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数日後、その侍女は無事に奥宮へ戻って来た。たまに顔を見るようになり、ホッとしていた悠美は、他の侍女達が居ない時、そっとその侍女に話し掛けた。

「ごめんなさい…私のせいで、辛い思いをさせてしまって。知らなかったの…まさか侍女がお咎めを受けるなんて。これからは十分に考えて行動するから。許してね。」

相手はびっくりしたように、慌てて頭を下げた。

「そのような…楓様、我がお留め出来なかったのでありますのに。そのように皇女様が頭を下げられることではありませぬ。どうか、お気になさらず。」

そうは言っても、悠美は気になった。ここで生まれて育った訳ではないのだから、ここでの常識なんかわからない。とにかく、回りに迷惑を掛けたくなかった。

「私が悪いの。でも、ただ人の世に帰りたかったのよ。いきなり連れて来られて、帰れると聞いたのに、帰れなかったのだもの。だから…これからも出ようとするかも。」

相手は唖然としていたが、ふふと笑った。

「大丈夫ですわ。今度は我もあのように寝込んだり致しませぬから。楓様を奥宮から出したり致しませぬ。」

悠美は複雑だったが、侍女の笑顔を見て微笑んだ。まだ10代ぐらいに見えるのに、きっともっと年上なんだろうな。それで、家のために働いて…。

自分も、確かに必死に働いていたが、自分のためだった。家も食べることも父が賄ってくれていた。意識が甘かったのかな…。

悠美はそう思いながら、それからしばらくその侍女と話しに花を咲かせたのだった。


いつものように、庭を眺めてボウッとしてため息をついていると、背後に気配がして、振り返ると棗が立っていた。

「楓様。そのように何もせず呆けてらしてはなりませぬ。本日は書の練習を致しましょう。第二皇女の桜様に、文を出す事に致します。」

わらわらと他の侍女達が、硯や筆、紙を持って机の上に置く。悠美はまたため息を付くと、そちらへ歩いた。

「さ、桜様もまだ、ご記憶が戻られないので、少々拙くともお分かりになられぬでしょう。ご機嫌伺いでよろしゅうございますから。」

きちんと擦られた墨が硯に入っている。悠美は慣れたように筆を取った。

聡子先生、元気かなあ…。

悠美の頭に、聡子の流れるような美しい行書の文字が浮かんだ。ここの神は皆、本当に美しいけど、聡子のあの優しげな雰囲気はない。何かよそよそしいような…。

悠美は、会ったこともない姉だと言われている、同じように人の世から連れて来られたらしい、桜に向けて筆を走らせた。

ご機嫌よう。まだお会いしたことはないけれど、寂しくされているのではないですか?一度お会いしてお話ししたいものです。

書いてみて、悠美は思った。そう、二人で力を合わせれば、ここを出られるかも知れないじゃない!

「まあ、楓様!」

悠美は棗の声に、ハッと我に返った。何?また何か駄目出し?だって、神の世に来てまだ二週間ぐらいなのに、手紙の書き方なんか知るはずないじゃないの。

しかし、振り返った悠美の目に飛び込んで来たのは、棗の感動したような顔だった。

「ど、どうしたの棗。」

棗は悠美を見た。

「なんと美しい文字を書かれるのでしょう。人の世から参られたので、我はここまでとは思うておりませなんだ。これは、すぐにでも桜様にお届けを。あちらの侍女も、どれほどに驚くことか。」

棗はフッと笑っている。悠美はその目を見て少し寒気を覚えた…棗、怖い。

「さ、早よう!誰かこれを桜様にお届けを!」

慌てて文箱を抱えて入って来た侍女達が、紙をすっすっと振って墨を乾かすと、それを丁寧に畳んで文箱に収め、出て行った。棗は満足げに悠美を見た。

「書は問題ないようでございまするわね。楓様は、十分なご教育を受けてお育ちであられるご様子。これで少しは、鼻を明かしてやれようというもの。」

字が綺麗なだけで?確かに、昔の貴族とかは字の綺麗さが重要だったなんて聞いたことはあるけど。

悠美は棗がなぜ必死なのか、見えて来た気がした。侍女同士の静かな争いがあるようだ。自分の主人のほうが優秀であると、言いたくて仕方がないのであろう。

悠美は心の中で聡子に感謝し、棗が出て行くのを見てから、また庭のほうを向いてため息を付いた。桜に会えたらなあ…。


次の日の朝、桜から手紙が届き、本日こちらへ訪ねて来たいとのことだった。悠美は喜んで急いで返事を書いた…待っています。お庭を一緒に散策致しましょう。

庭は、侍女達が離れていてくれる唯一の場所だった。広くて見渡せるので、こちらが見えるのがいいらしく、結構離れても、見えてさえいたら傍まで来ない。秘密の話をするには、庭が一番だった。

待ち切れなくて、先に庭へ出てうろうろしていると、棗がスッと寄って来て言った。

「楓様、桜様のお越しです。そのように落ち着かない風はおやめになって、もっとおおような感じでお振舞くださいませ。」

悠美は仕方なくじっと立って、桜が近付いて来るのを待った。

侍女を連れて歩いて来た桜は、黒髪にグレイの瞳の、それは美しい女性だった。とても、自分と同じ人の世から来たとは思えない…。

悠美が少し恥ずかしくなって桜を見ていると、桜はこちらを見てにっこり微笑んだ。

「楓様。お会い出来て嬉しゅうございますわ。」

その様すら、人ではなかった。本当に人の世から来たのだろうか。目がグレイって、もしかしてハーフかなんか?

