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帰りたい!

悠美は、与えられた部屋でぼうっと庭を見ていた。

あれから、何日経っただろう。間違いなく、あのスーパーはクビ。こんなに無断欠勤してしまったんだもの。貯金はまだあったから、何年かは奨学金の返済は大丈夫だろうが、携帯電話はそのうちに止められる。もっとも、ここでは全く繋がらないのは、一番最初に試してみて知っていた。とりあえずソーラーの充電器はいつも持ち歩いていたので、充電は出来るけど、電波が届かないなら何の役にも立たなかった。

あれから何度か試してみたが、ここを出ることは出来なかった。そもそも次元が違うようで、庭から外へ出ても、そこは別世界だった。

蓮と利泉には、あれ以来全く会えていない。神の世では、男女が話す機会はなく、あの二人でなくても、話すこと自体が許されないような感じだった。

皇女なのだからと、人の世に居た頃の自分なら思ったかもしれない。こんな生活に憧れると。

だが、実際は違った。まず奥宮から出る事が出来ない。許されていないからだ。皇女はみだりに他の神に姿を見せてはならないのだ。仮にどこかへ出るにしても、頭からすっぽりとベールを掛けられて窮屈な上、侍女達がぞろぞろついて来る。奥宮の中ですら、部屋から出るとすぐに侍女が飛んで来て、後をついて歩いた。なので、一人になることが本当にないのだ。

本当に息が詰まる。白い内側の着物の上に袿を着せられた状態で、悠美はため息を付いた。これじゃ、逃げても平安時代のお姫様のコスプレした変な女と思われる。

悠美は、髪の上だけ結い上げられてかんざしを挿された頭を振った。諦めちゃダメ!とにかく、ここを出て帰らなきゃ!

次元が違うと言っても、何ヶ所かは人の世と繋がっていて、そこに建物がはみ出たような形で出ているのだと、ここへ来る前に蓮が言っていた。その他侍女達にさりげなく聞いたところによると、どうやらその場所は点在しており、悠美が最初に通って来た場所は、宮の入り口と繋がっている洞窟で、結界で何もなく行き止まりに見せているが、神には入って来れるのだという。そして、宮の外にある軍神達の宿舎近くに一つ、宮から北の方向に一つあるらしい。それから、宮の治癒の対にも一つあるのだという。

悠美は回りを見た。連れて来られた時に通った、洞窟は自分の力では通れないことが分かった。自分は神らしいが、まだ覚醒していないので、力が使えないのだ。

軍神の宿舎なんて行けるはずはなかった。まず、宮から抜け出すことが出来ないのだ。

残るのは、宮の中にある治癒の対にある人の世とのつながり口…。

悠美は、拳を握りしめた。何としても、それを使って向こうへ帰らなきゃ。昼間はいつも侍女達がこちらを伺っていてここから自由に出ることは出来ない。何しろアクビを一つしても侍女が飛んで来て、やれお昼寝されますか、眠気覚ましのお茶はいかがでしょうかとわらわら入って来るのだ。影からどれ程見ているのかと思うと、心の中まで読まれているようで、怖い。だが、夜になると宿直の侍女以外は皆自分の部屋へ帰る。宿直の侍女も、離れた部屋で眠っていて、呼ばなければ来ない。

夜になって、皆が寝静まってから、行こう!

悠美は、夜を待った。


とりあえず動きにくい着物は脱いで、着て来た服に腕を通すと、鞄を持って、そっと部屋を出た。

素足だとペタペタと音がするので、足袋だけは履いていた。靴はもっと音がするので、鞄に無理矢理詰め込む。

ここまで警戒するのは、何度か脱走しようと試みて、神の聴覚を侮っていたために、奥宮すら出られた事がなかったからだ。

人が神から逃げようとすると、本当に大変なのだと実感した。

彼らは暗闇でも見えるし、煙の中でも「気」をたどって追って来る。微かな音も、意識を向けていれば聞き取ってしまう。悠美は目も耳も悪い方ではなかったが、神の中に居ると、物凄く劣っているように感じた。

今回は何度かの失敗を経験して、全てにおいて完璧なはずだった。

その証拠に、やっと奥宮は出る事が出来た。

静まり返った宮の中を、そろそろと足音を忍ばせて進む。治癒の対は、宮の東にあると聞いていた。

それにしても広い…。

悠美は思っていた。塵一つ落ちていない広く美しい石造りの宮。しかし歩いていると、なぜか知っている場所のように思った。迷うはずなのに、なぜか知っているような気がする。

そして、大きな白い戸を見た時、ここが治癒の対だと悠美は咄嗟に思った。何かの記憶がフラッシュバックのように流れる…自分は、前世きっと、頻繁にここへ来た。

そんなに怪我をしたのかしら…。

悠美は不思議に思ったが、治癒の対には、夜でも神が居る。重篤な患者は、放って置けないからだ。

悠美は左へ回り込み、確か布の仕切りだけしかない所があったと、それを探して歩いた。


そっと、布を開く。

中は意外にも、誰も居なかった。多分今は、重篤な患者が居ないのだろう。なぜかその事実にホッとする自分に、悠美は驚いた。私は、やっぱり楓だったのだろうか…。

暗い治癒の対の中を、音も立てずに歩いて行くと、奥の仕切り布を開けた所に、それはあった。ぼうっと光るその戸を開けば、その先が人の世で、治療に必要なものが人の世にあると分かれば、そこからすぐに調達に出掛けるのだ。

