抜ける微風に揺れているが、どれが悪魔の草なのか、伴内には分らない。
「多分、この辺りに悪魔の草が生えてるんだろうから、絶対に見ないように気をつけろよ」
悪魔の草が辺りに生えているだろうという話を聞いて、伴内の後をついて来た猫人達は、恐怖で凍り付く。
「あ、悪魔の草!」
声を上ずらせながら、茶虎はうろたえて後ずさりして、ちょうど後ろにいたドドンパの足を、強く踏んでしまう。
「ニャアッ! いてーなっ、気をつけやがれっ!」
足を踏まれたドドンパは、茶虎を勢い良く突き飛ばす。踏まれて痛かった足の状態を確認する為に、ドドンパは自分の足元に目をやる。
すると当然、これまで見ないようにしていた草が生えている足元を、ドドンパは見てしまう羽目になる。そんなドドンパの目に、試験管を洗うブラシのような、奇妙な形をしている草が映る。
「こっ、これは……」
ドドンパの目が、その奇妙な草に釘付けになる。しゃがんで四つん這いになり、ドドンパは風に揺れる奇妙な草を見詰める。
尻尾を揺らしながら、ドドンパは右手をゆっくりと草の先端に伸ばし、突付いてみる。ブラシのような草の先端部分が、メトロノームのように揺れる。
「た、たまらんっ! この揺れ具合は、たまらねえっ!」
ドドンパは何かに憑依されたかのようなテンションで、その奇妙な草の周りを跳ね回りながら、両手で草を突きまくって、遊び始める。仔猫が親猫の尻尾に、じゃれついている感じの光景である……猫のサイズが違い過ぎるが。
「――この悦楽への誘惑、まさに悪魔の如しっ! こいつかっ? こいつが悪魔の草なのかぁ?」
ブラシのような草で、ドドンパは本格的に遊び始める。
「駄目だ、楽しくて止められないっ!」
ドドンパが憑りつかれたかのように遊び始め、悪魔の草だと評した草の名前を、伴内は知っていた。