「こちらこそ、桜様。さあ、あちらの花が綺麗に咲いておりますから。」

桜は頷いて、悠美について歩き出した。思った通り、侍女達はそこに居て、ただ見ているだけだ。悠美は侍女達から見えなくなることがないように、見える位置で、なるべく遠くへと桜と共に歩いた。

宮も侍女達もかなり小さくなった頃、花を見るふりをしながら、悠美は言った。

「桜様は、本当に私と同じように人の世からこちらへ?」

桜は驚いた顔をしたが、頷いた。

「はい。本当は桜ではなく、慶子でした。でも、前世がそうだったと、回りにそう呼ばれておって…もう、かれこれ5年になりまするか。」

悠美は驚いた。5年?!5年もここに居るの?!

「私はつい一か月ほど前に連れて来られたばかりです。名前は悠美。なのに、皆に楓と呼ばれて…。」

桜はフッと笑った。

「では、今お辛いわね。でも、すぐに慣れて参りまする。我とて、最初は慣れぬので大変で…書だって、楓様のように美しく、未だに書けませぬ。筆を持つのも久しぶりでありましたものを。」

今の状況を甘んじて受けて入れてしまっているような桜に、悠美はがっかりした。もしかして、ここの生活が気に入っているのでは。

「帰りたいと、思いませんの?」

桜は少し考えて、首を振った。

「いいえ。今さらにどこへ?両親も、今の我を見て分からぬでしょう。我は神の気を少しずつ回復して来るに従って、このように目の色が前世と同じグレイに変わり、姿も変わって参りました。とても人ではない…それは、最初は帰りたいといろいろ考えたものですけれど、それも、あることを侍女から聞いてからは、諦めましたの。」

悠美はまじまじと桜を見た。この目の色は、前世の色だというの?姿も、前世に近付いてしまったの?それって…私もそうなるってこと?

桜は惚れ惚れするぐらいに美しかった。神の皇女とは、こうなのだろうなと思える。

そしてふと、桜の言葉を反芻していて、思い当たることがあった…あることを聞いたと言った。

「…あることってなんですの?」

桜は、ちらと侍女達のほうを見た。侍女達は、まだ宮の前辺りでこちらを見て立っている。こちらへ来る様子はなかった。桜は心持ち声を潜めて言った。

「我らのお姉様、椿様のことでございまするわ。」桜は言って、また侍女達を伺った。「椿様は、まだ我らが見つかっていない頃、おそらくまだ我らは転生しておらなんだのだろう頃に、こちらへ来られておったのです。数十年前の事との事でした。」

悠美は固唾を飲んだ。椿。三姉妹の長女。先に転生していたというの…。

「…でも、椿様はこちらにはいらっしゃらないのですわね。」

桜は頷いた。

「椿様は前世のご記憶を戻されたのかもしれませぬ。詳しい事は我にも分かりませぬが、ここから出て人の世へ帰ろうとなさったのですわ。それを止めようとした軍神が一人命を落としたと聞いておりまする。そして、椿様はそのまま行方知れずに…人の世にも、神の世にも気が全く感じ取れなかったそうでございます。ですので、お命があるのかどうかも分からぬ始末で。」

悠美は顔を青くした。軍神が命を落とした…あの、蓮や利泉のような、軍神の一人が。

悠美がガクガクと震えているのを見て、桜は悠美の手を取った。

「…楓様?大丈夫でありまするか?」

悠美はなんとか頷いた。蓮や利泉が、逃げた自分を追って来る可能性はある。もし、何かの力が自分にあって、それであの二人を殺してしまったりしたら…?そこまでして、人の世へ帰らなきゃならないのかしら。

桜は悠美の様子を見て、ホッと息を付いた。

「…我は、諦め申した。神の命を犠牲にしてまで戻るつもりはありませぬ。それに我が何かしようものなら、罪もない侍女達が罰しられる。確かに慣れぬ世であるので、時にあちらが恋しくもなりまするが、仕方のないこと。これが運命であるなら、受けようと思うております。楓様、我らはそう言った星の元に生まれてしまったのですわ。」

悠美は、迷った。でも、私には捨てられない家族が居るのに。お父さんもお母さんも、どれほどに心配していることか。せめて、ここでこうしていることだけでも伝えられたらいいのに…。

「…人の世に置いて来た、父と母が気に掛かるのですわ。せめて、元気だと伝えられたらと思いますのに。」

桜は困ったように微笑んだ。

「それは我も同じこと。いつか、機会がありましょうほどに。」

と、何かに思い当たったような顔をしたかと思うと、扇で優雅に口を押えて、楓に身を寄せた。こんなに寄って来るなんて何事だろうと思っていると、桜はフフと笑って、言った。

「ねえ楓様、侍女に知られず、夜中抜け出すことは出来まするか?もちろん、奥宮からは出ませぬが。」

悠美はびっくりして桜を見た。桜の目が、先ほどの神の女とは違って、いたずらっ子のように輝いている。侍女達は、自分が寝たら、各々の部屋へ戻って行く。ソッと抜け出すのは可能だ。

悠美は、頷いた。桜は嬉しそうに微笑んだ。

「では、今夜あちらの池の畔で。」桜は視線を池のほうへ移した。庭の奥に、小さな池がある。「人の世にはお連れ出来ませぬが、きっと気が晴れましてよ。お待ちしておりまするわ。」

桜は扇を口から離すと、侍女達のほうへ足を向けた。

「さ、戻りましょう。あまり長く話していては、何か(はかりごと)をしておるのだと感づかれまする。」

桜は、またフフフと笑った。あまりに楽しそうなので、悠美もつられて微笑んだ。何だか知らないけど、楽しみが一つ出来たかも…。

悠美は桜に並んで歩きながら、そんなことを思っていた。

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