悠美は涙ぐんだ。どういう訳か、懐かしい。私はここを出て、何度か治癒の神達と薬草を探しに出掛けた。そんな気がするのだ。出れば深い森の中。抜け出すのは、人の足ではどれぐらい掛かるのか…。

それでも、悠美はその戸に手を掛けた。

「…そこまでだ。」

男の声が、暗い治癒の対に響いた。悠美はびっくりして声の方を見た。暗くて顔がよく見えなかったが、相手からははっきり見えているのだろう。しかし、その声で悠美には誰なのか分かった。

「蓮。」

相手は、近付いて来て手を上げた。ぼんやりとした光の玉が浮かび、その辺りを照らす。光の中には、やはり蓮が立っていた。

「見ておったが、よくぞここまで迷うこともなく来たものよ。奥の宮を出たのも初めてであろうが。」

悠美は力なく言った。

「なぜだが知ってるような気がして。いつから見ていたの?」

蓮は無表情に答えた。

「奥宮を出た所から」そして、手で戸を押さえた。「悠美、ここから出ることは出来ぬ。人の世に帰るには帰れるが、あちらは深い森の中。主では抜け出ることが出来ぬわ。まして、主の住んでいた遠く離れた人の街まで、飛ぶことも出来ぬ主がどうやって行くつもりぞ。」

悠美は蓮をキッと睨んだ。

「それでもいいのよ!その森は、私の住んでいた街と同じ空でつながってるんだもの!ここは違うわ。そうでしょう?私は戻りたいの。ずっとここに居るつもりなんかない。皇女だった私は死んだのでしょう?人として生きたいと思ってるんだから、帰してちょうだい!」

蓮はじっと悠美を見ていたが、ため息を付いた。

「それは我には決められぬ。王が決められることであるからだ。我は王の命に従うのみ。主をここへ留めるのが我の役目。ゆえ、主が奥宮から出たのを気取って飛んで来たのだ。これほど迅速に動くことが出来るのが神ぞ。主は、我らが見ておる限りはここから出ることは叶わぬ。諦めよ。」

悠美は蓮を睨み続けた。だが、確かに見つかってしまったのに説得するのは無理だ。ここへの道は、もう覚えた。また、いつでも来ればいい。そのうちに、蓮にも隙が出来るかもしれない…。いくらなんでも、神だって無敵ではないんだから。

「…わかった。」悠美は言った。「今回は私の負け。だから戻るわ。」

悠美が踵を返すと、蓮はそれに付いて歩きながら言った。

「では、我も共に。奥宮の入口まで宿直の侍女が迎えに参っておるだろう。主のせいで、あれも罰を受けるの、気の毒に。」

悠美は驚いて蓮を振り返った。

「そんな!私が勝手に出て来たのよ!」

蓮はフンと鼻を鳴らした。

「あれの務めは主の世話。奥宮から出すなどもっての他ぞ。それを許したのであるから、責務を全う出来なんだ。ゆえ、罰が下る。主は浅はかよ。己の行いが回りにどう影響するかも知らぬのか。」

悠美は呆然としながら、蓮に引きずられるように奥宮へと向かった。

その時出迎えた侍女は、次の日から顔を見ることがなかった。


悠美は、後悔していた。まさか、自分がしたことで侍女が罰を受けるなどと思ってもみなかったのだ。あの侍女は、どうしたのだろう。あれから全く顔を見ず、悠美は気になって仕方がなかった。

ふと、入り口に気配がする。思った通り、侍女が頭を下げて入って来た。

「…(なつめ)。」

棗は、少し年上に見える侍女だった。悠美付きの侍女で一番地位があるらしい。ここに来てから、悠美は棗に散々叱られ、神の世のしきたりみたいなものを、事細かに教えられていた。お姉ちゃんみたい、という最初の印象は、ことごとく消えて、今は口うるさい先生のような感じだった。

悠美は、棗なら何か知っているかもしれないと、問うた。

「棗、聞きたいことがあるの。」

棗は、顔を上げた。

「はい。何でございましょうか。」

悠美は姿勢を正した。だらけていると、叱られそうな雰囲気なのだ。

「あの、この間私がここを抜け出した時に宿直だった侍女は、どうしたの?」

棗は、驚いたような顔をしたが、暗い表情で下を向いた。

「…楓様がお知りになるようなことではありませぬ。」

悠美は不安になった。まさか、殺したりしてないわよね。でも、神の世だから…。

「お願い、教えて。どうなったの?罰を受けると、あの時蓮に聞いたの。」

棗はしばらく黙ったが、ため息を付いた。

「あれは、奥宮での任を解かれ、里へ帰され申した。しかし、裕福な家の出ではありませぬゆえ、どうあっても宮で仕えさせて欲しいと言って参って…今は、お端仕事をしておるかと。」

お端仕事。多分、掃除とか水汲みとか、体力勝負の仕事のような気がする…。まだ若い侍女だったのに…。

「棗、私の命だと言えば、それは通るものなの?」

棗は今度こそ驚いた顔をした。

「それは…皇女様でありまするから。しかし、何をお命じになるおつもりですか。」

「私の侍女よ。」悠美は言った。「あの子を、ここへ戻して。私が悪かったのに…そんな思いをさせて。そう言ってみてくれないかしら。」

棗は戸惑った顔をした。

「でも…皇女は普通、侍女の人選にはあまり口出しなされぬものでありますのに。」

悠美は断固として言った。

「いいの!私がそれを望んでいるの。そう、命じて!」

棗は慌てて頭を下げた。

「はい。すぐに。」

棗は、その場を出て行った。悠美は、これが通ってくれることを望んだ…自分のしたことで、他の神達が不幸になるなんて許されないもの。


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